Case0-1.絶命から始まるヒーロー生活
──これは、少女たちの自己犠牲がはじまる前の物語。
市内の普通の総合大学に通う女子大生「天世リノ」はある日、街を歩いている中でとあるポスターを目に留めた。
ボールペンで書きなぐったような文字が、真っ白な紙に乱雑に書かれているだけのポスターだ。
誰もが気にせず通りすぎていくような電柱に貼りつけてあるのに、どうしてかリノは視線を吸い寄せられた。
そこには大きく「どうしても他人の役に立ちたい奴募集」と書かれている。
その下部に小さく、やれ補助金が何千万だの、三食昼寝つきだのとともにウェブページのアドレスが書かれていた。
リノの感覚としては、こういうのを好きそうな友人の顔を真っ先に思い浮かべる。
高校生時代、つまり昨年度までは幼馴染みによって強引に「オカルト研究部」に所属させられていた。
ウェブページのうわさやホラーなフラッシュアニメなどは何回か目にしたことがあり、きっとそのたぐいなんだろうと思ったのだ。
リノは携帯電話で写真を撮ると、別途でアドレスをメモし、先を急ごうとした。
すると、偶然か運命か、少女に声をかけられた。
ベビーカーを押す彼女はまだ少女といっても通じる年齢のはずだし、言っては悪いがはじめてお姉ちゃんになってはりきる幼女にしか見えない。
すぐに彼女のことを思いだし、頭の中で少女という言葉を使うのをやめた。
あの子が同い年の経産婦だと気がついたからだ。
「やっほー、リノっちー!」
あだ名で呼びながら駆け寄ってくる二人組は、元オカ研の幼馴染みふたりである。
長い銀髪をサイドテールでくくっている、ベビーカーを押す小柄な子が「三品水礼」。
もうひとり、革ジャンを来た銅色のショートヘアでギターを背負った子が「玉置寧彩」だ。
水礼は高校の先輩と結婚して三品姓になったことはきいていたが、大学に進んでからは会ったことがなかった。
ベビーカーにのせられている彼女が娘であることは知っていたが、直接会うのははじめてなのだ。
「リノっちってばひさしぶりっすよー! 自分らの結婚式ぶりっすかね?」
「そうだね、寧彩とはたまに会ってたんだけど」
「うちはリノの通学路狙ってやっとるからなぁ」
寧彩は愛用のギターとともに、自分で作詞作曲した曲を街中で披露している。
いわゆる、シンガーソングライターなのだ。
よって、たまにライブ中に出くわすこともあり、子育て主婦になりつつある水礼よりよく見る。
再会した幼馴染みの三人組は、ひとまず座って話せるところを探していく。
思い出話をしながらゆっくり歩いて、最後には適当な喫茶店に入り、三人はそれぞれ思い思いのメニューを頼んだ。
リノはフィッシュ&チップスとコーラだ。
フィッシュは寧彩に押し付け、チップス側を頬張った。
当の寧彩はと言えば、なぜかがっつりカツ丼を食べようとしており、水礼の頼んだケーキが逆に浮いてしまっていた。
「まだそんなに偏った食事なんか? よくその体型でいられるなぁ」
「寧彩も相当っすよ、カツ丼に魚のフライって油ばっかじゃないっすか」
「うちは歌って発散するからええんやでぇ」
容赦なく口に詰め込まれていくカツ丼。
やっぱり寧彩も高校のときから相変わらずで、一方ひとくちひとくちを楽しんでいる水礼も変わりない。
甘さに舌鼓をうちながら頬をほころばせるのはとてもかわいらしく、彼女を嫁にもらった彼は幸せ者だなと、リノは静かにコーラを一気飲みした。
それからは作業めいてチップスを口に運び続け、それぞれ嬉しそうに料理を頬張るふたりをずっと眺めていたのだった。
いつの間にかチップスもなくなり、水礼のケーキだけは残っているものの、寧彩は丼にご飯粒も残さず完食している。
そこで、話題作りに、先程のあのポスターの話題を出してみることにした。
携帯で撮った写真を見せると、水礼と寧彩はじっとみつめて、目を輝かせた。
「聞いたことあるわぁ、えらばれし者にしか見えないポスターの噂。そこに書いてあるホームページに飛ぶとあやしい団体の人員募集に飛ぶとかなんとか言うてな」
「リノっち、選ばれたってことっすか! すげーっすよ!」
幽霊を見たことだってないリノなのに、そんなことってあるのだろうか。
とにかく、モノは試しである。
アドレスをメモしてある紙を取り出して、打ち込み、アクセスしてみることにした。
表示されたのは、噂通りのどこかのホームページだった。
かっちりとした文章や文体は、政府が協力しているという嘘くさい情報にもどこか真実味をもたせている。の、だろうか。
「かなり手がこんでるみたいやけど、ボランティアなのに補助金なんぜんまんえんとか、それはありえへんやろぉ」
「突然設定が雑になっちゃったっすね。どうせなら、もっとリアリティー追求すればよかったのに」
ふたりはつくりものだと見なしてページをスクロールさせていく。
募集の内容や仕事内容が記されている項目を見ると、人々のことを守る正義の味方であるらしい。
「んー……ただのジョークサイトっぽいっすね」
