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輪廻の果てに  作者: あかつきいろ
来たる異世界人
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満月の夜に

バーナムが離れていったのを見た後、俺はグラスを置いて会場を出た。酒を飲んだせいか、どうも身体が熱い。熱を冷ます意味でも、別の意味でも、一旦外に出た方が良い。正確に言うと、あそこにいてはいけない。何故だかは分からないが、直感的にそれが正しいと理解した。

 中庭に出てみると、空には煌々と輝く月があった。一種、神秘的とも言えたその壮大さに俺は言葉が出てこなかった。今までであればきっと何も思わなかったのに、今の俺は何かが変だ。あの少女を儀式場で見てから、どうも何かが揺さぶられている。今まで何ともなかった物が、揺らぎつつある。その原因は――――あの少女だ。

 そう確信した瞬間、後ろから物音がした。この距離になるまで気付かなかった辺り、どうも俺の不調具合は結構致命的なようだ。そう思いながら後ろを振り向くとそこにいたのは――――件の少女だった。


「ぁ……」


「あなたは……」


 なんだ?これは一体なんだ?心臓が暴れる。暴走でもしているかのように血液が身体を巡っているのを感じる。急激な体調の変化に精神がついて行かない。まさか、俺が目の前の少女に色恋の感情を抱いているとでも言うのか?

 確かに、美しい少女だ。見た事がない程に美しい黒髪は触らずとも滑らかな手触りであろう事が分かるし、プロポーションも見事な物だ。そんじょそこらではお目にかかる事はないだろう――――だが、それがどうした?言ってしまえば、それなりに探しまわれば見つけられる程度の物でしかないという事だ。


 所詮、その程度だ。ならば、何故?それが分かっているのに、どうして俺の身体はこうも暴れまわっている?いや、身体だけじゃない。俺の中で何かが叫んでいる。何を言っているのかも分からないし、何を伝えようとしているのかも分からない。だが、何かを叫んでいる。そして俺は、それを理解しなくてはならない。そう感じた。


「……どうかされましたか?あなたはパーティーの主賓でしょう?こんな場所にいては、他の方々が惜しまれましょう。そうでなくとも、女性が城の中とはいえたった一人で出歩かれるものではありませんよ」


「……失礼ですが、どこかでお会いした事はありますか?」


 ええい、さっきから心臓がうるさい。彼女の声がまるでどこか遠い異国の言葉であるかのように聞こえてくる。一体、何が起こっているのかまるで理解できない。クソ、本当に何がどうなっているのかさっぱり分からない。


 うるさい。意味が分からない事ばかり言う何か(・・)が、酷く煩わしく感じてくる。何が言いたいのか、何を伝えようとしているのか、こちらにはさっぱり分からない。あまりにもこちらの神経を煩わせてくれるので、心臓の鼓動を止める勢いで胸元を殴った。こちらの突然の奇行に彼女は慌てていたが、何とか騒いでいるモノを抑えられた。


「んんっ、失礼しました。こちらの都合ですので、お気になさらず」


「は、はぁ……」


「先ほどの疑問ですが、私とあなたに接点はありませんよ。俺はこの地で生まれ、この地で育った人間だ。あなたの期待に添う事ができず、申し訳ない」


「い、いえ!こちらの勝手な言い分ですので、気にしないで下さい。それでは、あなたの親族に神谷玲人という方はいらっしゃいませんか?」


「神谷玲人……?申し訳ないが、俺には親族と呼べる存在はいない。育ての親は既に死んだ。俺を産んでくれた母親がどこにいるかなど知らないし、そもそも興味もない。協力できず申し訳ないが、そんな人物の事は知らないな」


