第二話【負け犬の末裔は遠吠えする】前編
〈the loser's howling〉
昔々あるところに、1人の男がいた。
そいつの名は『クラン・ルージング』。
彼は人生において、一度も勝利を収めなかった。
たったの一度も。勝たずに死んだ。
固唾を飲んだが、勝たずに死んだ。
何故なら、彼は負荷能力者だった。
〈4-1〉
まず、知り合いの先生が少ない。
というか、少ないどころの話ではない。
というか、もう考える必要もない。
どういうことかというと、理事長は理事長だし、担任のキャンディ先生は達成使いの監視係だし、
顧問と副顧問を用意するとなると、俺たちの敵(?)だった生徒指導の先生…水の能力者『美樹巴』と、斬撃の能力者『都賀生命』に頼むしかなくなったからだ。
ということで俺は、翌日には再建されていた南棟の3階へこれまた懇願しに行った。
「ということでお願いします!」
「やだよ」
「そうですか?私は良いですけど」
激しい美樹先生と冷たい都賀先生は意見が食い違った。俺は頭を下げ続ける。
「…正気かよ都賀先生、確かに恐らく何らかの問題を起こすであろうこいつを監視するにあたってはそれなりに良い立ち位置かもしれねえけど…」
「いや、暇ですから」
「そんな理由かよ!」
そろそろ頭を上げていいだろうか。
「おい薙紫」
「はいなんでしょう」
「てめえわかってんのか?今お前の目の前にいるのはお前が怪我させた女だぞ?」
「そうですよね…失礼しました」
「しかし」
「…?」
美樹巴は真剣な顔をしていた。というより、疑問、というような顔をしていた。
「私もまたお前に怪我をさせたはずだが。お前あの時は平気な顔をしてたけど、かなり出血してたはずだよな」
「え、ええ…」
「お前がそういうのに慣れてるから平気だったというのはわかる…が、それは精神の話だ。あの出血量じゃ普通体の方がもたない」
「…」
「死ぬことはないにしても、走れはしないはずだ…刀で腹を貫かれるのは流石に致命傷らしいな。でも、その事実があるからって人間ぶるんじゃねえぜ。お前は確実にもう人間じゃない。いや、人間だが、レベルが一つ下に落ちている」
「…人間としてのレベルとは?」
「『理性』のレベルだよ。少なくともお前の今のその体は理性あふれる人間の持つ体ではない。お前がどうかは知らんが…これは決して大層な言い方ではないが、お前の体は退化している。」
「…退化…?」
〈5-2〉
ということで、顧問になるかわりに体の調査をさせろというのが美樹先生の要求だった。俺は美樹先生と都賀先生に、学寮の近くにある廃病院へ連れていかれた。
「お前も、怪我したならここへ来るといいぜ…この廃病院はな、応急処置ぐらいはできるようになってんだ」
「…でも、俺が通うようになったらすぐ備品が尽きちゃいそうですね」
「ああ…それは心配ないぜ、ここを使ってるやつは少なくねえ。誰が持ってきてくれてるのかは知らねえが、備品なんていつのまにか足される」
そう言って、美樹先生は診察する。
なんだか手馴れているようだった。
「…ここは戦闘禁止になってるんですか?」
「ああ。昔からそうだ。天角学園の生徒や教師の間のイザコザに限らず、この『疎外地区』じゃ犯罪が許容されてるからな、日本中から集まった犯罪者も争いを起こす。私らも奴らも、争いによって怪我をしたらみんなここを使うんだ…まあ、能力者にビビってるってのもあるが、ここで争いを起こしてはいけないというルールは確かに暗黙の了解として存在する」
疎外地区というのはここら一体を指す。
天角学園のある滝入県美這市、軍事兵器開発所のある貝虎市、そして商業実験場である永代市市で構成されていて、基本的に部外者は立ち入り禁止である。なお、疎外地区に入るには許可を取るだけでいいが、宿泊するには戸籍を消さなければならない。疎外地区に住む者で、戸籍を持つ人物は1人としていない。
「…」
「出たぜ。審査結果」
「…えっ?」
「じゃなかった診察結果。単刀直入に言うとお前、やっぱり退化してたわ」
「…その、退化ってのはなんなんですか」
