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その4 祖父の死



 朝になっても起きてこないロアークの部屋をユアが訪ねたら冷たくなっていた。

 穏やかな顔で目を閉じている様子から、苦しまず眠ったまま命の灯火を消したのだろう。


「わたしが嫁に行くまでは死なないって言っていたのに……」


 十分に生きたと分かっているが辛いものは辛いし、悲しいものは悲しい。表向き病気や怪我はなかったが、魔法使いとして長く生きた肉体はこれ以上の生を許してくれなかった。

 

 それでも七十年という人生は周りと比べたら生きた方だろう。ロアークの妻も娘も、そして娘婿すらとうの昔に荼毘だびに付している。


 長く生きたのは可愛い孫娘を一人残さないよう細心の注意を払っていたからだ。

 若い頃から決して穏やかとは言えない魔法使いだったのだから、ユアがいなければウィスタリアとアシュケードが戦争を始めた時点で現役復帰していただろうし、異世界から戦士を召喚して戦わせるという提案は命をかけて阻止したに違いない。

 けれどロアークがそうしなかったのは、ユアを一人にしてしまうからだ。

 ユアにとっては優しくて頼りになる祖父であったが、結局最後にはユアを一人残して逝ってしまった。


 冷たくなった遺体を清めたユアはぼんやりと祖父を見下ろしていた。

 息をしなくなり、温もりを失った祖父は問いかけても答えてはくれない。最後の別れがすんだら父や母と同じように火葬され白い骨だけになる。

 いずれは誰もが辿る道だが、そんな日が永遠に来なければいいと願っていた。両親よりも遥かに長い時を過ごした。お互いにたった二人きりの家族だった。いつか来る日と知りながら目を背けていたせいで覚悟が足りなかったらしい。

 ユアは冷たくなったロアークの傍らに座ったまま、ただぼんやりと過ごすだけで、立ち上がるのも億劫でならなかった。


 近所の人たちが集まって最後の別れをする。それが終わると火葬場に連れていかれた。

 頭から足元まで全身をすっぽりと覆う灰色のローブで身を隠した二人の男が最後尾を付いて回ったが、二人が誰であるか分かっても周囲は知らぬ振りでロアークの葬儀は執り行われる。


 かつてはウィスタリアに存在する魔法使いの頂点を極めた魔法使い。

 けれど王の不興を買ったせいで、集まったのは懇意にしてくれる近所に住まう者ばかりだ。

 王に睨まれるのを恐れるせいで、ロアークに世話になっておきながら権力を持つ人間で参列した者は一人もいない。最もロアークが目にかけた魔法使いたちは、十年前の召喚で力を使い果たし、命を落としていたので葬儀に参列できるわけがないのだ。


 火葬されて真っ白になった遺骨は墓に納められる。

 母と父が眠る隣に骨壺を置いて蓋をすると、参列した者達は俯いたまま姿を消した。

 そうしたら何も残らなくて孤独に涙が零れた。

 冬が終わり春を迎える季節、ロアークが天に召されてから今日までは本当にあっという間で、父も母も看取らなかったユアにとっては、これほど近しい人の死を側で迎えたのは初めてのことだった。


 魔法使いは力があれば国に引き抜かれ、従軍するか研究するかどちらかを強制させられる。ロアークはその両方を経験し、母親は従軍中に身を滅ぼした。


 ユアは魔法使いの家系なのに露ほどの魔力もない欠陥品だったが、魔法使いでないことを両親は喜んでくれていた。


 魔法使いの家系なら、ほぼ確定に近い形であるはずの魔法の遺伝がユアには全くなかった。ほんの僅かな欠片すらなかったのだ。

 魔法使いの母親から生まれたのに魔法が使えない。魔力すらない。ユアは幼い頃から劣等感を抱いて育った。


 ユアが魔法使いでなかったせいで周囲に責められた母と、魔力を持たない騎士の血が混じったせいだと責められた父。「拾われ子」という言葉を投げかけられたのも一度や二度ではない。ユアは魔法の才能を受け継がなかった自分が情けなくてとても辛かったが、祖父と両親は可愛い娘が戦場で命を落とさないで済むと喜んでくれた。

 

