004 フェタルとよそ者
腰を低く落として、深く息を吐く。イメージは縮めた発条。息を吐ききり、スッと一気に息を吸い込むと息を止めて前方へ突進した。
狙うは足首。しかし、木剣を下段に構えられ受け流される。そのまま背後に回り今度は手首を狙って短い木剣を振り上げた。しかし、これも体を回転させて避けられ、そのまま流れで横薙ぎの一撃が迫る。
それをかろうじて受けたものの、軽い自分の体は浮き上がり力任せに弾き飛ばされてしまった。受け方が悪く剣も手放してしまった。
「……負けた。」
「当たり前だ、俺が負けるか。」
父はぶっきらぼうにそう言うと俺に手を差し伸べた。乱れた息を治せずに父の手を握り返すと力任せに引っ張り上げられた。気が付いた時には小さい子供にするように抱き上げられていた。ひげ面まで5cm。近い近い。
「こうしてみると顔はフィオナによく似ているんだが、性格は俺に似たのか?」
「いや……それはない。」
父の無駄に分厚い胸板を両手で押しのけ、少し距離をとる。そしてこちらを見る父の目をじっと見つめ返した。父はその性格上、下手に嫌なそぶりを見せるといじり返してくるので、俺は愛想笑いを浮かべた。これで日課の髭攻撃も半分くらいに減らせる。
「……やっぱりお前はフィオナにそっくりだ。」
俺はあんな不思議ちゃん系ミステリアス人妻ではない。最近思うが、父は母のような女性は苦手なタイプに当たるのではないかと思う。だから、母の真似をすれば父に対抗できるように思うのだが……。
「それもない。」
俺がそういうと、父に日課を果たされてしまった。やっぱり、髭には勝てなかったよ。
父に剣を習い始めて思うが、父は意外と器用だった。てっきり力任せな戦い方をすると思っていたが、受け流したりフェイントを交えたりと小技も織り交ぜてくる。
お陰で大変勉強になる。というか村の若衆が拙く見える。もしかしたら父は村で一番強いかもしれない。
そんな事を考えていると、村のオバサン集団に拉致された。
今日は隣村の奴らがフェタルをしに来ているらしい。まぁ、隣村との交流の機会であるので必要なのだろう。歓待する必要もあるからその準備に追われているわけだが……。人、少なくないですか?
物珍しさと、外の村のいい男探しに今女衆が群れているという。外の男との婚姻は反対されない。むしろ奨励されている。血が混じる方がいいということだろう。
だから未婚の女衆は嬉々としてフェタルに行ってしまったという事だ。それは別に良い。フェタルはスポーツに近い。まぁ、スポーツマンは人気になるものさ。
正直複雑な気分である。家族同然とは言わないまでも、同じ釜の飯を食った仲というか、そういう近しい女の子が結婚相手探しに行くというのを俺はどう捉えるべきなのだろうか。
イチャイチャしようものなら男の方を抹殺したくなるだろう。しかし、それは彼女らの将来を奪うことにつながる。俺と同じ茨の道を歩んでほしいわけでは決してないのだ。
そんな想いは不毛であるし、誰も幸せにならない結末が待っていることは想像に難くない。故に、俺は彼女らの行動を邪魔出来はしないのだ。
そういうわけで、只管に鍋をかき混ぜ、パン生地をこね、竈の火を絶やさぬように薪を追加する。そして、手が空かない子持ちの女衆の代わりに小さい子供の面倒を見る。
……正直、重労働と言ってよい。手がどこぞのアル中のように震えるし、足は生まれたての小鹿のように覚束ない。このような祭りは十年に一度くらいにしてほしいと切実に願う。
とりあえず分かったのは、子供は遊ばせないということだ。つまり、手伝いと子守を同時に行うべく、子供を手伝いに巻き込むことが肝要である。
まず、落ち着きのある子供には座ってできる作業をあてがう。豆の皮むきなどは時間と人手が必要だが、力は必要ないので子供でも可能だ。
また、じっとしていられない子供には物を運ぶのを手伝ってもらう。もちろん運べる範囲でだが、小分けにすればどこにそんな体力がるのかと思うほどに何往復もしてくれた。
意外と子供達は素直にいう事を聞いてくれた。それは率先して手伝ってくれたコリンと黙々と一言もしゃべることなく食事作りを手伝ってくれたクロエの助けもあった。
コリンは小さいながらにガキ大将として成長しつつあり、クロエは本人にその気がないながらその儚げな美幼女ぶりで妙なカリスマ性を発揮しつつあった。
