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その3 好かれた理由



 本来なら奇跡が起きても交わることのない種族。同じ世界に生きても滅多に出会えない、特別な存在であることは誰の目にも明らかだ。


 闇の中でも艶やかに光る漆黒の鱗に全身を覆われ、屈強な成人男性よりも更に大きくしなやかで美しい。

 俊敏で気配なく後ろに立って脅かされるのもしばしばで、鋭い爪は道具もなく粘土質の土を綺麗にほぐしてくれる。

 人目を避けるように深夜の庭で背を丸めて作業する姿は、知らぬまま出会ってしまうと魍魎もうりょうが蠢いているようにもみえた。


 闇に怪しく動く存在ながら寒さには弱いようで、特別に設えたコートのスリットから覗く太い尾は、巨大なへびのようにうごめいて邪魔な枯葉を除けるのを手助けしていた。

 汚れてもすべらかな鱗は身を震わせれば埃が落ち、人のように入浴せずとも体を清潔に保てるが、ユアが熱い湯で体を拭ってやると心地よさそうに瞼を閉じる。汗が流れず体臭はなく、幾日も飲まず食わずでやって行けるが空腹は覚えるらしい。


 直立歩行で全体的には人と同じような形をしているのに、口は耳まで避けて細かく鋭い歯が数多く並び、舌は紫色で長く薄い。高い位置から見下ろす瞳孔は人と同じで黒く、けれど眼球のほとんどは黄緑色で視線は鋭い。そしてよく見てもそれと分からないが、頭頂部にも物を見ることができる僅かな窪みがあった。


 自分が異なる存在だと理解し、面倒ごとを避けるために人の言いなりになることが多く、凶暴な見た目に反して穏やかで物静かだ。力が強いので人に触れ傷つけないよう常に気を使っている。歳は本人にもよく分からないらしいが、二百年ほど生きていて、本来なら更に何百年もの寿命があるらしい。


 そんな特別な彼が人を殺すのを見たことがある。

 初めて見たときがそうだ。

 彼自身の思惑ではなかったにしろ、抵抗して思わず力を入れたら潰してしまったと深く後悔して落ち込んでいた。


 人の命の重さを知っているのに多くの人間を殺すことを強要され、自分を攫った国の為に尽力した異界の青年。

 彼をこの世界に攫うのに八人の魔法使いが命をかけた。

 禁止された術を止めさせようとしたかつての偉大な魔法使いは役目を解かれ、地位を剥奪されて王城への出入りを禁止されている。

 そんな魔法使いのもとには王に厭われるも、国民からの人気と人望が厚い二番目の王子が入り浸り、お陰でユアは異形の青年と語り合うきっかけを得たのだ。

 その交流は蜥蜴とかげと呼ばれる異形の青年が国を勝利に導いてより続いている。


 そんな彼からある日、嫁に欲しいと願われた。


「俺からこんなことを言われると身の毛がよだつかもしれない。気味悪がられると分かっているんだ。なのにどうしても言わないではいられない。断ってくれて構わない。だが、もし奇跡を起こしてくれるなら、これから先、ユアの側で生きる許しが欲しい」

 

 命が繋がっている二番目の王子ももれなく付いてくるという。その二番目の王子からもユアは求婚されていた。


「もれなく蜥蜴がついてくるが、君となら政略結婚にならないしどうだろう?」


 愛も語られず、それでも王子然として女性たちが頬を染めるような微笑みを浮かべたレイトールは、蜥蜴の為に妻に乞う態度を隠しもせず、妻に欲しいのだと耳元で囁きユアの鼓動を跳ねさせた。


「少し考える時間をいただけますか」


 王子はともかく、種族が異なる彼にそのような対象として見られるとは露ほども思わなかっただけに、どう対処してよいのか分からなくて時間が欲しいと告げれば、「断ってくれて構わないからな」とアイデクセから強く念を押される。背を向けた太い尻尾からは完全に力が抜け、引きずるように背を向け去って行く姿はとても小さく見えた。


 これは断って欲しいのか、そうではないのか。

 二番目の王子に何か言われて仕方なく求婚しているのだろうかと考える日を過ごしていると、アイデクセはいつの間にかユアの住いにある放置された庭に爪を立て花壇を作り出した。

