白真狼VSグレイ
森の支配者とその血を受けただけに過ぎない少女――――グレイが衝突する。正直に言えば、この勝負は端から勝敗が決している。十中八九、グレイはこの王様に勝つ事など出来はしないだろう。そもそものスペックから差という物が存在するからだ。
白真狼は神獣という世界中を探しても、見つける事の方が難しい位階に立っている。神から任された土地を守る事を命じられ、それを至大にして至高の名誉だと考えている。だからこそ、こんな無茶苦茶な土地の守護も決して迷惑だなんて思わない。それを可能にする力も与えられている。
世界の争いに介入する事はしない。彼らの目的が神に任された土地を守る事だけだからだ。神々もそれ以上のことを任せる気は更々ない。だからこそ、その存在が確認された事はなかった。神獣を見るという事は同時に殺される事を意味しているからだ。
それにも関わらず、神獣は存在するとされている。それは千年前、魔王討伐の際に『最後の勇者』の助力をしたからだ。魔王側が用意した魔獣と神話の如き戦闘をした彼らだったが、戦闘が終わると同時にその場を去った。魔王側との戦闘が終わった際、何が起こったのかは今現在でも分かっていないとされている。
ただ、その時の兵士の証言によれば『世界を黄金の光が包んだ』らしい。そこから、勇者が何かをした結果、魔王討伐に参加した兵士たちは元の場所に戻されたのではないかとされている。戻された、という表現をしなくてはならないのは、魔族の国がこの大陸にはないからだ。いや、大陸どころか世界と言っても間違いないかもしれない。
学園に置いてあった伝承によれば、『魔の国はこの世にあらず。その道を開く者は世界に選ばれた者のみ』と言う。これをそのまま読み取れば、魔族の国はこの世界にはなく、召喚された勇者だけが道を切り開く事ができるという意味だろう。まぁ、置いてあった論文の受け売りでしかないが。
「勝敗を左右する要素があるとすれば……コレしかないしな」
掌に黄金の焔を発生させる。すぐさま握りつぶしたが、どうも気を抜くと勝手に出てくるな。まだそこまで掌握しきれている訳ではないが、それでも出やすすぎる。こんな状態では、おちおち気も抜けなくなってしまう。あの獣は俺の意志には従うようだが、好き勝手やらせてもらうというスタンスらしい。
ともかく、この焔をどれだけ使いこなせるかどうかが影響してくる。この焔の基本的な効果を簡単に挙げれば、『身体能力強化』・『感覚強化』・『炎熱付与』などが挙げられる。これも俺が振るう際の基本性能であり、あいつが振るうとどうなるのかは分からない。もしかしたら、別の何かが生えている可能性もなくはない。把握しきれてないから、あんまりよく分からないが……俺とは何かが違うのは分かる。
「まぁ、何が違うのかはまだよく分からないんだが……」
焔の中での経験を経て、今までとは何が違う『眼』を手に入れた。それも何なのかを検証する必要はあるが、今は置いておく。詳しい効能までは分からずとも、今は役に立っている。理由までは分からないが、今までは見えなかった物が見えてくる。
意識しなければ見えないが、何かの流れが見える。恐らく魔力だとは思うが、正確な所は分からない。そして二人に視線を集中させると、王からは巨大な何かが見える。グレイの方には俺から何かが繋がっているのが見える。これは眷属として繋がっている力なんだろう。それにしても、見える差がかなり大きな物である事は変わらないようだ。
どう見ても勝ち目があるようには見えない。それが顕著に分かる。分かるんだが……どうにも不明確な状態だ。王に繋がるか細い何か――――従来であれば神の加護かと思うんだが、どうにも森からかなり離れた場所に繋がっているように見える。あんまりコレを使っていると、どうにも頭が痛くなってくる。それだけ疲労が激しいという事なんだろう。
「さて、これ以上時間をかけても無駄か。――――始めェッ!」
「「ッ!!」」
膠着しきった戦場を無理矢理動かす。こういう先の読み合いが無駄だとは言わないが、少なくとも今はやっていてもしょうがないだろう。力量の差は歴然であり、そもそも当たって砕け散れという表現こそが正しいと言えるような状況だ。胸を借りるつもりで挑む以外に選択肢などありはしない。
地面を踏み砕きながら、互いに距離を詰める。どちらも爪と牙を武器としている獣だ。俺のように魔導を武器として戦う事は、少なくともグレイには出来ない。あいつ自身、魔導に対してあまり興味はなさそうだし、同時に複数のことが出来るほど器用でもないだろう。それよりは近付いて殴る、という事をどうしたら可能になるか考えた方が良い。拳闘家ではなくても、あいつの身体能力は神がかっている。細くしなやかな足は高速で距離を詰め、体格に見合わぬ膂力は人体であれば陥没させる事など容易い。だが――――
