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その14 泥酔



 娼婦が集う館が夜の賑わいを見せる。艶めく声や人々の話し声があちらこちらで上がっていたが、特別に設えられた上客を招く部屋には届かない。

 閉め切られた室内では今夜も二人の男女が向かい合って心の通わぬ話を続けていた。


「今夜で最後か。君は本当に明日から娼婦として働くつもりかい?」


 グラスに注がれた琥珀色の液体を転がすサヴァドの視線が、一度も使われない天蓋付きの寝台へと向けられる。

 ユアが極度の緊張や不安から浮足立っていたのは事実だが、流石に四日目となると、やるならやればいいと自棄に近い状態になっていた。

 けれどサヴァドはよほどアイデクセが怖いのか、それとも本当に伝手を頼みたくて大金を叩いたのか。真意は未だ不明だったが、ただの一度も、指先すらユアに触れてはいない。

 最初の夜を除いてこの三日、サヴァドはひたすら自分についてや世間について話したり、ユアの生い立ちについて質問したりして時間を使うばかりだ。

 同情を誘うつもりなのか、三人いる息子の中で長男が出兵し、ウィスタリア軍の誰かに殺されたことを聞かされた。アイデクセの仕業だとは言われなかったが、彼の息子は戦地で焼かれて骨すら戻っていないらしい。


「わたしの両親は二人ともアシュケードとの戦いで命を落としています」


 戦争で家族を失ったのはサヴァドだけでない。ユアだって同じだと告げれば、サヴァドは「私も戦争は反対だ」と金鉱を持つ金持ちらしい見解で持論を語っていた。


 アシュケードは軍事国家だがそれを支える為には多くの資金が必要になる。サヴァドは領主と国に対して多額の税金を納めていたので、幾つもの金鉱を所有していると言っても大富豪というまでではなかった。

 それがウィスタリアが勝利し領主の権限が無くなって支払う税が減ると、まるで湯水が湧くように利益がたまる一方だという。


「お陰で儲けさせてもらっているよ。戦争をするには金が要るが、ウィスタリアは保守的な国だ。このまま属国としてやって行けるなら我々商売を営む者たちとしては有り難い限りだよ」

「だったら領主様になる必要なんてないんじゃないですか。儲けたお金で亡くした息子さんを弔いながら、贅沢に遊んで暮していけばいいんですよ」

「私も事業主として多くの雇用を抱えている身なのでね。初めは穴に潜って鶴嘴つるはしたがねを使い、自らの手で採掘する所から始めた。ここまで事業を大きくしたのだから、簡単に捨てる訳にはいかないのだよ」


 平和になれば金の流通経路を広げることができると、サヴァドは事業拡大に余念がない。そんな話を聞きながらユアも酒を嗜み、酔い始めると我が身が置かれた状況に悪態をつくこともあった。


「そもそもなんでわたしが攫われなきゃいけないのよ。アイデクセさんはまた自分のせいだって落ち込むわ。まったく将軍だかなんだか知らないけど何てことしてくれるのかしら。本当にこの世界はアイデクセさんが悲しむようなことばかりで嫌になる」

「アシュケードは奪うことで国力を保ってきた国だ。だが建国当初からの隣国であるウィスタリアにだけは手出しをしなかった。魔法という不確かな現象を恐れたままでいたなら、我が国は今も威厳に満ちた軍事国家として存在していたのだろうね」


 特に合わせている訳でなく、重い税に不満を持っていたサヴァドは相槌を打ちながらユアの不満に同意する。ついでにユアの為にと持ち込んだ、ほんのりと赤く色のついた甘くて飲みやすい酒の入った瓶を差し出されると、ユアも遠慮なくグラスに酒を受けた。

 本来なら娼婦のユアがサヴァドの隣に座って酌をするべきなのだが立場が逆転している。それをあえて許しているサヴァドに気付かず、ユアはグラスに口をつけ、乾いた喉を潤すとさらに口を開いた。


「本当にそう。アシュケードさえ進攻してこなければ、アイデクセさんは召喚されずに自分の世界で生きていられたのに。あの将軍だって腕を無くさずに済んだのよ。サヴァドさん意外といいこと言うんですね。でも信用はしませんよ。アイデクセさんやレイトール様にこれ以上の迷惑はかけられませんから」


