第零話【達成使いは夢を見た】前編
あと1週間後には、俺の待ち焦がれた学園生活が始まる。俺はそんな事実に対して咽び泣き、打ち震え、時破田に気持ち悪がられるほど感謝した。よくぞ、よくぞそんな学校を教えてくれた。
『天角学園』。てんかくがくえん。
思考異常者の集う学校。
「いやあ、あんまり期待しない方がいいよ…」
「いやあ、期待してしまうんだよ」
「いやあまあ、それは仕方ないかもしれないけど」
何せ俺は学友というものを知らないし、それどころかあまりこれまでに人と話してきていない。何故なら俺は達成使いであることで、最強ではないが無敵になるという恩恵と同時に、感情を操る能力の凄みが人に隠しきれず恐れられるという、それこそある種の呪いと言っても過言ではないものを得ることになったからだ。俺と普通に話せるのは思考異常を持つものだけ、
知っているのはたったの6人だけだった。
能力を持った銃をこよなく愛し使いこなす、熟年警官のおっさん。
影や陰というような字がよく似合う、斬撃専門の魔法使いの後輩女子。
天才的な頭脳を持ち、俺を勝手に兄と呼ぶ、世界でも有数の実力を持つエンジニアショタ。
神のような能力者にして、俺の師匠にして、俺の最大の敵にして、俺の命の恩人、庵内湖奈々。
世界一まともな狂人、巫槍。
俺に最低限の生活を与えてくれた救世主、小学校時代の保健の先生。
おっと、もう1人いた。
漫画好きのメガネにして封印能力者、凄腕のテレポーター時破田心裏。
最初と最後以外は最近会ってないが、みんな大事な俺の仲間だ。
「…いや、期待するぞ俺は」
「いやあ…ねえ…」
「なんだよ時破田、そんなにダメなのか?」
「いや…うん。まあいいんだけど」
何か、申し訳なさそうに、そしてめんどくさそうに彼女は会話を終わらせた。
「そんなことより、紅」
「ん?」
「入学後、多分すぐに生徒指導室の教員と戦わなくてはならなくなる」
「そいつら、強いのか?」
「まあまあ…あたしとか紅より強いってことはさすがにないけど、能力者としては強い方だね。何せ、精神異常者…それこそ魔法使いやら超能力者やらをも含むやばい奴らを押さえ込まなきゃいけないんだから」
「ふうん。そいつらのデータとかは?」
「あるけどいらないでしょ」
「まあな」
でも、思ったより楽勝そうじゃないか。
「でもね紅」
「ん?」
怪訝な表情を浮かべる。
「そいつらだけなら、あたしだけでも倒せる」
「うん」
「だけどそれが出来ない理由がある」
「何だ?」
「あいつらは、加護を受けている。天角学園の最強格、理事長 須川朝登から。」
「…理事長?」
〈235-13〉
時破田心裏はテレポートの原理について説明してくれた。いや、テレポートの原理というより、封印能力の原理かもしれない。もっと言うなら、封印能力への対策を語ってくれたのかもしれない。そんなものはいらなかったが、俺は好意からの行動は否定しない主義であったので黙って聞くことにしたのだった。
「理事長の能力のランクはわからないけど、とにかくあたしで勝てないということは封印能力者以上ということになる」
「そだな」
「能力は『封印』。何を隠そう、『封印されるべき能力者』の『封印』は、理事長の能力のことなのよ」
「へぇ。じゃあやっぱり封印能力者より強いってことになるな」
っていうか、封印能力者って、割と新しい単語なんだ。それ、結構びっくりだ。
「ええ。その『封印』で生徒指導室の教員達は一時的に限界を封印されていた」
「…」
「つまりはまあ」
「その人達も本来よりえげつなく強化されてると」
「ええ」
まあ、俺には関係ない。俺は達成使いだから。
でも、時破田には関係ある。
「そこで、参考になるかはわからないけど、封印能力者の使う能力が、普通の能力とどう違うのかを教えるわ」
「おう」
知ってるんだけどなぁ。
彼女は説明を始める。
「封印能力は、実は元はそんなに、能力として強くなかったりする。ではそれがなんで世界を滅ぼせるようになるかというと、何かの拍子に『支配属性』が混ざるから」
「ほう」
相変わらずこいつかわいい。でも、
恋愛感情が全く湧かねえ。何でだ?
