Case0-2.ハラキリ、御免
何事もなかったかのように、天世リノは日常に戻っていた。
タチバナになると言ったはいいものの、大学へ通う日々はなにも変わっていない。
これから命を共にするらしい生体隕石を懐に持ち歩いていることと、気がつけば通帳にとんでもない額の大金が振り込まれていたことは大きな変化であるが。
実感が湧かず、お金のことになるとやっぱり庶民は警戒してしまう。
逆に昼食を節約して食べ、誰かに話すようなことはもちろんしなかった。
そんなある日の昼下がり、リノの携帯に知らない番号からの着信があった。
出てみると、どうやらミナミであるらしい。
「リノさんですか? タチバナ候補の方がお呼びですよ。場所をお伝えしますね」
言われるがままに赴くと、近所の喫茶店が待ち合わせ場所だった。
ここのお店は有名だし、ギターを弾く魚の開きがデザインされた看板は珍妙ですごく目立つ。
うち、軒先にある席に見覚えのある少女たちが座っており、リノのことに気がつくとポニーテールの彼女が手を振ってきた。
「おーい、あの説明会にいた人だよね? わたしは由仁、『行井由仁』だよ」
あのとき深刻な面持ちでいた由仁だったが、ほんとうは明るい人物であるらしい。
笑顔も自然で、おそらくこっちが素の由仁だろう。
愛想のいい笑みにつられてテーブルにつくと、リノは空いていた由仁の向かいに座ることになった。
両隣にあのお嬢様とみつあみ少女がいるが、ふたりはゆっくりと紅茶を嗜んでいるらしく、口を開く気配がない。
由仁に自己紹介してもらったのだからと、リノは自分から話すことにした。
「私、天世リノって言います。えーっと、このへんにある大学に通ってます」
「あぁ、あそこの生徒さん! 奇遇だね、わたしもなの。
それで在学しながらモデルとかやってたりするの?」
「いや、そんなことはなくって」
「女の子からラブレターもらったりしたことはあるでしょ」
「……それは、まぁ、あるんですけど」
由仁がいろんな反応をみせ、やたらと話しかけてくるが、残るふたりは黙っているだけだ。
みつあみの子は恥ずかしがっているらしく顔をかくしていて、お嬢様は聞く耳を持っていない。
「あ、そうそう。そっちの子は『祷可恋』ちゃん。そこのゴージャスな子が『清煌院樹里亜』ちゃんだって」
由仁の紹介を受け、ふたりは少しだけ頭を下げた。
そこからは特に話題もなく、由仁が一方的に話すだけの状態が続き、彼女が陽気であることくらいしかわからないのだった。
あまり居心地のよくないその空気をぶち壊したのは、いきなり四人同時に鳴った携帯の着信音だった。
ミナミから一斉にメールが送られてきたらしい。
ストレセント出現の報せと、その位置情報がメールに記されていた。
これが初陣だと四人揃って席を立つ。
樹里亜だけは、食い逃げだと思われるのを避けたかったのか真っ先に伝票を手に取った。
「支払いを済ませてから追いつくわ。今回は私の奢りにしてあげるから、さっさと行きなさい」
「ありがと、樹里亜ちゃん。みんな急ごう!」
由仁に先導され、リノが続き、可恋もなんとかついてくる。
地図に記されていたのはなんとリノの大学にほど近い場所で、しかしそこには異様な光景が広がっていた。
本でだけ見たことのある巨大生物。大型肉食恐竜型ストレセントがそこに立ち、逃げ惑う者たちを追い回していたのである。
さらに最悪なことには、追い回されていたのはリノの幼馴染みたちであった。
「水礼、寧彩!」
「リノっち!? こっち来ちゃ危ないっすよ!」
驚く水礼の言葉には従わない。
真っ直ぐに恐竜のほうへと向かい、薙ぎ倒されていた標識を拾い、足首を狙った。
これでも少しは堪えるらしく、恐竜がよろめく。
リノはその隙にふたりを両肩に乗せ、非常にバランスが悪いながらもどうにか物陰に幼馴染みたちを隠すことができた。
だが、問題はそれより後だ。
いますぐに戦わなくちゃいけない。なのに、すぐそこにあるはずの戦う力なんて、自殺する勇気がなければ手に入らない。
目の前で咆哮する怪物はまるで映画の中のようで、しかしそれは現実であり、リノたちを圧倒し尻込みをさせる。
恐竜がまず目をつけたのは、腰を抜かして倒れ込んでしまった可恋だった。
大量の唾液を撒き散らしながら、一歩一歩迫っていく。
せっかく正義の味方になれると言われたのに、決意したはずなのに。
敵を前にして怖がっていたら、このままなにもできなかったら、誰一人守れない。
