その21 逃げないで
ロアークが居を構えた周辺には子育てを終え、ある程度年齢を重ねた人たちが多く生活している。
新参者には警戒心を持つ彼らではあるが、ウィスタリア一番の魔法使いかつご近所さんであるロアークへの信頼は厚く、両親を亡くして祖父に預けられたユアを可愛がり、また案じてもいた。
幼い頃から知る、最後に一人だけ残されたユアを心配する気持ちもあったのだろう。
祖父を亡くした若い娘が一人で住まう家に、男が二人も転がり込んだことを心配して、アイデクセは強い警戒の視線を向けられることが常だった。
英雄と称えられても姿形は化け物である。アイデクセへの視線は痛い。
それでも自国の第二王子であるレイトールが見張りについていることと、何より異形の化け物に対する恐れから、面と向かって酷い言葉を投げかけられることもなく日々を過ごしていた。
暫くすると若い娘に受け入れられている化け物が無害であると悟ってくれたのか、遠巻きながらも恐れ以外の視線を向けられることも増え、アイデクセは受け入れられ始めている雰囲気に心を温かくしていたものだ。
案外大丈夫と知ると、ある程度の年齢を重ねた夫人がアイデクセに興味を持って声をかけてくることが増えた。
その誰もがロアークを亡くしたユアを案じていて、強く雄々しいアイデクセの鱗を叩いては「ユアを頼むわね」と笑顔を向けてくれるようになった。
そんなある日、石が投げ込まれ窓が割れる出来事があった。
ユアの劣等感に苛まれた悲しい過去をさらけ出す出来事にアイデクセは腹を立てたが、人と異なる恐ろしい姿をした身で騒ぎ立ててもユアの立場が悪くなると分かっていたので、見てよく人気のあるレイトールに任せた。
割れたガラスを片付けていると建具屋の主が大きなガラスを抱えて現れ、茫然と立ち尽くしているのを見つける。
害がないと分かっていても化け物と二人きりになるのが怖かったのだろう。立ち尽くす建具屋の主を恐れさせないよう声をかけ、抱えたガラスを受け取り作業を始めたのが交流の始まりだった。
異形で力が強いが穏やかな気性のアイデクセは、時に老いてしわくちゃになった老婆の独り言とも問いかけともつかない会話に半日付き合うこともあった。隣に黙って座って相槌を打ち、強い日差しを体で遮る様に、やがて近所の人たちは心を開くとともに重宝され、瞬く間に受け入れられていったのだ。
ご近所さんに受け入れられたアイデクセが、便利屋と化している建具屋の主人に頼まれたのは、新たに家を建てる土地の整地の手伝いだ。
土地を均し始めたら大きな岩がぼこぼこと出てきたせいで作業がはかどらず、それならと手伝いに出ていた建具屋の主人がアイデクセを呼んだのである。
現れた異形の存在にアイデクセと交流を持たない者たちは一気に距離を取ったが、アイデクセを知る者たちは助かったと大喜びして期待の眼差しを向けた。
鋭い爪で硬い地面を掘り、埋まった大岩を軽々と持ち上げ作業を進めていくと、アイデクセを恐れて距離を取っていた人間たちは徐々に違った視線を向け始める。
その瞬間が嬉しくて、岩を塀に再利用するというので丁度良い大きさに割るのも手伝ってから家路についた。
簡単に別れを済ませると、アイデクセの好物が饅頭であると思っている夫人らから大量の白い饅頭を差し入れされ、快く受け取り愛する者たちが待つ住処に戻ったのだ。
饅頭は好きだが食べるのが好きな訳ではない。白くて柔らかくて半球状のそれに憧れ、眺めるのが好きなのだ。
手触りを楽しむこともあるが、ユアの前では遠慮している。その様を事情を知るレイトールに笑われるが、手触りを楽しんだ後にはちゃんと口に押し込んで頂いていた。
蒸かしたての温かい饅頭に頬ずりしたくなる気持ちを抑えながら歩いていると、鉄臭さが鼻腔をかすめ飛ぶように走った。家に戻ってみれば庭に血だまりを見つけ、いつかの光景が蘇り血の気が引いた。
「レイトールっ!」
声を上げ匂いを追い室内に踏み込むと、床に蹲る姿が目に飛び込む。駆け寄ったアイデクセはレイトールの腹から血が流れているのに気づいた。
「いったい何があった!?」
肩を掴んで揺らしそうになるのを我慢して乗せるにとどめると、レイトールは薄く目を開いて青い瞳を覗かせた。