 酒に酔いほんのりと赤く染まる肌に潤んだ瞳。酔ったせいで饒舌かつ子供っぽくなったユアに、サヴァドは小さく笑いを漏らした。


「蜥蜴の心理など理解しようがないが、普通の男なら愛する女性に頼られるのはとても嬉しいことなのだがね。それでこれ以上とは、これまでにどんな迷惑を?」


 どんな迷惑をかけているのかと問われ、ユアは首を捻りながらグラスに口をつけた。

 いつもいつも気を使ってもらっているのを心苦しく感じているが、とんでもないことをしでかして呆れさせ尻拭いをさせている訳でもない。


「そう言われるとよくわかりません。ただ一緒にいてくれるので、行動の制限をかけてしまっている……訳でもないのかな? でもアイデクセさんも出歩くような人じゃないし。う〜ん、どうなんでしょう。ああでも、レイトール様には迷惑をかけていますね」

「一国の王子に君が迷惑を。それはすごいな、ぜひ聞きたい」


 アイデクセの見張りとして常に寄り添う王子のことはサヴァドも知っていた。だからこそ蜥蜴の生贄として与えられた女であるユアに近付いたのだ。


 話をすれば生贄ではなく蜥蜴と心を通わせているというのはよく分かったので、生贄というのは誤解だと分かったが、これまでレイトールとの関係は話されなかった。

 蜥蜴の為に王子が庶民の家に入り込んでいるのだ。

 どんなことでもいいから事細かく知りたいと、これから繋がりを持ちたいと願っているレイトールの話題にサヴァドの体が前のめりになる。


「レイトール様は政略結婚できないんです、アイデクセさんとくっついちゃってるから。まぁレイトール様自身が恋愛結婚に憧れているからいいのかもしれませんけど。でもやっぱりアイデクセさんとくっついちゃってるから恋愛結婚も難しいんです。そのせいでこんな一般庶民の、引きこもりで取り柄もないわたしなんかと結婚しちゃう羽目になっちゃってるんですよ」


 一国の王子様がなんてことだろうと嘆くユアに反し、驚いて声をなくしたサヴァドの動きが止まり静寂が訪れる。だがやがてゆっくりとサヴァドは前のめりになっていた身を起こすと、悟られないよう注意深く息を吐き出した。


「へぇ、そうなのかい? 一国の王子が平民女性と結婚。それは初耳だな」


 絶対に有り得ない話だが、事実なら大変なことと、サヴァドは確実な情報を得るためにじっとユアを見据えるた。


「こんな夢みたいなことわたしが言ったって誰も信じませんよ。そもそもわたし自身に魅力なんてないのは分かっていますし。レイトール様ならアシュケードの王女様と結婚しても上手く立ち回れたと思うんですけどね。まぁアイデクセさんと繋がっているからってのもありますけど、それだけでわたしを選ぶのもおかしいですよね。もしかしてレイトール様、いつも水とお酒間違えて口にして常に酔っぱらっているんじゃないかしら」


 そこでユアはグラスに口を付けたが中身が空になっていた。気付いたサヴァドがそつなく、しかし急いで注ぐ。ユアは何の疑問も抱かずに、ごく自然に酌を受けた。


「王子との結婚のことは軽々しく口にしない方がいい。全て事実ならとても危険なことだよ」


 ユアとは今夜で最後となる。明日以降も買いたいが、既に他の客に買われることが決まっていた。

 出来るならこの出回っていない事実は自分だけが知っておきたい。世間に知られたらユアには更なる付加価値がつけられ、いくら金を積んでも身分のないサヴァドでは接触できなくなる可能性があった。

 サヴァドは国の為ではなく己の営利のために動いているので、事業が上手くいくなら自国の存続に大きな拘りはないのだ。


「こんな夢みたいな話は誰も信じませんから大丈夫です。それにしてもこのお酒、すごく美味しいですね。とっても飲み易くて、女性向けでしょうか」

「金鉱の他にも商売していてね。これはうちから出している酒だよ。気に入ってくれてありがとう。ところでユア、君は蜥蜴の女ではなかったのかい?」

蜥蜴とかげじゃなくてアイデクセさんの妻になるんです」


 ユアは酒を一気に呷った。するとすかさずサヴァドが注いでくれる。ここでようやく気付いたユアは、お返しにとサヴァドのグラスに酒を注ぎ返す。

 しかしこれまで彼が飲んでいた琥珀色ではなく、ユアに注がれていたのと同じ酒瓶を取ったので、彼のグラスの中身は妙な色合いになってしまった。けれどサヴァドは気にせずにほんの少しだけ口を付ける。


