その6 死ぬときは殺して
レイトールが近所の建具屋に寄ると、窓硝子の注文はユアが入れたと言う。そのあと街の方へ向ったと聞いて後を追った。
王に厭われていようとレイトールが一国の王子であることに変わりはない。それが勝手に結婚してしまったとなれば小言だけではなく、怒鳴りつけられ即刻離婚手続きが取られてもおかしくなかった。
兄である王太子を味方につけていたお陰で、ユアと離れてアシュケード行きを強行されることは免れたものの、謹慎との名目で暫く部屋に監禁され、ついでに兄の仕事を手伝わされていたのである。
レイトールはアイデクセの見張りも兼ね側に付き添うことを許されていたので、あまり長く離してしまうのも良くないだろうと、想像したよりも早く解放された。
アイデクセがユアを気に入っていることもあって、このままの状態が最も国に繋ぎ止める効果があると王太子が王を説得してくれたのだ。そうでなければレイトールは今頃アシュケードに向かわされていたはずである。
兄である王太子自身はアイデクセと繋がっているレイトールと仲違いをするつもりはなかったし、将来国を背負い立つ身としては、味方につけておいた方がやりやすいというのもあって兄弟仲は良好だ。
取り敢えず一件落着と、寝不足気味ながら心軽く二人が待つ家に戻れば様子がおかしい。硝子が割れた窓の向こうには戸惑い唖然としたアイデクセが立ち尽くしていた。
鱗に覆われた表情のない顔だが、長く側にいると分かるようになってくるものである。
何があったのか理由を聞かされるにつれレイトールの気分は沈んだ。
面倒だからではない。これまで全く気にもしなかったユアの背景と、少なくともそれに関わる行動を自分が取ってしまったばつの悪さに居たたまれなくなったのだ。
何も知らず、知ろうとせずユアの存在に感謝していたとは何て愚かなのだろう。ユアだけでなくアイデクセにも顔向けできない気持ちになり、逃げるように家を出てユアを追う。
ユアの父親は軍事大国アシュケードに生まれたとしても名を馳せたであろう、大変な実力を有した騎士だった。
お陰で平民の生まれながらレイトールの剣の師範に指名され教えを受けたのだ。
幼い頃から指導を受け、結婚し子供をもうけた話も彼自ら聞かされた。そして生まれた娘に魔力がないと聞かされたのは何時だったか。師から直接ではなく、話の中で出た会話の一つだったかもしれない。ずっと忘れていたがアイデクセとのやり取りでたった今思い出してしまった。
ロアークの家系はウィスタリア随一の魔法使いで、代々強力な魔法使いが生まれる家柄として知られていた。そこの娘を嫁に迎えたのだが、師との間に出来た娘は魔力の欠片もないただの人だったという。
だから師の娘が魔法使いとして出仕するようなことにならないと知ったレイトールは、『残念だな』と何気なしに口にしたのだ。その後で『次の子は魔力を持って生まれるだろう、落ち込むな』という感じのことを言った気もする。
あの時の師はどんな顔をしていただろう、困ったように笑っていたような気もするがよく思い出せない。
けして貶めるつもりで口にしたわけではない。十にもならないレイトールだったが生まれのせいで大人になるのを強要されていた。だからという訳でもないが、師である男を慰めるつもりで落ち込むなと声をかけたのだ。
今思えばなんて勝手な言葉だろうと思う。何処を探してもレイトールが発した言葉には、無事に生まれた子に対する祝福が織り込められていないのだ。それどころか生まれた子が魔法使いになれないと知り、ユアを否定する言葉だけが連ねられているではないか。
「馬鹿野郎だな!」
己に吐き気がしてなじる言葉が漏れるが、過去に告げた言葉は取り返しがつかない。謝罪したくても師は既に他界して、この世に存在せず頭を下げることは叶わないのだ。
当時の師はレイトールの言葉をどんな気持ちで受け止めたのだろう。レイトールの言葉をユアは聞いていないが、立場的には石を投げた輩と同じだ。ユアが受けた傷の一つはレイトールが投げた言葉の刃なのだ。
