001 手ぬぐいとブランドン
吐く息が白い。
皮と布を巻き付けただけの簡素な靴で雪を踏み固めながら、一歩一歩ゆっくりと進む。肩に背負う薪が重くのしかかり、肩に食い込んで痛かった。肩当の位置をずらす為に立ち止り、山の麓を見下ろすとフェタルに夢中になっている小さな子供たちの姿があった。
木を削っただけの玩具の剣と盾を手に走り回り、振り回している。上気した頬は赤く染まり、疲れて動きがぎこちなくなっていても、非常に楽しげである。
小さな子供と言っても自分と同じくらいだ。俺が山に入って薪を拾って歩きまわっている中、彼らは遊んでいる。それが許されるのは、それが一応軍事訓練の意味合いもあると大人が考えているからだろう。ただその周りでは、女児達が声援を送ったりおしゃべりしたりしている。
その事に一言も二言もあったが、自分が口を出すことでもないし出してもどうにもならない。背中まで伸びた髪を後ろに払うと、白く色のついた息を吐き寒空を見上げた。自分の未来とは対照的な雲一つない青空が広がっていた。
俺の意識がはっきりしたのは5、6才の頃だった。それまではずっとどこか霧がかった夢を見ているようだった。お守りのご利益は確かにあったらしい。俺を取り上げた産婆の話では稀に見る安産だったということだ。下手したら転生直後に死亡ということもあり得たのだから、神様には感謝している。ただ一点を除いて……。
(女ってどういうことですか、神様……)
山を慎重に下りながら心の中で文句を連ねる。しかし、そんな陳情を今さら汲んでくれる神でもあるまい。未だお告げがあったこともなければ、アフターケアもない。『無事に生まれたんだからいいでしょ。』と言わんばかりの放置っぷりだ。
しかも安産祈願の神様が用意した舞台であるからか、俺には主人公らしさというものが欠けていた。貴族の子供でもなければ生まれつき特殊な能力があるわけでもない。この普通さ具合はある意味、主人公らしいといえなくもない。所謂どこにでも居る普通の子供だ。
そんな何の旨味もない境遇に生まれつき、あまつさえ性別を違えて生まれてしまったのだ。文句の一つも言いたくなるというものだ。
だが何のかんのと愚痴をこぼしつつも、俺はある程度はこの事実を受け入れて日々の生活を送らなくてはいけなかった。俺にとっては重大なこの悩みがどうでもよくなるような過酷な生活環境のせいで……。
目の前には雪で覆い隠された一面の銀世界が広がっている。美しさへの感動よりも目印一つない事への恐怖が勝る。いかに村の近場と言えども怖いものは怖い。
何枚も毛皮を重ねた靴も足元から染み込む水に侵されグズグズと気持ちが悪い。早く家に帰って拭いたくて仕方がない。染み込んだ水は冷たく足を刺し、鈍い痒みを与える。
この寒さは容易に人殺す。それを防ぐために大量の物資を必要とし、すべき事は数多あるのだ。
例えば、焚き木拾い。冬を越すには焚き木がいる。また、飢え以上に寒さは容易に人を殺す。今ある備蓄だけでは心もとない。安全をみて多めに用意しておかねば腹が減り、体温が下がるのでやはり死にやすい。
そして当然ながら洗濯やら料理やら家事全般といった諸々をせねばならず、その余りに膨大な作業は雪崩が人を飲み込む様に俺から『悩む』という贅沢を奪っていった。
それにしても労働は人を自由にするといったのは誰だったか。俺は今、その言葉に強く訂正を求めたい。
曰く、『労働なくば死あるのみ』である。
こうして、高所から見下ろせば自分の村の小ささがよく分かる。ここが何処かは知らない。何故こんな過酷な環境の場所で生きているのかも分からない。親に聞いても要領を得なかった。
村長が辛うじて簡単な地理を知っていたが、ここがフィンダリアという国の一部で、ノリス伯という領主の領地であるという程度の大雑把な知識だった。あとは北に行けば冬場は氷に閉ざされる海があり、南に行くと大きな街、大小の村々が点在しているらしいことは分かった。
