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その25 尻尾はとらないから



 来客を迎えた家の主であるグラハムは、失禁した幼い孫娘と、つい先日顔合わせをした家政婦の女性を目に止める。後ろに立ち塞がる巨大な黒い影に怯んだが、その巨大な壁と化したものが何かを理解すると、驚き慌てて駆け寄って来た。


「これはこれは、あなたは英雄殿ではありませんか。いったいどのようなご用で」


 驚き怯えて動けなくなっているプリシラの頭を撫でたグラハムは、アイデクセの様子を窺うように下から覗き込んだ。


「おはようございます、グラハムさん。初めての場所というのもあって、その、夫が――」

「ああ成程。そうですね、大切な奥方が見知らぬ家に出入りするというのは不安なものです。私はこの子(プリシラ)を着替えさせてきますからどうぞ、英雄殿もご一緒に奥でお待ちください」


 真っ白な白髪のグラハムは目を細め皺を深くしながらプリシラを抱き上げると、「なんてことだ」と悪い意味ではない驚きを漏らしながら奥へと姿を消した。

 アイデクセは家の主の姿を認め、なる程と一人納得して入室は遠慮する。


「俺がいると迷惑になりそうだ。あの娘の為にも引き上げるとしよう」

「レイトール様は許してくれるでしょうか?」


 アイデクセがレイトールの為に同行したのは分かっている。一目見ただけで引き下がってしまってはアイデクセが文句を言われてしまうのではと不安になるユアに、アイデクセは大丈夫だと頷いた。


「それよりあの娘が心配だな。心に傷を負っていなければいいが」


 怖がられることには慣れているので少しも傷ついていない。今のアイデクセにはユアとレイトールがいれば他からの評価などどうでもいいのだ。

 それでも可哀想なことをした自覚があるだけに心配に思うが、更に心配に思うのはユアが辞めさせられないかということだった。しかしそれもグラハムの様子からしてないような気がする。


 ユアは醜い蜥蜴の生贄にされた存在として噂されていたが、アイデクセを夫として紹介したユアの様子に雇い主であるグラハムも噂は噂と納得したのだろう。

 アイデクセを蜥蜴ではなく英雄と媚びずに口にした初老の男は肝が据わっているようだ。

 それにユアから夫と紹介されとても嬉しかった。

 口づけをされたのもあるが、更に言葉にされると結びつきが強くなったのだと実感する。

 レイトールとは籍を入れて正式な夫婦となっているが、アイデクセとは式を挙げてから正式な夫婦として始まるのだと思っていた。けれどユアはアイデクセを夫と言ってくれたのだ。

 嬉しくて鼻先を妻の赤茶色の髪に摺り寄せると、帰宅の時間に合わせて迎えに来るからと言い置いて来た道を戻って行った。

 

 着替えたプリシラは祖父であるグラハムの後ろに隠れるようにやって来た。

 部屋の中をきょろきょろ見回してアイデクセの姿がないと知り、恐る恐るグラハムの後ろから出てくる。

 彼女の父親はプリシラが母親の腹の中にいた時にアシュケードとの戦いで命を落とし、母親もプリシラを生んだ後の産褥熱で死んでしまっていた。

 生まれたプリシラは母方の祖父母の手によって育てられたが、祖母もつい先日他界して今は祖父のグラハムと孫娘のプリシラの二人で生活しているのだ。

 そんな二人にユアは自分を重ねてしまう。

 両親の二人共を戦いで亡くし祖父に育てられた。違うのはユアが両親の深い愛情を知っているのに対して、プリシラは父親と母親の愛情を受ける機会がなかったということだ。しかもプリシラの父親は、妻が我が子を妊娠していると知る前に戦場に向かい、そのまま命を落としている。


「えいゆう様は?」

  

 着替える間に諭されたのだろう。いないことに安心しただろうに、それでも残念そうな声が落胆の色を伝えている。


「英雄様の名前はアイデクセというの。彼にもお仕事があるからもう行っちゃった」

「また来るかな?」

「わたしが帰る時間になったら迎えに来てくれる約束をしたの。だからその時に来るよ」

 

 腰を落として視線を同じ高さにして伝えると、プリシラは祖父に助言を求めるように振り返った。

 グラハムが柔らかな皺を深くして微笑むと、ぎゅっと唇を噛んだプリシラが決意したかに宣言する。


「国を守ってくれてありがとうございますって、お礼はその時に言うことにするね!」

「ありがとうプリシラ。アイデクセさんも喜ぶわ」

「喜ぶの? 噛みつくんじゃなくて?」

「こんなに可愛い女の子にアイデクセさんが噛みつくわけがないわ。強いけど、それ以上に優しい人なのよ」


 可愛いと言われて嬉しかったのか、薄い茶色の瞳を輝かせると上目遣いでユアを凝視する。その瞳に恐れや恐怖はなく、ユアは子供特有の細く柔らかなプリシラの髪をなでてやった。きちんと櫛が当てられていないせいで後頭部はくしゃくしゃになっているが、プリシラはまるで気にしていないようだ。


