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その18 治療



 アイデクセは姿を隠さず一気に城門を突破した。

 国の窮地に召喚された英雄だが、戦地でその恐ろしさを目の当たりにした者は多い。彼が温厚であると知っていても、戦場での原始的な戦い方は味方をも震え上がらせた。  自分が人々からどう見えるのかを理解しているアイデクセが、真っ昼間から堂々と、鬼気迫る勢いで城に突進するなど初めてのことだ。怯えた衛兵が思わず武器を向けてしまうのも当然のことである。


「レイトールが危ない、王太子なら事情を察する!」


 もとより交渉する間を惜しみ、アイデクセは覚えのあるただ一人を目指して突き進んだ。

 傷つけるのを恐れるのではなく、無駄を省くため人を避け壁を伝い、道を無視して最短を進む。知らぬうちに秘密通路にまで侵入し、出られなくなって石壁を破壊した。そうして辿り着いたのは国王の寝室だった。


 物音に気付いて入室してきた近衛に驚かれたのも束の間、彼らはアイデクセの禍々しい雰囲気を察して剣を抜き取り囲んだ。王は病床にあって、昼日向から寝台に臥している。その顔色は悪く、傍らには運の良いことに目的の魔法使いナハトの姿があった。


「レイトールが死にそうなんだ、こいつは借りていく」

「なっ……アイデクセっ!?」


 片腕に抱えられて声を上げたナハトは、硬い鱗を叩いて降ろせと訴えた。


「陛下は病に伏している。私は離れることを許されないのです。無理に奪うならレイトール殿下が責任を問われます。それだけではない、貴方を……」


 帰す研究も続けられなくなってしまうと、ナハトは周囲を気にしながらアイデクセの耳に向かって囁いた。

 どんな小さな音でも確実に拾えるアイデクセと、レイトールに命じられ秘密裏に帰還の研究を続けている魔法使い。二人の繋がりが知られれば王命により研究を禁止されるのは明らかだ。

 アイデクセを失うのは絶対的な戦力を失うことと同じ。現在得ているウィスタリアの平和はなくなり、民を危険に曝すことになってしまう。しかしナハトの訴えにアイデクセは吠えるように答えた。


「俺は生涯をこの地で生きる、だがそれもレイトールあっての賜物だ。邪魔するなら国王であろうと容赦しない。魔法使いは連れて行くぞ!」


 それは宣言でもあった。

 アイデクセはユアに恋をしてから自世界への未練を失っている。確かに同族は恋しいが、この世界にはそれ以上に大切にしたい存在が二人もいるのだ。

 もとの世界に親兄弟は存在したが、恋人や伴侶、まして子供がいたわけではない。家族の結びつきもゆるかった。

 力が強く頑丈な種族故に、幼少期の育児が済めばあとは放り出され自活し、そのまま親に会わずに一生を過ごす者も少なくない。

 薄情といえばそうだが、特に大切なものを得たらそれだけに集中するのがアイデクセ達の特徴でもある。

 もとの世界でアイデクセが執着していたのは庭作りで、誰も成したことのないような薔薇の庭園を作り上げるのが夢でもあった。

 それは此方の世界でも叶えることができる夢だが、ユアとレイトールは此方の世界だけに望むことができる希有な存在である。アイデクセの執着は既にこちらの世界にあった。


 ウィスタリア隋一の魔法使いとなったナハトが化け物に抱えられて攫われて行く。成人男性がまるで子供のようだ。それを止められる者はこの世に存在しないことを病床にある王は理解しており、黙って見送った。


 剣を向けても、鋼をも凌ぐ鱗で傷をつけるのがやっとだろう。蜥蜴と呼ばれる化け物がすっかりレイトールに懐いてしまった状況を王は不快に思っていたものの、今となってはどうしようもない。言葉の通じなかったあれを処分すると決めたのは王なのだ。それに逆らって互いの命を繋げたのは二番目の王子。王は選択を誤ったのである。

 王は後を追おうとする近衛らを引き留め首を振った。


「よいのだ、レイトールは化け物にくれてやる。それよりも状況を説明できる者をよこせ」


 レイトールは何があろうと生かしておかなければならない。アイデクセの命も有限だが、今すぐに失われてはいけない命だ。ウィスタリアの国力を安定させて国を成り立たせるには、まだまだ蜥蜴の恐怖は必要だった。

 二人の命が切り離された事実を知らない王は残り少ない命となった我が身を寝台に沈めた。


 王にとってレイトールはあくまでも二番目の王子で、王太子の予備という存在でしかなかった。王太子が無事に王位を継ぐまでの保険であり、また国を円滑に治めるための道具でもある。

 だからこそ召喚してしまった化物に肩入れしたレイトールに全てを預けたというのもあるのだ。化物に食われようと正式な王位継承者は傷つきはしないし、上手く行けばウィスタリアを繁栄に導く兵器ともなる。

 レイトールの性格から蜥蜴を使って王位を望むようなことにならないのも分かっていた。

 しかし放置した弊害により、レイトールは王に期待されていないのを良いことに、自分勝手に動いて国民の支持を得てしまった。更に王位を継ぐ王太子よりも優秀と噂される始末だ。


