歓迎すべからざる要請
目覚めると、朝になっていた。何を見たのかは分からないが、少なくとも身体の調子はかなり良い物になっていた。帰り支度を整え、俺は早速家に戻った。一度間違えて宿の方に行きそうになったが、何とか帰ることは出来た。
家に戻ると、清掃も既に終えられていた。そこら中に生えていた雑草の類も既に除去されており、一体どんな速度で作業すればここまでの事ができるんだ。そう思わずにはいられないほどに家が整えられていた。
「ヴィント様、お帰りなさいませ」
「あ、ああ……お前、いつ寝たんだ?」
外だけでもこれだけの仕事量だ。間違いなく、眠るのは遅かった筈だ。いや、むしろ徹夜しましたと言われた方がこちらも安心できる。確かに、有能な人材を欲してはいたがこれはちょっとヤバすぎるのではないか?
「月が頂点に昇る頃には休ませていただきましたが……それが如何なさいましたか?」
「いや、その……無理はしていないか?好きにしろとは言ったが、何も一日で済ませる必要はないんだぞ?」
「いえいえ、この程度は無理の内には入りません。寧ろあまりの高待遇に私の方こそこれで良いのかと思ってしまったものです。それよりも中へどうぞ」
「ああ……分かった」
どうも俺が想定していたよりもよっぽど優秀な人材を引き当ててしまったらしい。しかし、謎は深まっていくばかりだ。上位職業持ちでこれだけの能力を持っている奴がどうして、奴隷になど墜ちたのか。
確かに奴隷は衣食住を満たされた職業だ。けれど、やはりそれ以外の職業からすれば階級的には最下級の職業だ。見下されても仕方がないような職業だ。普通の思考回路の持ち主であれば、絶対になりたくない職業のトップ3に入るぐらいの職業なのだ。だからこそ、分からない。これだけ優秀な少女がどうして奴隷などになったのか。
「……時がくればお話しできることと存じ上げます。どうか今暫くお待ちください」
「そういう問題か。分かった。好きにすれば良い。お前の問題だ。俺が口を出すのは野暮という物だったな」
「いいえ、そんな事はありません。ヴィント様が私の事を気にして下さるというのなら、それは望外の幸福でございますから」
カチアは本当に優しげな笑みを浮かべた。だからこそ、俺にはますます分からない。しかし、その事に関してはこれ以上考えない。今日は講義のある日ではないが、やらなければならない事は多い。そうでなくとも、魔導士は研究があるのだから休んでいる暇など無いのだ。
日々、常に研究の毎日だ。戦闘を始めとした特別な事情がない限り、俺は研究を怠った事はない。魔導は常に細分化の一途を辿っている。複数に枝分かれし続けていく術理を辿り、魔法という超常を目指す。その道は決して一日ではならない。研究は決して欠かしてはならないのだ。
「分かった。すまないが朝食の準備をしてくれないか?王城の食事というのはどうも肌に合わなかったからな」
「かしこまりました。それでは準備を進まさせていただけますね」
「ああ、任せたぞ」
案内された先には戻ってくるのを見越していたかのように料理が置いてあった。もちろん、俺は戻る時間なんて教えた覚えはない。この短時間で用意できるようなクオリティではない事は、見るからに明らかだった。明らかに手間暇がかかっている。
これだけの食事をあっという間に準備するのだから、流石と言わざるを得ない。メイド騎士という物がどういう職業なのかは分からないが、少なくとも相当に有能な者でもない限りこの職業は得られないのだろう。それだけに謎は深まる一方と言わざるを得ない。
「……美味い」
「もちろんです。主の食事に生半可な物などお出しする事は出来ません。場末の酒場とはお出しする料理のレベルが違いますから」
「俺はあそこの料理も好きだったがな。誰かと騒ぐという意味であれば、あの料理はちょうど良かった。少人数でひっそりと食べるのであれば、こちらの方が好みではあるがな」
「ありがとうございます。残念ながら、他の作業がありましたのでこちらの作業に専念する事は出来ませんでしたので、夕方ごろにはもっと美味なるお食事をご用意させていただきます」