自分の呼吸が荒くなっていくのを自覚し、思わず駆け出しそうになる。
そんなリノを止めたのは、爆発音だった。
「こっちです、早く!」
呼び掛けのするほうを振り向き、そこにワゴン車とともにミナミの助手の姿をみつけた。
声を張り上げた彼女はランチャーを構えており、あれが恐竜を撃った爆発音なのだろう。
さらにワゴン車のなかにはさまざまな武器や物品が並んでいるのが見え、あれで自殺をしろ、ということらしい。
リノが選んだのは、可恋を助け、そしてこの恐竜を倒す道だった。
それはつまり、今すぐにでも力を得るということだ。
全速力でワゴン車に駆け込み、最初に手にふれたものを引っ張り出した。
それは鋭く磨かれた日本刀だ。
切っ先を自分へと突き立て、深呼吸をする間もなく押し込んだ。
「……頼むよ。変身ッ!」
肉を引き裂き、自らを死に近づける。
そしてこぼれ出る内臓を押し込め、腹に生体隕石をねじこんだ。
切腹とは、まるで時代劇のような死に様だ。
でも、その死を以て、リノは正義の味方に──タチバナに覚醒する。
生体隕石は天世リノに刃のイメージを与え、衣服を陣羽織へと変化させていく。
これが変身というわけか。
理解はほどほどに、自らの血を吸った刀を構えた。
血の臭いを嗅ぎ付けて、恐竜はこちらに向かってくる。
体格差は火を見るより明らかで、相手の敵意も剥き出しだ。
ただの女子大生だったら、食べられておしまいだったことだろう。
今のリノはタチバナだ。
足元はすくまずしっかりと自分を支え、瞳はまっすぐに敵を捉えられる。
向かってくる敵が空気を震わせる吠え声をあげても怯むことはなく、むしろ相手へと飛び込んでいった。
刃を振り上げ、上空へと飛び上がり、そして振り下ろす。
恐竜の身体を裂き沈みこんでいく刃はやがて通り抜け、その身体に傷として軌跡を残す。
噴出する体液は周囲の草木やコンクリートを染め上げることとなり、手負いの恐竜は目を血走らせて暴れだした。
狙いを定めずに襲ってくるだけの相手は、もはや格好の的である。
迎え撃つ刃が大きく開かれた顎を上下に両断し、すれ違い様に捌いていく。
最後には上部が切り離されて地に落ちると、巨体は倒れ、そして消滅していった。残ったのは小さなかけらだけである。
どうやら、それは生体隕石の破片であり、ストレセントの中核をなしていたらしい。
ここでリノに起きていた変化が終わる。武者風に変わっていた衣装はいつもの私服に戻っていて、戦闘が終わったことを示していた。
恐竜の核だった生体隕石を拾い上げ、ミナミの助手らしい女性にそれを渡す。
「ありがとうございます。その、ミナミさんに、討伐に成功したらタチバナ全員を連れてこいって、言われてるんですが」
「遅くなったわ……あら、もう終わらせたの? 早かったわね」
ちょうど樹里亜がやってきたので、助手さんもミナミの言いつけを守れそうだ。
由仁も可恋もどうにかケガをしないですんだようだし。
その一方で、巻き込まれた一般人ふたりは駆け寄ってきて目を輝かせてくる。
水礼も寧彩も怪我はなく元気なようで、ひとまず安心だ。
「ちょいっとリノんこと借りてもかまへんやろかぁ?」
「ちょっとだけ、ほんのちょっとだけっすから!」
助手さんにぐいぐい迫って押しきったふたりはリノを引っ張り出すと、子供の瞳のままで質問攻めにしてきた。
さすがに生体隕石やタチバナのことをばらすのはまずいと思い、ああいう変身ヒーローなんだと雑に説明すると、なぜか納得された。
「いやぁ、ゆあちゃんをだーりんに預けて、リノっちを驚かせに大学まで来たらこんなことになるなんて。自分、ほんとびっくりっすよ」
「うちもやで、ティラノサウルスに襲われて、正義のヒーローになった親友に助けられるとか、こりゃもうリノの夢小説ができてまうなぁ」
水礼の言う「ゆあちゃん」は彼女の娘のことで、「だーりん」が旦那さんということはわかる。
でも、寧彩のいう「夢小説」がなにかは、よくわからなかった。
目の前で腹を切っておきながらなんだが、いつものノリに戻るのが早すぎるのではないだろうか。
考えすぎるよりは気楽でいいが、彼女たちは楽観的すぎる気もする。
とにかく親友たちの無事に安心しつつ、またね、をあいさつにふたりと別れる。
次はミナミの用事とやらだ。
助手の男性の方が運転してきたらしいワゴン車に、さまざまな武器となかばすし詰め状態になりかけつつ乗り込んだ。