Case0-3. 死に様はユニークに
リノがミナミの研究所に訪れるのは三度目だったが、今度のミナミは見たことないくらい嬉しそうだった。
部屋に入った瞬間に飛びついてきて、リノのお腹を露出させて、目を輝かせてそれを見る。
生体隕石は自身で突っ込んだ場所にしっかりと埋め込まれており、単体で持っていたときより明確に発光し、脈動している。
「これが適合者の身体に馴染んだ生体隕石ですか……すごく綺麗です。
あ、あとお肌も綺麗ですね」
「ええと、ありがとうございます?」
ミナミの視線がくすぐったい。食い入るように見つめてくる彼女を振り払うこともできず、しばらくそのまま見つめさせておくしかなくなる。
ずっと、ミナミの視線はリノの腹に、リノの視線はミナミの髪に向いていた。
しかしあるとき彼女はふと思い出したように顔を上げてきて、目があった。
瞳は翠色に澄んでいて、やや黒目がちで、彼女の無邪気な好奇心があらわれている。
「そうでした。あなたの方がお姉さんですし、敬語である必要はないんですよ。
リノさんはタチバナ中でも由仁さんに次いで二番目にお姉さんですし」
「そ、そっか」
とりあえず言う通りにして敬語をはずしてみる。
なぜ今そんなことを言い出したのかはわからないが、ちょうど満足したのかミナミが離れていくところだった。
背後を振り返ると助手ふたりも帰ってきたところでそこに合わせたとも思えた。
ついでに私の助手を紹介しましょう、といい、ミナミはふたりを呼びつけ並ばせる。
きれいな黒髪の女性と、心優しそうな男性の二人組である。すでに結婚している間柄らしく、どちらも薬指に指輪をはめていた。
「妻のほうが水戸倉有珠。31歳、私の倍以上ですね」
「うっ、気にしてるんですから年齢の話はやめてくださいってば」
「夫のほうが水戸倉数治。奥さんとは同い年でしたよね」
「まぁ、はい」
「以上、私からの紹介です。隕石研究に協力してくれている、心強い仲間です」
そういう割には雑用扱いされている気がするのだが。
とにかく、水礼と寧彩のことを助けられたのは、ワゴンを運転してきたカズハルと、ストレセントを攻撃したアリスのおかげである。
リノは水戸倉夫妻に頭を下げ、いえいえこちらこそと下げ返された。
「えぇ、リノさんがご友人を助けられなかったら、貴重なタチバナがどうにかなってしまうかもしれませんでしたし。
アリスもカズハルも、よくやってくれたと思いますよ」
さも自分のことかのように誇らしげにするミナミ。
小さな体躯でせいいっぱい胸を張っているのをみると、かわいらしくない精神性の彼女も年相応のほほえましさがある気がした。
◇
後日のことだ。
タチバナやストレセントのことから離れ、リノは日常に戻っていた。
たまに会う幼馴染みたちに「よっ、正義のヒーロー!」と茶化されたり、無性にポテトチップスがたべたくなったので補助金を引き出してたくさん食べたりしつつ。
そんな中、いつも通り、誰かからのメールで日常から再び外れていくことになる。
今回は由仁からのようだ。
もし時間が空いていれば、リノに娘達の遊び相手になってほしい、という。
ミナミ曰く由仁はタチバナ最年長だ。
19歳のリノより上なら、成人済みであることは決まってくる。
同い年の水礼でも子がいるのだから、驚くことでもない気がした。
指定された場所に赴くと、そこはまさに街の一軒家といったところで、表札には「円」と一文字だけが書かれている。
由仁の姓は行井だった気がするが、どちらかが旧姓だろうか。
呼吸を整え、インターホンを押した。
「……はい」
答えたのは、由仁ではない声だった。
もっと幼くて、彼女ほど明るくフランクというわけではなさそうだ。
扉が開かれると、むろん由仁ではなく、しかしよく似た顔立ちの少女が立っていた。
「お母さんのお友達の、リノお姉さんですよね。
僕は円唯です」
リノのことは伝わっているらしい。
母親はどこにいるのかと聞くと、保育園に次女の不二を迎えに行っているんだと返ってきて、今度は驚いた。
下の子が保育園に預けるくらいの年だとすると、由仁の年齢が想定より上になる。
しかも唯に案内してもらって奥へと進んでいくと、小さめのベビーベッドに乗せられてもうひとり女の子がいた。
水礼のところと同い年くらいの赤ん坊だ。