ユアが憧れ見上げた視線の先にあったのは、姿と力を厭われるアイデクセだった。その瞳に微笑ましさを感じ、受け入れてもらうにはちょうど良かった。両親を失った背景は知っているが、優しい祖父に守られ、幸せな娘だと勝手に思って何も知らずにいたのはレイトールだ。
魔法使いの家系であるのにユアに魔力がないのは知っていた。その背景を知ろうとすれば気付けた事柄だったのに、アイデクセを、そして自分を受け入れてもらうのに都合がいいとしか考えられずに思い至らなかったのは、レイトールの身勝手さが引き起こしたものだ。
アイデクセの手前もある、そしてアイデクセの感情につられて湧き起った想いかもしれないというのも理解しているが、楽で都合がいいからと甘んじていた自分自身に強い怒りを感じながらユアを探す。
一人で泣かせるのが嫌でたまらないが、こんな自分がユアに何と声をかけられるのだろうかと、その資格が自分にあるのかすら分からないまま走り続けた。
逃げるようにアイデクセを残して家を飛び出したユアは、平静を装い建具屋へと向かった。窓硝子が割れたことを告げて注文する。その後は足が戻らず時間をおきたくて街へと向かった。
お金も持っていないし何か必要な物があるわけでもない。ただふらりと向かったのだが、その先で見知った娘と出会ってしまう。
子供の頃に通っていた学校の同級生でセリナという。成長した現在は彼女もユアと同じ二十だが、街で顔を合わせても決して声を掛け合うような仲ではない。
大抵はユアが視線を外してそのままだが、今回は硬い表情に無理矢理作った笑顔を浮かべてユアの方へと近寄って来た。好意的な笑顔ではなく、ユアは逃げるように道の端に避けたが進路を妨害されてしまう。石を投げて窓硝子を割ったのは彼女だと予想がついた。
「なにか用?」
仕方なくユアから声をかけるとセリナはふんと鼻を鳴らして胸を反らし、高圧的な態度でユアを睨んだ。
「化け物と住んでいるなんて驚いたわ、さすが魔法使いは違うわね。と言いたい所だけど、あんたは貰われっ子だから魔法が使えないんだったっけ。お爺さんも亡くなったんですってね。今度は化け物に守ってもらうようにしたってわけ?」
「化け物じゃないわ、あの人はアイデクセさんよ。わたし達の国を守ってくれた人だわ」
「蜥蜴じゃない。いくら守ってくれてもあんな姿の化け物、普通の人間なら一緒になんていれないわ」
「あなたとわたしの普通が違うってだけでしょ。硝子を弁償しろなんて言わないから構わないでくれる?」
「あら、言いがかりはやめて欲しいわね。わたしがやったなんて証拠はあるの? 魔法が使えないあんたが言うことなんて誰が信用するっていうのよ。しかも化け物と一緒に住んでいるし」
「その化け物というのは私のことだろうか?」
突然乱入した声に驚いたユアとセリナは同時に声がした方へと顔を向ける。そこにいたのは背の高い金髪碧眼の端正な顔立ちをした青年だ。
名実ともに王子様然とした柔らかな微笑みを浮かべているが、碧い目は少しも笑っておらずセリナを冷たく見下ろしていた。
「化け物というのは私のことかい?」
「え、うそ。本当にレイトール様!?」
信じられない物を見る目でセリナはレイトールを見上げた。同じ質問を繰り返したレイトールだが、セリナの方は全く意味を理解しておらず、国民に大人気で女性たちの憧れの的でもある王子を間近にして混乱しているようだ。
「聞いている?」
「え……あ、はいっ!」
「それは良かった」
腕を伸ばしたレイトールはユアの腰を掴んで引き寄せると、愛しい人を前にして態度を隠しもしない様を見せつけるように、ユアの赤茶色の髪に顔を寄せ口を押し付ける。それを目の当たりにしたセリナは驚いて声にならない悲鳴を上げた。
「それで。化け物というのは私のこと?」
「いいえっ、化け物だなんてっ」
レイトールがアイデクセと行動を共にしているのは誰もが知っていることだ。さすがにレイトールを前にしてアイデクセの悪口を堂々と言える訳がない。化け物が誰を指すのか言い訳できずセリナは口籠った。
「そう、私の聞き間違いだったのかな。彼女と一緒に住んでいるのは私なのだけどね」
「一緒にって、レイトール様がどうして……」