「おねぇちゃんも噛まれたことないの?」

「ないよ。優しくしてもらったことしかない」

「プリシラね、蜥蜴に噛まれたことあるよ。そのあと踏んだら尻尾がとれちゃった!」

「アイデクセさんは蜥蜴じゃないわ。弱い子の味方。噛んだりしないよ。だから尻尾を踏んで取ったりしないであげてね?」

「わかった、踏まない。でも、踏んだらとれちゃうのかな?」

「どうだろうねぇ」


 話をしているとプリシラが失禁した床を片付けたグラハムが戻って来た。掃除などはユアの仕事なのに申し訳ないと頭を下げるとグラハムは穏やかに微笑む。


「プリシラが楽しそうで良かった。妻を亡くしてから落ち込んでばかりだったからね。前にも言ったけどあなたに頼みたいのは家のことよりもプリシラのことなんだ」

 

 グラハムも家事が得意な訳ではないが、最優先は祖母を亡くして落ち込んでいた孫娘の心の方だった。歳を重ねた女性よりも若い家政婦を望んだのは、祖母を思い出して悲しい気持ちにさせたくないからだ。

 ユアはグラハムの想いを受け取り、プリシラの為にも遊ぶだけではなく、一緒に家事をしながら色々なことを覚えてもらうつもりでいた。

 けれどそれがいつまで続けられるか、頑なに反対したレイトールを思い出すと悲しい気持ちになる。次の人が見つかれば早々に辞めることになるかもしれないのだ。

 出来るなら自分に似た境遇のプリシラに構いたい思いが強くなっているだけに、とても残念なことだった。


 鍛冶師であるグラハムは仕事場に籠る。

 鉄を打つ音を聞きながらプリシラの勉強を見てやり、一緒に掃除や洗濯をした。もともと祖母の手伝いをしていたようで子供なりに頑張ってできることを誇らしげに主張している。

 とても上手だと誉めてやると嬉しそうにしている様がとても可愛らしかった。

 そしていつか自分にも子供が出来るだろうかと想像して、そうなればと望む気持ちがあるのに暗い気持ちにもなる。

 

 もし子供が生まれたとしたらとても幸せだろう。子供にとっては親が三人いることになるが、それは大した問題ではない。

 けれどユアは子を生むよりも先にアイデクセと命を繋げたいと思っていて、それはレイトールも同じであると思っているのだ。

 三人で同じ時を生きて同じように死んでいく。深い繋がりを持てることに安心と喜びを感じるが、もし万一にも何かあった時、その時に子供がいたら子は親を三人同時に失ってしまう可能性に思い至ってしまったのだ。


 ユアは天涯孤独で親も祖父母もいない。アイデクセは異世界の出身なので当然で、レイトールに至っては王家の人間だ。残された子の将来がどうなるのかまでを考える必要があると、妊娠している訳でもないのについ考えを巡らせてしまう。


「ユア?」

 

