その8 花嫁衣装と人攫い
ある日の朝、食事を終えたレイトールが食後に出されたお茶に手を付けずに突然立ち上がった。お茶を飲んでいたユアとアイデクセは何事かと見上げる。
いつもなららゆっくりとした動作で立ち上がるのに、急にどうしたのだろうと、ユアとアイデクセはレイトールの行動を見守った。
「花嫁衣装の採寸をしないといけないな」
突然そんなことを言い出して出かけようとしたレイトールの袖をユアが咄嗟に掴んで引き止めた。
「ちょっと待って。一人で採寸ですか?」
レイトールとは入籍を済ませたが、アイデクセとは式を挙げてから夫婦になると計画されているので正式にはまだだ。
それについて詳しく話し合っていないが、アイデクセは何も言わないし、ユアも式を挙げることに拘りはない。
このままの状態で、三人で夫婦として歩んで行くのだろうと思っていた。
しかしレイトールは何事か考えていたのだろう。もしくは急に思い出したのかもしれない。
花婿の衣装ならともなく、花嫁衣装は女性が身に着けるものだ。この場合はユアだろう。そのユアを連れて行くのが普通なのに、レイトールは宣言するなり一人で出かけようとしたのだ。よく分からないアイデクセは成り行きを見守っている。
「仕立て屋を呼ぶ。アイデクセもいるからな、出向いてはあちらに悪いだろう」
こういう時のレイトールは遠慮がない。アイデクセの見た目が周囲に恐れを抱かせるのだというのを、本人を前にして平気で言ってしまうのだ。
慣れているアイデクセは特に何も思わないようだが、それを聞いたユアは袖を掴んでいたのを腕に変えた。
「まさか王室御用達の仕立て屋を呼んだりしませんよね?」
「御用達かどうかは知らないが、昔から利用している中央通りの仕立て屋だ」
「王室御用達です、こんな場所に呼びつけるのはやめて下さい。それから仕立てなくても自分で作ります!」
仕立て屋を呼びつけるなんてどこの大金持ちだ。
確かにロアークは国一番の魔法使いだったが仕立て屋を呼びつけるような家柄ではなかったし、ユアだって使用人に何かを任せるような育ちをしていない。
仕事をしてはいないが、自分で自分の身の回りのことはできるし、裁縫は得意で衣服は新調するよりも布を買って作るというのが一般的な考えなのだ。
ユアが持っている服で買った物もあるが、それも古着屋で作りの良い物を見つけた数点しかない。
それなのに花嫁衣装を仕立て屋を呼んで作るなんて、いったいどれだけの費用が必要となるのか。考えるだけで恐ろしいと訴えるユアの肩にレイトールの手が乗った。
「心配するな、安心しろ」
お城育ちの本物の王子様相手に安心などできようはずがない。大丈夫だと肩をぽんと叩かれても不安しかなかった。
「私はともかく、アイデクセがどれだけ給金を貰っていると思っている。お前を豪勢に着飾らせる以外に使い道がないぞ。屋敷も整えず転がり込んでいるのに、やらないと逆に甲斐性なしと噂され、私だけでなくアイデクセの評判はがた落ちだ」
「見栄のために着飾れっていうんですか!?」
「見たいというのもあるな」
見栄の為だけではないというのは、それも含んでいるのだろう。王子としての立場もあるのかもしれないが、見たいと言ってくれるなら悪い気はしない。
けれどユアは王侯貴族ではなく一般人なのだ。それも子供の頃の出来事で交友関係はないに等しく、着飾っても列席者はいないだろう。そういえばと、ユアは恐る恐る聞いてみた。
「あの……いったいどこで式をするつもりですか」
「中央大教会だが?」
レイトールは何か問題があるかとでも言いた気だ。高い位置から瞳をのぞき込んで楽しそうにしている王子様を前にして、さすがのユアも言葉を失って目眩がした。
一般家庭に入り込んでも違和感なくやって行けていただけに、ここに来てまさかの身分差による常識の違いを痛感させられる。
中央大教会は王族や大貴族が式を執り行うような場所だ。絶対にユアのような一般人が結婚式を行える場所ではない。せいぜい若い娘が憧れて夢を見る程度だろう。