これよりもっと美味い物が作れるという事に驚愕を禁じ得ない。というか、他の作業と並行しながらこれだけのクオリティを叩き出す方が信じがたい。そう思いながら出された飲み物――――コーヒーを飲んでいると、カチアの手に一枚の便箋があるのを眼にした。
「なんだ、それは?」
「明け方に伝書鳩が送られてきました。学園の学園長からのお手紙のようです」
「ふむ……胡散臭いが見ない訳にはいくまいな」
手紙の封を切り、中に入っている手紙を確認した。俺としては御免被りたい文字の羅列に思わず額を抑えた。とりあえず最後まで確認はしたものの、俺としてはアホらしいという他ない。手紙を投げ捨て、再びコーヒーに意識を没入させた。カチアは手紙を回収し、その中身を確認した。
「異世界人のための魔導講師に任命する……ですか。馬鹿馬鹿しいにも程がある提案ですね」
「つい先日召喚したばかりの異世界人に魔導を態々教える役割など、面倒くさいにも程がある。俺が異世界人召喚に対して反対派だったから、その当てつけだろうな」
「愚かしい……賛成派であったというなら、自分ですれば良い物を。自らの責任を果たさない者に何を為す事ができるというのか」
「認めたくないのだろうさ。異世界人という勇者と同種の存在を呼び出すという事を、偉業だと認識している以上はな。俺が認める筈もないのにな……賛成派がやっている事は誘拐と大差ないという事をな。俺たちの世界の問題に他人を巻き込むなど、愚かな事だというのにな」
俺たちは俺たち自身の手で問題を解決しなくてはならない。そうでなければならないのだ。他人を自分の問題に巻き込むなど、愚かしいにも程がある。自分たちの問題は自分自身の手で解決しなくてはならない。それが果たすべき責任という物だ。そんな当たり前な事も受け入れられず、何の関係もない他人を巻き込むなどありえない。
勇者召喚だってそうだ。俺たちが俺たち自身の責任をまっとうし、それで滅ぶのならそれは道理という物だろう。自分たちが助かるためとはいえ、他人に助けてほしいと思うなど間違っている。浅ましく愚かしいという他ないだろう。
「だが、受けなければならないのだろうな。俺があそこの講師である以上、それは至極当たり前の責任という物だろう。俺にも自分のまっとうすべき責任という物があるのだからな」
そう、それが当たり前の責任だ。浮世の義理とか、仕方のない事とか、そんな言葉を口にするつもりは一切としてない。自分たちの問題に他人を巻き込んでしまったのなら、せめて彼らが生き残れるように尽力するのは大人の責任だ。果たすべき、ごくごく当たり前な義務と言っても良い。
戦いなど経験せず、普通に暮らしていくために魔導が必要だというのならば教えよう。それが彼らに対するせめてもの償いになるというのならば、教える事に否やはない。彼らもまた、俺が教える生徒たちと同じように普通に生き、普通に死ぬ命でしかないのだから。
「自分とは関係のない人間がやった、など言い訳にすらなり得ない。この世界の住民が巻き込んだというのなら、それはこの世界の者たちの責任だ。至極残念ながら、俺もこの世界の人間の一人だ。ならば、これは果たさなければならない責任という物だろう」
「そうでしょうか?たとえ、ヴィント様が断られたとしても別の人員が当てられるだけなのでは?」
「だろうな。だが、それでもだ。俺は俺なりに責任を果たさなければならない。気に入らないからと断れば俺は自分の意志で決めた事を、自分の矜持を捨てる事になってしまう。それを許容する訳にはいかないんだ」
それは俺の意地だ。俺が守ると決めた物を守れないようでは、他人に偉そうな事など言えない。自らが果たすべき責任という物をまっとうする義務が、俺にはある。そこからも逃げるようでは、俺は俺ではいられなくなってしまう。それでは駄目だ。
「これは俺の誓約だ。誰にも譲りはしないし、渡しはしない。そんな事ができるほど、器用な性格はしていないんだ。俺は自らの誓いに背を向ける事はしないと決めているんでな」
「……かしこまりました。ヴィント様の為したいように為すがよろしいかと存じ上げます。御身の道を遮るモノの一切は、須らく御身に蹴散らされるが定めでありましょうから」
