紅き月の宴・中編
普段は静まり返っている中、数年に一度起こる唯一の大闘争。この日だけは、俺の箍も緩んでしまう。噎せ返るほどの血の臭いと森中に充満する殺意と敵意。これほど生きている事を実感する時はないと言える。
目の前にいるのはパンサーモンキーの群れ。なんでもパンサーとかいう速度だけで言えば、外の獣の中でも相当速い奴と同格らしい。そして猿特有の身軽さを利用して森中を動き回るという面倒な連中だ。普段の俺ならそんな連中の群れになんて頼まれても突っ込まないが……今はそんな思考はない。
この猿どもは相当な力を持っているが、それでもこの森の中で言えば下から数えた方が早い。即ち、それだけ弱いという事だ。そんな連中が1匹や2匹、いやたとえ30匹や40匹出ようが、そんな程度で今の俺を止められる筈がない。
一陣の風が吹く。たったそれだけで、半数以上の猿共の首が飛んだ。そして同時に残り半数はミンチにされたかのように潰された。文字通り、頭の天辺から足の爪先までプレスされ、そこには撒き散らされた血と陥没した地面に埋まる肉だけが残った。
それをした犯人は俺もその手法で殺そうとしてきた。もちろん、そんな技程度で殺されるほど俺は甘くもなければ優しくもない。迎撃するついでに攻撃した奴の腕をもぎ取る。俺はもぎ取った腕を捨てると、背後を振り返った。
そこにいたのは黒い皮の獅子の顔をした筋骨隆々の男。もぎ取られた腕の傷口を抑えながら、こちらを睨んでいた。腕を神経諸共引きちぎったのにショック死はおろか、気絶すらしていないその胆力は褒めてもいいだろう。
まぁ、今に限って言えば残念と言わざるを得ないが。寧ろ気絶した方が幸せだっただろう。なにせ、少なくとも俺には殺されずに済んだのだから。気絶でもしたのなら放っておいたのに、本当に運のない奴だ。
『貴様、何者だ?』
「うん?なんだ、喋れたのかお前。てっきり喋れないと思ってたぜ」
『そんな事はどうでも良い!貴様は何者なのか、と問うているのだ!』
「おかしな質問をするなぁ……そうか。あんた今年が初参加か。毎回新参者は参加してるし、あんたもその口だろう?この森で生きていて前回も参加したなら、俺が誰か分からない筈がないし」
『ええい、黙れ黙れ!貴様のような下等種族は黙ってこちらの言うことを聞いておれば良いのだ!』
「────ほざくなよ、弱小生物。今俺に腕をもがれたばかりの分際で随分とまあ、偉そうじゃないか」
この森では全員が平等だ。弱肉強食という太古から続くルールが遵守される。この世で最も太古から続くルールに従っている場所。だからこそ、誰が下等とか上等とかそんなくだらない括りはこの場所には存在しない。強い者こそが絶対、それだけが分かっていれば良いのだから。
「おぉ、いたいた。お前、こんな所にいたのかよ。もうちょっと分かりやすい所にいろよ。余計な時間を食うハメになっちまったじゃねえか」
そう言いながら現れたのは、目の前にいる奴と似たような風貌だが、こっちは金色だ。覇気というか、放たれている気配からして目の前にいる奴とはレベルが違う。それも桁違いに。これを比べるのはそれこそ猫と虎を比べるぐらい愚かだ。
「おっ、なんだよ。最初から全力モードじゃねえか。嬉しいね」
「……どっかで会った事あったっけ?」
「いんや、ないぜ。前回、俺が遠目に見ただけだが……お前は確実に強い。俺の周りの連中とは桁違いだ。お前とぶつかりあえるこの時を、俺は待ってたんだ」
戦いたい。どっちが上とか下とか、そんな事はどうでもいい。ただ己が全力を絞り出して、心ゆくまで戦いあいたい。自分の全力を目の前の相手にぶつけたい。そういう感情が伝わってくる。こういう相手は森にもそうはいない。誠実で、戦っていて清々しいと思えるタイプだ。
『貴様、後から出てきて勝手な事を抜かすな!』
「「うるさい/うるせえ」」