由仁よりは父親に似ているのか、彼女よりも優しげな顔立ちをしている。
その寝顔をじっと眺めていると、隣にいた唯が口を開いた。
「その子は一番下の妹、希です。かわいい……ですよね」
お姉ちゃんもお姉ちゃんで、愛情を持って接しているらしい。
リノはなんだかほっこりしつつ、ソファに座らせてもらう。
「あ、えっと、そういえばお父さんは」
「亡くなりました。ついこの間、希が産まれてすぐに」
話題を出さなきゃと、一番まずいことを聞いてしまったようだ。
平然とした表情で父の死を打ち明ける彼女には、ごめん、と返すほかなかったが、唯は何も言わずにふと立ち上がった。
「お茶を淹れますね」
唯もまだまだ幼いのに、しっかりしているらしい。
熱湯を扱う、本当は子供にやらせてはいけない家事だと思うのだが。
父がいなくなってしまった三姉妹の長女がお姉ちゃんとしてがんばろうとしているのに、それを止めるのはすこし違う気がした。
馴れた手つきで運ばれてきた紅茶を飲もうとし、思ったより熱かったので吹きさまし、口にした。
ふだんコーラばかり飲むリノにとって、紅茶の味はよくわからない。
でも唯が淹れてくれたものだから、きっと美味しいのだろう。
これからゆっくりいただくことにしてカップを下ろし、改めて唯のことを眺めた。
由仁もそうだが、弱っているというべきか、小学生ほどの幼い女の子らしい快活さが欠けている。
タチバナなどという怪しいものに、母が自らの身を捧げようと考えるわけもわかるような気がした。
きっと、この子たちのためなのだ。
唯と話をするわけでなく由仁を待っていると、やっと彼女が帰ってくる。
傍らには唯よりも小さな女の子がいて、その子が不二だろう。
不二はリノを見るなり母の影に隠れてしまった。
なんだかかわいらしい光景に、思わずリノも笑みをこぼしたが、不二はもっと怖がってでてきてくれなかったが。
「いやぁ、ただいま!
ごめんねリノちゃん、わたしの旦那ってば、化け物前にしても逃げないで人を助けようなんて意地張っちゃってさ。
唯ちゃんも家事手伝いばっかりじゃつまんないだろうし、小学校でもあんまり馴染めてないみたいなんだ。
たまには、誰かと話してほしくて」
由仁の視線の先を見てみると、写真が飾られている。
お腹の大きな由仁といっしょに映った、優しそうなお兄さんの写真だった。
彼は、ストレセントを前にしてなお誰かのために尽力したのだという。
そして、今は由仁が同じことをしようとしている。
「手伝いますよ、由仁さん」
人の役に立つということは、もともと好きだ。
三姉妹のことをこのまま見過ごすわけにもいかない。
そんな状況で、リノが頷かないはずがなかった。
◇
円家の三姉妹のところへたびたび手伝いに赴きはじめて、早数日。
最初は怖がっていた不二や希も、次第に慣れて、ちゃんと顔を見せてくれるようになった。
特に末っ子の希はリノの顔を見るだけで泣き出すほどで、すごく大変だった。
しかし。
そんな慌ただしくも平和で、大変なのに安心する日々には、決まって邪魔ものが訪れる。
由仁の夫を殺したように、奴らは幸福を壊しにやってくるのだ。
そのときはちょうど、唯が買い出しに出かけている時の出来事だった。
彼女がいるスーパーに、ストレセントが出現してしまったのだ。
助けに行かないと、なんてリノが決心するまでのあいだに、すでに由仁は家から飛び出していた。
リノもなんとかそれに続き、街中でパニックになりかけている人々のあいだをくぐり抜けていく。
目的地までは、ずっと由仁の後をついていくばかりで、いつの間にか逃げ惑う人の波を抜けていた。
あたりの路上に人影はない。
悲鳴は上方から聞こえた。リノも由仁も聞こえてきたほうに視線を向け、それがスーパーの屋上に取り残された人々であると知る。
屋上には、ストレセントの巨体と、追い詰められていく人々がいるようだ。
巨大なナマケモノであるらしい敵は、緩慢な動きとは対照的に乗用車を一撃で破壊するほどの力をみせていた。
さらに最悪なことには、見慣れた少女の姿がそこにあったことだろう。唯である。
彼女は周囲の大人たちが怯える中、彼らをかばうように前に立って、化け物と睨み合っている。
真っ先に狙われても、おかしくない。
由仁とリノは全力で駆けた。
