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その10 娼館



 ゴーウェンは死にかけの女を黙って見下ろす。

 両手両足を拘束して狭い箱に閉じ込めていた。馬車での移動中暴れていたようだが、今はぴくりとも動かない。狭い場所に押し込めたまま、水も与えていなかったので脱水を起こして反応を無くしていた。


 勝手な理由で攫って囮にした娘は鍛えられた軍人ではない、何処にでもいる普通の娘だ。

 女を人質にするなど落ちたものだと己を嘲笑うも、ここまで来て引くつもりは一切ない。アシュケードを守るためには必要な犠牲と、意識のないユアの襟首をつかんで持ち上げた。


 子供向けの御伽噺から飛び出したような化け物。初めて目にしたときはさすがのゴーウェンも言葉がなかった。

 奇怪な雄叫びを上げ、抉るように地面を蹴り、屈強な騎士たちが見上げるほど巨大な化け物。数人の騎士を腕の一振りで薙ぎ払う様は、傲慢なアシュケードに神が制裁を加えていると叫ぶ者すら現れたほどだ。


 そんな中にあり、相手が力だけの化け物だと気付いたときには全てが遅すぎた。異形の形でアシュケードの軍人たちを驚かせ、意表を突かれた軍は態勢を壊してしまった。


 化け物の動きをみていると襲ってくる人間を手当たり次第に素手で投げ倒しており、掴まれた場所は血飛沫を上げ潰れている。その際化け物は一瞬動きを止めるのだ。まるで怯んだように。

 若くして将軍となったが決して経験が不足している訳ではない。ゴーウェンだけではなく副官も、経験の長い猛将ですら、この様な戦い方などまるで経験がなかったせいで気が付くのに遅れたのだ。蜥蜴が戦術など何も知らない形だけの素人だということに。


 破壊的な力と俊敏さで後れを取っても冷静ならあのような負け方だけはしなかった筈だ。ゴーウェンは間違いに気付いたが既に遅く、咄嗟に捕まれた腕が潰れ血を吹き出した。それでも恐れず剣を向けた。

 鎧に見えた黒いそれは化け物自身の皮膚だと分かったが貫くには至らず、折れた剣が空を舞うのを視界に捉えたのを最後に、頭部に強烈な痛みを覚えたゴーウェンは戦いの最中に意識を失ってしまう。

 張り手で殴られたお陰で頭が潰されるのは免れたが、頬骨だけでなく全身のあらゆる箇所を強打し骨折していた。

 ようやく動けるようになった時は敗戦から一年が過ぎており、四将軍と呼ばれた将はゴーウェンを残して皆があの蜥蜴に殺られてしまった後で、アシュケードはウィスタリアの属国となり果てていた。


 以来生き残った者としての役目と片腕であることなどを理由にせず、必死に立ち上がり体を鍛えウィスタリアからアシュケードを取り戻す機会を狙っていた。

 時が過ぎていくと戦の日々よりもこのままでいいという声も上がってくるが、将軍として軍を指揮し、国に命を捧げ戦場で散った者たちの為にもアシュケードを取り戻さねばならないと常に前に向かって進んでいた。

 戦争中には幼かった王女が成長し、ウィスタリアの王子を婿に迎えていよいよ国が完全に奪われるとなり反乱を計画したが、王女の婚姻はいつの間にか立ち消え、反乱に賛同した者たちも普通の生活に戻っていく。そんな中でゴーウェンだけは変わらず復讐の炎を燃やし続けていた。


 もとはアシュケードがウィスタリアに進攻したのが始まりだ。

 誇り高い戦士の国であったというのに、それが今や陰気な魔法使いを戦力とする国に従わされているのも我慢ならなかった。戦場で散れなかったのも多くの仲間たちに申し訳が立たない。

 今のゴーウェンが抱えている感情はただ一つ、あの蜥蜴に勝つことだ。

 その為なら罪のない娘の一人くらい犠牲にしてもいいと思えるほどに、漆黒の鱗に覆われた異形に心を奪われていた。


「戦に犠牲は付き物だ、たとえ女であろうとな」


 女には手を出さない。敵対する人間であってもそれがゴーウェンの心情だったはずなのに、いつから変わってしまったのだろう。

 過去に一度だけウィスタリアの魔法使いだった女を殺したことがあるが、その汚点も今となっては気にもならなかった。

 それでも蜥蜴をおびき出すために女を攫ったが、殺すに至れないのはアシュケード軍人としての誇りが残っているからだろうか。

 この女の切り裂き血を纏えば、鼻の効く蜥蜴は間違いなくゴーウェンを襲ってくるだろう。だが己の手中にあると情報を与えるだけでも十分と思える程度には冷静であるらしい。


 ゴーウェンは襟首をつかんで引き上げた娘の顔をじっと見つめる。意識のない娘はかろうじて息をしていたがまったく動かない。

 細くか弱い女によくぞあの蜥蜴の相手ができるものだとの考えが過るが、見かけはどうあろうとあの蜥蜴は素人だ。人知を超えた力と見かけながら、命を奪うことに躊躇するような存在。恐らくこの娘は蜥蜴の見かけではなく本質に触れているのだろう。見る目のある女と思うがそれだけだった。