「『支配属性』が生まれるきっかけは個人ごとに違うけど、とにかくそれが混ざると、その能力のすべての効果に支配力が取り付く。まるで憑き物みたいに。」
「へえ」
あ、そうか、こいつ色気がないんだ。
格好は男っぽいし体のラインも無いし。
「で、まあ、そういうことよ」
「時破田、とりあえずスカートを買おう」
「なんの話」
時破田心裏は紙を取り出した。ここは病院の一室であり俺の部屋だから、こいつは勝手に俺のテスト用紙を使ったことになるのだが、悪い点数だったからいいか。それに、学校にいい思い出もないし。だいたいそれ、いつのだ?中学のか。いやいや全く、義務教育のせいで中学のみんなには3年間も怖い思いをさせちゃって、本当に、ごめんなさいと言いたい。
そういえば、庵内湖奈々と色々あって達成使いになったのは中学に入る直前のことだったか。もしかして、俺は春休みに酷い目にあう呪いにもかかっているのかな?そう考えると、嫌な予感がしないでもない。
「ねえ、聞いてる?」
「ごめん。もっかい言って」
「仕方ないなぁ」
こいつ、かわいいんだけどなぁ。
顔と声と仕草だけは。でも色気無いなぁ。
いや、無くてはならないという義務はないけど、でもなんていうか、残念な奴だなぁ。顔と声と仕草がもったいない。
男女女みたいな?
「テレポートを例に見てみましょう」
「おう」
「普通のテレポートの原理はこう。」
紙に既に、A,Bの二つの点が書いてある。時破田は、その二つの点を、紙を折り曲げて合わせた。
「まあ、二点を繋げれば最短距離…否、ゼロ距離になるっていう、よくある奴よ」
「俺それ知ってる、ラドえもんで見た」
「ええ。SFじゃあよく出てくる。一般的な理論?ね。でも、支配属性を含んだ封印能力ではこうなる。」
時破田心裏は、《A=B》と書いた。
線が二本で、等号。
イコール。
「おお、考えたな」
「そう。支配属性があれば、物のあり方を操り、変えることができる。元々AもBは別の場所にある別の空間だけど、支配属性を使えば同じ存在であることにできる。だから、距離を無視するのでは無く、『距離を無視するまでもなくここに存在させる』、これが封印能力者のテレポート」
「おお…」
知っていても感動する。これと似たような説明を最後に聞いたのは中1の時だったか。
「だからまあ、限界を封印して支配属性を手に入れることはなくても、これに似たようなことはできるだろうとは思う。それに、理事長はそれ以上のことが普通に出来るのも忘れちゃいけない」
「…」
「だから、あのラジオのジャックは最終手段だったのよ…あたしが悪事を働いて、あたしより強い奴が来てくれればと思って」
…じゃあ何?哲学レィディオとかやりそうなのは封印能力者だとか、世界をわかった気になってるとか、ドヤ顔で推理してた俺はなに?黒歴史になっちゃったの?なったん?
「成っちゃったかー」
「そしたら達成使いに来てもらえるだなんて、強いどころか心強いったらありゃしない」
「俺は本当に心が強いしな」
「寒い」
「そんなに言うことないじゃん」
でもまあ、それでも、
はっきりはさせておかなくては。
「えへへ」
「でもな、時破田」
「ん?」
「お前が言った通り、達成使いってな、能力者より心が強くて、それ故に歪んでるんだよ」
「え?あたしの体で払えって?嫌だ」
「そんなことは言ってないし、ちゃんと貞操観念があるようでほっとしたよ、でも発想は腐ってる」
「腐ってないし」
「時破田、多分知ってるとは思うが、『達成』は相当苦難を乗り越えないと覚えることはできないんだ」
「うん」
「それこそ一日二件大事件に巻き込まれるようなことがないと、絶対に手に入らない。いやそもそも、これは身につくという表現の方が良さそうだ」
「…」
「それにだ。俺が異能に負けない超激強の達成使いになれたのも、庵内湖奈々という超激強の絶級能力者の協力あってのことだ。それに、俺がお前に会えたのもクリムゾンのおかげだ。」
絶級能力者のことはまた後ほど。
「…」
「なあ時破田、全部が全部偶然でいいのか?お前は大切な友達を救うのに、そんな他力本願な手段を使っていいのか?」
「…」
「別に俺は問題なくリリーとやらを救いだせるだろうが(大嘘)、お前はそれでいいのか?」