「せやなぁ……あ、ここ、説明会がどうとか書いてあるで」
最後に、もっと詳しい説明をお求めならば、ということで説明会の案内が記載してあった。
これに行けば、その「正義の味方」についてわかるのだろうか。
リノはすっかりその説明会へ行くつもりになっていたが、水礼も寧彩もすでに興味を失ったのか画面から目を離していた。
ふたりに同行してもらう、というわけにはいかないだろう。
水礼は娘の世話、寧彩は練習やライブで忙しい。
ならば、と。
ひとりで赴こうと、リノの心の内では決まっていったのであった。
◇
後日、ふたりと別れたリノは、あのサイトに記されていた場所を訪れた。
大学病院に似た施設であり、警備員たちがたくさん見える。
もちろん入ろうとすれば引き止められた。
ひとまずあのサイトを見てやってきたと説明すると、奥からより屈強な警備員がふたり現れ、リノを囲むと奥に連行してくる。
どこへ通されるのやら、無機質な廊下を進んでいくと、その先に誰かが待っているようだった。
これだけの警備があったり、政府協力と謳っているあたり、もしかすると国のえらいおじさんがいるのだろうか。
病院でいう診察室のような目的地に到着すると、リノはその要人らしい人物に出迎えられた。
おじさんではなく、少女だったのは予想外だったが。
「ようこそ、天世リノさん。説明会はまだ先ですが、歓迎いたしますよ」
彼女はリノよりも見るからに年下で、薄暗いなかでも目立つ真っ白な髪をもち、それを股下までずうっと伸ばしている。
背丈はリノの胸ほどで、イメージしていた人物とはかけ離れていた。
「私は『石岡ミナミ』と申します。お見知りおきを」
石岡ミナミの名は、オカルト研究部だったリノには覚えがあった。
なんでも、数年前に宇宙からやってきた隕石の研究をしているチームの天才少女だったか。
その隕石が生きているかもしれないという仮説を発表したり、2年前の時点でまだ小学生だったミナミが代表者だったり、めちゃくちゃだと思っていたのだが。
まさか、こんなところで出会うとは。
隕石研究と正義の味方について考えてみるリノ。
しかし、結び付くことはなく、よけい混乱するだけだ。
首をかしげていると、ミナミは警備員たちを退かせ、こう続けた。
「あのサイトにおける正義の味方。それは、よくあるヒーローものとしてとらえていただければいいでしょう。
この地球は危機に瀕しているので、ヒーローの素質ある者に戦っていただかねばならないのです」
地球の危機。戦ってもらう。
もはや、それらはオカルトの域ではない。
「実際に見てもらったほうが早いでしょう。こちらへどうぞ」
ミナミが診察室よりもさらに奥へと通してくれるらしい。リノの後方では警備員がざわついている。
気にせず素直についていくと、動物園の裏側を彷彿とさせる頑丈な檻の前に到着した。
おさめられている動物が暴れ、がちゃがちゃと音をたてている。
暴れているその生物を、リノは本能的に恐れ、無意識のうちに一歩引いていた。
現在この世にいる生き物に似てはいても、大きすぎる体躯も、狂暴性も、まるで怪獣のようだ。
なにせ、相手は翼を広げれば十数メートルを超える猛禽類なのだ。
強靭な爪や鋭利な嘴は、ミナミやリノ、あるいはあの屈強な警備員たちでさえも一撃で葬ってしまうだろう。
「こんな奴らが街中で暴れまわったらどうなるか。そのくらい、想像がつきますでしょう?」
頷くほかなかった。
ミナミが嬉しそうに言葉を続け、今度は決断を迫ってくる。
「こいつらは人のストレスから生まれてくる。私たちは『ストレセント』と呼称しています。
お願いです。ストレセントから平和を守っていただけませんか。
これは私たちの技術、財産、そして未来を賭けたプロジェクトなのです」
「でも、どうして私なんか」
「……あのポスターは、私たちがストレセントに対抗するために作り出した力を宿せる体質の者にしか文字が見えないようになっています。
ホームページへアクセスし、ここに来ることができたあなたには、正義の味方となる素質があるんですよ」
こんな奴らと戦うということは、死と隣り合わせの日々となることは避けられない。
それでも、天世リノは心のどこかで人々の破滅を強く拒絶している。
ここで自分の首を縦に振ることで少しでも未来が変わるというのなら、リノの選ぶ道は決まっていた。
「やります、その仕事」
しっかりとミナミの眼を見て答える。
それを聞き、彼女は心底うれしそうにして、表情を一気に明るくした。
「ありがとうございます、リノさん! あなたは記念すべきタチバナ候補一号ですよ、これからよろしくお願いいたしますね!」
◇
正義の味方──ミナミは「タチバナ」と呼んでいたが、それになると決めてからおよそ一週間が経った。
しばらくずっと音沙汰がなく、水礼や寧彩に会っても先日知った内容しか言えず、ふたりにはオカルトの認識ではオカルトに過ぎないままだった。