 故にレイトールは王にとって不快な存在となってしまってもいたが、兄弟仲は良いようなので今後の扱いは王太子次第となるだろう。

 レイトールは純粋で綺麗事が好きな性格をしている。ただそれが災いし、属国としたアシュケードの王女と婚姻の話を進める過程で、一般人の娘と夫婦になるという不始末を犯してしまった。王族としてそれはとても許しがたい出来事だった。

 しかもその娘は王に盾突いた魔法使い(ロアーク)の孫娘である。はらわたが煮えくり返り病が悪化したせいで恨みはその孫娘にも向いたが、ウィスタリアの将来の為に始末する選択は今の所出来ていない。

 何しろその娘は蜥蜴の情婦でもあるというのだから驚きだ。

 人と蜥蜴で如何様に交わるのか興味がわくが、種族の違いから子は望めないだろうと考えている。それでも万が一にも子が宿るなら、その子供に蜥蜴の能力が遺伝しウィスタリアの飛躍に一役買ってくれればとも願っていた。


 そのような訳で、王の心配はレイトールの命よりも、その命が失われるせいで利用価値の高いアイデクセまでもを失うことのほうが重要な事柄なのだ。

 それは自分の体調を管理していた、急変にも対応できる魔法使いを手放し、レイトールの元に向かわせても仕方がないと思えるほどに。

 王は正当な王位継承第一位にある王太子に何があっても位を譲りたいと願っている。民に愛され慕われる己の息子に嫉妬していたのかもしれないが、愛されるだけでは国は成り立たないのだ。


 ナハトを攫い片腕に抱くアイデクセは往来を突き進む。何事かと驚く人々は道を開けてアイデクセの進行を妨げないが、アイデクセは急くあまり道を無視して真っ直ぐにアシュケードを目指した。

 尻尾で地面を叩き、成人男性の倍の高さに築かれた塀を容易く跳躍する。人間一人を抱えたまま着地したアイデクセは、ナハトを宝物のように扱い衝撃から身を守ってやりながら突き進んだ。

 レイトールの命を繋ぎ止めるのに必要な、とても大切な魔法使いだ。傷一つつけてはならないと全力で進みながら心は焦る。


 そんなアイデクセをナハトは冷静に観察していた。

 初めは落とされないよう必死にしがみついているばかりだったが、硬い鱗に覆われた強靭な腕がしっかりと回され、それだけでなく振動を極力感じないよう気を遣われている状態に気付いてからは、自分以外に意識を向ける余裕ができていたのだ。


「故郷に帰れなくてもいいとは。アイデクセ、あなたにとって殿下はよほど大切な存在なのですね」 

 

 魔法使いとしての地位にしがみ付き王に仕える手前、表立っては交流をもつのを避けていても見ていれば分かる。

恐ろしい力を持った化け物は心を開いた人間にはとても優しく誠実で、自分の考えを曲げても相手に沿った行動をとるのだ。

 言葉を繋げる魔法の副作用で命が繋がれてしまったレイトールだが、アイデクセからすれば自分を攫った国の王子である。恨みを持っても不思議でないのに、手が付けられないアイデクセの為に尽力してくれたことに深く感謝して、人殺しに力を貸す羽目になった。

 一度心を開いた相手を裏切ることがないことをナハトは知っている。異形の存在に抱えられている今のナハトは、他の者たちのように恐れや不安は抱かない。


「蜥蜴と蔑んで悪かったと思っています。後悔してもしきれない」


 何も知らない者たちのように厭っていた訳ではなかったが、召喚された異形の姿に眉を寄せたのは事実だ。

 レイトールから話を聞くことはあっても、研究にばかり没頭するナハトはアイデクセという個人の心内をじっくり考えたことはない。

 鱗に覆われた表情は変わらないが、仕草一つでアイデクセの焦りが伝わっていた。レイトールを思い、心から案じる姿は、権力者の中で生活するナハトでは触れる機会の少ないものだ。


「別に気にしてはいない、俺の世界には蜥蜴という生き物はいなかったからな。確かに蔑んだり恐れられているのは分かるが、蜥蜴と呼ばれることに嫌悪感はないんだ。あれほど小さく愛らしい物に例えられて照れる気持ちのほうが強いというのもある。俺は元の世界では、どこにでも居る戦闘能力のない弱く醜い存在だった。お前達が俺の見た目に感じるのとそれほど変わらない」


 アイデクセが生まれ育った世界では何処にでもいるごく普通の一般市民で、特出した点などまるでない、力が強いわけでもないただの一人でしかなかったのだ。特権階級でもない労働者。柔らかに咲く花弁に憧れる庭師だ。


「俺の世界には戦士と呼ばれる能力を持った者たちがいる。彼らは皆のあこがれの存在だ。翼を持ち飛ぶことも叶うし、額には立派な角も生えている。また僅かながら白く弱いものが生まれるが、彼らは遥かに遠く手の届かない幻の様な存在だ」