取りあえず『名もなき村』というのがぴったりの形容かと思われる。国の一部と言っても、少なくともこの辺りは家族が集まって暮らしている部族が点在し、何となく連帯あるいは敵対しているという無法地帯というかまとまりのない地域らしかった。
村は年の半分は雪に閉ざされ、山がちで耕作地に乏しい。主な産業は林業と牧畜・製鉄で、南の村と食料を交換して何とか生活物資を得ていた。
生きるのに精一杯な貧しい寒村で子供は遊ばせておく余裕などない。子供とて貴重な労働力である。労働基準法なんて言っていたら人が死ぬ。義務教育とは衣食住に余剰があって初めて可能な贅沢な制度のことである。
そんな世界に生まれた事、そしてさらに女として生を受けたことは呪い以外の何物でもない。
まずもって、女は大事にされる。矛盾するようだがこれが最高に不運。それは理由が99%子供を作るためだからだ。男だけじゃ産めない、そういうこと。
つまり何かと言えばナニだ。子供作るってことはあれだ、アレ。アレをせねばならないのだ。もちろん男と……。
……ないないない、絶対いやだ。想像もできない、いやしたくない。しかし、いつかせねばならないわけだ、アレを。助けて神様。
良策は出ていないが、取りあえず男と同格かそれ以上の働きをして見せるというアピール活動をしているのだ。他の子供が遊んでいる中、薪拾いに行っているのもその一環である。
『私は村のお荷物ではありませんよ。こんなに役に立っていますよ。だから子供を産む義務は免除してください、マジで。』という迂遠ながらも涙ぐましい根回しである。
最大のネックは結婚しない状況を変に見られない方策。これがまったく思いつかない。村社会で『変な奴』と思われたら正直終わりである。最悪村八分という事もありうる。人は結局一人では生きていけないのだ。
もう、今年で12歳になる。早く何とかしないと、タイムアップだ。審判の刻は近い。
これ以上嫌な気分にならないように無心で歩みを進めていると、遠くから声が聞こえてきた。お~いと間の抜けた声。その声は徐々に近づいてくる。辺りを見渡すとその声の主は容易く見つかった。
それなりに離れていたが見つけたことはさほど不思議ではない。殺風景な雪国に住んでいると着るものや道具にも色彩豊かなものを使いたくなるのである。
斯くいう俺も例外でなく、無地だが少し黒ずんだ赤い外套に身を包んでいる。村人の多くがこの色の布を使っている。それも近辺に自生している植物で取れる染料がこの色で、つまり安い……という世知辛い理由だったりするのだが、そこに不満はない。むしろ真っ赤な服を着る方が違和感がある。
雪景色にたたずむ俺はさぞ目立っていただろう。
「よ~、シア。何してんだぁ~。」
戦ごっこに明け暮れていた少年の一人が声をかけてきた。シアとは俺のことである。本当はアリシアだが、基本シアと呼ばれることが多い。
アリよりかはいいかと思いスルー。特に不満はない。体の向きを変えて背中の薪を見せ、『お前、仕事しろよ』と無言の抗議。それにしても大きい声だ。俺には到底出せそうにない。
しかし、よくこの距離で俺だと識別できたものだ。今、俺の格好は他の村人と大差ないし、頭から頭巾を目深に被っているので顔など見えないだろう。
まさか匂い?そんなに匂うだろうか?冬だと風呂はおろか体を拭くこともなかなかできないからそうかもしれない。思わず自分の袖に鼻を近づける。……そうだとしてもこいつの鼻は犬並だ。というか誰だ。
「焚き木拾いか?俺も手伝う!」
危なげない安定した足取りで近づいてくる奴の顔が判別できるくらいの距離になってやっとその正体に気がついた。
「なんだ、ブランドンか。」
狭い村だ。大抵の村人は知り合いというか、親戚のような感覚である。ただ、ブランドンは隣に住んでいる、まぁいわゆる幼馴染と言う奴。その幼馴染が俺だという事はこいつの不幸だろう。運の悪い奴だ。せっかくの幼馴染だというのにどう足掻いても甘い展開になることがない。