時破田はうつむく。
当たり前だ。
同年齢の奴に説教されるとかいう、最悪のイベントを迎えたからではない。一番痛いところを突かれたからだ。
「…」
「お前は強い者には頼っていいとでも思ってるのか?達成使いだから任せていいとか、そんな図々しいことを考えてるのか?」
「そ、そんなつもりじゃない!」
「そうか。安心したよ。因みに俺はいいと思う」
「!?」
勘違いしないでほしい。俺は弱い者の味方で、悪い者の味方だ。別にここで時破田が、うん!、と答えていても、普通に協力して普通に助け出していただろう。
「だからな、俺は判断したかっただけなんだ」
「な、何を…?」
「リリーを助けた時、お前の名前を出すべきかどうか」
〈545-32〉
上の章数の数の並びには全く意味がないということはともかくとして、俺はあんなことを言っておきながら、
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
入学式の日。
目覚まし時計で起きれなかった。
大惨事。
遅刻確定。
「のわあああああああああだあああああああああああぎゃあああああああああああああああああ!」
叫びながら自転車を必死に漕ぐ。普通なら不審者扱いなのだろうが、ここでは大丈夫そうだ。何せ、
“Dai”
“夜露死苦”
といった落書きだらけの廃墟の中にポツンとある学寮が、俺の新たな拠点となったからだ。っていうか、Daiって、Dieのつもりなのかな。
「ああああああ…もうダメだ」
諦めるな俺。時間的にはもう確実に入学式は始まってるけど諦めるな、俺。いや、諦めようかな。だいたい、入学式に遅れたぐらいで
「何してんのよ」
前に時破田がいた。あぶねえなお前。
「やう時破田。遅いのじゃでござるの」
「ああ、遅れたのは学校だけじゃなくて時代も。ってそんなことに意識張りめぐらせる余裕があるならもっと他に考えるべきことがあるでしょうに」
「テレポートしてください」
「ほいっ」
…と、そんなこんなで、俺は学び舎に到着した。もう、時破田には感謝だぜ。
そこに広がっていた景色は…!
「って、校舎見てる暇はねえ!」
俺は入学式の会場である体育館に辿り着いた。ただ、それが体育館と呼ばれるものにしては外見が余りにもボロかったところから、それからチラッと見えた校舎の惨状から嫌な予感はしていたのだが、
「‼︎…」
前置きがとても長くなってしまったが。
そろそろ物語はスタートする。ようするに彼女の言った通りで、期待した俺が馬鹿だった。俺は少なくともこの時だけはそう思った。
なぜなら、入学式なのに、
会場には教師と椅子と数人の生徒だけが並んでおり、
生徒の大半がいなかったからである。
「…おい時破田、まさかこの学校…」
「うん。あたしも直に見たことはなかったけど、噂通りだね。いつもこんな感じらしいよ」
「てめえ騙しやがったなー!!」
「てへっ」
かわいい。
かわいいから許しちゃおう。
〈44444-13〉
凶悪犯罪者クラス。
連続殺人犯クラス。
身体五感覚醒者クラス。
異能力者クラス。
そして、封印能力者クラス。
天角学園では、戦闘力?によってランクをつけられ、それでクラスが分かれる。5組に。一見、1組が一番弱いように見えるが、まあ戦闘力なんていうのは全く参考にならないものであり、模試のアルファベットの判定みたいなものである。D判定の奴が等大に入ることもある。そんな感じ。因みに達成使いは裏口入学できる感じ。S判定。
しかし達成使いクラスというのは無いので、俺は大量にある冤罪を利用して、凶悪犯罪者クラスに入ることとなった。
当然。
ホームルームが開始されても、クラスメイトは全然来ない。教室にはたった5人しかいない。俺を含めて。
もともと5人ということはない。もともと5人なら、こんなに机は用意されていないはずである。
「…」
どうしてこうなるのだろう。
俺は、何故青春をさせてもらえないのか。
結局その日は色んな説明を受けて解散だったので、誰とも話さなくてもやっていけた。問題は明日からだ。
俺は通学路をとぼとぼと帰りながら、こう思う。
何を隠そう俺は寂しい。
そして寂しいのは嫌いなんだ。