 人目に触れると迷惑をかけるからと言って、辺りが寝静まってからの作業になったがしたいようにさせた。将来的に薔薇でいっぱいにしたいと呟いた彼の職業は庭師だったのを思い出す。


 ユアは催促されないのをいいことに、答えを放置したまま空いた時間で庭造りを手伝うようになった。

 アイデクセと命を繋げた王子もいつの間にか側で土を耕し、細かに指導を受け花壇を整備し始めたが、人間は闇の中で全てが見える訳ではないので大した役には立てていない。

 それでも一緒に作業するのは楽しくて、隣で土に汚れたレイトールも同じように楽しんでいるように見えた。


 二人の後姿を見て、戦が終わって世界が平和になったのだなと感じる。

 そうなるとアイデクセはこの先どう生きていくのが彼のためになるのだろう。

 この世界に繋ぎ止められたせいで、ここで生きていくしかない彼は、レイトールと同じ時を歩む人生をどのように過ごすのか。

 強く向かうところ敵なしだとしても、土いじりに熱中する穏やかなアイデクセが軍部に所属して時を潰すのは想像できない。


「お爺さん。アイデクセさんとレイトール様の二人から、三人で結婚しようって乞われているの」


 夫婦というものは二人で一つだ。それが三人……レイトールとアイデクセは命が繋がったせいで少しばかり常識と異なるのかもしれないが、腑に落ちず答えも出せないユアは祖父に相談した。

 こういった経験は初めてであると同時に、このような話ができる友人を持っていなかったからだ。


 ウィスタリアは一夫一妻制で、世継ぎの問題のある王ですら重婚は認められていない。なので跡継ぎを必要とする者は妻との間に子ができないと愛人をもつこともあるが、あくまでも夫や妻は一人きりだ。

 特殊な状態のうえ、初めての経験に戸惑い相談すれば、祖父はそれはそれは深い溜息を吐き出し感慨深げに遠い目をする。


「そうだな……アイデクセは強いだけでなく穏やかで心も優しい。殿下の立場は微妙だが、王太子が王位につけばそれも落ち着くだろう。儂はどちらでもいい、お前の望むままになさい」


 いつになく気弱な祖父の様子にユアは瞳を瞬かせる。

 ユアが二人に求婚される少し前、理由はわからないがロアークがアイデクセを魔法で攻撃したことがあった。

 アイデクセの鱗は刃物や打撃だけではなく魔法の攻撃にもびくともしなかった様子。それがロアークの矜持を傷つけでもして気落ちしているのだろうか。


 父と母が結婚するときは猛反対し、騎士であった父を容赦なく半殺しにしたという話を聞いていただけに、もしかしたら叱られるかもしれないと案じていたが取り越し苦労だったようだ。

 そうなると全てはユア次第。

 さて、自分はどうしたいのだろうかと首を傾けた。


 アイデクセの場合、見た目は何処からどう見ても人ではないが、多くの者が厭うように嫌いではなかった。

 何よりも光沢のある鱗は綺麗で、この世にただ一人という貴重な存在だ。

 特出した物がない身としては、この世界で唯一の存在であるアイデクセに求婚されて、正直にいうと嬉しい反面、実感がない。


 祖父と暮らして家のことを切り盛りし、同年代の友人がいる訳でもなく、当然異性に交際を申し込まれた過去すらないのだ。

 交際をすっ飛ばして初めての求婚が、特別な存在であるアイデクセであるから驚きである。彼は人を傷つける冗談を言わないので揶揄われている訳でもないだろう。


 どうして自分なのか。

 近しい場所にいる異性だとしても、自分に魅力を感じないユアにとっては不思議でならなかった。

 アイデクセの種族は美醜を問わないのかもしれないが、レイトールにも求婚されている状態が更にユアを混乱に導く。


 政略結婚をしたくないのならユアでなくてもいいのだ。レイトールの周囲にはお似合いの相応しい女性がわんさかいるではないか。

酔うと少しばかり変になり憧れの存在とは言えなくなるかもしれないが、それを知らない女性がほとんどなのだから、彼が求婚すればそれこそ頷かないはずがないのにとユアは思っていた。


 アイデクセだってそうだ。ユアは何も持っていない。祖父や母のように魔法使いにはなれなかったのに、彼はユアに何を求めるのだろうと真剣に考える。


 熱さには強いが寒さに弱く、しっかりと着込んだアイデクセの背中が何とはなしに可愛らしと感じるユアは、自分が世間の娘たちとは少しばかり異なっているとは露ほども思っていなかった。