「もう一度単刀直入に言うと、お前の体は成長していない。そうだな、退化ってのは言いすぎたかもな…しかし、お前は周りと比べて原始的だ。特に手先が酷い。だから退化していると感じた。もちろん、お前がその負荷能力によって小5から戦い続けさせられてきたことが原因だぜ」
「原始的ってどんな風にですか?」
「どんな風も何も正味原始的なんだ…お前は戦ってばかりだったから、戦闘用になってんだよ。体が」
「…」
しかし、全く気づいていなかったわけではない。
心当たりがないと言えば嘘になる。前々から俺は指の動きが鈍いと思っていたのだ。昨日もトランプがきれなったし。
「石器作って、槍握ってマンモス襲って、火をつけて…そういう単純な動作だけで生きながらえた時代…複雑な動作が少なかった時代…そういう時代の奴らの体と似ている。そうだな、退化というより、進化しなかったという感じか。鉛筆や箸の持ち方とか、幼いうちに覚えた動作なら複雑でも問題なくできるだろうが、これから…そうだな、キーボードを両手で打つとか、ピアノを弾くとか、体全体の話で言うなら鉄棒で大車輪するとか、そういうのをするには時間がかかるだろうな…」
かわいそうに、と美樹先生は付け加えた。
しかし俺はさほどショックでもなかった。
「…ところで先生、先生は診察手慣れてますよね。どこかで経験が…?」
「ああ、これでも一応昔は医者目指してたからな…」
「おお!すごい!」
「…錆びたよ。私は。医者になろうとしてたのに、結局リリー達を日陰に閉じ込めることを許可してしまった」
「…」
「そんなに気に病むことですかねぇ。あの子ら、外出できるようになったのに全然しないじゃないですか」
都賀生命はそう言う。
美樹巴は黙りこくったままだった。しかし、その静寂は数秒後に破られた。
美樹先生のポケットに入っていたガラケーに、電話がかかってきたようだ。着信音がドラムロールだったので一瞬気づかなかった。ドゥルルルルルルルル
「はい、もしもし、美樹ですが。あ、リリー?」
「んんん⁉︎」
今リリーって言った⁉︎
「ああ、あれ今日だった?…ああごめん。忘れてた。今すぐ向かうぜ…え?あ、ああ。大丈夫大丈夫、確かカバンに入ってたから、あとはハンコだけ。すぐもらうから」
「…⁉︎」
お、俺の戦いはなんだったん…
「おい、ハンコここに押してくれ」
「これ…外出許可証ですか?リリーとおでかけ?」
「えっ嫉妬?」
「そうじゃなくて…もういいです、じゃあ家にあるんでちょっと取ってきますね」
「あ、それならサインでいいぜ」
「…そうですか…」
カキカキ
「よし、あんがとな。じゃあ、行ってくるぜ」
そう言うと、美樹先生はドタバタしながら廃病院を出ていった。都賀先生と俺は取り残された。
さて。
俺も帰るとするか。
「薙紫くん」
「…はい?」
席を立ったその時、都賀先生が神妙な顔持ちで話しかけてきた。
「許してやってください、ああ見えて彼女は、そして私も反省しているのです。この前のことは行き過ぎた行動だったと」
「ああ…いえ…」
「まあ美樹先生は不本意っぽかったそうですが、私はノリノリでしたからね、信じてもらえないでしょうが…」
「…」
「私達は混乱しているのです。最初は、リリー・シエルは悪人だと思っていたのですよ。あの優しい理事長が3年間も拘束するだなんて、よっぽどの悪人供が入学したんだな…とか、そんなことを思っていたのです。しかし、君の反逆によって少し気になって、五組を訪ねてみたんですよ。そして彼女が完全なる被害者であることが判明した。私達はそれはもうびっくりしましたよ。なにせ理事長はそういう曲がったことが大嫌いな…いえ、嫌いというより苦手な方ですから」
〈5-24〉
家に帰ったら時破田がいた。
昨日、俺が技術使いと戦っていた頃に2人で決めてもらっていた『人助け部』の活動内容を俺に伝えに来たらしい。
「…という感じなんだけど」
「時破田、ジーパン似合ってるぞ、結婚しろよ」
「紅、一度ぐらいあたしの話を一度で聞いて」
「聞いてたよ…まあ、そんな感じでいいんじゃないか?かなりハードルは高そうだけど…」
内容はこうだ。
その一、相談窓口を設置して相談を受けつける!