「そう、ですか……申し訳ありません。訊きにくい事を訊いてしまって」


「お気になさらず。こちらこそ、力になれず申し訳ない。こちらの都合で呼びされた異世界からの客人をもてなす事も出来ないとは……我が身の不甲斐なさを恥じるばかりです」


「いいえ、本当に気にしないで下さい。あ、申し遅れました。私、神崎鈿女と申します。神崎が姓で鈿女が名前です」


「これはどうもご丁寧にありがとうございます。私はヴィント・アルタールと申します。巷では黒魔の英雄などと呼ばれていますが……ヴィントでもアルタールでもお好きなように呼んで下さい」


 どうも目の前の彼女、神崎さんだったか?はそれなりに育ちが良いんだろう。動きの一つ一つに所作があって、それはただ生きているだけでは身につかない物だ。誰かによって教えられ、鍛えられなければ得られない物だ。少なくとも、俺にはそんな綺麗な所作を取ることは出来ない。したいとも思わないが。


「それでは、ヴィントさんと。ヴィントさんはどうしてこちらに?」


「……少し暑かったので涼みにでも、と思いまして。偶々こちらを訪れてみると、見事な月があったので眺めていたんです」


 俺がそう告げると、彼女もまた空を見上げた。煌々と輝く月の光を一身に受けるその姿は、穢してはならない何かのように思えて仕方がない。あまりにも美しすぎる絵画を眼にしたかのような気分になる。美しすぎるが故に、穢し壊したくなる……が、そんな行動は不毛の極致だ。

 瞼を閉じ、どうも差が激しすぎる衝動を抑え込む。魔導士であるならば誰でもできる精神集中の術によって平常の状態に落とし込む。そんな事を態々しなければまともでいられない、そんな自らの体たらくにはため息を吐く他ない。まったく、何がどうしたと言うのか。もしかすると、病気にでもかかったのか?なんにしても、早く戻って休みたいというのが本音だ。


「本当に……この世界の月は綺麗ですね」


「ええ、確かに。これほど美しい月を見られる機会などそうはないでしょう。私自身、これほどの月は見た事がない」


「そうなんですか……」


 それから暫くの間、互いに黙ったままで月を見上げていた。ふと後ろから気配を感じたので振り返ってみると、メイドが呆然とした表情を浮かべながら立っていた。おそらくだが、彼女を迎えに来たのだろう。


「神崎さん、もう夜も深い。迎えも来ている事ですし、どうぞ部屋へお戻りください。もしあなたに怪我などあろう物なら、私もそこの彼女も怒られてしまいますので」


「……そうですね。あまり迷惑をかける訳にはまいりません。私はこれにて失礼させていただきます」


「ええ。良い夢を」


「……ヴィントさん、またお会いする事は可能でしょうか?」


「さあ?それこそ、神のみぞ知るといった所でしょう。けれど、機会があればまた出会う事も叶いましょう。その時まで暫しの別れといたしましょう」


「分かりました。それではまた出会うその時まで」


 神崎さんはメイドに連れられ、城の方に戻っていった。俺は再び月の方を見上げ、視界の端に現れた狼に気付く。どうやってこの場所に来たのかは知らないが、まったく呆れた物だ。何を考えているのやら。


「グレイ、俺はこの城に泊まっていく事にする。明日の朝には帰るから、朝食の準備をしておくようにカチアに伝えておけ」


「私もいる」


「馬鹿か。王城に侵入者が入ったとなれば、たとえ英雄の奴隷であろうが処罰されるわ。心配せずとも明日には戻る。一晩ぐらい辛抱しろ」


「……分かった」


「そう不満そうな顔をするな。一晩の辛抱だ。どうせ明日にはまた合流することになるんだ。俺自身、王城の空気というのはどうも性に合わん。さっさと帰りたいところだよ」


 腹の内では何を考えているのかさっぱり分からない。誰でもそうだが、ここの連中は特にそれが酷い。俺自身、あまりここにいたいとは思えない。俺としてはさっさと家に戻って、自分の研究を優先させたいのが本音だ。そうでなくとも、ここの連中はいかに他人の足を引っ張り、自分が上に立とうと考えている奴が多すぎる。