一緒に住んでいると聞いてセリナからは囁きが漏れる。驚いてぽかんと口を開けたセリナに微笑んだレイトールは、ユアの腰を抱くだけでは飽き足らず、さらに引き寄せると両腕に囲い込むように拘束して頬を頭に摺り寄せた。
「一緒に住むのは当然だろう、彼女は私の妻なのだから」
「妻っ? 妻ですって!?」
「そうだよ。ユアは私の愛しい妻だ」
当たり前のようにレイトールの指がのびてユアの頬から顎へと滑ると、最後には薄く開いた下唇に触れて輪郭をなぞった。唇なんて親密な男女でなければ触れるような場所ではない。
驚きすぎてついに言葉を失ったセリナにレイトールの碧眼が鋭さを増して射貫くように突き刺さる。
「それからうちの蜥蜴は目と鼻が聴く。我が家の硝子を割った犯人探しをさせるつもりだ。行動次第では許してやらないでもないが、蜥蜴次第だろうな。まぁ君が犯人でないならそんなに青くなる必要はないよ。蜥蜴は無実の人間をいたぶる趣味はないから」
脅しを受け真っ青になったセリナを残し、レイトールに促されたユアは一言も言葉を発することが出来なおまま、腰を押されるがまま体を寄せ合い歩みを進めた。
何事かと様子を窺っていた周囲からはレイトールが結婚した事実に驚く声が上がっている。
助けてくれたのは分かるが状況について行けなくてユアがレイトールを見上げると、人好きのする微笑みを浮かべてはいるが青い瞳はほんの少しも笑っておらず、真っ直ぐに前を見据えていた。
「レイトール様、あのっ」
「すまない、私には謝ることしかできない」
「アイデクセさんから聞いたんですね。でもレイトール様に謝ってもらうようなことは何もありませんよ?」
回された腕に力が込められてユアが小さく声を上げたが、レイトールの力はゆるまなかった。
「この世界にお前がいてくれることに誰よりも感謝している。もしユアに魔力があったら、間違いなくロアークや母君の後を継がされていた。そうなると私達はユアにこうして出会うことができなかった。だから本当に心からユアの存在には感謝しているんだ」
魔法使いであったなら、ユアは異世界よりウィスタリアに有益なものを呼び出す召喚に関わらせられていたか、そうでなくとも戦場に立つか魔法についての研究をさせられていただろう。ロアークの元を訪ねてもそこにユアがいたかどうかわからないし、こういう関係を築けたかすら疑問だ。今があるのは全てユアに魔力がなかったお陰だというのになんてことだろう。それ以前に当時のレイトールは人の心を思いやるということが出来ない無慈悲な王族だったのだと告白される。
「私は過去にお前の父親に言ってしまったんだよ、生まれた娘に魔力がないとは残念だったなと。次の子にはきっと魔力があると慰めるつもりで、祝福の言葉を口にするではなくお前を否定してしまった。私は先程の娘と同罪だ。何といって謝ればいいのか分からない」
人通りの多い街を出てもレイトールは前を見据えたまま歩みを止めない。心の内を吐露しながらユアは引きずられるように必死でついて行っていた。急なことでよく分からなくてされるがまま、言われるがままだったユアだが、レイトールの服を掴むと足を踏ん張り歩みを止めさせた。
「レイトール様がおっしゃたことは普通の、当時の誰もが思ったことです」
力のある魔法使いの家系として期待もされていただろう。そこに魔力のない子供が生まれたのだ。子供を産むのも命がけだというのに、無事に生まれたものの魔力がなくて残念に思ったのは一人や二人ではない。
特にユアと離れた場所にいるかかわりのない人間などは勝手に言いたい放題だっただろう。
当時のレイトールも生まれたユアを目の前にしていたわけではない。少なくとも父親が赤子を抱いてレイトールと接していたなら、絶対に残念だったなどとは口にしていないはずだ。
「祖父と両親だけはただの人で良かったと言ってくれたけど、わたしだって魔法使いでない自分に落胆していました。それなのに結局は何も言い返せなくて負けたんです。引き籠ってお爺さんに心配かけて、そして今はレイトール様とアイデクセさんに守ってもらっています。二人がわたしを必要としてくれるなら、もうそれだけで十分なんです」
ユアだって逃げ出した当時の子供ではないのだ。客観的にみてみると多くの人々が力の強い魔法使いの誕生を望んでいたのだと理解できる。