「なんだよ、手伝ってやろうと思ってんのに。」
「最後だけ手伝われてもな。」
何を偉そうなことを言っているのだ、ブランドンは。正直、最後だけ手伝われても美味しいところだけ持っていかれるようだし、それにあと少しでつくのだから背負子をブランドンに預けるのも手間でしかない。要するにいい事は一つもない。
「な、なんだよ。」
「ブランドンは戻ってフェタルやってればいいよ。」
少しため息をついて先を急ぐ。いい加減、足の感覚がなくなってきた。早く、お湯につけたい。凍傷になってないといい。
「おい!」
「え!?」
突然肩をつかまれる感触。体が引っ張られる。体が浮かぶのを感じる。ブランドンもまだ12歳だが、同年代の子供の中では飛びぬけて体が大きい。それに比例して腕力もかなりのものだ。俺も体重が軽いがそれにしてもすごい。そんな事を呑気に考えていたら、ブチッと嫌な音が聞こえる。
バランスを崩した俺は雪に顔面から突っ込む。これが石の上だったら大参事だった。雪がクッションになってくれたのか無傷。口に入った雪を吐き出して、少し涙目になりながら辺りを見渡すと散乱した焚き木が見えた。
これはマジで泣きたい。
「あ~。」
思わず声が漏れ出る。焚き木を一纏めにするのは結構手間なのだ。小さな背負子に隙間なく積まなければ隙間からずれ落ちて図らずもヘンゼルとグレーテル状態となる。だから凹凸が合うように積む必要があるわけで…。
まぁ、愚痴ってもしょうがない。さっさと拾い始める。一度積んだものだからある程度はどういう積み方をしたかは分かっている。思ったより時間はかからなかった。
「ふ~、よいしょ!」
千切れた縄の代わりに頭巾を転用した。おかげで頭が少し寒い。髪を長く伸ばしているのでさほどでもないのは女である数少ない恩恵。編み込んだ髪をマフラー代わりに巻いているのだ。
背負子を背負うとそばにはブランドンがいた。まだ居たのかというのが正直な感想。静かだったからてっきりフェタルをやりに戻ったのかと思っていた。
どうにも顔が赤く、下を向いたり横を向いたりそれでいて前を向いたり、それで俺と目が合うと直ぐにあらぬ方を見たりと忙しない。
どうやら、こいつは少し罪悪感を感じているらしい。気まずいのだろう。手を開いたり閉じたりしている。でかい体をしているが幼げなその動きはどうにも可笑しくて思わず笑ってしまう。
それを見て、ブランドンはハッと何かに気が付いたようで自分の体を探り始める。なんだろうか。少し珍獣でも見ている気持ちだ。もう少し見ていよう。
ようやく目当ての物を見つけたようだ。それを突然俺に差し出してくる。それは手ぬぐいというかまぁ、布きれだった。俺は訳が分からず呆然と眺めるだけ。
しびれを切らしたブランドンが乱暴に俺の頭を押さえつけその布きれを巻き付ける。それでようやく理解した。どうやら頭巾の代わりらしかった。
正直、ブランドンの汗の匂いがして臭いので今すぐ取りたかったが、まぁ彼なりの誠意なのだろう。それを無碍にする事もあるまい。俺も大人げなかったと思う。
「ありがとう。」
笑みを浮かべてブランドンの頭を撫でて礼を言う。精一杯背伸びをしないとブランドンの頭に手が届かない。こいつ、背高いな。
よーしよし、気分は子供のしつけ。良いことをしたら直ぐに褒めなくてはならないと何かの本で読んだ気がする。それはペットのしつけの本だったかもしれないが、まぁブランドンは犬っぽいのでいいかもしれない。
ブランドンは顔を真っ赤にして厳めしい顔つきをしながら鼻息荒く足早に去って行った。うーむ、彼のプライドを傷つけてしまったか。小さくとも男だからな……。
「あ、俺もさっさと帰ろ。」
帰り道は当然同じである。ブランドンが踏み固めて歩きやすくなった道を悠々と帰った。ブランドンが今日初めて良いことをした。これですべてはチャラにしてやろう、うん。良い奴。