これから一生、おっさんとか時破田にべったりくっついて暮らすわけにもいかん。それに、おっさんの養子になって、時破田と結婚するぐらいの幸せなんて、向こうから勝手には歩いて来ない。
「きゃっ」
幸せは勝手に歩いてこないが。
俺は道の角で、歩いてきた少女にぶつかった。
少女は転んだ。
「あ、ごめんなさい、大丈夫ですか?」
俺は、その言葉を話す間に、
驚愕と理解を済ませていた。
曲がり角で少女に出会うなんて、これは恋の始まりか?もしかして、こいつ天角学園の転校生なのかな。でも、今は放課後だしな。最初はそんな呑気なことを考えていたのだ。
でも、転校生どころではなかった。
恋の相手どころではなかった。
その少女の肌には、刻印があった。
焼印のような、魔法の刻印が。
3つ。
首に一つ。
右手二の腕に一つ。
そして、足首に一つ。
そう、まるでどこかから急いで逃げ出してきたみたいに。彼女は靴を履いていなかった。そして、その身に纏う衣服もボロボロになっており、あれやこれやを隠すのが精一杯という感じだった。
そして、俺が何より驚いたのが、
「…お前」
「はい?…痛てて」
「魔法使い…」
「あ、うん、そうだけど…あっ、しまった」
魔力の質が。
あの、庵内湖奈々と同じだったのだ。
似ている、ではない。まったく、そっくり、同じ。それこそ、イコールを引きたくなるほど。
はっきり言って。
ここまで胃が痛くなったのは初めてだ。仕事のストレスで胃に穴が開く人なんてのが存在するらしいが、今の俺はまさにそんな感じで、この少女の顔が少しでも庵内に似ていたら俺も多分そうなっていただろう。
この少女、
リリー・シエルの顔が。
「…大丈夫、俺は味方だ。どうしてお前がここにいるのかは知らないが、見せてもらった写真の通りだ…お前がリリー・シエルだな?」
「いや、私はジャンヌ・ダルクだよ」
「むしろ時破田より誤魔化せてねえ」
「と、時破田!?」
彼女は驚いた顔をする。見ず知らずの男が友人の名前を出したからだろうか。
「ああ。俺は時破田心裏に頼まれて、お前を助ける予定…いや、予定だった者だ。薙紫紅。俺のことは紅と呼んでくれ」
しかし、これがよくなかったのか、
俺があまりにフレンドリーに話しかけるから警戒されてしまった。彼女は身構える。でもまあ、埒が開かないので、とりあえず時破田に電話して、声を聞かせることにした。因みにあいつはあいつでやるべき仕事があるらしく、テレポートでこちらに来て話すほどの時間がないらしい。もっとも、テレポートに時間はかからないが。手が離せないらしいのだ。まあ、その辺は個人の事情だし、どうせおおごとになる前に巻き込まれるだろうから今は気にしないでおこう。
電話越しにその声を聞いて、リリーは安堵の表情を浮かべる。恐らく、時破田の方もそうなのだろう。
で、電話が済んだあと、俺達はとりあえず今の状況を整理するために、オンボロの学寮の俺の部屋へ向かった。
途中、視線を感じた気がしたが、
まあ、気のせいだろう。
〈2-1〉
俺は自己紹介をするに当たって、より信用してもらう為、自分がどういう目に合ってきたかをリリーに語った。
たくさん話した。
「頑張れって応援する人は、自分のその一言によって相手が頑張る気になるとでも思っているのかな。やはり所詮、常に上から目線してるような恵まれた強者の言うことだ。薄っぺらくて、それ故に切れ味は抜群だ。…上から目線の言葉ほど残酷な言葉は他になかなか無いって言うのに、気持ちよくそんな言葉を吐くなんて。ありえない。そして、そんな責任感のカケラもない人間が僕より上に立てるのはなんでだろうね。ああそうか、簡単に人を蔑ろにできるからだ。全く。なんて奴らだ。でも、それでやっと納得できた気がする。あいつら、努力は誰にでもできるとか、そんなことを思ってるらしいから、そして口に出してしまうらしいから、努力できない人を蔑ろにしてしまうらしいから、僕はあいつらが嫌いだったんだ。」
そんなことを言う奴がいた。長々と。
巫槍。
「もっともっと、単純でいいよ。難しいことは賢い人に任せればいいんだ。君は愚直に考えればいいんだよ。後始末も、後片付けも、尻拭いも、全部、それができる人にやってもらえばいい。君は、君にしかできないことをしろ。もっと単純に言うなら、私についてこい。」