「わたしとアイデクセさんで式をするんですよね。それなら街の教会でお願いします」
「一生に一度だぞ、若い娘なら喜ぶと思ったんだが違うのか?」
心底驚いているのか、レイトールの碧眼が見開かれる。ユアは助けを求めるようにアイデクセに視線を送るが、よく分からないらしく首を傾けられてお終いだ。
レイトールがユアのために計画してくれているのだろう。突発的に思いついて行動しているとは思いたくないのでそう思い込もうとする。それなら頭ごなしに拒絶するのもどうなのかとユアは考えを巡らせた。
「三人で、ひっそりと。花嫁姿は二人にだけ見てもらいたいです」
「ユア……」
豪華なものは恥ずかしいから嫌だとはっきり口にするのも憚られ、同時に誰かに見せびらかしたい気持ちもないために言い繕った。
式の後のお披露目も必要ないだろう。
世話になっている近所の人達には報告するとしても、三人で結婚しているということを、果たしてどれだけの人が理解してくれるかという不安もある。
そんな気持ちで発した言葉だが、何故かレイトールは感激したようでユアは抱きしめられた。
行動の意味がわからないのはユアだけではなくアイデクセもだ。気付いたレイトールがアイデクセに説明してやる。
「花嫁姿は生涯に一度だけだ。美しく着飾り、若い娘達の羨望の的となる。それをユアは私たちにだけ見せたいといっているんだ。他の男の目にとまりたくないとは、なんともいじらしいじゃないか」
「ユアは今のままでも十分に美しい。着飾ればまた変わるのか?」
「花嫁は特別だ。それを私達の二人だけに独占して欲しいという意味が分からないか?」
「そうだな……うむ、分かるぞ。レイトールが触れるのならいいが、他の奴にまで独占させるつもりはない」
近付いたアイデクセが何やらそわそわしだし、拳を握りしめたり広げたりを繰り返している。触れたくて、けれど躊躇して手が出せないでいるようだ。それに気付いたレイトールがユアを開放してアイデクセの硬い胸に押しやった。
「よし、やはり仕立て屋を連れてこよう。私達二人しか見ないのなら露出が多く大胆な衣装がいいな」
馬鹿なことは言わないで欲しい。傷つけるのを恐れて拘束しないアイデクセからすんなりと逃げ出したユアは、慌ててレイトールの服を掴んで必死に引き止めた。
「自分で作りますから布だけお願いします。二人の花嫁になるのだと、一針ごとに感じたいんです!」
物は言いようだが、今度は感激したアイデクセの腕が伸びて硬い鱗に覆われた腕に囚われた。たった今思いついた言い訳ながらあながち嘘ではないが、感動しているアイデクセには後ろめたさを感じてしまう。
それでもアイデクセだけではなく、レイトールも喜んで納得してくれたのでとりあえず一安心だ。
そんな訳でユアは、どこからともなくレイトールが仕入れてきた白い布を裁断し、花嫁衣装作成に取り掛かっている。
絹糸でしっかりと織り込まれた生地は触れたことのない肌触りで、恐らく最高級品と呼ばれるものだろう。
確かめるのが怖くて確認していないが、光沢があって張りが良く鋏を入れてもほつれが少ないのには驚きだ。いったいどんな織り方をしているのかと興味が湧く。
普段の衣服は自分で作っているが当然ながら花嫁衣装は初めてだ。失敗のないように人形を相手に見本を作れば、露出が少ないとレイトールから苦情が入った。
ユアが顔を顰めるとアイデクセの好みだと言われてしまいさらに困ってしまう。
アイデクセは柔らかく白い人の肌に惹かれるらしいが、正直どう反応してよいのか分からないのだ。
結婚してしまえば触れてくれるのだろうか。今でさえ遠慮を感じるのでどうなるのか不安しかない。
それでもユアの中でアイデクセとレイトールの二人を夫とすることに迷いはなかった。
レイトールはユアを置いて逝かないと約束してくれたし、ユア自身が側にいてくれる二人に愛情を感じている。
アイデクセの情が離れて他の女性にむかう不安もなくなっていた。ユアはアイデクセが自分に惹かれる理由が分からないが、向けられる気持ちを疑っても仕方がないというのを知ったのだ。