我が弟妹ながら末恐ろしいガキどもである。彼らの統率力たるやどこぞの軍隊かと思わせるほどであり、そのまま成長したらどうなるのやら想像もつかない。
かといって俺の作業がなくなるわけではない。子供に指示は出すし、彼らに出来ない作業が降りかかってくる。ほとんどの大人はフェタルの後の宴会場の設営にかかりっきりで、残っているのは老婆ばかりとなる。
その老婆に囲まれるこの状況ははなはだ不気味だ。
「シアは働き者じゃの。」
「ほんにほんに。」
「飲み込みも早いの。筋が良いわ。」
「フィオナは苦手じゃったが。」
「アーサーはああ見えて器用な男じゃて、父親に似たんじゃろ。」
「他が似ていたら目も当てられんところじゃったわ。良かったの~。」
「ひぇひぇひぇ。」
三つ子かと疑いたくなるほどに似ている三人の婆さんたちは俺をチヤホヤする。まるで孫への対応のようだ。当の孫はフェタルを見に行っているのだろう。
俺は三婆に力なく愛想笑いを返しつつ、手は野菜を切っては鍋に投下している。目の前では同じように会話しながらテキパキと獣を解体して肉隗に変えている笑顔の老婆たち。
そういう俺はその光景を見ても心動かされることはなかった。むしろ今日はご馳走にありつけそうだ、ラッキーくらいに思っていた。すっかり異世界っ子だな、いや農家の子か。
ナイフで野菜を切りながら、前世では自炊していなかった自分が随分手慣れたものだなと他人事のように感心した。料理らしい料理ではなく、大雑把な鍋料理だが一応作れるようになった。
ここの包丁というかナイフは切れ味が良くはなく、切りにくいが力任せに切るというより叩き折っているような感じで野菜を刻む。
ん~ワイルド。ちょっとカッコ良くないか、俺?男の料理って感じしない?
ある程度、料理にめどが立ち、子供たちが疲れてお眠になり始めた頃、三婆からお役御免の通達があった。この場の責任者の三婆がいいということは、いいのだろう。
よし帰ろう。流石に疲れた。まさか酒盛りの給仕までやれとは言われないらしい。既に眠り姫の妹を背中に背負い、起き上がり小法師のように頭を揺らして眠気と闘っている勇敢なる我が弟の手を引いてその場を去ろうとした。
「シアもフェタルを見てくるが良ぇ。」
「あぁ、ちょうど今いい塩梅だろう。」
「そろそろ決着がつくくらいのはずだわ。」
三婆がそれぞれそんなことを言い始めた。いや、正直すぐにでも眠りたい。背中からじんわり伝わるクロエの体温が眠気を誘う。眠気90%くらい。
そんな俺の内心は馬鹿が付くくらい正直に顔に出ていたらしく、『必ず行くように』とくぎを刺されてしまった。俺は盛大なため息をつき、フェタルの会場へと足を向けた。
女衆のとりまとめである三婆の意向を無視したとバレれば今後に響くのだ。
人垣にうんざりしながら、会場をグルっと一周してやっと我が友を見つけた。
「ミリー、アン。」
後ろから声をかけると二人は大いに驚き、口を大きく開けていた。炊事場からくすねてきた木の実を口に放り込まなければそのまま開きっぱなしだったかもしれない。
「珍しいね、シア。」
「本当だよ!どうしちゃったの!」
そんなにか?まぁ、初めて見るからなぁ。正直、ルールも知らない。とりあえず相手を負かせばいいのだろうが。
「まぁ、三婆がな……勧めるんで。今、どんな感じ?」
「あぁ、そういう。今ちょうどブランドと隣村のオルトンってやつが一騎打ち。」
「そうそう、凄かったんだよ~。ブランドがバシバシって隣村の男子をやっつけたと思ったら、オルトンがこっちの男子をバシバシって!」
うん、とりあえず分からないが二人が無双したのだけは伝わってきた。そんな二強状態になるもんかね。もう少しチーム戦というか協力プレイというかそういうのが大事なのではないのかと思うが……。
会場に目を向けると、確かに死屍累々と言った感じで倒れている中、二人だけが立って対峙している。両者ともに肩で息をしている。相当疲れているのだろう。
相手のオルトンという奴は黒髪の整った顔つきのこれまた美少年であった。多分あれだろう、柔よく剛を制す系の奴だな、たぶん。
これはモテる。確実にモテる。これから彼の争奪戦が始まるであろうことが予期された。ただ、それよりも倒れている子たちの方が気になる。
「それはそうと、手当とかしなくていいの?」
