紅き月の宴・前編
武器とか鎧とかを持ち帰り、ひとまず血を落としておく。血を落とせば比較的ではあるが、臭いはマシになった。獣にとっては大差ないかもしれないが、少なくとも鼻が曲がるほど臭くはない。その後、ゾーネさんの魔導式を見た。
「……どうですか?」
「これは……懐かしいですね。本当にちょっと考えただけなんですか?」
これはどう考えてもちょっとやそっとでできるほど簡単な代物ではない。俺から見れば大したことはないが、それでもパッと思いつくほど簡単な代物ではない。俺も昔作った事がある物だったが、ここまでじゃなかったな。
「本を幾つか読んだりはしましたけど、何かの真似をして作った訳じゃないです。それより、どうですか?」
「ふむ……ここの数式が違いますね。ここから釣られるように計算がズレてきてます」
「えっ!?あ、本当だ。なるほど、ここが違ってたんですね。ヴィントさん、ありがとうございました」
「別にこれくらいは構いませんよ」
負担になんてなりようがないからな。魔導式に触れるというのはこの家で育つ以上、当たり前のことだ。しかも作ったことがある物なら、余計に困るようなことはない。それにしても、ゾーネさんって本当に才能があるかもしれないな。この短期間で作ったにしては、中々の出来だった。
「さて、俺も作業しておこうかな……」
唐突だが、魔導式を作るという行為はいつでもできる物だ。しかし、それを使うには事前に準備をしなければならない。一々式を魔導陣として描く余裕など普通はないからだ。だからこそ、事前に準備した術式を即座に使うための術式――――記憶の術式が生まれた。
記憶の術式に記録できる魔導陣の量は、術者の力量に左右される。俺だとざっと百程度で、婆さんは五百以上の術式を記憶する事ができた。それでも今日ばっかりは不安要素の一つだが、仕方がない。
俺としてはもっと技量を磨かないといけないと思う要因の一部。普段としては困らないんだが、今日みたいな日には困るんだよな。相手がどんな奴になるかも分からないしな……準備だけは整えておかないと。家中にある魔導式から利用できる術式を選択する。この家で術式を作り続けているのも、研究のためだけではなくこういう時のためでもあるのだ。
結局、術式を選ぶのに相当な時間がかかってしまった。記憶しきった頃には、もう既に日は沈んでしまっていた。空には紅い満月が空に煌々と輝いていた。どこまでも怪しく、黄色の満月とは異なりただ魔の気配を撒き散らしていた。
「ああ、やっぱりそうなったか。十中八九そうなんだろうとは思ってたけど、しかしやっぱり面倒くさい」
その輝きは明らかに常時とは異なっている。その月光がどういう状況になるのか、ここで暮らしていると分かる。事前準備を整えておかないと大変なことになるからな。置いてあるコートを身に纏い、外に出た。結界から出ると、明らかに昼とは気配が異なっている。そうしてしばらく歩いていると、爆発音というか戦闘音が響いてくる。
今日、この夜だけは巣穴というか家から遠くに出ない森の生き物が遠出する日。魔力の力を増大化させる月光のあるこの日、森の頂点を決めようとぶつかり合う。だからこそ、今はこの森では大勢の生き物同士がぶつかり合っている。
それはここに居る生物ならば参加しなければならない生存競争。昔、婆さんから俺も出るように言われて二度目だが……俺一人で出るのは初めてだな。その事実に俺は今、緊張と同時に――――興奮していた。
目元が赤く染まり、顔の表面に刻印が浮かび上がる。同時に放たれる気配に、森中の獣の動きが一瞬止まった。しかし、その事実に興奮している俺が気付く事はなく、ただ森を突き進むのだった。
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