 祖父に大切に育ててもらい、そのお陰で失った今はとても辛い。

 ユアが結婚して子供を産んでも側にいてくれると信じ切っていたのはどうしてなのだろう。特別なんてどこにもないと分かっているのに。


 埋葬が済んで誰もいなくなったはずなのに、墓の前に膝をついたままのユアに覆いかぶさるようにして影が差す。

 見上げると、大きな巨体がユアに寄り添うように膝を付いていた。


「死してもロアークは俺の友人だ」


 特別な存在は思わぬ近くにいた。

 普通なら決して出会えない異界の魔物が、触れるほど側にいて頭に深くかぶったローブの陰から奇妙な造形を覗かせている。

 ユアが彼に出会えたのは魔法使いをしていた祖父のお陰だ。その彼もまた異形の姿を受け入れるロアークを特別な存在としていたのだろう。

 

 蒼白で表情をなくしたユアの頬を涙が伝う。止まらなくなった涙を零しながら声なくアイデクセを見上げていると、ユアの背に反対側から腕が回された。

 優しいがとても力強いその腕はユアを守ると語ってくれているような錯覚を覚える。ユアが腕を回した男を見上げると、こちらはローブの陰から無精髭を生やした顎が覗いていた。

 いつも身綺麗にしているのに珍しいと感じたのは、二人の男に挟まれてようやく祖父の死以外に意識が向いた結果だろう。


「私とアイデクセにユアをくれと何度も願ったが返事がない。ユア、結婚は迫らないから一緒に暮らさないか。ロアークの代わりに応と言ってくれ」


 二人の好意をずっと保留にしたまま居心地の良さだけを味わっていた。

 今の二人はユアに冗談か本気かわからない求婚をしているのではない。大切な家族を失って一人ぼっちになったユアを思いやり、彼らなりの優しさから共に暮らすことを願いという形にかこつけて提案してくれているのだ。

 優しい二人の温もりに触れたユアは胸が締め付けられて、引き寄せられるままレイトールの胸に縋ってしまった。


 ずるいのは分かっているが、大切な人の死を前に人恋しさを押さえられない。たった一人は恐ろしく、縋れる存在に引き寄せられるとあっさり縋ってしまった。


「ごめんなさい。レイトール様、わたし―――」

「いいよ、利用すれば。付け込んでいるのは私たちの方だ。ちゃんと分かってるから謝る必要はない」


 レイトールは側にいるからと耳元で囁いて、最も効果的な場面で誘惑を口にして、己の陣地に獲物を引き寄せることに成功した。


 もちろん天涯孤独になってしまったユアを哀れに思う気持ちと、慰めてやりたい気持ちはちゃんとある。だがやはりそれだけではなかった。


 大切な唯一の存在を失い、孤独に落とされた年若い娘を誘惑するのに最善な時期を逃がしはしない。

 レイトールがユアを好ましく感じているのに嘘はないが、その感情は恐らく命を繋げたアイデクセに引き寄せられての部分が大きいことを理解している。

 それにレイトールは抗うつもりはないのだ。

 何よりも異界の地より無理矢理つれて来られたアイデクセに、この世界でも安らぎを知り、生に執着して欲しいと願っていた。そうすることで勝手に召喚し、多くの人間を殺させた償いをしようとしているのだ。

 アイデクセは人を殺すくらいなら自分が殺された方がいいと願ったのに、レイトールの命を盾に人殺しを強要させられたのである。


 意に反する行動をとらされることがどれ程辛いものかをレイトールは知っている。

 故郷にも帰れず、全てウィスタリア王国の言いなりで戦力として扱われるのだ。

 レイトールだけでなく兄の王太子も、異種族とはいえ知性のあるものを召喚し、無理に従えている身勝手さを十分に理解していた。

 それでも最高権力者である王を止められないのは、王が王としての決断を優先させているからだ。王は自国のためならどこまでも非道になる王であり、またレイトールもそれが最善であることを王族として理解していた。


 たった一人の異形と国なら優先順位は国防に決まっている。王がアイデクセの人権を尊重しない限り、アイデクセは決して逃がしてもらえないだろう。


 だからこそレイトールは常にアイデクセと行動を共にする。魔法の後遺症のせいもあるが、なんとなく離れられないのを理由に、寝食だけでなく日常の行動も常に一緒だった。


 人目に曝されるのを嫌うアイデクセの為に、責任がないにも関わらず彼に対して負い目を感じている引退した魔法使いのもとへ通うようになると、レイトールの思惑の外で奇跡は起きたのだ。


 特出した点などない何処にでもいる少女が真っ先に駆け寄ったのは、見た目のせいで多くの女性たちに人気を馳せるレイトールではなく、常に好奇の視線に曝され恐れられる異形の姿をしたアイデクセだった。