入口すぐの階段を駆け登り、屋上の扉を蹴り破り、張り詰めた状況に乱入していく。
化け物の注意がこちらに向いた。それでいい。
ミナミはすでにストレセントを補足しているはずだ。アリスとカズハルのワゴンが到着するまで、時間を稼がなければ。
武器が到着すれば、リノが戦える。
しかし、リノの考えなど知る由もない少女は、思いがけない行動に出た。
ストレセントに向かって買い物袋を投げつけて、こう高らかに叫んだのだ。
「僕はここにいるよ、化け物ッ!」
リノたちに彼女が向けた視線は、自分よりも取り残された人々の避難を優先しろ、という意思がこめられたものだった。
「リノちゃん、わたしは唯ちゃんとあいつをなんとかする。みんなを助けてあげて」
刀のないリノは変身できない。
よって、できることといえば、避難の手助けをすることくらいだ。
ストレセントが唯と由仁に注意を向けている間に、ほかの人々のところへと急行する。
脚の悪いおばあさんや小さな子のことは背負って運んでやり、屋内まで誘導していく。
やっと全員が屋上から避難を完了させるころには、度重なるナマケモノの攻撃で屋上は荒らされていた。
しかも、由仁も唯も、ひん曲がってしまったフェンスのすぐ傍にまで追い詰められてしまっていたのだ。
リノが気づいた瞬間に駆け出せば間に合っただろうか。
いや、そんなはずはない。
ストレセントはすでに腕を振り上げ、そして叩きつけようとしていたのだ。
とてつもない力がコンクリートを抉り、フェンスを紙のようにちぎる。
唯がバランスをくずして、放り出されていく。
あのままだと、コンクリートに叩きつけられて……そこから先は想像したくない。
由仁もなんとか彼女を助けようとするが、彼女の足元にもひびが入っており、足場は崩れはじめている。
たった数秒のあいだの出来事だが、リノにも、由仁にも、時の流れが遅くなったように感じられた。
「リノちゃん、唯ちゃん頼んだッ!」
自らが飛び降りることになろうとも、由仁は娘の無事を選ぶ。
唯のことを空中で抱きとめ、リノのほうへ投げ飛ばし、しっかりと受け取ったのを見届ける。
安堵の笑みを一瞬見せて、由仁は重力に身を任せていった。
屋上に残ったのは、呼吸の荒い唯と、刀のないリノと、無傷のストレセント。
勝ち目などあるはずもなく、逃げる機会をうかがうしかなかった。
光が現れたのは、視界の外からだ。
雄叫びをあげながら駆け上ってきた何者かが、ストレセントを思いっきり蹴り飛ばしたのだ。
一見、結婚式で着用される白無垢に似ていた。
しかし夜闇のように黒く、蹴りを繰り出せるほどに丈を短くしてある。
「受けてもらうよ、わたしの娘を襲った報い!」
突如現れた和装の彼女は由仁だ。
タチバナとして変身した姿で壁を走って登り、舞い戻ってきたのだ。
不意打ちを受けたストレセントが怒りを露わにして襲いかかってくると、由仁もそれに応戦する。
軽々と相手の攻撃を避け、自分が攻撃する瞬間には重く響かせる。
生体隕石が与えるのは、死因を克服する力だ。
刃により死したものが刃を操るように、重力に身を任せた彼女は重力から解放される。
二度と落ちぬよう宙に立ち、空気を蹴り、自在に動いて回る。
破壊力があっても鈍重なナマケモノの攻撃がそんな相手に当たるわけがなく、由仁に翻弄されてばかりだ。
「もう、終わらせようか」
何度か空中を蹴ることで、高くまで上がっていった由仁。
そこで自らへの重力加速度を一気に上げ、高速でストレセントに迫っていく。
繰り出される強烈なキックを受ければ、巨体はエネルギーに耐えきれず爆散してしまう。
その跡に残るのは小さな隕石のかけらだけで、ナマケモノの姿は爆炎の中に消えていくのだった。
「……ふぅ。唯ちゃん、大丈夫?」
「ぼ、僕は大丈夫。だけど、お母さんは」
「あー、うーん、その、ね。
本当のところ、わたし、この力と引き換えに、さっき死んじゃったんだ。
でも、まだこうやって、唯ちゃんを抱きしめられるよ」
どうしても死の匂いを感じ取ってしまうらしい唯は、素直に喜べないまま抱きしめられた。
屋上から飛び降りてまで助けてくれた母を前に拒絶もできなくて、なにも言えないらしい。
由仁がタチバナの道へと踏み込んだのは、きっと正解じゃない。
でも、そうするしかなかった、というのが、この現実だろう。