「さぁ、さっさと戻れ。お前のことがバレるとは思えないが、万が一と言うこともあるからな。ばれても別に痛くはないとはいえ、腹を探られるのは面倒だからな」


 俺の言葉に納得したのかは分からないが、グレイは家の方に戻っていった。それを確認すると、俺はベッドに倒れこんだ。流石に今日はいろんな事があり過ぎた。こういう時は素直に寝て、体力回復に専念するに限る。どうせ、これからできる事なんてそう多くはないんだ。そう思った瞬間、俺はすぐに意識を手放した。


「ここは……」


 寝たのかと思えば、真っ白な空間に俺は一人で立っていた。そこは黄金の獣と相対したあの空間と酷似していたが、何かが決定的に違っていた。何がそこまで違うのかと訊かれれば答えにくい物があるのだが。


「さてはて、これは一体誰の仕業なのか……問うまでもないのかもしれないな」


 そう呟いた瞬間、何かが濁流のようにこちらに向かってきた。耐える事すら許さないそれは莫大という言葉でも言い表せないほどの巨大な波だった。その波に抗う事はせず、寧ろ流れに身を任せるように後ろに跳んだ。そうするべきだと、俺の中で何かが言っていた。普段であれば、そんな得体の知れない物は信じないが今回は信じるべきだと感じた。

 その波の正体は情報。白狼の森で何かに目覚めた俺が頭痛を感じながら叩きつけられた、膨大な量の情報だ。こうして情報の波に身を浸していれば理解できる。寧ろつまらない情報の方がよっぽど多い。しかし、この中には俺が知らない真理が文字通り山を通り越して天に届くほどにある。


 けれど、それは今は重要ではない。情報から必要な物を取捨選択し、様々な物を書き換えていく。今の俺に必要な物、そしてこれからの俺に必要な物を自身の器に叩きこんでいく。様々な物を書き換える度に、刻印と焔が身体の中で鬩ぎ合っていく。左半身を刻印が蝕み、右半身を黄金の焔が舐めていく。

 自分の体内に自分とはまったく関係のない物があるという感覚に吐き気が湧くが、それ以上に今の状態に俺は覚えがあった。そして同時に俺は思い出していた――――婆さんが死んだ時に、自分は何をしていたのか。そして、婆さんがどうして死んだのか。


 白狼の森で予想した通り、婆さんは俺の暴走を抑えようとして死んだ。その時、俺は狩りの真っ最中だった。その狩りで俺は偶然下手を打った。普段であれば絶対にしない類の失敗だった。だが、事実として俺はそこで失敗したのだ。本来であれば、そこで俺は死んでいた。それが自然な事だった。

 しかし、俺の身体の中には刻印と焔がある。そいつらは宿主である俺の死を絶対に赦さない。これが片方だけであれば、きっと婆さんは死ななかった。けれど、刻印と焔は同時に出てきてしまった。反作用を持つこいつが同時に俺の身体に現れれば、掌握しきれていなかった当時の俺では木っ端微塵になって死んでいただろう。

 それを止めたのが婆さんだ。その手法までは分からないが、婆さんは見事に刻印と焔を抑えきる事に成功した。しかし、その代償は決して安くない。刻印は婆さんの全魔力を、焔は婆さんの全生命力を奪いとった。それによって、婆さんは文字通り生きる力の総てを奪われたのだ。


 それも当然なのかもしれない。なにせ、奴らは■■の存在だ。そんな物にただの人が手を出せば、タダでは済まないのは道理だ。それでも、婆さんは尊敬に値する人だ。俺を助けてくれたその時、婆さんに私利私欲の感情はなかったからだ。俺の事を愛してくれていたのだと理解する事ができる。

 世界に名を刻むような人間じゃなかった。それだけの才能を持っていても、婆さんは世界に絶望していたのだから。世界に失望している人間は決して世界に関わろうとはしない。ただ世界が滅んでいく様を眺めているだけだ。好きの反対は無関心なのだから。