「さて、それはどうかな?案外、俺の方が蹴散らされてしまう可能性もあるかもしれんぞ?」
俺は冗談めかしてそう言った。けれど、カチアは至極真面目な表情で首を横に振った。俺はそんなカチアの様子から、カチアは心底そう考えているのだという事を理解した。その信頼はどこから来るのか、俺には到底理解しきれなかった。
「いいえ、ヴィント様が負ける筈などございません。何故なら、あなたはそういう運命の下にいらっしゃる御方。あなた様に勝る運命など、世界のどこを探したとしても存在しないのです」
「お前は……いや、そうだな。俺が何者にも劣らぬ存在なのだと信じなければ、本当に負けてしまうかもしれないからな。悪いな、カチア」
「お気になさらず。たとえ、誰がヴィント様の勝利を疑ったとしても、私はヴィント様の勝利を信じております。まぁ……それは私のみに限らないのでしょうが」
そう言うと、カチアは扉の方に視線を向けた。そこには顔だけを出したグレイがいた。明らかに不満そうなその顔から察するに、俺がカチアと仲良さげに喋っているのが気に入らないのだろう。まったく、可愛い奴だと思いながら手招きした。すると、跳躍して俺の後ろに現れ、抱きついてきた。
「ご主人、帰ってくるのが遅いよ」
「朝方には帰ると言っただろう。これでも十分早い方だ。他の英雄共の中にはまだ王城に留まっている奴も多いそうだからな。そいつらと比べれば一泊しただけでも十分早い方だ」
「むぅ……そうかもしれないけど、そういう事じゃないの」
「まったく、お前は変わらないな」
「ふふふっ、それではグレイさんの分の朝食をご用意しますね。少々お待ちください。ヴィント様もコーヒーのおかわりは如何ですか?」
「ああ、貰うとしよう」
「食べ応えがある物をお願い!」
「はい。かしこまりました」
カチアがそう言って下がっていく姿を見た後、グレイの方に視線を向けた。先ほどまで顔をこすりつけていたグレイも流石に離れた。そしてすぐ近くにおいてあった椅子に座った。俺はカチアを買い取った時に密かにカチアの監視をグレイに任せていた。その報告を聞くためだ。
「……で、どうだった?あいつは」
「凄く手際は良かったよ。ご主人が出かけた後もずっと作業してて、でも全然時間はかけてなかった。魔導を使って掃除と調理を並列させてやるとか普通にやってた。ご主人みたいなタイプだと思う」
「魔導を使った作業……無属性の魔導か。話を聞くに念動力の類だな。それにしても同じ魔導とはいえ、別の事柄を同時に行うとは相当に際立っているな。それが無属性の限定なのか、それとも他の属性でも同じような事ができるのか……知っておいた方が良いかもな」
近接戦闘がどうなのかは分からないが、それでも相当な実力だろう。歩く所作もさることながら、隙と呼ぶべき物が全く見当たらない。幾ら素養があっても、それは鍛えあげなければならない部分だ。自然と会得してしまうほど簡単な物では決してない。
「まったく……本当に謎な女だ。一体何者なのか、さっぱり分からない。分かるのはその優秀さだけ、か……まったく、困った物だ」
「そういう割に楽しそうだね、ご主人」
「そうか?まぁ、何の役にも立たない人物が来るよりも役に立つ人物が来てくれた方が俺としては嬉しいわな。俺の負担が減るという事でもあるんだからな。それに……何なんだろうな。不思議な感じがするんだよ。あいつが優秀だと知る度に、俺の心に何か……そうだな。嬉しさのような物がこみ上げてくるんだ。
それが何でなのかは分からないし、理解できないがな。森を出る前には感じなかった想いを感じると、変化というか成長というか……ともかくそういう物を感じてしまうな。まったく、自分で自分の事が分からんとは難儀な物だな」
そんな事を思っていると、トイレに行きたくなってきたので立ち上がった。カチアはまだ作業しているようだったので、グレイに一言告げて席を立った。
そんなヴィントを見送ったグレイは台所の方に視線を向けた。椅子から立ち上がり、ちょうど柱の所に隠れているカチアに顔を向けた。そこでは何やら感極まって泣いているカチアの姿があった。声を押し殺しながら泣いている姿に、グレイは優しく微笑みながらその頭を撫でるのだった。