そんなことを言う奴がいた。延々と。
庵内湖奈々。
当時、喧嘩の技術だけで能力者と渡り合っていた頃の、まだ色々と未熟だった俺は、庵内湖奈々という女の策略にまんまと乗せられ、達成使いになるまで育て上げられた後、同じく騙された狂人巫槍と戦わされた。そしてそれが彼女のミスでうっかりバレて、俺は彼女と戦うことになった。3人の天使から一時的に譲り受けた力を使っても彼女は倒せなかったが、俺はありったけの負の感情を達成で彼女にぶつけ、彼女を封印した。その際、彼女を庇った巫も同様に封印された。
巫の「僕を蔑ろにするな。」という言葉は、俺を悪の味方にさせたし、庵内の「飽きたから」という言葉は、俺を達成使いにさせた。
良くも悪くも、2人は俺の人生に多大なる影響を及ぼした。
「うん。まあそれはいいんだけど、とりあえずお茶をいただけないかな?」
ぷっつんと、彼女は俺のセリフを切る。
「お前、図々しいぞ」
「でもこれが私だし」
「巫みたいなこと言うな」
俺はお茶を用意する。いくらまだ引っ越ししたばかりとはいえ、水分はきちんと用意していた。
「だからそういうのはもういいんだって。懐かしむのは1人でやっててよ、私そんな過去の話聞かされたって何がなんだかわっかんないよ」
「いやだから、庵内と巫はかつての敵で今は俺が封印してるってわけだ。俺はその時悪の味方としてはまだまだ未熟だったから、結局まだ2人を救えていない。で、その後訓練を積んだけど、回避だけ最強になっただけだ。で、それが現在だ。」
「ふぅん」
まあ確かに、彼女の言う通りだ。が…こいつ、馴れ馴れしいな。一応助けられる予定だったことはわかってるよな…?
「…で、だ、聞きたいんだけど。お前、ど」
「頑張って逃げてきた」
俺の、『どうやって逃げたんだ。不可能なはずだろ。しかも封印を3つも残したままで。』という質問が言葉として会話に出る前に、彼女は答えた。
「…」
こいつマジかよ。
「頑張った」
「いや、頑張ったって逃げられるわけないだろ」
「向こうは頑張ってなかった」
「今頃頑張ってるだろうな」
さっき感じた視線は恐らくそれだろう。
まさか理事長直々に来ることはないだろうが、生徒指導の先生方はもう既に玄関先ぐらいまで来ているはずだ。
では、バトル開始か。もうすぐに。
「…」
「じゃあお前、全然逃げれてないじゃん」
「…そうだね」
「よし、じゃあまあ俺の出番だな…」
「待って」
彼女は立ち上がって外へ向かおうとする俺にそう言った。そしてこう言った。
「あなたは巻き込まない」
「は?」
彼女は、語る。
「クレナイ、私には一つだけ誇りがある。」
「知るかよ、俺は時破田に頼まれたんだ」
「クレナイ聞いて、私は元々貴族だったのよ」
「過去の話には興味ねえな」
「でも、両親が世界を巻き込むほどの暴動を起こしたせいで一家は離散してしまったの」
「…」
聞いたことがある。
シエルという男と女が複数人の仲間とともに世界を滅ぼそうとした事件のことを。たった今思い出した。
…いや、まさか…でも、それなら、庵内と魔力の質が同じなのもなんとかして説明がつくような気がしてならない。
「…この先のことはあなたには教えない。でも、もう私に関わらないで。心裏ちゃんをお嫁にあげるから」
「いつから時破田はお前の所有物になった?」
彼女は茶番を言ってお茶を濁して、1人で静かに外へ出ていった。俺は当然止めるべきだったが、でも、胸騒ぎが止まらない。なんだか、嫌な予感がする。
これは、初めての感覚だ。
巫と戦う直前にも、
庵内と戦う直前にも、
こんな感覚ではなかった。
なんだろう。
…怖い。
これはまるで、心が警告をしてくれているようだ。リリー・シエルの安否より先に、厄介ごとに首を突っ込む前に、ちゃんと調べた方が良いのではないか、と。
たまには自分の安全も考えろ。
たまには自分本意になれ。
たまには自分を大切にしろ、と。
「…」
電話をかけた。
ある少年に。
その少年はかつて俺が助けたエンジニアであり、天才であり、情報屋なのだ。
《はい、もしもし、渚さん》
「誰だよそいつは。俺は薙紫だ」
