003 井戸端会議とガールズトーク
朝起きると眠気眼をこすり、乾草を敷き詰めた寝台を降りる。双子を起こさないように慎重に降りる。毎度、いつの間に入りこんでいるのか俺の両脇は毎朝埋まっている。冬だし温かいからいいか。コリンは俺の二の腕に抱きつき、クロエは小さく縮こまって親指を咥えていた。
居間に行くと母がすでに起きていた。何時の間に起きているのか、この人は。母よりも早く起きることが出来た例がない。
「あらシア、お早う。」
「お早う。」
「母さん、パン作りに行くから今日はあっちをお願い。」
「うげぇ。」
母の指さす先を見た俺は淑女にあるまじきうめき声を上げた。いや、別に淑女ではないが。そこにあったのはうず高く積まれた洗濯ものだ。これが今日の俺の仕事のようだった。
洗濯は洗濯機のないここでは恐ろしく重労働だ。洗濯もまた共同作業場で行われる。サボるわけにはいかない。それに何より俺が清潔な服を着たい。
洗濯は村の外縁にある水場で行われ、老若男女(引くことの男)でひしめき合う。さながらバーゲンセールのデパートが如き込み具合になるのだ。今から考えただけで憂鬱だ。
「おね~……。」
おや、クロエが起きた。自力で起きるとは珍しい……と思って覗き込めば、コリンに蹴飛ばされて寝台から落ちていた。コリンは未だ高いびき。誰に似たか、父か。取りあえず父を殴ろう……いや、叩き起こそう。寝台から叩き落すのもいいかもしれない。肩を回しながらいざ両親の寝室へ。
スキップ!ジャンプ!ドロップキック!イメージトレーニングは完璧だ。
想像を絶した。父が全裸で寝ていた。朝っぱらから見たくなかった物を見た。男女が逆であればサービスシーンであったであろうその光景を、かつて自分にも付いていた懐かしきブツを見て、叩くだけでは済ますまいと心に決めた。
俺は暗黒面に落ちた。
ジャンピングヒップアタックを鋼鉄の腹筋にかまして一矢報いると、お返しとばかりに髭ジョリジョリ攻撃を敢行され大ダメージをくらった。まだ右頬が痛い。髭親父め。
俺の必死の抵抗もむなしく、というかその結果髪が大いに乱れた。何とか梳かして一つに編み上げる。本当はせめて肩口くらいまでに短くしたいのだが、そんな事をしようものなら変人扱いされてしまう。変な事をしようものなら小さい村の事、大いに生き辛くなるであろうことは想像に難くない。
まぁ、人間諦めが肝心である。そこまで、髪を短くすることにこだわりがあるわけでもない。それに手慣れているおかげでクロエの髪も結ってやれる。
まだ短いクロエの髪では小さな三つ編みくらいしかできないが、女の子だし可愛くしたい。まったく興味ないのかされるがままになっているクロエはお人形遊びに夢中。お前はそれでいいのかと我が身を棚に上げてちょっと心配になる。
そしてその隣で待機しているコリン。……いや、お前はやらないよ?
「それじゃ、行ってきます。」
結局、泣く子には勝てずコリンの短い髪を櫛で梳いてやっていたお陰で出るのがだいぶ遅くなってしまった。上機嫌になったコリンを見て思う。あの年で身だしなみに気を使い始めるとはもしかしたらあいつはモテるようになるかもしれん。
そんな身贔屓なことを考えながら水場に向かう。ただその足取りは重かった。俺は心の中で『行きたくない、行きたくない』と何度も唱えたが、小さな一歩も積もり積もればというやつで、いつかは到着してしまう。こんなにも俺が洗濯を厭う理由は何も重労働であることだけではない。
これから向かう先は女の戦場である。それは剣を使わない戦争。そこには高度な政治的な判断が必要とされる。各々の欲望がぶつかり合う政争の場。
武器は『服装』である。男よりも見た目にウルサイのは女である事を俺は学んだ。それゆえに俺も身だしなみには気を使う。
俺のコーディネート、コンセプトは『目立たない』だ。
その辺に幾らでも生えている原価ゼロの草で染めた布で作った赤地の外套に、黒に近い紫色のチュニック。細かい装飾や刺繍なんてしない。だって面倒だから。ほら、ユニクロだってモノカラー主体じゃないですか、ねぇ。