その二、学園の治安を維持する!
その三、学園の生徒全員を登校させる!
その四、学園を疎外地区から脱却させる!
「高いどころじゃないけどね」
「…でもまあ、俺もそれに近いことはしようかなと思っていたところだし、特に異論はないよ」
「じゃあ、これで決定だね」
「決定だ」
一応、晩御飯や風呂、布団の用意はしておいたが、時破田は帰るようだった。泊まってけばいいのに。
いやいや、これはマジで、冗談じゃなく泊まっていってほしかった。やましい気持ちはない。ただ、この学寮、夜になるとめっちゃ怖いのだ。あちこちガタガタ言うし、なんか変な音がなるし、何より鍵がないから。
しかし時破田は帰るようだった。
そしてドアに手をかけた所で何かを思い出したようで、彼女は振り返って俺にこう言った。
「そうだ紅、今度いい人紹介したげる」
「何言ってる。確かにお前はボーイッシュだが俺はかわいいと思ってるぜ、結婚相手はお前以外今の所ありえねえ」
「死ねよ」
「死なねえ…」
「紹介するのは声楽の先生だよ。ほら紅、あたしらぐらいのレベルの相手と戦う時、声を出すことがあるじゃん。その時の為に何か足しに…役に立つかなって」
「おお、ありがたい。ありがたいが…しかし、お前には二つ勘違いをさせてしまってるようだな」
「?」
「まず一つ。俺は基本的に感情を持つ者とコミュニケーションを取ることができない。それはお前の知り合いだろうとお前が一緒にいようと同じだ。そして二つ。確かに俺は思考異常者が相手なら自分を普段の10倍認識させなければならないから、声を出すこともある。しかし、それは思考異常者が強いからじゃない。中途半端だからだ。」
「…中途半端って?」
「お前の好きな漫画的に言うならネタバレになるが、実は達成使いは『程度の低い勝負』ほど勝率が『下がる』んだよ。相手が無能力者に近いほど負けやすくなるし、相手が殺人鬼になるほど勝ちやすくなる。だから、中途半端な思考異常者に勝つには全力を出さなくちゃならないというわけだ」
「ふぅん」
「まあ、そういうことだから」
「わかった」
「ありがとうな。あと、ジーパン以外も似合ってるぜ」
時破田は帰っていった。
〈54-2〉
実は最近、授業がない。
先生がサボっているわけではない。むしろその逆で、もう終わってしまったのだ。高校一年生の範囲が。何故か。キャンディ先生が教師として有能だということもあるが、一番の要因は先生が達成使いだということだ。『言葉の達成』。先生はそれを短く『話術』とだけ呼んでいたが、とにかく先生の言うことは忘れられない。先生が一度話すだけで、俺たちは発展問題まで解けるようになるのだ。なったのだ。
だがしかし、1年1組の生徒は登校してきていた。勉強が終わったから暇だし、学校を綺麗にしてやろうとのことで、日々校内清掃に勤しんでいるそうだ。
それに俺は混ざらず。
疎外地区にある商業実験場『永代市』にあるファミレスにきていた。サボっているわけではない。呼び出されたのだ。リリー・シエルと美樹巴に。
「ヤバイよクレナイ」
「ヤベーぜ紅よォ」
「…」
この2人は昨日、一緒に出かけていたよな。何かあったのだろうか。俺の力が必要になる何かが。
「こいつがやっちまったんだよ」
「わ、私のせいにしないでよ!」
「落ち着いて話してくれ…何があった?」
「…ヤバイ奴らに目をつけられた。助けて」
ということで、そのあと聞いた話を整理しようと思う。恐らく時系列順になっているだろう。
まず、2人は昨日普通にバカンスに出かけたそうだ。美樹先生が5組に訪れた際、超人気な南国のビーチに行きたいとリリーが行っていたので、じゃあ一緒に行こうとなったらしい。
夏が来る前だったから、人は少なかった。
リリーは泳げなかった。美樹先生は水使いだから、水を操ってリリーを泳がしてあげた。そして2人でクロール競争していたら、いつの間にやら無人島にたどり着いたらしい。
無人島には鍾乳洞があった。その中に入って行った先には、墓があった。割と最近に死んだ人物のようだった。
名前は、クラン・ルージング。
墓には、こう書いてあった。
クランの死をこの場所にて祝福する。たった一度の勝利と、ほんの少しの全ての敗北に、乾杯を。