思い込んで嫉妬して腹を立ててもアイデクセは戸惑うだけだった。彼の純粋な気持ちは、蜥蜴を恐れなかった特権だとでも思うことにする。そうすると特別なのだと感じてとても愛おしく感じるのだ。
時折アイデクセとレイトールは長く家を空ける時がある。
仕事で遠くまで行くこともあるし、二人して城に呼ばれて、アイデクセだけが帰ってくるというのもあった。
今回は北の国境で小競り合いがあり、被害を最小限に抑える為にアイデクセを脅しとして戦に参戦させるのだという。
アイデクセの存在はウィスタリアやアシュケードだけではなく、大陸中に轟くようにして知れ渡っていた。アイデクセの姿を見れば直接的な対戦は免れられるので命が流れず、被害を最小限に抑えることができるのだ。
アイデクセが強いと分かっていてもユアは心配だった。
レイトールと繋がっているので隙を突かれてレイトールを狙ってくる場合もある。レイトール自身もかなりの強さらしいのだがそれでも心配だ。
だからといってユアが同行できるような場所ではないし、アイデクセとレイトールの立場を悪くしない為にも二人が戦いに行かない選択はできない。
そしていくらアイデクセの肉体が強靭で人知を超えた力をしているとしても、もとは庭師で争いごとが嫌いな性格なのだ。アイデクセはこの世界で生きていくために戦術を学んでいるという。
八人の魔法使いを召喚して引き込まれたアイデクセは、今もなお意に反した生き方を強要されていた。
息抜きにとユアはアイデクセが整えた庭に出た。
薔薇の花は咲かないが、来年には花開かせることができるようにアイデクセが頑張っている。
二人が不在の間に花嫁衣装を仕上げてしまおうとユアも頑張っていた。寝不足で体が辛かったが、戦地にいる二人の疲労はこの程度ではないだろう。
してもしなくてもどちらでもいいと思っていた式も、衣装が出来上がるにつれ楽しみになって来ていた。
アイデクセの好みらしいので肩が開いた形に変更したのは二人に知らせていない。喜んでくれるだろうかと二人がいる筈の北へ視線を向けた時だ。争うような声がして人が乱入してきた。
「逃げろ!」
「えっ!?」
剣を手にした男に驚くと同時に逃げるように叫ばれる。男が手にした剣はユアではなく、新たに現れた侵入者へと向いた。
どうしてこんな所に武器を持った人間がいるのか分からず、けれど剣と剣が重なる金属音を耳にして慌てて屋内へと逃げ込んで鍵をかけるが窓は開け放たれたままだ。閉めようと駆け寄ると逃げるように言った男が庭に倒れて、血糊のある剣を握りしめた男の視線がユアへと向いた。
「ひっ!」
喉の奥で悲鳴が閊える。慌てて扉を閉め鍵をかけたのに、硝子が割られてあっけなく侵入を許してしまった。
「蜥蜴の女だな」
答える間も与えられなかった。
血濡れた剣の柄が向けられユアを襲う。腹に強烈な痛みと覚えてすぐに意識が飛んだ。
何があったのか分からないが、人を殺して乱入した男はアイデクセに関係する何かだというのだけは短い時間で理解することができた。
目が覚めると辺りは闇に包まれていた。
体が痛くて身動きすると背や膝が硬いものに触れ、窮屈さから箱に閉じ込められているのだと分かる。
両手両足は縛られて身をよじるしか出来ない。息苦しくて再び意識が失われる。
次に意識が戻った時には箱から出され、冷たい石の床に転がされていた。
縛られた手足が痺れて体中が痛んだ。靴はどこかで脱げてしまったようで履いておらず、しっとりと湿った石の床に鼠が這っていた。
どうにかこうにか身を起こして周囲の様子を窺う。半地下のようで、階段の登り口は明るい光が射してた。
「どこ?」
攫われたのだと気付いて腹に痛みを感じた。剣の柄で殴られたのを思い出し、血糊の剣が脳裏を過る。逃げろと叫んだ男は殺されたのだろうか。見知らぬ男だったがレイトールがユアの護衛として付けてくれていたのだろうと思い至る。レイトールに言われたわけではないし、知らなかったがきっとそうに違いない。突然の出来事に体が震えた。