それよりも俺は靴に手間をかける。だって寒いし、水が浸みると気持ち悪い。ゴムとかエナメルがないのが辛い。防水対策とか油紙を重ねるくらいしかないし。靴におしゃれを求める女は村にはいないのでそういう点は特に気にされない。
頭には飾り気のないこれまた無地の布、というかブランドンからのもらい物だ。俺のはもはや用をなさないからな。あ、ちょっとムカついてきた、あのやろ~。
まぁ、おしゃれではないが変でもない。The村人その1の格好を目指し、日夜研究した成果がこの格好なのである。無駄に目立たない戦略こそが、俺の防衛策である。
満を持して洗濯ものを入れた籠を抱えて水場へと歩みを進める。重ねて言うが、これは戦争である。気を引き締めて向かわねばいつ何時敵襲が……。
「シア、おっはよ~!」
「いっ!」
突然背中を叩かれて声にならない悲鳴を上げた。取りあえず深呼吸。無理やり出させられた酸素を肺に供給補給吸収。す~は~す~は~、落ち着け俺。心臓よ、止まれ。いやいや、止まっちゃいかん。
恨めし気に後ろを振り返ると、蜂蜜色のくせっ毛を奔放に伸ばしている少女がそこに居た。とても楽しそうに笑っていた。
「ミリ~。何度やれば気が済む?」
「いひゃい、いひゃい、ひゃめて~。」
ミリーのよく伸びる頬を引っ張る。何度言ってもこの手の悪戯を止めようとしないお調子者には懲罰を与えてやる。はっはっは、良く伸びるなぁミリーのほっぺたは。
両手をばたばたと忙しなく動かして涙目になっているミリーはとても可愛いかった。そして腕とともに動く年の割に豊かに実った二つの果実もまた、俺の目を奪う。
村で一番豊かな家の娘であり、食卓も豊かなのであろう。その栄養が一部分に最適配分された結果が目の前にあった。
惚れちゃいけないなんて辛すぎる。そんな益体もない事を考えていると後ろからポンと肩を叩かれた。
「その辺にしてやりな、シア。」
その少し掠れた女にしては低い声を聴いて俺は手を緩めた。誰にも頭の上がらない相手というのはいるものだ。アンは背が高く威圧感がある。あと怒ると怖い。
「ひょうだ!ひょうだ!」
「お前は少しくらい気にしな。」
「あいて!」
アンが軽く小突くと同時に俺が手を放すと、う~とうなりながらミリーは蹲った。そんな様子を見ながらアンと苦笑いを浮かべた。
正直、極力目立たないようにしようと思い、人付き合いも避けてきた。それに困惑続きでまともな人間関係構築など不可能事であろうと思っていた。そんな俺にも友人と呼べる人間が幾人かいる。
俺とこの友人達の出会いは何も劇的なものではなく、親の手伝いに出た当日に出会い、何となく仲良くなったという程度の物であった。
それでも付き合いが長くなれば結びつきも強くなるもので、気持ち的には年の差があるものの確かな友情を感じていた。もしも彼女らに恋人ができた時には血の涙を堪えて笑顔で祝福できるくらいには。
洗濯場はすでに人でごった返していたが、何とか場所を開けてもらい俺たちは洗濯を始めた。そこでは、いくつかのグループに分かれて村の女たちが世間話に花を咲かせている。
ここは女の社交場、貴重な情報収集の場なのである!
何事もまずは情報である。そして、テレビもネットもない異世界で情報を、それもローカルな情報を手に入れようと思うと直接聞くしかないのだが。
「ねぇ!聞いた!?レベッカったらコーディに手作りの……。」
「その腰巻きれいねぇ~、どうしたの?」
「ケイがフェタルで勝てないからってブランドンに……。」
「メリッサ~、聞いたわよ?あの後、イーサンと……。」
いや~、何もしなくてもそこら中で勝手に話す話す。誰と誰が付き合ってるだの、どこそこから来る行商人の品が良いだの、フェタルでは誰が強いだの。
フェタルに強いというのは、そのまま村での社会的地位、力強さの指標である。より条件の良い男を選別するため、そしてあわよくば良い男(になる予定)の奴に唾をつけておきたいという面もあった。そういう意味でブランドンがモテている事が分かるわけだが……、っち!