俺の抜き手が心臓を抉りだし、男の拳撃が肉体を消し飛ばす。あんな小物、端から眼中にない。俺はこの男が現れた瞬間から。そして男は最初から意識から外れていた。今の余計な言動がなければ、間違いなく生きていられただろうに……愚かな物だ。
「さて、それじゃあ始めようじゃねえか。この森にいる唯一の人間────漆黒の疾風よ」
「何回聞いても慣れないな、その呼び名。まぁ、やるのは良いとしてもせめて名前ぐらい教えてくれても良いんじゃないのか?」
「おっと、それもそうだな。俺はゲルド。ゴルディオン族のゲルドだ。よろしく頼むぜ」
「了解。それじゃあ────始めようか」
どっちが勝っても文句無しの生存競争を。男────ゲルドは拳を構え、俺は疾走を開始する。柄でもないが、おそらく俺たちが普通に出会っていたら普通に仲良くなっていただろう。だが、今はお互いに戦うしかないから────お互いの生命を奪いに行く。
身体に刻まれている刻印が紅い光を強めていく。この刻印が何であるのか、詳しい事は俺にも分からない。婆さんもよく分からないと言っていた。だが、言える事があるとするなら、これは相当強力な呪いか祝福だそうだ。
こうして俺の闘争心が強くなった時に現れ、俺を強化する。この森に生きる如何なる生物よりも脆弱な存在であるこの身を強化し、対等に戦えるようにしている。だからこそ、こうしてまともに戦う事ができる。その強化率は如何なる強化術式をも凌駕する。
「記憶────起動。十の三番」
掌底を撃ち込みつつ、掌に現れた魔導陣を起動させる。ワードで起動する術式であり、各番号によって発動する魔導式を変化させる。そして今回、掌底の中から放たれるのは視えざる風の砲撃。当たれば重傷は免れないだろう。そう、普通であれば。
「効かねえな!舐めてんじゃねえぞ、漆黒の疾風!こんな小手調べみたいな攻撃で、俺を斃せると思ってんのか!?」
だって言うのに、素の防御力で防ぎやがった。どんだけ硬いんだよ、こいつの身体というか耐久力高すぎだろう。だが、だからこそ燃える。拮抗した闘争こそ、確かな生を感じる。生の実感が、更に俺の精神を高揚させる。
だけど、まだ足りない。こんな物じゃ足りない。こんな物じゃ俺の飢えを満たすには足らないし、何より俺はまだ全力を出せていない。だから、もっと、もっともっともっと精強であれ。今の俺にも届き得ない更なる強者であれ。
「はっ、この程度で満足するのか?そうなら、お前の器も知れるってもんだなぁ!」
刻印を通して魔力が身体に染み渡る。そうする事によって筋力が強化され、まともにダメージを与えられるようになった。圧倒的な速度で攻撃を掻い潜りつつ、ダメージを与えていく。相手の攻撃を紙一重で回避し、打撃を放ち続ける。紙一重で避けているのに頬が裂け、身体中から血が流れていく。しかし、致命的な打撃はまだ一発として当たっていない。
「チマチマと……鬱陶しいんだよ!」
空気ごと俺を叩き潰すように、その剛腕を振るう。振り上げられた剛腕が、空気を引きずり下ろすように振り落とされる。その一撃は地面をすり鉢状に変えながら、空気の壁を叩きつけてくる。だが、そんな物は俺には届かない。邪魔な物があると言うのなら――――打ち砕くだけだ。
「砕け散れぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
魔力を籠めた拳、そして記憶しておいた魔導式を同時に駆動させる。空気の壁に魔力で強化され、同時に魔導によって属性を付けられた拳を叩きつける。その一撃によって、空気の壁を跡形もなく粉砕する。
「なっ……」
「動きを止めるなんて、余裕じゃないか」
「しまっ……」
正中線の中央にあり、一般的に人体の弱点を言われる場所――――鳩尾に思いっきり拳をぶつける。その拳の勢いのまま弾き飛ばされ、木にぶつかった。拳の威力と木にぶつかった衝撃で、肺の中に合った空気を強制的に出されたゲルドは倒れ込んだ。