 屈託なく笑い、好奇心旺盛にきらきらと輝く緑の瞳でアイデクセを見上げた少女の無垢な視線。

 人の頭など軽く握りつぶせる力を持ち、獰猛で慈悲のない蜥蜴と陰で囁かれるアイデクセに、実年齢の割に幼気に見える少女が迷いなく駆け寄り触れたその瞬間。レイトールの目に少女がとてもとうとく、そして大切な存在へと変化した。


 やがて少女が大人になりアイデクセの心が一人の女性へと向いていると理解すると、レイトール自身も彼女が、ユアが欲しくてならなくなった。

 ユアがアイデクセだけではなくレイトールにすら恋愛的な感情を抱いてないのは分かっていたが、家族に対するのと同じ情を持ってくれているのは確かだ。アイデクセの為に家族になるならそれで十分だと求婚したのだが、許しを得る前にユアの保護者であるロアークの命は尽きてしまった。


 ロアークが結婚を許さなかったのは三人でというのもあっただろうし、孫が可愛くて手放せなかったというのもあるだろう。けれど老いた身に残された時間が少ないことも理解していたはずなのだ。たった一人残される孫娘を守ってくれる伴侶として二人の存在は、そこいらにうろつく男達よりも格段に優良だったはずなのである。


 けれどロアークは生きている間に頷くことなく、決断をユアに託していた。

 孫娘の心情を優先させたのもあるだろうが、ユアを最優先に考えることができないレイトールの狡猾さを察して許可しなかったに違いない。

 レイトールはユアを好ましく思っているが、恋しくてたまらず命をかけてもというほどではない。心の奥でユアを貪欲に欲しているアイデクセに至っては異形の存在だ。ロアークが王子と異種族を差別しなくても、孫娘の為になるのだろうかと迷いを持つのは当然だった。

 

 傷つけるのを恐れて手を出せないアイデクセは、爪を隠すように握りしめひたすら墓に視線を注いでいる。けれど意識はレイトールの胸で涙を流すユアに全て向けられていた。

 レイトールと同じようにユアを抱きしめて慰める役目が欲しいと望みながら、傷つけるのが怖くていつまでも掌で触れることができない。見た目に反し温厚で心優しいのだ。

 けれど必要な時にすら抱き締めてやれない夫となると、それもまたロアークにとっての悩みであったに違いない。


 悪いなとは思うが今を逃すレイトールでもなかった。腕の中の存在に、側にいるからと耳元で優しく囁く。

 ユアの父親はレイトールにとっては剣の師で、ロアークは頼りにした老齢の魔法使い。

 荼毘に付したとしてもその二人の前で唆すように囁くレイトールを、魂となった二人は忌々し気に睨みつけていることだろう。

 しかしどんなに忌々しかろうと、大切な娘を守れるのは生きた存在だ。死んでしまった父や祖父ではない。


 この日からレイトールとアイデクセはユアの住いに居を移した。ユアはレイトールの思惑に気付かないまま、孤独から逃げる為に二人を利用してしまったのだ。

 ロアークの死により、ユアの世界から音がなくなっていた。けれど再び音がして人の気配が感じられるようになると、ユアの体は生きるために動き出した。


 巨体があえて弱った床を選んでぎしりと音を鳴らし存在を知らせてくれる。見上げると皿を三つ手にしたアイデクセが所在無さげに佇んでいた。


「お皿、選んでくれたんですね」

「いや、その……勝手をしてもどうかと思ったが、何をしていいかも分からなかったのでな」


 料理をしているユアは同居するようになった二人に座っていてくれと声をかけていた。

 生まれつき奉仕されることに慣れているレイトールはいつもの椅子に座って料理をするユアを眺めていたが、アイデクセはこうやって何かと手伝おうとしてくれる。


「ありがとうございます」


 皿を受け取ったユアは出来立てのスープを注いでアイデクセに差し出したが、差し出されたアイデクセは両手を広げて自分の手を盆代わりにし、皿を掌に乗せてもらえるのを待っている。受け取らないのはいつものこと。自分が動くことで鋭い爪が万一にもユアに触れてはいけないと気を付けての行動らしい。


 二つ瞬きをしたユアはスープを注いだ皿をアイデクセに渡さず、自ら運んで大人しく座って待っているレイトールの前に置いた。

 拒絶されたように感じたのだろう、アイデクセは持ち上げていた太い腕を下ろして俯いた。ユアは俯いたアイデクセの視界に入り込むと、鱗に覆われて黒光りする硬い手を掴んだ。驚いたアイデクセはビクリと肩を揺らし、動かず硬直して直立不動となってしまう。


