9-1.戯れの午後
ランディが本を返しに来たのは、翌々日だった。
「この本、面白かったよ。ありがとう」
「いいえ、喜んでいただけてよかったですわ。どのお話がよかったですか?」
「そうだな、この話がよかったな。挿絵も綺麗でね」
「まぁ、どれかしら」
「これだよ」
ランディが指差し、私が顔を寄せると、とてもいい匂いがした。
「ランディ、とてもいい香り。一体、どんな香水を使って」
私が顔を上げると、ランディの端正な顔が目の前にあった。
「ひっ」
私が逃げ出すと、ランディはきょとんとして子供のように笑った。
「アデリン、顔が真っ赤だよ」
「だ、だって、ち、近いんですもの!」
「近いのは嫌かい?」
「そうではありませんけど……突然で驚いたのです」
私が言うと、ジリジリとランディが近寄ってきた。
「そう? ゆっくりなら大丈夫?」
「だ、だだだダメです! そんなお綺麗な顔が! 目の前に!」
「ダメなんてひどいなぁ」
くすくすと笑いながらさらに近づいてくる。目の前に近づいた顔に慌てふためき、私は無理にランディの胸を押し戻した。
「おからかいにならないでくださいませ! ラルフとは違いますのよ!」
「ラルフ? 誰?」
ランディが眉をひそめてピタリと止まった。私は息を整えてできる限り離れて答えた。
「あなたがお飼いになっている犬のことですわ、ランディ」
「あぁ、ラルフね……」
ランディは安堵したようにため息をつき、そばの壁に寄りかかった。私をからかうのは飽きたらしい。
「いいですわよね、ランディは毎日ラルフにお会いできて。私は私の大事なチッチもみんな置いてきてしまってとっても寂しいんです。こんなに長くなるなら、連れて来ればよかったですわ」
「そんなに早く見つかると思ってたの?」
「う……それは浅はかな間違いでした。でも、お兄様は、頑張ってる私を見て、それでもお相手ができないのを見て、折れてくれてもいいと思いませんか? 退屈な王都の生活から帰っておいで、って言ってくださっても」
私が意見すると、ランディは肩をすくめた。
「それは……僕がよく遊びに来てるからかもね、君が退屈していないと思っているんだよ」
「ランディと話しているのはもちろん楽しいですけど……ランディしか貴族のお友達がいないのは問題だと思っておりますの」
すると、ランディは不思議そうに首を傾げた。
「楽しい?」
「ええ」
「どのくらい?」
「ええっと……少なくとも、お兄様よりは」
「なんだ、ダリウスじゃ、比較にならないじゃないか」
ランディはあははと笑った。
「だって……お兄様以外の貴族の方で、私の相手をこんなに長いことしてくださる方は、他にいなかったから……比較なんてできないもの」
「君は人気があると聞いているけどなぁ」
それ、当て馬要員としてじゃない? もしかしたら、どこかにエージェントがいて、兄への招待状を書き換えているのかもしれないわ。もしくは、暗号を書いてるのかも。”妹にはエスコート役の男性の恋を成就させる任務を与える”とかなんとか。
「他に友達はいないの?」
「ジジに、ジャンに、本屋の店主に、その娘さんに、本屋の隣のウェイトレスに……」
「なるほど、よくわかった。ジジ以外には、君は貴族だと明かさないで仲良くしているのは、あまり得策とは思えないけど」
言われて、私はツンと顔を背けた。ランディみたいに貴族らしさがあるわけでなし、私はこれで十分だ。
「仕方がありません」
「令嬢の友達は作らないの?」
「あー……、その、お兄様目当ての方ばかりで……それに、私、田舎令嬢ですから、笑われておりますのよ。洗練された駆け引きもできませんし、何しろ、当て馬要員なんですもの。エスコートされた男性八人に逃げられれば、笑われもします」
あの少し侮蔑の入った嘲笑はなかなか慣れるものではない。兄の名代で社交界に出入りできるようになったお上りさん。直説言われないのは、兄のおかげと、侯爵家の位のおかげだ。
兄がランディにお目付役を頼んだことはよく知られているようで、きっとそのせいもあるだろうけど。
……むしろ、そのせいなんじゃ?