「とりあえず死んだふりをしなくてはいけないから、動かせないんだよ。」
それでも、もしかしたらガチで動けない重症を負っている奴がいるかもしれないじゃないか。
「あれ、シアどこ行くの?」
「ちょっと、終わったら手当てできるように水汲んでくる。」
「え、あ~……うん、私も行くよ。」
「お~、私も行く~!」
とりあえず、ほぼ眠りかけているコリンをアンの背中に預けて水を汲みに行った。これで一応『フェタルを見る』ことはしたので良いだろう。
とりあえず、桶に水を溜めて会場近くに並べて置く。それから洗濯したての布を用意して、鍋で煮立たせたお湯に突っ込んでおく。
そこまで終えた段階でアンとミリーがいた場所は人で埋まっていたので人垣の外側からの観戦になった。まだ勝負はついていなかったか。
「ねぇ、二人はどっちが勝つと思う?」
「うん、私はオルトンだと思うけど……シアはどう思う?」
大して試合を見ていなかったので何とも言えないとは言わないでおいた。ブランドンとオルトンか。疲労度合いは同じくらいだったと思う。なら、あとは地力の差。
「ブランドンかな。結局、子供だし体格の差がものをいうだろう。」
「いや、そういう事でなく……どちらに勝ってほしいかという意味だよ。」
勝ってほしい?どちらに勝ってほしいか……。この試合は何のためにあるのか?古代オリンピック的な考えであれば、戦争の代償行為にあたるか。孔雀の羽というか、ライオンの鬣というか……。
なら村にとっては村の代表ともいえるブランドンが勝つのが良いだろう。ただ、勝ったところで何か変わるのだろうか?例えば、物々交換する際のレートが変わるとか……。それはないか、そこまでの事を子供の試合で決めるはずもない。
ならもっと卑近な所に決め手はある。つまりは、この後に控える宴会についてだ。今回はこちらがホスト側である。ホスト側が勝つとこちらは気持ちよく飲み食いするだろう、そして相手は意気消沈する。逆にこちらが負ければお通夜状態、相手は曲がりなりにもゲストだ、多少遠慮するだろう。
即ち、こちらが負けた方が村の備蓄は減らない。そういう事になる。いや、なるべきだ。そして、余剰分は俺に食わせてくれ。
「なら、オルトンという子には頑張ってもらいたいな。」
「ほぉ~!」
「これはブランドンに強力なライバルが現れたねぇ!」
俺の気持ちを知ってか知らずか、二人はブランドンを応援し始めた。何て薄情な友人たちだ。
結果から言えばブランドンは負けた。聞けばオルトンはブランドンより三つ年上らしい。それなら、まぁ負けても仕方がないのではないのだろうか。
意気消沈するブランドンの元には何人もの女の子が慰めに集まっている。それに倍する女の子がオルトンの元に集まっていた。これは勝敗が逆だったらどうだったのだろうか?
それにしても隣村の女の子に黒髪の子が多い。ちょっと親近感を覚える。まぁ、顔つきは完全に日本人じゃないのだが。美人が多いのも高ポイントだ。隣村に時々、行くのも良いかもしれない。何か用事があれば、お使いに立候補しよう。
彼らの様子を見つつ、怪我をした子の手当てをする。家には腕白な弟と輪をかけてやんちゃな父がいるので応急処置は手慣れたものである。
「毎回、こんな怪我するのか?」
重症な子だと骨折している子までいた。添木をして布で巻いて固定しながら、父が木こり仲間で比較的親しいトバイアに聞いてみる。
「いや?今日は隣村とのフェタルだったからなぁ。」
いいところ見せようと頑張っちゃったらしい。重症な子を順番に診ていたが、隣村の子も同じくらいやられていた。拮抗していたのだろう。
「そっか、頑張るなぁ。」
土で汚れた顔を拭いてやる。桶があっという間に濁っていく。この汚れは彼らの奮闘の証だ。その頑張りを別のところに向けないのだろうか?
「め……珍しいな、シアがフェタル見に来るなんて。」
「まぁ、偶にはね。」
偶にどころか、初めてだったが。これからはちょくちょく見に来た方が良いかもしれない。危ないな、この競技。下手したら後遺症が残るようなケガする奴が出るかもしれん。
その後の宴会は俺の期待を大いに裏切る結果に終わった。
ウチの村はやけ酒に大いに飲み食いし、隣村の連中は戦勝祝いに何の遠慮もなく飲み食いしていった。
それで……この会場の後片付けは誰がやるんだ?