「これは、わたし達を守ってくれた爪です。わたしだけじゃない、お爺さんだってちっとも恐れていませんでした。なのにアイデクセさんはどうしてそんなに怖がるの」 

「それは容易く傷つけてしまうからに決まっている。俺が恐れるのはお前たち人間の肌を裂いて傷つけることだ」

「たとえそうでも命までは取られません。その爪が触れてひっかき傷ができたって、その程度でわたしは死んだりしません」


 ぎゅっと爪ごと指先を握りしめたユアはアイデクセを見上げた。


「ちゃんと触れて下さい。レイトール様には触れても大丈夫でしょう? わたしも同じです。アイデクセさんは差し出してくれるのに、こっちが差し出しても拒絶してばかりじゃ寂しいです」


 太い尾が強くしなり床が震える。逃げるように手を引き抜いて背を向けたアイデクセだったが、直ぐ側で俊敏に動いた巨体にユアが驚いていないか心配になったのだろう。確認のために首を回した。

 全身を確認して平気そうだと知り首を戻すと、目の前にある皿を手にしてお玉杓子を慎重に掴み、熱いスープをすくい入れてユアに差し出す。突きつけられた皿を前にしてユアは目を見張った。


 アイデクセは視線を外しているので気づいていないようだが、鱗に覆われた親指が長く鋭い爪ごとスープに浸かっていたのだ。アイデクセにとってこの程度は熱くも何ともないのだろう。

 ユアは何も言わずに零れそうなほどスープが注がれた皿を受け取って台に並べ、続いてもう一つ皿を受け取り席についた。後を追うようにアイデクセも席につくと三人で空いた席に視線を向ける。皿に注いだスープが冷める前に、レイトールが調達してきた高級酒をグラスに注いで空いた席に置いた。


「アイデクセ、ロアークはお前を受け入れていたぞ。お前の爪がユアを傷つけないと信じていた。お前の力がどのような物か分かっていながら、大事な孫娘に近付くことを許したんだ。お前とロアークの間に魔法による繋がりはない。ロアークはお前自身を信頼していたんだ。お前も自分を少しは信用したらどうだ?」

「俺とてロアークを信頼している。ユアのことも、注意すれば傷つけないで済むのも分かっているんだ。それでも慣れというのは怖いものだ。いつか俺の爪が愛らしい掌を貫通したらと思うと……この世界で俺の力は異常だ。ユアを傷つけたら信頼してくれたロアークに顔向けできない」


 アイデクセは種族の違いを理解しているが、ロアークがこんなに早く逝ってしまうとは思っていなかった。

 アイデクセもレイトールと繋がっている限り人と同じ時を生きると理解していたのに、老いてはいてもアイデクセよりはるかに年若い老人が先に死ぬという心構えができていなかったのだ。落ち込んでいるユアを前に、アイデクセは無表情を利用して心の不安を隠していた。


 瞼を持っているので瞳を濡らす生理現象はあるが、人のように感情で涙を零す生き物ではない。けれど数少ない友人がこの世を去って孤独感に襲われているのは事実だ。

 動かなくなり肉体を失ったロアークは、見えないだけで近くにいてくれるのだろうかと、アイデクセは無人の席に置かれた酒に視線を注ぐ。


「それに俺は触れる許しをもらっていないんだ」


 結局ロアークからの答えは貰えず仕舞いだ。

 アイデクセはたった一人の見た目のせいで人では想像できない劣等感を抱いている。

 この世界には憧れの白く柔らかな存在が山のように溢れているのに、意識する女性にすら恐れをなして自分を解放できない。レイトールのように弱った心に付け込めるだけの勇気すらない。大きな体をしていてもノミの心臓だ。いや、ノミは遠慮などなく欲望に従い人を刺せるだけましだろう。ノミ以下だと悩んでいると、最後には完全に項垂れ目前にスープが迫っていた。


「わたしに触れるのに許しなんていりませんよ。それにお爺さんはわたしの好きにするようにといっていました。ただ結婚はお爺さんを亡くしたばかりで今は考えられません。でも二人には側にいて欲しいって思います。勝手ですけど一人は寂しいから。アイデクセさんとレイトール様の気持ちが変わらないなら、どうかもう少しだけ待って下さい。必ず答えを出します。だからアイデクセさん、答えを出す時にはどうかわたしを恐れないで下さい」