「ユアを、頼む。恐らくロアークの所だろう」
レイトールの言葉にアイデクセは、ユアが死んだのだと言われた気がして一瞬だけ全身に緊張が走った。けれどすぐに墓だと理解する。
行く場所などない、縋る相手などレイトールとアイデクセの他に一人としていないのだ。
アイデクセが不在にしている間にレイトールとユアの間で何かあったのだろう、それでユアは家を飛び出したに違いない。けれどレイトールが腹から血を流しているのはどうしてなのかと考え、すぐにナハトの言葉を思い出す。
「ナハトに魔法を解かせたのか?」
ユアを思い出すために傷が開くのを承知で魔法を解かせたのかと驚いた。そんなことをユアが許すわけがないと分かっていたが、大事な人間が酷い怪我の状態であるせいでアイデクセの思考がまとまらない。そもそもナハトが魔法を解いたのなら、傷が開いたレイトールを放置していなくなるわけがないのだ。動揺したアイデクセの様子にレイトールは喉の奥で笑った。
「ああ、そうか。彼女のことを思い出したから魔法が解けてこうなったのだな。なるほど。ユアを傷つけ続けた罰だろう。もしかしたら黄泉の国からロアークがやったのかも知れないな」
見方によってはロアークの死を利用して結婚の許しも得ずに乗り込んだようなものだが、大事な孫娘を守ってくれる存在をロアークが傷つけるはずがない。
「ユアの所に行ってくれ、守ってやらなければいけなかったのだ。なのに私はユアをまたもや傷つけた。アイデクセ、頼むからユアを――」
「分かった、分かったから喋るな。すぐに医者を呼ぶから耐えろ」
「私は良いからユアを頼む」
「いい訳ないだろう、俺にとってユアもお前も同じくらいに大事なんだ!」
襲われたのでないなら血を流しているレイトールを優先する。人は脆いと知っているアイデクセは抱え上げようとして思いとどまり、抱えたままになっていた饅頭の袋をその場において二階に駆け上がると、寝室から布団や枕を引っ掴んできた。それを床に敷いてレイトールを寝かせ動かないように固定する。
腹の様子をみれば血は止まっていているようだった。どうやら魔法が解けても時間の経過が考慮されるのか、当時の傷のまま再発するという訳ではないようだ。
「医者とナハトを呼んでくるからな、それまでちゃんと生きていろ!」
意識をなくしてしまいそうなレイトールの耳元で、大声で叫んで家を飛び出した。
音がしないのに土埃を上げて走るアイデクセの様子に周囲は何事かと驚くが気にもしない。何時かと同じように城に向かうとナハトの匂いを辿り、問答無用で担いで攫った。抱えて走りながら状況を説明する。
「意識があるうちに、急いでください!」
医者も攫いたかったがナハトの言葉に従い来た道を突き進む。土埃だらけになって戻ってくるとレイトールの意識は保たれていた。ナハトがすかさず診察にあたってくれたので、アイデクセはほっと安堵の息を吐き出した。
「時間の経過のせいでしょうか。奥まで傷が開いていますがあの時ほど酷くありません。それにしても強制的に魔法を無効化する力が殿下にあるとは知りませんでした」
「私とて知るか。だがそうだな、アイデクセとの繋がりを解いてもユアへの執着はかなりのものだったのだろう。ゴーウェン将軍にやられ、死ぬとなったあの時に強く願ったのは彼女のことだった。どうしても思い出せと、体が覚えていて鉄槌を下したのかもな」
ナハトも魔力が完全に戻っている状態ではない、それでも医者は必要ないと判断し治療を尽くした。
あるだけの魔力を立って歩けるだけの余力を残して治療に当て、不安そうに見守る巨大な蜥蜴に傷口に当てる布や包帯の準備をいいつけながら、レイトールの意識を落としてしまわないよう話を続ける。
「もしかしたらですが……ユアさんのことだけを忘れたのは、その事に強い念を持っている時に魔法を使ったからでしょうか。アイデクセと言葉を繋げた時に命が繋がってしまったのも、殿下はアイデクセを助けることばかりを考えていた。もちろん全ては私の魔法が未熟だったからですが。今回の件もそうだとしたら謝罪のしようがございません」
「忘れたのは私だ、ナハトのせいではない。アイデクセと命が繋がったのは、アイデクセにとっては理になる副産物だったといえるし、私としても楽しいものだった」