しかし、自らの目で見たリノにとってストレセントは現実であり、重く受け止めるべきものだと思っていた。
そして一週間後。説明会の日が訪れる。
リノは改めてミナミに呼び出され、ふたたびあの施設へと赴くこととなった。
今度は警備員が少な目で、案内はしてくれないらしく、病院施設によく似たいろんな部屋をさ迷いつつミナミのもとへたどり着く。
すると、ミナミだけでなく、警備員ではない人影がいくつもあるようだった。
あたりを見回しながら心の中で数えていくと、ミナミとリノのほかには男女6人がここにいる。
リノとの再会を喜びつつ、ミナミは助手らしい男女ふたりに椅子を出させ、申し訳ないながらもそこに座る。
これで全員が揃ったらしく、説明会の本番がすぐにはじまった。
まずはスーツでいかにも役人といったふうな男性が前に出て、頭を下げる。
「……こほん。私は防衛省対特殊災害課の『三森カケル』と申します。ええと、皆様にはご協力の意思を示していただき、当方といたしましては」
「そういうのはいいですよ、新人くん。本題に入りましょう。
みなさんには怪物、ストレセントと戦い、これを撃滅していただきます。
ですが、生身で勝ち目があるわけがありませんよね。
そこでみなさんに使ってもらうのが、我々の作り上げた『タチバナシステム』です」
ミナミが再び助手たちに指示を出し、なにやら鉱物の原石らしきものを配らせる。
リノのもとには「天世様用」というタグのついたものが渡されて、そのままぼんやり眺めているとぼんやりと発光している気がした。
ほかのタチバナ候補生たちにも行き渡ったらしく、それぞれ手元を見つめている。
ふいにミナミが口を開くと、説明が始まった。
「私たちは隕石の研究の中で、とあることを発見いたしました。
それは、この石は生物であるということ。いわゆるケイ素生物ですね。
悠久の時を過ごしてきたとみられる彼らは、我々炭素生物と接続することで生命を共有する状態となることがわかっています。
タチバナシステムでは、その共有状態を利用します」
ミナミ曰く、渡された石は「生体隕石」と呼ばれるもので、身体に打ち込むことでケガを瞬時に治したりすることが可能になるという。
さらに、なによりもの言葉を前置きとして、タチバナシステムそのものの話へと移っていく。
生体隕石は生物であるがゆえに、つながっている者の死を認識できる。
それを自らの危機として感じ取ったなら、共生者を生かそうと生命エネルギーを結集させて身体を再生させ、さらに受けた死に対応した力を与えるのだ。
例えば、鉛弾で死んだなら銃器を操れるようになるし、失血死ならば血流を自在に扱うことが可能になる。
対価として生命活動の一部を生体隕石に置き換えることになる。
成長や生殖、排泄の機能がなくなってしまうが、死の刺激さえ用意できれば理論は完璧だという。
ここで問題になるのはひとつ。死の刺激を用意するということは、自殺するということと等しい。
「それと、生体隕石ははじめに受けた死を覚えてしまうことでしょうか。
違う死の形では、再生こそできても力を引き出すことができません。そこが注意点ですね」
「ちょっと待って。よくわからないわ、もっと簡単に言ってくださらないかしら。全員があなたのように物知りではなくてよ」
ミナミの話に、まさにお嬢様といった格好の少女が口を出した。
緑の髪はくるくると巻いてあり、実在に感動するほど見事な縦ロールだ。
彼女のおかげで、ミナミは話をまとめていく。
「おっとと、それは申し訳ない。
簡潔に言えば、敵と戦う力は死ぬことによって生まれます。
ですが、毎回同じ死に方でなければ変身ができません。
つまりこちらから自殺をして、戦う力を得ようということですね。
怖いでしょう、逃げ出すのなら今のうちです」
タチバナシステムについて、リノにも理解はできた。それが受け入れられるかは別として。
自殺して変身しろだなんて、ふざけているのか、と思う。
ここまでの説明を聞けば、本当に払われるかもわからない何千万円のために自殺なんてできるか、と言い出す輩もいるだろう。
まさに文字通り、死んでも誰かを助けたいお人好ししかできないことなのだろう。
リノは座ったまま、わずかに規則正しく発光する生体隕石を眺めていた。
まるで呼吸しているようにも思える。
ほかの少女たちの中には出ていく者がいると思っていたのだが、意外にもしばらく経っても部屋から出ていこうとする者はいなかった。
元より、リノのように死に物狂いで人助けがしたいと思ったか、どうしても大金が必要な者がここに集まったのだろう。
先の縦ロールお嬢様に加え、みつあみでおとなしそうな女の子、ポニーテールの深刻な表情の女性もただ黙って座っている。
自分を含めて、タチバナ候補生は四人であるらしい。
誰も帰っていかないのを見て、ミナミはぱちぱちといくつか拍手をして、にっこりと笑った。
「ありがとうございます、みなさま。ともに人々を守っていきましょうね」
ここに、天世リノたちの物語は動き出す。