「明らかにヤバイな、それは」
俺はそいつを知っていた。
クラン・ルージングという男を。そいつは、そいつは、本当にまずい。そいつに憧れる奴は憧れる。
「ホワイトウルフ」
奴らの名をそう言う。と俺は言った。
「ホワイト…ウルフ?」
「ああ。それが組織名だ。クラン・ルージングが生前大切にしていた人形の名前からとったらしい。」
「それってどういう組織なんだ?」
「…とにかく狂っている奴らだ。とにかく、ホワイトウルフに目をつけられたんだったら時間がない、手短に話そう。奴らは日本にもいる…」
クラン・ルージングは勝てない男だった。
最初はそういう体質なのかと思っていたが、あるタイミングで実は負荷能力によるものだったことが判明した。
彼は負荷能力者だった。
勝負事に絶対に勝てないという能力。彼の死因も、彼が信仰される理由もそこにある。
そう、彼は死後、信仰された。何故か。
彼は、自分を負けさせることで周りを勝たせた。自分だけが負けることで、周りを助けた。
それは彼なりの世間への奉仕であり、『ダーク・バランス』のような思考異常による行動ではなかった。
自分は負けてもいいからみんなに幸せになってほしいだなんて、そんな彼の心意気を見てしまったら、人間は惹かれざるを得ない。彼は生前も信仰されつつあった。
そして。
彼は死んだ。
彼が死んだということは、彼が誰かの代わりに死んだということだ。その事実に人々は胸を打たれ、信仰が始まった。
そうして出来たのが、ホワイトウルフだった。
ホワイトウルフは、敗北を許さない。
もちろん勝利も許さない。
勝利も敗北もない世界を目指している。
そしてそんな綺麗事を実現するには、汚れ役の存在が不可欠である。
「正直、奴らはこの疎外地区では何をするか分からない。奴らは一応正義の軍団だから直接手を出してくることはないだろうが…しかし、7年もあれば組織は歪む。暗殺者を雇っている可能性がある」
「…やっぱりそういう感じか…」
「とにかく、リリー、お前は美樹先生についてるんだ。守ってもらえ。そして身を隠しとけ。お前が隠れていさえすれば、面倒ごとは全部俺の方にくる。そんで俺がなんとかするから。」
「ありがとう…」
「すまないな、紅」
「いえいえ…同じ学校の仲間じゃないですか。困ったことがあればお互い協力していきましょうよ」
「…そうだな。迷惑かける」
「いえいえ」
〈5-5〉
そんな時だった。
「…相席しても…よろしいですか…」
声が聞こえた。
殺意のこもった声が。
殺意のこもったようには聞こえない声が!
その瞬間。
ドガンッ!と大きな音を立て、窓を割って男と女と女が脱出する。ファミリーレストランの一角に風穴が空いた。すぐに、女教師は女子生徒を水で包んで空を飛ぶ。
1人、男子生徒を残して。
「…‼︎」
「先生!とりあえず疎外地区から出るんだ!」
「わかった!後で落ち合おう!」
水球は消えていった。
「…君…が…指示したのか…?…クリムゾン…」
病弱にも見えるくらい元気のない少年が、恐らく同い年の少年が、殺意を向けて俺を見る。
「俺は薙紫紅だ!」
「…紅くん…君は何者だよ…」
「俺か?俺は悪の味方だ!」
「…そう…」
どうやら、リリーにしか興味がないらしい。しかし、俺を無視する気もないらしい。…いや、できないらしい。
「ホワイトウルフに雇われたのか!いくらでだ!金は出すから手を引け!あのリリー・シエルは只者じゃねえぞ!敵に回さないほうがいい!」
「…ああ…知ってるよ…封印能力者なんだろ…?…でも…今は能力を抑制されているじゃないか…」
「…あーそうだっけ!」
そうだった。忘れていた。今のリリー・シエルは完全なる無力だということを。全く、理事長もめんどくさいことをしてくれたものだ。
「…紅くん…ひとつ教えてあげるよ…ホワイトウルフこそ敵に回さない方がいい…僕たちは…敗北を最も嫌う…」
「『僕たち』?じゃあ、お前は雇われたわけじゃあねえんだな、えぇと…なんていう名前だ!」
「…僕…僕は…『桜原棘』…リリー・シエルを抹殺する為暴走した犬だよ…」
「…聞いたこともねえ名前だな!」
犬…?