 同年代の友人を持てなかった弊害だ。ユアは今回の求婚には何か別の思惑があると結論付け、企んでいるならレイトールだなと思い問いかけた。


「お二人に妻にと望まれる理由がよくわかりません。何かしらの思惑や裏がある方が納得できます。役に立てるならいいように使って下さってもかまわないんです。だから正直に教えてくれませんか」


 レイトールが望むべきは、いかにウィスタリアの為になるかという政略的な婚姻だ。それを我儘で拒絶している状態は、王子である身としては許されるべき事柄ではない。

 我儘が許されるほどの貢献をしているとしても、ならば余計に政略結婚を選ばないレイトールには違和感を感じる。

 政略なら結婚相手もアイデクセの同行も許すしかないだろう。

 結婚する当事者はともかく、政略の相手となる婚家はアイデクセを手の内に入れられて喜ぶかもしれない。ただその様な相手をレイトールが選ばないのだけはユアにも分かっているのだが。


「アイデクセと繋がる前の私ならば、ユアでなくどこぞの姫君を迎えるべきだろうな」


 それが王子として生まれた定めと理解している。そう告げながらレイトールは「だが」と続けた。


「だがアイデクセはそうではない。権力のために利用されるようなことには巻き込みたくないんだ。あいつを受け入れられる娘はお前意外に知らないし、アイデクセ自身もお前を特別に感じているとなれば、最善が何かなどすぐに答えが出た」

「それではレイトール様は、アイデクセさんの為だけにわたしと結婚しようとしているんですか?」

「勿論それだけではないさ。半分はそうだが、もう半分は私自身がユアを好ましく感じているからだ。でなければお前がロアークの孫娘であっても共に酒など飲めるものか。それにお前の父は私にとって剣の師匠でもある。恩ある師の娘を幸せにするのも万民受けして良いのではないか?」


 レイトールに剣の指導をしたのはユアの父親だ。先の戦いで命を落とした師の娘を妻に迎えるのも一見良い話のようだが、それはユアがレイトールに釣り合う地位や身分を持っていてこそ。現実には王子と庶民の娘の結婚を国民が喜ぶ訳がないのだ。これは後付のように冗談っぽく付け加えられた事柄に過ぎない。


 しかし実際にレイトールがアイデクセと離れられないというのもある。それならば心を許せる女性を妻にと望むのは自然なことだろうと、レイトールは端正な顔を緩やかに微笑ませた。


 レイトールはユアを好ましく思っているが、何が何でもユアでなければならない訳ではないのだ。

 二人が命を繋げているせいで感情が引き込まれているのだとしたら、引き込んでいるアイデクセはどれ程のものユアに感じてくれているのだろうか。


「アイデクセさんは、姿形の違うわたしなんかと夫婦になりたいと本気で思っているのでしょうか」

「だから求婚したんだろう。まぁ提案したのは私からだがな。側で触れたいと望みながら、傷つけるのが怖いとやりきれない感情を抱えているようだが、意外にも欲望に忠実なようで黙っていられなかったらしい。白くて柔らかいものに憧れがあるようで、蒸かした饅頭まんじゅうと女の……人肌の違いを聞かれたこともあったか。他は自分で聞いてみろ、あいつ自身の心をな」