異界から召喚した生き物は言葉が通じないだけではなく、見るに堪えない姿をしていた。召喚の条件である人知を超えた力があっても、意思の疎通ができなければ自国を亡ぼすことにもなる。
ついにはその異形を使って公開処刑とし、国民の娯楽として与えることになってしまった。
当時のレイトールは召喚された化け物に知性を感じ、殺してはならないと強い使命感に追われナハトを引き込んで言葉を理解させたのだ。あの時もアイデクセのことばかりを強く思っていた。
「だからと言って忘れていい相手ではないな」
「殿下?」
「いや、何でもない」
レイトールは取り返しのつかないことをしてしまったと、乾いた血が張り付いた手で前髪をかき上げた。
そこにアイデクセが救急箱をいくつも抱えて戻ってくる。家にある分だけではなく近所にも出向いてかき集めてきたようだ。受け取ったナハトが傷口に当て布をして包帯を巻いて行く。
「傷口が開いてしまいますからしばらく動けませんよ。アイデクセ、殿下を寝室へ運んでください」
「分かった」
腕をレイトールの背と膝裏に差し込んで軽々と抱き上げた。いつもは肩に担ぐが薄布に包まれた水を運ぶよりも丁寧に、慎重に階を上がって三人で利用する寝台のある部屋に運び込んだ。
「ここは……」
「俺たちの寝室だ。思い出したのだから問題ないだろう?」
「そういう訳には……まぁいいか。それよりもアイデクセ、ユアを頼む」
「分かった、すぐに迎えに行く。だから死なずに待ってろよ、お前が死ねばユアも死ぬ」
人は脆いので心配は尽きないが、それでもナハトを信じてこの場を離れる。アイデクセに尽くしてくれたのがレイトールの命令だったとしても、彼は魔法使いとしてアイデクセを助けてくれた最初の人でもあるのだ。
レイトールとユアを一刻も早く引き合わせたくて僅かでも早くと気が急き向かえば、愛しい人の香りが漂い鼻腔をかすめ一気に安堵が押し寄せる。姿が見えた途端に「ユア!」と名を叫んでいた。
ユアが名を呼ばれて振り返ると、アイデクセが前に倒れ込むようにして膝をついた。
ロアークの墓の前に佇んでいたユアは驚いて小さな悲鳴を上げる。
「アイデクセさんっ!?」
「大丈夫だ、何でもない。お前の姿を見て安心し気が抜けただけだ」
「ごめんなさい、心配かけましたね。家にレイトール様がいませんでしたか?」
心に衝撃を受けて突発的に飛び出してしまった。そのせいでアイデクセに心配をかけたのだろう。レイトールが家にいないとなると、責任を感じて捜しにでてしまったのかも知れないと思い、安易な行動をとってしまったと、自分自身に呆れて落胆の溜息が漏れてしまう。
これでは更に嫌われてしまうと、痛む胸に手を添えた。
「レイトールは家にいる。だがその……とにかくすぐに戻ってくれ」
アイデクセに手首を取られて軽く引かれると、簡単に腕の中に囲われた。まるで空気でも抱くように左腕に乗せ、更に右腕で囲って慎重に走り出す。アイデクセの体に腕を回すと土埃だらけだ。見上げると鱗も埃だらけで艶を失っている。
「何かあったんですか?」
「レイトールの記憶が戻った」
「記憶って……」
唖然と呟いたユアだったが、反射的にアイデクセの体を押して腕から逃れるように体を捩った。その程度で大切な存在を取り落とすアイデクセではないが、ユアの拒絶を受け取って走るのをやめると、望む通り地面に下ろしてくれた。
「どうして、記憶って。そんな……」
記憶が戻ったのだとしたら、今現在のレイトールはいったい何を考えているのか。
ユアが逃げ出したのは過去を的確に指摘されたからだ。誰もがユアを否定するので傷ついたが、跳ね返すだけの強さがなかったのは他人のせいではない。
記憶を亡くしたレイトールが根暗という言葉で表現したように、もともとユアは内向的で人目を恐れ引き籠って生活していた。それが変わったのは祖父がアイデクセを迎え入れたからだ。
今のレイトールは、アイデクセと繋がっていた時の自分自身を覚えているはずだ。
根暗な魅力のない女に愛を囁いていたなんて事実をどのように受け止めるのか。怖くて顔を合わせられない。
真っ青になって言葉を失ったユアにアイデクセの手が伸びた。その腕につられるように見上げると、黄緑色に覆われた闇色の瞳孔がまっすぐにユアを見下ろす。