「感謝しよう、婆さん……いや、母さん。俺はあなたのおかげでここにいる。あなたの名前は、あなたの存在は、永劫俺の中に刻まれる。俺は絶対に貴女という存在がいたという事実を、俺だけは決して忘れないから――――さよならだ、母さん」


 思えば、まだ別れの言葉だけは告げていなかった。俺が俺の中だけで勝手に区切りをつけて、婆さんの事を振り返ろうとはしなかった。婆さんならそんなの不要だって言ったかもしれない。でも、これはきっと誰にとっても必要な物なのだと思う。

 気付けば濁流を抜け、見た事もない場所にいた。正確に言えば、黄金の焔の試練を突破した時と同じ様な場所に立っていた。そこから暫く歩いていると、遠くに大量の石塊が並んでいるのが見えた。そのまま進むと、読めはしないが何かの文字が刻まれていた。


「これは……墓、なのか?」


 同じような物が多くあり、それぞれに花と何かが供えられていた。その姿はまるで墓のようだった。思わず呟いた単語だったが、当たらずとも遠からじといった感じなのかもしれない。少し歩いていると、一つの石塊の前で拝んでいる青年がいた。

 俺が近付くと、拝んでいた青年は合わせていた手を解きこちらを見た。しかし、俺はそんな事が気にならないくらい、目の前にある石塊――――墓が気になっていた。思わず目の前の青年に声をかけてしまうぐらい、その時の俺は普通ではなかった。


「……俺も拝んでも良いか?」


「……是非、拝んでくれ」


「それでは、失礼」


 それから少しの間、無言の空間が生まれた。しかし、それに対して思う事は何もなく、ただ目の前にある墓で眠る人物に祈りを捧げ、次の生があるのならどうか健やかでいてほしいと願った。


「……ありがとう。手間を取らせたな」


「それほどでもないさ。それに……やっと時が満ちた。そちらの方が嬉しいさ」


「なに……?」


 振り返ると、そこにはまるで長い旅路を歩き続けた旅人がようやく終わりを迎えたかのような表情を浮かべた青年が立っていた。その言葉の意味が分からない筈なのに、何故か俺は理解できていた。口はこちらの指示に従わずに勝手に喋り始めた。


「ああ……そうだ。俺たちの願いはようやく成就するんだ」


「そうか……まったく、思っていた以上に長い時間だったな。自分で勝手に覚悟しておいて、実際に実践してみるとへこたれてるんだ。まったく、どうしようもないな」


「そうかもしれない。けれど、俺たちは成し遂げた。まだするべき事は残っているが、それでも九割方は終わっている。俺たちはラストステージに進む権利を得た」


「そうだな。じゃあ、待つとしよう。次に会う時が何時になるかは分からないが……また近いうちに逢おう」


 その言葉と共に俺が立っていた地面が砕け始めた。青年はそんな俺の反応に微笑を浮かべ、俺に手を差し伸べた。その手の意味が分からない俺は困惑する他なかったが、青年は笑いながら差し伸べた手を握り締めた。


「次に逢う時にはこう言え――――『我らを一つに』とな」


 その言葉で総てを思い出すと、青年は言った。俺が一体何を忘れているのか、それは分からない。もしかしなくとも、この青年は俺の封じられた何かを知っているのかもしれない。尋ねようとした瞬間には俺の足場も消えており、俺は真っ暗闇の中に落ちて行った。そんな俺を眺めながら、青年は墓石を撫でた。


「やっと……やっとだ。やっと俺たちはあいつに復讐する事ができる。俺たちの運命を歪めたあのクソ阿婆擦れを終わらせる事ができるんだ。それまで……待っていてくれ、■■」


 何と言ったのかは分からない。けれど、その名前はきっと俺にとっても大事な物だと思った。それは俺が最初に取り戻さなければならない名前なのだと、思えた。たとえ、この夢が記憶から完全に消え去っても、俺はそのために進まなければならないのだと。そう、自然と思ったのだ。


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