「蜥蜴の妻になるのに王子と結婚というのはどうしてかな?」


 ウィスタリアだけではなくアシュケードでも一夫一妻制が常識だ。愛人を持つことがあっても婚姻届けを出し、正式に夫婦として認められるのは男女一組と決まっていたし、法律を変えない限り覆るようなことにはならない。


「レイトール様とアイデクセさんは離れられないんです。だから三人で結婚することにしたんですよ。レイトール様はこちら(アシュケード)の王女様と結婚しないために、アイデクセさんと別れなくていいように、急いでわたしとの婚姻届けを提出したんです。なので式はアイデクセさんと挙げるんです」


 どうやら書類上は一人のようだと納得したサヴァドは、交じった酒をまた一口含んだ。


「それをよくウィスタリア王がお許しになったね」

「許してないみたいですよ。レイトール様はしばらくお城に閉じ込められていましたし。わたしもよく分かっていませんね。けど寂しくて二人を利用しているのだけは確かです。だからこれ以上は迷惑かけたくない。そういう訳でサヴァドさんの役にも立てません。こんなに美味しいお酒を御馳走してもらったのに申し訳ないです」

 

 再びなみなみに注がれた酒をまたもや一気に呷ったユアは長椅子の背に首を預け瞼を落とした。投げ出された手からは空になったグラスがころんと転がり、徐に腕を伸ばしたサヴァドが拾ってテーブルに置く。

 酔って饒舌になったのを機に情報を聞き出そうとして飲ませすぎたかと思ったが、心地よく眠っているようなので大丈夫そうだ。

 取りあえず露出の多い衣装なだけに、サヴァドは寝台から掛布を引っ張るとユアの首元から体全体を隠すようにかけてやった。目のやり場に困るのもあるが、風邪をひかせては更に困るからだ。

 ユアは自身を過小評価しているが、間違いなく重要人物だ。理由があるにしても人ではない化け物を恐れず信頼し、夫にしようなどと思える若い娘がいること事態稀である。


「驚いたな、王子の妻とは。公表されていないし許されているとは思えないが、蜥蜴の存在があるから生きていられたのだろう」


 そうでなければ王子を惑わす存在として闇に葬られていてもおかしくない。実際には狙われていて、蜥蜴や王子に守られているからこそ生きていられるのかもしれないが、王子の正式な妻として届が出されているのだとしたら本当に驚くばかりだ。

 夢物語なら有り得る身分違いの婚姻だ。現実には好いた相手がいるなら愛人にするのが常識であり、本当にユアと王子が書類上の夫婦となっているのだとしたら、他国に知らればいい笑いの種になり得る。


「こちらとしては蜥蜴を通り越し、王子と直接つながっているとは好都合だが……君にはいったいどんな魅力があるのだろうね。残念ながらただ人の私には見当もつかない」


 アシュケードの王女が成人し、ウィスタリアの第二王子との結婚話が持ち上がって本格的に取り込まれる状態となった。

 反乱が起きると噂が広まり、また戦いが起きるのかとうんざりしていたが、王女と王子の婚姻話はいつの間にか立ち消えていた。

 定まらない未来に悠長ではいられないが、もう暫くは現状維持だろうと胸をなでおろしたものだ。それにこの娘が関わっていようとはまるで考え付かなかったと、サヴァドは色づく頬を弛め、心地よさそうに寝息を立てるユアをじっと見つめる。


「残念だな。明日以降も君を独占できればよかったのだが」


 サヴァド自身が国境を越えてレイトールに知らせるというのもあるが、それをすると裏切り者としてアシュケードでの居場所を失う危険がある。領主の地位は欲しいが命あっての物種だ、そこまでの危険は犯せない。次の客が馬鹿でなければいいと願うばかりだ。