かつんと、硬い靴の音を響かせ誰かが階段を下りてきた。
身を硬くして壁に寄ると、光を背に大きな男が現れた。
日に焼けた肌に黒い髪、瞳の色は薄い灰色だが眼光は鋭く射貫くようにユアに向けられている。
体は大きいがアイデクセ程ではない。
それでも人を傷つけたのを知っているせいで命の危険を感じとても恐ろしい。男は腰には剣を携えている。そして左袖が歩みと共になびいたので、肘から先が欠損しているのだと分かった。
片腕で剣を操り、レイトールが選んだと思われる男を傷つけている。片腕でやれるだけの実力があるのだ。ユアを拘束したのも目の前の男なのだろう。どれだけ器用なのだろうか。恐ろしさが増して、隠れる場所などないのにさらに壁に体を押し付け身を小さくした。
「何故お前がここにいるのか、この様な目にあっているのか理解できるか?」
必死に頭を左右に振るが、蜥蜴の女と言われて気絶させられたのを覚えている。目の前の男の腕がないのと、初めてアイデクセを見た広場の処刑場で頭を潰された執行人の姿が重なった。予想はついたが認めなくなかった。
「蜥蜴はお前にどれほど執着しているのだろうな。まぁ助けに来ても来なくても、お前に未来などない」
言い切った男がユアの胸ぐらを掴んで立たせると引きずるように階段を上がって行った。抵抗するが、男は片腕だけで容易にユアを引きずる。裸足の指先が階段を滑って爪が割れた。痛みよりも恐怖の方が勝り、声を上げることもできなかった。
またどこかに移動するようで、幌付きの荷馬車に乗せられた木箱に放り込まれる。馬車が動き出し逃げ出せないかと体を揺すったが、箱の蓋には鍵がかけられ持ち上がらなかった。
「アイデクセさん、レイトール様……」
己の非力さを痛感して二人を呼ぶ声が漏れる。
恐らく男はアシュケードの軍人。腕を無くしたのはアイデクセと戦った結果に違いない。戦争が終わって五年が過ぎたが、男は復讐の機会を狙っていたのだ。ユアという存在に気付いて二人がいない隙を狙い人質にされたのだ。
こういう時に非情になれるのはレイトールだ。アイデクセは優しいから繋がりのある人の命を優先してしまう。
アイデクセとレイトールの命が繋がっているから、アイデクセがユアの為に命を放り出すようなことはしないと分かっているが、ユアを見捨てるようなことをしないのも知っていた。
だからこそレイトールの冷静な判断に期待するが、レイトールとてユアを見捨てるような男ではない。
殺されるのは怖い。けれどどちらにしても殺されるなら、アイデクセには助けになんて来て欲しくなかった。
何が何でもレイトールの王子としての立場を優先させ、力のない女一人の為に動かないでくれることを願う。
最も良いのは今すぐこの場所でユアが自分で死ぬことだが、普通に生活していただけの一般人であるユアには自殺する勇気はなかった。
言い訳から生まれた花嫁衣装作成だったが、花嫁になることに幸せを感じていた。だけどこんな事になってしまって恐怖しかない。ロアークが死んで、どうしようもなく寂しかったユアを助けてくれた二人の為に自死できない我が身が呪わしかった。
自分が先に逝く時は必ずユアを殺してくれると約束してくれた、あの時のレイトールの表情が脳裏を過る。
強く抱きしめてくれた腕の力強さと優しさに心からほっとした。もう一度抱き締めて欲しかったし、アイデクセにも遠慮などなく力を込めて抱き締めて欲しかった。ユアを思ってにぎにぎされる手を可愛く感じていたのに。
「思い残すことがいっぱい……ごめんなさい、レイトール様、アイデクセさん。どうか助けに来ないで」
自分を殺す相手はレイトールではなくなってしまったが、最後に一人で残されることにはならないと自分自身を勇気づける。
どうかあの男の誘いに乗らないで欲しいと願い、それでも二人の側にいたかったのだと、閉じ込められた箱の中で寂しさに震え、死の恐怖に怯えて涙が零れた。そして何よりも、もっと三人で生きていきたかったのにと未練に嘆いた。