 

 ***** 


 ユアは自分が硬い寝台に横たえられていると気付く。両手足の拘束は解かれていて疼く体を起こした。

 すっかり殺されるのだとばかり思っていたがどうやら生きているらしく、ぐるりと周囲を見渡すが人影はない。

 寝台の置かれた部屋は粗末ながら整えられ、大きく開いた窓からは心地よい風が入って来ていた。

 寝台の横にある台には水差しとコップが置かれていたので、異常な喉の渇きを覚えていたユアは何も考えずに水を呷る。ごくごくと喉が鳴り、信じられない量の水を飲み干してしまった。

 口元に零れた水を拭うと開け放たれたままの扉から人が入ってくる。上等ではないが身綺麗な身なりの、けれど首や耳や腕にはジャラジャラと音がするほど無駄に飾りがぶら下げた、ユアよりもずっと年上の、けれど中年に差し掛かる前辺りの派手な女性だ。


「あの、わたし……」

「ゴーウェンが連れてきたのよ、覚えてる?」

「ゴーウェン?」

「片腕の陽に焼けた大きな男」


 女の言葉にユアが体を硬くするが、女の方は意に介さず硬い寝台に腰を落ち着ける。彼女の体に染みついた香水の匂いがユアの鼻腔をくすぐった。


「メリディナよ。ここは娼館でわたしは女将。あなたはゴーウェンに売られてここにやって来た娼婦の卵さん」

「わたしが、売られた?」

「そうよ、蜥蜴の女だっていうから色付けて買ってあげたの。その代金も含めて衣食住全てがあなたの借金になるの。始めは受け入れられないだろうけどこれが現実。しっかり働いて頂戴ね。期待しているわ」


 紅の引かれた唇に弧を描き、妖艶にすらみえる微笑みをむけられる。ユアは自分が何を言われたのか分からなくて、メリディナの言葉を脳裏で幾度となく繰り返した。


「それであなた、お名前は?」

「あの、ユアといいます。わたし、売られたと言われても何のことなのかさっぱりで……」

「ウィスタリアとの戦争で男たちが激減したせいで、生きるために道端に立って違法に体を売る女が増えたのよ。それに比べたらあなたはとってもまし。メリディナの店は商品を大切に扱いますからね。だからあなたも、現実を受け入れて面倒をかけるようなことをしないで。蜥蜴に負けた男連中は気持ちのやり場がなくなっているの。あの蜥蜴の女だったと売り出せば客が押し寄せるわ。すぐに固定客もついて借金なんてあっという間に返せるわよ」


 ふふっと笑ったメリディナを前にユアは驚愕に体を強張らせる。あの男、ゴーウェンが言った未来がないとはこのような意味だったのだとようやく理解した。


 アシュケードは軍事の面において名を馳せた国だった。小さな小国であったのが大国となったのは向かうところ敵なしの、統率のとれた軍をもっていたからだ。武器を扱う一人一人の能力も高く、魔法があるせいでそれに頼り切っていたウィスタリアと異なり、常に上を目指して幾多もの国に戦いを仕掛けては領土を奪い拡大していた国。


 そのアシュケードが落としかけたウィスタリアにあっさりと敗れたのはアイデクセが現れたせいなのだ。

 たった一匹の二足歩行の蜥蜴に多くのアシュケード人が殺され、命を取られなかった者もゴーウェンのように手足のどれかを引きちぎられ戦闘不能に追い込まれた。


 人とは異なる戦い方を強靭な肉体と運動神経でやってのけたアイデクセに恐怖を抱いた。同時に多くのアシュケード人が恨みを持っていてもおかしな話ではない。

 生き残った男たちが蜥蜴の女と呼ばれる娼婦の存在を知ったらどうするだろう。皆が皆という訳ではないだろうが、珍しいもの見たさにやってくる輩もいるかもしれない。

 それだけではなくゴーウェンの思惑通り、アイデクセに恨みを持つ男が復讐の矛先をユアに向けるのだとしたら。その数はいったいどれほどになるのだろうか。

 男手を失い生きるために体を売る女たちがいる傍らで、ユアを高値で買ったメリディナは価値を理解しているのだ。

 蜥蜴の女に憎しみをぶつけてくるのか。または蜥蜴を相手にする物珍しさに寄ってくるのか。どちらにしても体を良いように弄ばれる未来だ。


「わ……わたしは、無理矢理つれてこられたの。あのゴーウェンって男に攫われたんです。それにわたしはお金も貰っていないし、娼婦になろうなんてこれっぽっちも思っていません」


 家にいた所を襲われて目が覚めたらここにいたのだと訴えるが、それがどうしたのかとでもいうようにメリディナは微笑んだ。

 

「いろんな理由はあるけど、望んで身売りしてくる女なんていないのよ。中には攫われて売られる女だっている。でもうちとしてはお金を払って合法に娼婦を手に入れてるんだから、あなたがここにやってきた理由なんて関係ないの。金銭での受け渡し、それが全てなのよ」