 弱く白に近い色を纏うものはアイデクセ達にとって手の届かない憧れの存在。その点からすればこの世界はアイデクセにとって美しいものばかりの楽園だ。同時に己の醜さを痛感させられる場所でもある。

 そんな中で得た存在を何よりも大切にするのは種族特有のものかもしれない。一度心を開けばけして裏切らないし、己の意に反しても尽くしきる。

 もしレイトールが世界を望むなら、アイデクセは心情に反してレイトールの為に動いて沢山の命を摘み取るだろうし、ユアが望むなら世界征服に挑みもするだろう。

 もとの世界では非力であっても、この世界では唯一の超人的な力を持っている。馬よりも速く駆け、翼がなくても壁を飛び越える力も持っている。

 この世界にある武器では鱗を貫くことも出来ない。目も耳も野生動物のように鋭く鼻も効くのだ、本気になれば恐怖で世界を支配できるだろう。


 二昼夜かけ再び戻った場所には顔色を無くしたユアが待っていた。

 げっそりと痩せて目の下は色濃くなっているが、時間を惜しんで再び尻尾で窓を破り侵入してきたアイデクセに駆け寄る。アイデクセが抱えるナハトをみつけると緑の瞳に希望を宿した。


「ああ殿下、これはあまりにも酷い――」


 色を無くしたレイトールに意識はない。まるで死人のようだがかろうじて生きていた。

 ナハトは唖然と呟き傷の状態を確認しながら、魔法を展開し手当てを施していく。

 その間ユアはアイデクセにしがみ付き、アイデクセも縋るユアを支えながら祈る気持ちで見守っていた。その少し後ろではサヴァドが難しい表情で様子を窺う。


 ウィスタリアは魔法の国であるが、アイデクセを召喚するために優秀な八人の魔法使いを失っていた。それだけではなく、事実上最も強い力を持っていたロアークは世を去り、本来なら魔法使いの最高位に存在するには力不足のナハトがその地位にある。

 ナハトは優秀な師と兄弟子たちの実力を理解しているので己の力に悲観的だが、決して使えない魔法使いではない。

 召喚の儀に呼ばれなかったのは経験が足りなかったということもあるが、何よりも当時は若かったからだろう。ロアークの弟子として選ばれるだけの実力はある。それでも兄弟子や師であるロアークよりも劣るのは確かなのだ。彼らは特出した魔法使いで、ナハトにはそれが当たり前の世界だった。

 死の淵にあるレイトールを呼び戻せる自信はなかった。けれどできるのはナハトだけだ。怖くて浮足立つ。これでは失敗すると心を沈めた。自分がやるしかないのは分かっていた。全ての力を失ってもいいと、ナハトは懸命に魔法を施しレイトールの手当てに集中する。


 それはとても長い時間を必要とした。

 三日三晩かけ傷の手当てを続けたが、レイトールは度々高熱を出して命の危険に曝される。集中して治療に専念したナハトの魔力も潰え、レイトールの傍らで気絶したのをアイデクセが受け止めた。


 後はレイトール次第と再び呼ばれた医師が診察し、サヴァドはあらゆる伝手を使って必要な薬を手に入れ、ユアは何もできない我が身を呪いながら懸命にレイトールの手を握って声をかけ続ける。

 その傍らでアイデクセはユアの肩を抱き、もう一つの逞しい腕はそっとレイトールの体に触れ、戻ってくるように無言で語り掛けていた。

 あまりにもか弱い命に懸命に願い、再び瞳を覗かせてくれと、生きてさえいてくれたなら見知らぬ世界に一人きりの孤独に苛まれ、狂ってもいいと祈り続けた。


 賢明な治療と願いが届いたのか、治療を始めて十日が過ぎた早朝。レイトールの金の睫毛が揺れたのにユアが気付いた。


「レイトール様?」


 呼びかけると瞼が震え、やがてゆっくりと開かれると、碧眼が覗いてユアの姿を映していた。


「レイトール様、レイトール様っ……」


 手を握りしめて名を呼ぶことしかできない。

 傍らのアイデクセも声を出すことができず、鋭い爪をぎゅっと握り込んで熱い感情を喉に詰まらせていた。


「レイトール様」


 涙を零すユアがレイトールの手を握りしめたまま額に摺り寄せる。

 言いたいことは沢山あった。

 助けてくれたこと、心配したこと。そして謝りたい。けれど何よりも再び戻って来て目を開けてくれたことに感謝の気持ちが込み上げる。


 手を握り嗚咽を漏らすユアをぼんやり見つめていたレイトールだったが、幾度か瞬きを繰り返した後にするりと手を引いた。

 引き抜かれた手を追うようにユアの手が伸びたが、それを拒絶するかにレイトールの碧眼が鋭く光った。


「お前は……ロアークの孫娘だな。私は其方に気安く触れることを許してはいないはずだが?」


 馴れ馴れしくするなと拒絶する権力者の視線がユアを突き刺す。

 レイトールの拒絶にユアだけでなく、アイデクセも驚き目を見開いて息を止めた。






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