《はいはい。今日はどんな用で?》
「調べてほしい事件がある」
《何年のですか?》
「年はわからない。が、シエルという男と女が暴れた事件らしい。」
《それ本気で言ってます?》
「無論本気だ。」
《…ああ…そういや天角に行ったんでしたっけ》
「?そうだが」
《薙紫さんのことじゃありません…っていうか、知らなかったんですか?異能犯罪の中でもトップ3に入る大事件ですよ?》
「いや、浅くは知っていた…でも、ちょっと深入りするかどうか判断したいので聞いたんだ」
《…うーん。僕はオススメしませんけど…まあ、とりあえず、資料送りますね。パソコンはありますね?》
「こんなこともあろうかとな」
《じゃまあ、読んで、自分で判断してください》
通話終了。
と同時に、俺はパソコンをつける。送られてきたのは、国際異能連合という組織に保管され、コピーできないはずのデータ。まあ、俺は異能犯罪の防止にめちゃくちゃ貢献しているから、無能連合(という呼び方から、彼らの仕事してなさを察してほしい。)のデータを勝手に見た所でなんの罪悪感もない。が、少年にハッキングさせてしまったことについては反省している。しかし、他に頼れる人もいないのだ。なにせこんな緊急事態はなかなかないから。いや、緊急事態と決まったわけではないけど。
とまあ、俺より賢い彼はそんな俺の考えを既に忖度してくれていたようで、送られてきたメールの最後には『気にしなくていいですよ、たまたま家にあったやつですから』と付け足されていた。
本当に、ありがとう。
これで最後にするから。
そのデータにはこう書かれていた。
〈111-222〉
残念ながらデータは機密情報なので公開できない。俺は一目見て即座に削除した。念の為、パソコンも壊しておいた。
そこには、驚愕の事実があった。
しかし俺は驚愕せず。ただただ怒りで、燻っていた。理事長のしようとしていることをわかってしまったから。
玄関先へ走る。
玄関から外へ出る。
周りを見渡す。
誰もいない。
もうなんか、どうにでもなってしまえ。俺は怒りの中でそう思っていた。そして巫槍の言葉を思い出す。
「あなたはもう随分立派なんですから、これ以上成長しないで下さいよ。なんなんですか?どれだけ少なく見積もっても8000人以上救っておいて、まだ強くなりたいだなんて。少し強欲すぎませんか?もしあなたがこれから8000回犯罪をしたって誰も文句は言わないほど、あなたはヒーローみたいなことをしたのに。まだ、あなたはヒーローを続けるんですか?」
馬鹿が。
俺。
あんな言葉を間に受けやがって。
俺はまだ!
8000回しか救えてなかったじゃないか!
8000回ではリリーを救えてなかったじゃないか!
自分のことばっか気にしやがって最低か!
女の子が困ってたら迷わず助けろよ!俺!
俺はまだ、終わっちゃいけなかったんだ!
友達ができそうでも、学校に安心して通えるようになりそうでも、それを手放したくないだなんて思っちゃいけなかったんだ!
何が、胸騒ぎだ!
友達作って騒ぎたいだけだろ俺は!
ふざけるな!
「うんうん。よく気づけたね。そうさ、君はまだ終わっちゃいけない。君の物語は、君という物語はまた始まるべきなのさ。一旦終わって。また始まるべきなんだよ。そういえば、今、あの口癖を言うチャンスだよ。あの、『〜なのは〜回目だ!』ってやつ。言わないのかい?」
庵内湖奈々がもし隣にいたら、そんなことを言うのだろう。巫槍なら、別のことを言うのかな。
おっさんは何ていうかな。わからない。
少年君は賢いことを言うだろう。
時破田は一緒に怒りの言葉を言うだろう。
リリーは。
リリーは『助けて』とは言わなかった。
「…」
庵内がいなくなってから腑抜けた俺の目を覚まさせるには、リリー・シエルは十分すぎる。
彼女がなんと言おうが、俺はリリーを助ける。そして、理事長も助けてみせる。私情でリリーを助け、悪の味方として理事長を助ける。
「…じゃあ、行くか。」
俺の、俺たちの新たなる物語へ。
こんなことが起こったのは8001回目だ。
こんなことで怒ったのは8001回目だ。
俺は、いつものように激怒している。
俺は昼飯を食べずに、天角学園へと駆け出した。