 よくあることなのだからとメリディナは、不条理がここでの常識なのだとユアを諭した。


「体を売る世界だけどそれほど悪い世界じゃない。たんまり稼いで借金さえ返せば、年季が明ける前に自由になれるわ。ただ逃げるなんて面倒なことだけはしないでね、商品に傷をつけるのは趣味ではないの。だから大人しく頑張って頂戴ね」


 館は高い壁に囲われて周囲は護衛の男たちが見張っているのだと、この世界に無知なユアにメリディナは丁寧に教えて聞かせた。

 護衛は商品である娼婦を傷つけないための頼もしい守りとなるが、娼婦を逃がさないための監視役でもある。もしも借金を残したまま逃げ出すようなことがあれば、折檻した後に片足の腱を切って走れなくするのだ。

 一人でも逃がしてしまうと他の娼婦に無駄な希望を与えてしまうので、何があろうと逃げた娼婦は執拗に追われ連れ戻される。

 どうしてもここから出たければ生活するだけで増える借金を体で返すしかない。体で男を陥落して、多額の金を払って身請けしてくれる馬鹿な男を見つけるのも手だろう。

 娼婦は顔でなく体で男を虜にするのだ。

 初めは素人っぽさで売り、手技を身に着けて娼婦としての価値を上げていく。そうすれば一晩に多くの客を取らずとも実入りは増える。


「そんなの……嫌だわ。勝手に連れて来られたのに理不尽です」

「そういったってね、うちとしては色付けてきっちり払って仕入れているんだから。何も無理に客を取る必要はないのよ。だけど借金は膨らんでどうしようもなくなってしまうわね。そうなると残念だけど、縛り付けてそういう趣向の客を楽しませて稼がせるか、粗悪品として場末の娼館に売り下げるしかなくなってしまうわ」


 困ったわねと言う割に微笑んでいるメリディナからはユアの抵抗を面白がっている節が窺える。娼館の女将からするとユアのように売られてくる娘は珍しくも何ともないのだ。


「ゴーウェンとの縁もあるけど、なによりもあなたが蜥蜴の女というのに惹かれたの。あの蜥蜴の相手をするのがどんな娘なのか興味が湧いたのよ。それに商売としてこれ程魅力的で素敵なものはないわ。ゴーウェンが連れてきたのだから蜥蜴の女というのも事実だろうし、あなたも否定しない。あの化け物に体を開く娘がいるなんてわくわくしちゃう。ぜひとも二人が睦み合う所を見てみたいけど、蜥蜴に殺されてしまうだろうから招くつもりはないわ」


 楽しそうに話すメリディナのせいで、ユアはアイデクセを蜥蜴の化け物と言われても怒りに支配される余裕がない。自分の未来が慰み者一択であると突きつけられたのだから当然でもある。


「いくら商品でも可哀想なことになるのは心が痛むの。だからあなたには納得して働いて欲しいのよ。蜥蜴に操を立てるのも分かるけど、一度やっちゃえば後は簡単。寝台に転がっていいようにされていればすぐに慣れちゃうんだからそれほど心配ないわ」


 メリディナはショックで固まったユアの背を優しくなでた。娼館の女将として大人しく従う商品には何処までも優しくなれる。その代わり裏切れば容赦はしないと言われているような気がした。


「ゴーウェンって人はどうしてこんなことを……わたし、殺された方が良かった。恨んでいるなら殺せばよかったのにどうして」

 

 保護してくれる両親がいて、祖父がいて。だから働く必要がなく体を売るなんて考えたこともなかった。必要に駆られて働くことになったとしても、生まれ育ったウィスタリアの都のどこかで、ユアにもできる普通の仕事を選んだだろう。

 なのに目が覚めればこんな所に売られていて体を差し出すのを強要される。拒めばもっと悪い条件の娼館へ転売されてしまうのだ。

 攫われて売られる娘の話なんてどこか遠い国の出来事のように思えていたが、まさか我が身に起きるなんて思いもしなかった。


「そんなこと言わないの。命は大事よ。それにゴーウェンはあなたを恨んでいる訳じゃない。恨んでいるのだとしたら自分自身をでしょうね」

「自分って、どうして?」

「ゴーウェンはアシュケードの将軍様だったのだもの。それが蜥蜴にあっさり負けて、一軍を失って悔しかったんでしょうね。多くの部下や友人を失って、なのに自分だけは死地から舞い戻ってしまって。わたしからすると生きてて良かっただけど、軍人の彼からするとそういうものじゃ済まないんでしょう。散るなら戦場ってところなのかしら。まぁその戦場も今はないのだけどね」

 

 最後は独り言のように呟いたメリディナは寝台から腰を上げるとユアの頬を一撫でした。


「さぁ、今日はゆっくり休んで英気を養って。あなたの戦場はこの寝台よ。明日からは客をとってもらうからそのつもりでいてね」

 

 アイデクセともレイトールとも切り離された世界。ゴーウェンの言う通り、ユアはこの世界に未来を見出すことなど出来る筈がない。優しく穏やかな雰囲気とは裏腹に、辛辣な現実を突きつける娼館の女将の背中を見送ったユアは、置かれた状況について行けず、崩れるように体を倒した。






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