「お二人は命だけではなく、人生も繋がっているということなんですね」


 二人とも好きだが恋愛感情はなかった。けれどユアだってこのまま独り身というのも寂しい。それに向けられる想いが本当なら嬉しいとすら感じる。

 一人は異界の生まれでもう一人は自国の王子様。

 本当にいいのだろうかと背の高いレイトールを見上げると、微笑んだままで言葉を促すように首を傾けた。


「なんの取り柄もないわたしがレイトール様を独占したら、嫉妬で殺されてしまうかもしれません」


 祖父や亡き母のようにとはいかないまでも、少しでも魔法が使えていたなら自信が持てたかもしれない。

 けれどユアには本当に何もないのだ。

 偉大な魔法使いとして王家に仕えたロアークの孫娘。本当にこれだけでレイトールやアイデクセと知り合い、様々な恩恵にあずかっているようなものである。

 祖父の持つ肩書がなければ適齢期を迎えただけの普通の女で、若さだってあっという間に失われてしまう。ぞっとして身をさするとレイトールが喉の奥で笑った。


「お前がいなければ私は仮面をかぶり続け、窮屈な思いをしていただろうな」

「何事も前向きなんですね」

「そうでなければやって行けない部分もある。特にアイデクセには。身勝手に連れてきたうえに帰してやれないのだから、少しでも居心地の良い場所にしてやりたい」


 アイデクセにとって敵国アシュケードの人間を殺すのと、自分を誘拐したウィスタリアの人間を殺すのはどちらをとっても変わらないはずだ。

 それなのにアイデクセはウィスタリアに付いてアシュケードの軍と戦い血を流した。

 あれだけの力があれば恨みをはらすことなど容易かろうに、言葉を理解できるようになったせいで身近なレイトールに情を抱いてしまったのだ。その後に知った命の繋がりという弊害は自死の選択すらアイデクセから奪い去った。


 レイトールとの話を終えて暗闇に包まれる殺風景な庭に出ると、冬の初めから花壇を整備し始めたアイデクセが、分厚いコートに毛皮の首巻で防寒し、膝を折って背を丸めていた。

 相変わらず太く長い尻尾が地面に投げ出されている。

 頭上に目があるので帽子は邪魔になるのかもしれないが、尻尾に問題なければそちらだけでも追加で防寒できるようにしてあげた方がいいだろうか。

 手足のように使っている節もあるので頭部同様に服を着せると邪魔だろうかと考えていると、巨体がのそりと立ち上がり、鱗に覆われた大きな手をユアの前へと出してきた。

 ゆるく開かれた手の中をランプで照らすと動かない蜥蜴がころんと乗っている。


「知らずに土を掘ってしまった」

「冬眠中ですね。土に戻せばいいのではないでしょうか」


 背中に青い筋のある何処にでもいる蜥蜴が、ぴくりともせずにアイデクセの掌に包まれている。土の中にいたのをアイデクセが掘り返してしまったのだとわかり、元に戻せばいいと教えるが、アイデクセは首を横に振った。


「腹を潰した。もう死んでいる。俺が殺したんだ」


 ユアの掌でも包めるほどの大きさの蜥蜴は、爪の先でころんと引っ繰り返され薄茶色の腹を見せた。柔らかな腹が不自然にへこんで中心には裂傷がある。


「これは……蜥蜴だよな」


 アイデクセの世界に蜥蜴はいないらしく、ウィスタリアに来て呼ばれるようになって初めて実物を見たらしかった。

 土の中にいたと気が付かずに爪で傷つけ殺してしまったのだと、項垂れるアイデクセをユアは見上げる。まさか自分と重ねているのだろうか。


「アイデクセさんは寒いから眠いってことはありませんよね?」

「ああ。寒さには弱いが眠たい訳じゃない」


 突然なんだというように僅かに首を傾げたアイデクセの手から、ユアは死んだ蜥蜴をそっと受け取り花壇の脇に穴を掘って埋めた。


「アイデクセさんは蜥蜴じゃないですよ。立って歩いて人の言葉も解るし……確かに見た目は違うけど、どちらかというと人間です。蜥蜴アイデクセと呼ばれているからって蜥蜴とかげに同族意識を持ったりしないで下さいね」


 一応ではあるが埋葬の形を取り土をかぶせ掘り返さないよう注意を促せば、アイデクセは無言で深く頷いた。


 アイデクセという呼び名は見た目のせいでそう呼ばれ、いつの間にか定着したのだ。

 アイデクセ自身は蜥蜴という意味で呼ばれることに嫌悪感はなく、他の名を与えられても今更だろう。

 けれど下等生物として揶揄う節があるのも確かで、ユアはアイデクセという言葉が蜥蜴とは別の、もっと強い意味合いのある言葉に変化してくれたらいいのにと願っていた。

 酷いことをした人間たちに報復しないアイデクセと関わっていると、ユアは自分たちがとても罪深いもののように感じて目を合わせられなくなる時がある。

 特にこうして心優しい一面を見せられると、かつて目にした惨殺の光景すら幻であったかのように感じるのだ。


 結局ユアは蜥蜴と王子の求婚に返事をすることができずに寒い冬を過ごす。そしてこの冬の終わり、ユアが嫁に行くまでは死なないと言っていたロアークが静かに息を引き取った。

 





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