女衆は大きく二つに分けることができる。『未婚の女』と『既婚の女』だ。どちらも興味のある共通の話題は、恋愛である。前者は我が事として、後者は好奇心、若しくは我が子の為に非常に熱心であり、会話が途切れることはない。
そんな彼女たちの会話は大いに参考になる。特に男にモテるにはどうすればいいかという話題は特に。
要するに、彼女達の言っている事の反対の事をすれば男には見向きもされないということだからだ。
例えば……。
「クコの実染めの布地で作った服じゃ男は寄り付かないよね~。」
ふむふむ。クコの実染めの服はクロエに着せないでおこう。そして、俺は積極的に着よう。なにより安いしな、安かろう悪かろうでいけばOK。
「男って頼られるのが好きだからちょっと出来ない所を見せてやればいいのよ。」
ふむふむ、確かに。そういうところあるかもしれない。絶対隙を見せないようにしよう。むしろ圧倒するくらいに頑張ろう。
「贈り物とか貰っても良い顔するのは良し悪しね。男ってばすぐ調子に乗って自分の女扱いするし。」
ふむふむ……。難しいなぁ。ツンケンして罷り間違って『ツンデレ』などと勘違いされようものなら業腹である。だが、愛想を振りまくのもいって癪だ。いや、貰えるものは貰いたいし突っ返したくはない。しかしならば礼を言って愛想よくするくらいはむしろ礼儀なのではないかとも思う。う~む、痛し痒し。
等々益体もないことを考えつつ、手だけは全自動洗濯機も裸足で逃げ出す勤勉ぶりを示していた俺であった。正直油断していたのだ。その絶好の機にその奇襲はかけられた。
「シアの頭巾新しいね、どうしたの?」
ミリーのそんな素朴な疑問の声は、各々話に花を咲かせていた女衆の耳に不思議と入り込んだ。彼女たちはもれなく聖徳太子の生まれ変わりであると確信する。
一瞬の静寂の後、何事もなかったように話の続きを始める彼女たちはしかし、しっかり聞き耳を立てている事は鈍い俺にも分かった。普段、話題に上らない俺が俎上に乗ったことが彼女らの人一倍旺盛な好奇心を刺激したことは疑いない。
「……もらった。」
少し考えた末、俺は正直に答えることにした。買ったと言っても行商人の来た日を村の女で知らないものはいない。時期が完全にずれているので嘘は簡単にばれる。
「え、誰に?ブランドン?」
アン……お前もか。お前も俺の敵か?それになんでブランドン?当たってるけど、なんで?
「そう。」
俺はうなずく。その瞬間、少し洗濯場がざわついた。顔を上げて辺りを見渡すとリアクションはまちまちだ。笑顔を向けてくる者もいれば、明らかにこちらを睨みつける者もいる。中にはキャッキャと手を合わせて騒いでいる者も……なんか良いな。
少し頭巾がずれたので位置を直す。頭巾にするには少し短くてうまく結び目が作れない。俺の頭にあっていないのでよくずれる。所詮は代用品である。そういえば、ブランドンにちぎられた縄を新しく縒り合わせなければ。
「そっか~、ブランドンがね~。」
「まぁ、時間の問題だったね。」
「え?」
何の話だ。彼女らの話は時々、あっちに行ったりこっちに行ったりするからついていけない事がある。これもその類かもしれない。
「どういう感じで渡された?」
「どういうって……、何かくれた。無言だったし、よくわからん。」
あ~説明が面倒くさい。まぁ、背負子の紐を切りやがったからその代わりに寄越したとは言わずにおいてやろう。それでアイツの評判が落ちるのも可哀想だしな。早よ、誰かとくっ付け。
「あ~、ブランドン……。詰めが甘かったか。」
「やるときはやるやつだったかと感心したのに、そこでヘタレとは……。」
二人は何やら納得したようだったが、そこからブランドンのディスリ大会が始まった。最初のほうは『いい気味じゃ』と思っていたが、少し可哀そうになってきた。
「まぁまぁ、いいところもあるぞ?」
体がでかいからアイツの歩いた後は舗装されて歩きやすいしな。時々、鍛冶屋の修行で作ったものとかくれるし、いいお隣さんだ。
「あれ?意外と脈あり?」
「シアにもようやく芽生えたのかね。」
え、生きてるから脈はあるけど?、芽生えるって何が?今冬だよ?……などとは言うまい。彼女らが求めているのはコイバナであり、それは生きる燃料である。
それに愚かにも火種を放り込んだのは他ならぬ俺。鎮火せねばなるまい。それがむりでもこれ以上の延焼を防がねばなるまい。
しかして、その方策はなにか。正直分からないので、これ以上燃料を投下しないことが肝要。すなわち沈黙は金。ただ只管に、洗濯するべし。べし!べし!べし!べし!
俺が若干ムキになって洗濯し、黙り込むと二人も話疲れたのか黙々と手を動かし始めた。よしよし、狙い通りの計算通り。軍師キャラも狙えるかもだ、俺。
とりあえず帰宅して父に『フェタルで男を負かせるくらいに強くなりたい』と言ったらすごく嫌そうな顔をされた。何故だ?