 魔法使いでも騎士でもないただの女に、アイデクセのような形をして力を持った男が恐れをなしているなど誰が思うだろうか。

 彼の心が何処までも優しいというのを知る人間があまりにも少なすぎて、きっと生涯に渡りアイデクセは悩み悲しみ続けるのだろう。

 ユアからアイデクセに触れたことはあっても、アイデクセから手を開いて触れてもらえたことはただの一度もない。

 もう何年も付き合いをしているのに、今はこうして一緒に住むようになったのに、それでも熱いスープに浸した指先はユアには向けてくれないのだ。


 肩に担がれたいとまでは思わない。けれどせめてレイトールに触れるように、自分にも遠慮なく接してほしいと思う。羨ましいと視線を向けると気付いたレイトールが「なんだ?」と問うので、何でもないと首を振って祖父の為に注がれた酒に手を伸ばした。


「おいっ?!」


 止められる前に薄く色づく酒を一気に流し込む。喉が焼けるようにかっとなり口が閉じられなくなった。


「一気にあおるからだ、とんでもなく強い酒だぞ」

「そんなもの飲めないくせに仕入れてくるな」

「弔い酒だ。私が楽しむためではなく、ロアークとお前のために調達したんだ」


 くらりと傾くユアが椅子から落ちないように支えたのはレイトールだ。アイデクセも腕を伸ばしたが途中で止め、役目をレイトールへと譲ると水を汲んで戻って来た。その水を受け取ってユアの背中に手を添え飲ませたはレイトールだ。酒を呷ったユアは焼けるように熱い喉を何とかしたくて奉仕を受ける。


「部屋で休んだ方がいいんじゃないのか?」


 心配そうに覗き込むアイデクセにユアは首を振って嫌だと答えた。


「弔います。アイデクセさんも一緒に弔いましょう。お爺さんっ―――」


 しくしく泣きだしたユアを前にしてアイデクセはどうしたらいいのか分からずおろおろし、二人の様子を素面で見守ると決めたレイトールはきちんと座り直したユアから手を離した。


「私もロアークが死ぬなんて冗談でしか考えたことがなかったよ。消し炭にされてもいいからユアの花嫁姿を見せてやればよかった」

「お爺さんっ、お嫁になんて行かないから死なないでって言えばよかった!」

「ユア、それはちょっと違うんじゃないのか?」

「レイトール様が消し炭にされたらわたしは未亡人じゃないですか」

「その時はアイデクセが残っているだろう?」

「繋がってる癖に!」

「なら私は消し炭にされても生きなくてはならないな。そして触れたものは全て黒く染め上げるんだ。誰もが私に触れるのを嫌がるだろうな」


 軽快に会話する二人を見ながら、アイデクセは残された酒をユアが口付ける前に飲み干してしまう。酒に弱い二人が酔っぱらってしまわないように、アイデクセは瓶に残った酒を水のように容易く飲み干したのだ。

 そうして空いた瓶に度数の弱い酒を注いで台に置く。すると素面でいると決めていたレイトールの手も酒に延び、結果二人はそろって意識を飛ばして台に突っ伏した。

 そこでアイデクセははっと気付く。

 酔って台に体を預けて眠るユアが椅子から転げ落ちるようなことになったらどうしたらいいのかと。


 自分たち以外に誰もいない室内をアイデクセは鋭い目つきでぎろりと見まわし、尻尾で床を打ちならして考えあぐねた。


 ユアが椅子から落ちて怪我をしないように床に布団を敷き詰めようかと思いつつ、指先でユアの服をつついて怖くて手を引っ込めた。

 どうしたものかと歩き回り、レイトールにやらせようとして体を揺するが目を覚ます気配がない。脇に手を入れ持ち上げて揺すっても駄目だった。その際に爪をひっかけてしまいレイトールの服に切れ目が入り、かかない冷や汗をかいたような感覚に陥る。


 結局最後には両腕に大判の布を巻き付けると、ユアの後ろに椅子を置いて腰を下ろした。ユアが椅子から転げ落ちるようなことになる前に、布で巻いて爪を隠した腕で支えると決め寝ずの番に付いたのだ。

 アイデクセの心配を他所に、結局ユアが椅子から転げ落ちることはなく、睫毛を濡らしていたものの、すやすやと心地よい寝息を立てて朝を迎えたのであった。





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