大人たちの落胆はユア個人に向けてのものではない。ただ側にいた子供たちが感化され、一人で始まった揶揄いが集団となってユアを貶めてもいい存在なのだと思ってしまった。
両親と血のつながりがないとか、母親の不貞をまるで事実であるかのように連呼され、ユアの存在自体が両親にとって不利益で残念な出来事だったのだと言い続けられると、違うと知っているのに一人で抱え込んで守ってくれる両親や祖父であるロアークにすら相談できなかった。
当時ひと言でも辛いのだと相談する勇気があったなら、もっと広い世界に飛び出せていたかもしれない。美しい王子様や異界の蜥蜴に心を奪われるだけの、つまらない陰気な人間ではなかったかもしれない。
けれどこれらは全て今となったから言えることなのだ。
過去は変えられないが未来はどうとでもなる。
こうしてアイデクセやレイトールに過去の辛い出来事を告白できただけでも大きな一歩ではないだろうか。そう思うとユアの心は幾分か軽くなった。
けれどようやくユアの背景に注目が行き、傷つけた輩の一員と自覚したレイトールの表情は硬いまま変わらなかった。
いじめくらいで弱音を吐くな、立ち向かえと言うのは簡単だが、当事者になってしまうと身が竦んで言葉が出なくなることだってある。ユアがそんな経験をしたのはレイトールのような傷つけた感覚のない人間が数多く存在しているせいなのだ。
「ユア、私はどうすればいい。私はどうすればお前の側にいることが許されるのだろう。過去の愚かな自分が恥ずかしい。謝っても取り返しがつかない。だがお前の前から消えることはしたくないんだ。私は狡賢しこいな。お前に許しを乞いて、どうすれば許してくれるのか答えまで得ようとしている」
ユアは少し考えてからレイトールを仰ぎ見た。レイトールは真剣な、けれど今にも泣き出しそうな表情でユアを見下ろしている。
子供の頃のユアならレイトールの告白でとても傷つけられただろう。下手に出るレイトールに、ありもしない誹謗中傷で傷つけた子供たちと同じじゃないかと罵ったかもしれない。
けれど時が過ぎてユアも子供ではなくなったし、レイトールも石を投げるような子供ではないのだ。許すことなどないと言いかけたが、けれど一度噤んで一瞬考えてから再び口を開いた。
「それなら、わたしより先に死なないって約束してください。こんな約束むずかしいのはわかっています。でも大切な人が先に死ぬのは本当に辛いです。だからせめて、わたしよりも先に死ぬようなことがあるなら絶対に連れて行ってください。わたしも二人と一緒がいい」
レイトールがアイデクセと命を繋げているのは知っている。そうしなければアイデクセは人の言葉を話して理解することができなかったからだ。魔法を使って言葉を繋げ、その代償として二人の命は托生されているに等しい状態となってしまった。どちらか一方が命を落とせばもう一人も死んでしまうのだ。
二人は繋がっていて、同じ時と人生を選んで生きていくのだろう。その中に自分も入り込みたい、先に死ぬのは良いが残されるのは嫌だと訴えた。
「一人になるのは嫌なんです。だから、もしわたしよりレイトール様が先に死んでしまうなら。わたしはあなたに殺して欲しい」
一人になるのは嫌だと懇願してレイトールを見上げる。それはいつもアイデクセだけに向けられた輝きを持った瞳だ。真正面から受け止めたレイトールは青い瞳を見開くとユアを力づくで抱き締めてくれた。
「いいよ、分かった。どんなことがあっても一緒だ。私が先に逝くようなことがあれば必ずユアの命を貰っていく」
抱き締められたユアも同じように、レイトールの背に腕を伸ばして力いっぱい抱きしめる。
この人は本当に殺してくれるだろうか。置いて行かないでくれるだろうか。小さな不安を感じたがすぐに打ち消し額をレイトールの胸に摺り寄せた。
いつまでも一緒にいられるという安心感がユアの心を満たす。
レイトールは彼の意志で約束を違えないように最善の努力を惜しまないだろう。ユアは自分自身がレイトールを信頼しているのだと知り、またそれが嬉しく感じて抱き付く腕に力を込めた。