 パンの焼け具合はどうかと竈を覗いていたのに意識が飛んでいた。どうしたのとプリシラの大きな目が問い、ユアは何でもないと首を振る。


「いい感じで焼けてるわ。プリシラはグラハムさんにもうすぐお昼ご飯だって言ってきてくれる?」

「わかった!」


 元気に返事をして踵を返したプリシラの髪はユアが梳かして子供らしく編み込まれていた。

 ユアは竈からパンを出し、肉や野菜を添えてテーブルに並べていく。それらを仕事の手を止めやって来たグラハムを交え三人で食した。

 それから片づけをして夜ご飯の支度を済ませればユアの仕事はお終いだ。

 予定時間通りにやるべきことを終えたユアがプリシラと遊びながらアイデクセの迎えを待っていると、これも時間通りに扉が叩かれた。


「はーい!」


 元気に返事をしたプリシラが扉の閂を外す。朝の出来事など忘れたのか、それとも恐怖心が無くなったのか。

 失禁して言葉をなくして震えていたのに子供の順応力はすごいと感心しながら後に続くと、開いた扉の向こうにはアイデクセではなくレイトールが佇んでいた。


「レイトール様?」

「王子様だっ!」


 レイトールを見上げるプリシラの雰囲気がきらきらしたものに包まれる。

 見目良く若い女性に人気の容姿は幼い子供にも有効なようで、急いでユアの後ろに隠れたプリシラだったが、顔を覗かせると頬を染めて爛々と輝く瞳をレイトールに向けていた。


「アイデクセに己の目で見て来いと言われてな。代わりに迎えに来た」

「それは……どうもありがとうございます」


 二日酔いが覚めていないのかいるのか分からないが、機嫌は良くなさそうだ。

 それでも雇い主やプリシラの前で剣呑な雰囲気になるわけにはいかないし、心配して迎えに来てくれたというのは分かっているので視線を反らしながらも頷いた。


「仕事は終わったのだろう?」

「御主人に挨拶してきますのでちょっと待ってくれますか?」

「ああ、構わない」


 レイトールは答えながらユアのスカートに纏わり付く娘に視線を落とした。

随分と懐いているようで、ユアの手も子供の頭に触れている。

 母親を亡くして寂しい所に優しい年上の娘が現れたら懐くのも当然か。情が湧いて頻繁に世話を焼きたいと言い出したらどうしようかとレイトールの心は騒いだ。


 娘と一緒に奥へ引っ込んだユアを待っていると、一目散という慌てようでやって来たのは初老の男だった。髪はすっかり白くなり顔には深い皺が刻まれているが、体の作りはがっちりしている。

 そこでレイトールははっとした。

 年齢のわりにがっしりしている姿は現役の鍛冶師だ。昨夜ユアは何と言ったか。

 鍛冶師をして小さな子供がいる――その子供と鍛冶師の関係を詳しく説明された記憶はない。というか、それ以上の話を受け付けなかったのはいったい誰だと、二日酔いとは異なる眩暈と頭痛がレイトールを襲った。


「まさか殿下がおいでになるとは思っておらず……英雄殿がいらしたときに気付くべきでした」


 自国の王子を前にして恐縮しつくし頭を下げる男に、駆けて来た小さな娘が突進する勢いのまま後ろから飛びついた。たたらを踏んだ男は娘を小さく叱ると、再びレイトールに向き直って深く深く何度も頭を下げる。


「私やアイデクセの伴侶が家政婦をしているなど普通なら誰も想像しないことだ。お前のせいではない、顔を上げてくれ」

 

 よくわからないがレイトールから剣が取れたようでユアはほっとした。

 昨夜のまま騒がれるのは幼いプリシラもいるので止めてほしかったが、己の感情を抑えて対応する王子として培ってきた経験は健在なようだ。


 安堵の息を漏らしたユアの様子にレイトールは、乱れた感情を治める意味で早々にグラハムの家を後にすることにした。


 二日酔いで愚痴を垂れるレイトールに、アイデクセは自分でみて来いと役目を譲ってくれた。

 いったいどんな男がユアの奉仕を受けているのかと想像し、怒り心頭に扉を叩けば、愛らしい小さな女の子が元気よく迎えてくれ出鼻をくじかれる。そしてその後に姿を見せたのは女の子の父親ではなく祖父だ。

 匂いで分かるというアイデクセの言葉が脳裏をかすめた。さすがのアイデクセも匂いで年齢までは分からないが、女を性的な対象としない香りを掴んでいたに違いない。

 レイトールは嫉妬のあまりそんなアイデクセの助言をはねつけ、考えることを止めて決めつけてしまっていたのだ。


「アイデクセさんは明日くる?」


 帰り際、プリシラがユアのスカートを引っ張った。

 祖父との約束を気にしているのだろうが、アイデクセに対する恐れはまるでなく、時折レイトールに視線を送りながら恥ずかしそうに頬を染めていた。

 ユアはレイトールの前なので答えに困るが、代わりにレイトールが膝を折ってプリシラに視線を合わせると、ユアのスカートを握りしめていた小さな手を取って優しく口を寄せ、蕩ける様な微笑みをプリシラに向けた。


「明日は無理だが、その次の日に。アイデクセがここまでユアを送ってくるから、その時に会えるだろう」

 

 それでいいかとレイトールが訊ねれば、プリシラは確認するようにグラハムを仰ぎ見た。祖父が頷くとプリシラは嬉しそうに声を上げる。


「ありがとうって言うんだよ。尻尾を取ったりしないから、ありがとうっていうの。それでいいよ!」

「そうか。アイデクセも喜ぶよ」


 レイトールはプリシラの頭を一撫でして立ち上がると、恐縮しているグラハムに身分は気にするなとの意味を込め一つ頷いた。

 アイデクセは戻った時に子供を怯えさせたと沈んでいたが、この様子からすると問題ないようだ。それよりも尻尾を取らないからありがとうとは何だろうかと首を捻った。


 





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