「ハァ……ハァ……」
刻印の光が少しだけ薄れ、その分の疲労が襲ってきた。まだ戦闘に支障があるような物ではないが、幾らかは頭の片隅に置いた方が良いだろう。まぁ、どうせ戦闘が始まってしまえば忘れちまんだろうけど。しかし、これは明日辺り大変な事になってるだろうな。
「おい……待て。なんで、止めを刺さない!?」
「……刺す必要あるのか?ぶっちゃけあんた、もう今夜はまともに戦闘できないだろ。それにあんたに止めを刺す余裕があるなら、俺はメインディッシュに行きたいんだけど」
「メインディッシュ……だと?まさか……」
「まぁ、この森で暮らしていれば分かるよな。そう、多分あんたの予想通りだと思うぜ?」
「馬鹿な……お前、何に挑もうとしてるのかちゃんと分かってるのか?こう言うのはなんだが、あの御方だけはこの森の連中が総力を結集したとしても、絶対に勝てないだろう。そんな相手にたった一人で挑もうって言うのか!?」
「……つまらない事を訊くんだな」
「なに?」
「届くとか届かないとか、そんな事はどうでも良いんだよ。俺は高みに手を伸ばし続けていたい。今、この瞬間に俺は生きているんだという実感が欲しいんだ。あんたはそうじゃないんなら、そこで大人しくしてりゃあ良い。俺は行かせてもらう」
俺の欲している物を与えてくれるであろう者の所へ。この森に暮らしていながら、唯一この乱痴気騒ぎを好んでいない者の所へ。足を進めていく。否、進めようとした。しかし、その瞬間現れたモノは――――
ヴィントside out
ゾーネside
「なに、これ……」
ヴィントさんに訂正した魔法式を見てもらおうと思って家中を探し回って、でも見つけられなかった。だから、家の外にある庭にいるのかと思って外に出てみたら――――強烈な爆発音が響いてきた。
家の外、森ではもう戦闘と言うよりは戦争と言った方が良いような光景が広がっていた。ただ、戦争と言うほどには秩序だっても混沌と化してもいなかった。この辺りは自然の生存競争特有のものと言えるのだろうか?
ただ、お互いの命を求めて戦っている。人間のような欲がないからこそ、単純でされど凄烈な戦いが繰り広げられている。そして、この時になってようやく気付いた。これがあるからこそ、ヴィントさんは今日は家にいるように言ったんじゃないか?と。
空に浮かんでいるのは禍々しくも美しい紅い月。これまでの人生で一度も見た事がないその月は、この森の闘争の幕開けの合図だったのかもしれない。しかし、そう考えるとどうして今の今まで気付けなかったのか。
「って、それどころじゃない!ヴィントさんは……っ!?」
突如として現れた巨大な影。飛んできたとかそういう次元じゃなく、文字通り突然現れた巨大な影。その姿を確認しようとして――――できなかった。
私には目に映す資格すらない。いや、私だけじゃない。今の今まで絶えず響いていた戦いの音が、影の出現と共に止まった。この森にいる総ての生物が、影を恐れているかのように誰もが動けずにいた。ただ一人の例外を除いて。
唐突に響き渡る爆音。しかも、音の方角は影のいるであろう方角、というか影のいる場所だ。何回か連続爆発音が響き渡り、そして何かがこちらに向けて飛んできた。寸前で結界に阻まれ、ソレは地面に落ちた。
「…………ッ!ヴィントさん!」
血塗れで地面に倒れているのはヴィントさんだった。明らかに重傷で、今すぐに治療を施しても助かるか分からないような状況。それでも尚、私の身体は恐れを抱き動けずにいた。
私は勇気を振り絞って、身体を動かしてヴィントさんに近付いた。魔導陣を描き、これ以上の出血を止めようとする傍らで影に目を向けた。その影の正体は――――山の如きサイズの黒いドラゴンだった。
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