 アシュケードには蜥蜴を恐れながらも恨む者は多く、戦で失った命と割り切れる人間はあまりにも少なかった。

 戦いを仕掛け続けた国としてそれはどうかとも思うが、理解できないとまではいかないので仕方がないとも思っている。



 酔っぱらって言いたいだけ言って眠ってしまったユアが目を覚ますと一人きりだった。

 かなりの量を飲んだように思うが頭はすっきりしている。すでに日は高く昇っており、部屋に戻ると新しい酒瓶がサヴァドより届けられていた。

 メリディナからは礼の手紙を書くように指示され、娼婦から手紙など貰っては困るのではなかろうかと考えながらも、お香の匂いがついた便箋を渡されたので言われた通りにお礼をしたためる。


「失礼なことしてないわよね?」


 レイトールとアイデクセの話をしたのは覚えているが、特に何を話したのかまで覚えていなかったし、サヴァドがいなくなったのにも気付けなかった。

 泥酔して客を見送りもしない娼婦失格の行動だ。メリディナからはちくりと注意されたがお咎めはない。今夜はゆっくり休んで新しく旦那を迎えるのは明日からだと教えられた。

 大人しく部屋に籠っていると、館が賑わう夕刻前にファミが姿を見せた。


「病気が治っちゃったからね、あたしも今日から客を取るの。いいねユアは、素敵な旦那様がついて。あの金鉱の旦那、次の予約をしたうえに身請けの申し入れまでしたんだってさ」

「身請けなんて知らないわ」

「入って早々なんて没落貴族の娘でもありえないよ。身請けは予約の入ってる上客を全部相手した後になるんだろうけど。ユアはいったいどれだけ金を生むんだろうね」


 相変わらずの無表情で零したファミの背を見送る。同じように攫われて売られてきたのにずるいと言われたような気持になった。


 この部屋にいると夜の喧騒がとどいてくる。今夜は休みで、また明日から新しい客の相手が始まるのだ。

 屈強な護衛は暇そうに扉の前に立っていて、ユアはすることもなくサヴァドから贈られた酒瓶を手に取った。

 連日飲んだくれるつもりはないが蓋を開けたくなる状況だ。ロアークが生きていて、それからレイトールとアイデクセが訪れるようになって、いつしか大人になって酒に付き合うようになったなと思い出すと頬を涙が伝った。


「戻りたい……」


 当時は幸せだとか感じたことはなかったが、こうなってしまい改めて振り返るととても幸せだったというのが分かる。

 母親は早くに、続いて父親も亡くしたが、優しい祖父がずっと側でユアを見守ってくれていた。

 行き場所のないアイデクセをレイトールが連れてきて興奮して、拒絶しないユアにアイデクセも心を開いてくれたのだろう。仲良くなって好きになってもらえ、憧れの王子様と結婚までして更にアイデクセの妻にもなれるのだ。

 魔法使いにはなれなかったが、自分がいかに恵まれていたのか今更ながらに思い知る。

 泣きながらいつの間にか眠っていたのだろう、肌寒さを覚えて目を覚ますと、酒瓶を抱えたまま床に蹲っていた。


 床に座ったまま痺れた足を延ばしたところで扉が開かれ、化粧をして着飾ったままのファミが姿を見せた。

 扉の向こうには横たわる護衛の背中がある。座り込んで眠ってしまったのだろうか。ぼんやりとその背中を見ていたら、ファミの後ろからもう一人、許しもなく男が部屋に入って来た。

 慌てて立ち上がろうとしたが痺れた足が言うことを聞かず床に尻もちをつく。


「瞼が腫れてるね、泣いてたんだ。泣くくらいなら身請けされとけばよかったのに」


 無表情のファミが薄暗い室内でユアを見下ろし、見知らぬ男がユアの前に膝を付いた。男はにたにたと気持ち悪く笑っている。不穏な雰囲気にユアが後ずさると腕を取られ、乱暴に引っ張られて寝台に放り投げられた。


「何するの!」

「この人、あたしの常連さん。蜥蜴の女に興味があるけど買えるご身分じゃないから、特別に案内してあげたの」


 伸し掛かる男の肩越しに、真っ赤に塗られた紅が弧を描くのが見えた。


 





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