「ユアを傷つけたと、レイトールはとても後悔している」
「それはレイトール様が優しいから……」
偽りの感情に捕らわれていたと気付いても、ユアの過去を思い出して口にしてはいけない言葉だったと後悔しているのだろう。生まれたことを祝福されなかったことは仕方がないのだ。
世界に生きるほとんどの人間が現実的にものを見る。ウィスタリア一の魔法使いであるロアークの孫が、将来を期待されるままに進む魔法使いの腹から生まれた子が、僅かな魔力すら持っていないなんて思いもよらなかったのだから。
それでもユアは優しい人に守られ生きていた。多少の言葉で今更傷を負うような過去でもない。
それでも自分を忘れてしまったレイトールの言葉はユアの胸を貫いたのだ。これ程の衝撃を受けるなんて想像もしなかった。
そして今、レイトールはユアのことを思い出してしまったのだという。
彼は後悔しているだろう。過去と今回の失言を償う為にユアに笑顔を向けるに違いないのだ。何をどう選択するのが正しいのか導き出して、愛してもいないユアを受け入れてしまうに決まっている。
そんなことレイトールにして欲しくなかった、
「心がもらえないのなら、思い出してくれなくて良かったのに……」
後悔や償いでレイトールを束縛したくないのだ。
自分に王子様を射止める魅力がないのは言われなくても分かっている。だからずっと疑って、戸惑い、恐れて、いつでも逃げられるように気を付けていたのに。
思わず漏れた呟きにアイデクセが首を振った。そしてユアをこれまでにない力で抱きしめる。
「お前はレイトールを愛しているんだ。だったら逃げるんじゃなく、貪欲になって、鎖で縛り付けても逃がさないようにしろ。唯一なら心に従え。妻を忘れるなんて何事だと罵って良かったんだ」
ぎりっと細い体がきしむのにも気付かず、アイデクセはユアを抱きしめる腕に力を籠めた。
「俺はお前に触れるのが怖かった。見るだけで満足していたが、背中を押してくれたのはレイトールだ。一度触れたらもう手放せない。この世界では歪と非難の視線を浴びようが、俺はユアとレイトールの二人が欲しい。俺のせいで二人に非難の視線が向かうと分かっていても、今更手放すなんてできない。逃がしてやれないんだ」
ユアは黙ってされるがままアイデクセの言葉を聞いていた。アイデクセの鱗に覆われた腕の力が緩み、乱れたユアの赤茶色の髪をかき混ぜるように鋭い爪のある手を髪の中に忍ばせ鼻を摺り寄せる。アイデクセの硬い鼻が慈しむように髪に、頬に、そして白い肌に覆われたユアの鼻に摺り寄せられると、アイデクセは悲しそうに息を吐き出し再度ユアを胸に取り込む。
「言われたことに傷ついたのだろうが、レイトールも自分が言ってしまったことに傷ついている。今のレイトールは俺の影響などほんの僅かも受けていない。そもそもあいつはお前に嘘をつかないぞ。権力者として生まれ育ったせいか我儘な面もあるが、自分に正直に心のままに動くのは俺やユアの前だけだ。国王や、仲の良い兄の前でも見えない壁を築いている。その壁が壊れるのが俺とお前なんだ。レイトールが我儘を言って自分を曝け出せる相手は俺とお前だけなんだ。それなのにお前は逃げるのか?」
逃げるという言葉にユアは体を強張らせた。
幼い頃から心無い言葉を向けられ、気付いたら卑屈な人間に育っていた。それでも両親は愛してくれたし、その二人がいなくなった後はロアークがユアを守ってくれていた。
そのロアークもいなくなり、今はアイデクセが、レイトールがユアの側にいて、何者からも守ってくれようとしている。
けれどレイトール自身の心を曲げてまで束縛してはいけないのだ。怖気づくユアの肩をアイデクセが再び揺らした。
「命にかかわるなら尻尾を巻いて逃げてくれ。だが今は前に進んでくれないか。俺はお前もレイトールも失いたくない。お前はレイトールがいなくても生きていけるのか?」
違うだろうと必死に訴えるアイデクセの視線に捕まえられる。ユアははっと息を呑み込んだ。
「レイトール様に……何があったの?」
ユアが瞳を揺らした瞬間、アイデクセは問答無用でユアを抱え上げると迷わず地面を蹴った。