犬とは、組織の犬ということか?
「…そりゃそうさ…僕はあまり対立をしないからね…殺人者ではなく暗殺者だから…」
「じゃあ、桜原!まずはてめえが相手だ!」
駆け出す!
今回は手袋をつけることができた。そして、手袋も新調した。デザインがかっこよくなった。
俺は元気のない少年・桜原棘の懐に潜りこ
「…いいや…」
むことができなかった。拳が止められた。
突如現れた大量の『髪』によって。その髪は、横に潜んでいた青年から生えていた。
「!」
「…僕が雇った殺人鬼達…もといクラスメイト達を突破されない限りは僕は戦わない…」
「ーあーっそ!しかし、『達』?俺にはお前達2人しか見えないけどな」
「…あー…そうだね…いけないいけない…ルールは明確にしなくちゃね…」
元気はないが、殺気はある。
桜原棘は殺気たっぷりでこう言った。
「…範囲はこの永代市市全域…16ヶ所で16人が暴れる…君はその辺の自転車でも使ってそこへ駆けつけそれを止めろ…それができたらここへ戻ってくると良い…」
1時間以内に戻ってきたなら戦ってやるーー
ーー彼はそう付け加え、
平然と座ってコーヒーを注文した。
〈5-2〉
恐らく逃亡するであろうリリー・シエルを捕まえる為、永代市市には16人のプロの殺人鬼が配置されていた。そいつらはもれなく天角学園1-2の、連続殺人犯クラスのメンバーである。桜原棘がクラスメイト全員に手伝ってくれと呼びかけて、その17人が集まったのだ。
しかし、そのリリー・シエルを抱えて水に包まれながら空を飛ぶ女教師・美樹巴もまたプロであった。
プロのーー教師であった。
美樹巴は天角学園に勤めて今年で6年になる。2日に一度は歩いてきた永代市は、自分の庭のようなものだ。少なくとも今年入学したばかりの生徒からこの場で逃げおおせるくらい、朝飯前である。恐らく今現在で例外的に美樹巴を見つけることができるのは、『ストーカーの技術使い』叶屋柳ぐらいであろう。
彼女らは誰にも見つかることなく、天角学園1-5に到着していた。
何故か、時破田心裏はいなかった。
「リリー、この教室にいる限りは大丈夫だ、絶対に外に出るなよ。理事長はなんか最近頭がおかしいけど、教室に封印されている間は相手があの桜原棘でも手を出させない。…それに、あいつも出さない。はずだ。多分。恐らく。絶対じゃないが」
「先生!クレナイは大丈夫!?」
「…あいつは何がどうなろうと死なねえ…が、あいつら連続殺人犯クラスは殺人のプロだ、殺せないという事実はかなりのストレスになって…多分、紅に発散される。もう今頃はあいつ五体満足じゃねえだろうな…」
「…じゃ、じゃあ、理事長先生に言って私の能力を使えるようにしてもらってよ!私が戦えるなら楽勝よ!」
「…それも考えたんだけどな…ダメだ」
「なんで!」
「あいつらの行動に一応の正当性があるからだよ…ここは疎外地区だぜ?宗教上の都合で人を殺すぐらい、許容されちまうんだよ…」
「⁉︎」
「だから、多分理事長はなんだかんだ優しいから封印は解いてくれるだろうが、それをしちまうとまた敵を作っちまう」
「…その、クラン・ルージングって人について先生さっき調べてたよね、教えて」
「…」
美樹巴は言った。「よく聞けよ」───
──さっきの紅の説明の通り、クラン・ルージングの人生に『勝利』は存在しなかった。墓に刻まれていた『たった一度の勝利』とは、彼の『死』のことだ。
ようするに『やっと死ねたね』と…そういうことだ。これ以上負けずに済むという事実は彼にとって勝利だろうと、信者がポジティブに捉えたんだ。
しかし…それも仕方ないことで、生前のクラン・ルージングの負けっぷりは異常だった。
まず名前が負けている。クランという名は『クランの猛犬』を彷彿とさせるし(犬という言葉は負け犬・犬死にを彷彿とさせるし)、ルージングなんかはまんまLosing(=負け)だ。ありえないくらいありえない名前だ。
そして単純に負けている。生まれてから死ぬまでをずっと寒い寒い地域で、戦火に見舞われ、孤独に暮らしていた。
18歳の若さで亡くなった。
同じ負荷能力者で、一日二回殺人鬼と戦わなくちゃならない紅だって相当かわいそうだが…しかし、次元が違う。
生前にも信者が少しいたようだが、そいつらにも彼は助けてもらえなかった。常に吹雪が吹いているような地域で、助け合わなければ生きていけないのに、コミュニティに混ざれずにいたのだ。自分の呪いが人に感染ってはいけないと、そう思って。
親の財産があったらしい。それで食いつなぐことはできたようだ。しかし、食いつなぐだけで、彼の家には食料以外何もなかったらしい。あったのは子供用の積み木だけ───
──「もういい」
リリーが、それを遮った。辛そうなことをしている。自分が触れた聖域がそういうものだとわかってしまったから。
「…」
「わかった。謝りにいくよ」
「…リリー、」
「そんなの、私が悪いんじゃん。そんな、そんな、恵まれなくても頑張って、それでも死んじゃった人なのに…なのに、こんな何処の馬の骨かわからない女の薄汚い手でお墓を濡らしちゃったんだから、怒られて当然じゃん」
「…でも、外は危ねえ」
「外は吹雪じゃない」
「…」
「お願い、先生。せっかく連れてきてくれたけど、もう一度私を連れてって。あの、桜原君の元へ。」
〈7-2〉
店員は、手が震えていた。
桜原棘はどうやらコーヒーは甘めの方が好きなようで、ミルクとシロップを入れて懐から取り出した『メス』で混ぜていた。
「…あ…シロップもいっこ貰えますか…?…」
「は、はい!お待ち下さひぐっ!」
「…ゆっくりで構いませんよ…」
「お、お待ちいたしましてぅ!」
「…大丈夫ですか?…」
「大丈夫です!失礼します!」
彼はコーヒーを元気なさそうに飲みながら、スマートフォンで最近のニュースまとめを見ていた。これまた元気なさそうに。しかし殺気は忘れず。
その頃の薙紫紅は盗んだバイク(自転車)で走り出していた。彼もまた、ニュースまとめを見ていた。
そこには、こう書いてあった。
“パンダの赤ちゃん誕生”。“新車がついに発売”。“アートが話題”。“芸能人が不倫”。“過労死・ブラック企業が問題に”。“企業の新たな取り組みに絶賛の声が”。“冷夏による値上げについて主婦の声”。“芸人・〇〇さん〇〇について語る”。“夏を乗り切る昔ながらの知恵”。“〇〇が地上波初放送”。“俳優〇〇さん〇〇で亡くなっていたことが明らかに”。“〇〇案可決”。“節約レシピ大公開”。“商店街で火災発生・乾燥に注意”。“陛下〇〇を訪れる”。“ワールドカップ準優勝についてのインタビュー”。“大人気チェーン店〇〇で異物混入か”。“〇〇が販売中止へ…街の人々に聞いてみた”。“〇〇城再建へ”。“〇〇差別問題・解決の糸口は?”。“〇〇ながら〇〇は危険!身近に迫る落とし穴”。
「…さすが、ファミレスの一角で大爆発が起こってもニュースにならねえのか。この疎外地区では…」
薙紫紅はそう呟いた。
「…なら…人が大量に倒れても大丈夫そうかな…?…もっと規模の大きい爆発が起きたりしても…」
桜原棘はそう呟いた。
2人の対戦の時は、近い。