「……ふん。そんな物か?」
「くっ……」
その程度では王には届かない。基礎的なスペックで言えば、神獣は神々を除いた総ての生物の頂点に立っている。高々、血を継いでいる程度の存在が勝てるほど甘くはない。そういう意味では、この勝負そのものが無意味となってしまうのかもしれない。勝てない相手に相手に挑むという事、それがどれだけの恐怖を齎すのか知らない訳ではないから。
それでも、これは逃れられない試練だ。だって、俺はきっとこれからもそういう試練を歩む事になる。自分よりも圧倒的に強い存在と戦う事を、俺はきっと厭う事はしない。だって、それが強くなるために一番手っ取り早い方法なんだから。
眼の前でグレイが苦戦している姿を見ても、俺は何も思わない。感情がまるで揺るがないのだ。こいつを巻き込む理由なんて俺にはない。普通の人間だったら、心が苦しくなるのかもしれない。泣きたくなるほどに辛いのかもしれない。そういう感情を持たない俺は、壊れているのかもしれない。
痛くても、辛くても、苦しくても……きっと俺はこの足を止めようとはしない。前に進もうとする意志を途切れさせる事はないだろう。それこそが俺自身の意志だ。それについて来れないようなら、きっと一緒にいるべきではない。そうでなければ、簡単に命を落としてしまうだろう。
「それでは意味がない……そんな事で死んだりしたら、誰も報われない。そんな結末なんて、誰も望んじゃいなんだから」
だからこそ、超えてみせるが良い。己が今最も超えるべき存在――――己の始祖を。それが出来たなら、きっとお前はなっている筈だ。いかなる獣人をも上回る、最強の存在に。俺はそう思っているし、お前もきっとそう信じている筈だ。
「それぐらい、今のお前になら出来るだろう?お前は――――俺の焔を共に歩いた唯一の眷属なんだから」
「もちろん!」
そう快活に響き渡る声を耳にしながら、俺はその戦いを見つめていた。たとえどういう結果になろうとも、それを言い訳のしようがないように受け止めるために。
ヴィントside out
グレイside out
「もちろん!」
私の身体に気が満ちていく。ご主人の期待が自分に向けられているのが分かる。人からすればたったそれだけ。しかし、私からすればとても大きな物であった。何故なら、私のご主人――――ヴィント・アルタールは基本的に他人に期待などしないからだ。
基本的にご主人は他人に向ける感情という物が少ない。敵意か無関心が基本で、生徒に教えている時であっても期待なんてしてない。面白がっている事はあっても、それは決して期待なんて物じゃない。それが世界に及ぼす影響を見て、面白そうだと思っているだけ。だから好意を向ける相手もほとんどいなくて、友情を感じている者もあの冒険者たち――――バダックたちが精々だろう。表面上の付き合いはお手の物であっても、深い付き合いをする事を根本から嫌っている。それが何でなのかは分からないけど、ご主人は誰よりも好意的なように見えて、誰よりも他人が嫌いなんだ。
それを誰にも分からせないように、仮面を被っている。そして誰もがその仮面に騙されているだけ。でも、私には分かる。ううん、きっと私にしか分からないと思う。獣人の中でも上位に位置する天狼人――――その中でもグレイの感覚器官、特に嗅覚は故郷の誰にも負けなかった。今なら一嗅ぎすれば、他人の感情も匂いだけで感じる事が出来る。きっと目の前にいる白真狼の規模になれば、匂いを嗅ぐだけで他人の過去を見る事も出来るんだと思う。
ご主人の仮面を越えたその先にあったのは――――恐怖の匂いだった。何がそんなに怖いのか、私には分からなかった。それほどまでにご主人が被っている仮面は厚いからだ。本当の感情を読み取る事は現状、不可能に近いだろう。それでも、そんな人が私のことを期待してくれている。そんな事実を喜ばないなんて、私には出来ない。だって、初めてご主人と戦った時からその瞳の輝きが脳裏から離れないんだ。まるで総てを包み込むかのような蒼色の輝きが。数多の命を受け止めるその輝きが、こびりついて離れないんだ。だからこそ――――
「私は……負けられないんだっ!」
その期待は裏切れない。ただ純粋に私のことを信頼してくれている。今のご主人の視線にはその気持ちしかないんだ。そんなまっすぐな期待を裏切る事なんて、私には出来ない。でも、それ以上に――――この期待に応える以外に、私の選択肢なんて残されてない。ご主人の傍に居られないなんて、誰より私が認められないんだから。その為だったら、この身を黄金に落とす事も厭わない。そう思ってしまうほどに、力を切望していた。だから、って言うべきなのかな?ご主人の顔がどうしようもない程に歪んでしまっていた事に、気付く事が出来なかった。それがどうしてなのか考えられなかった。
次の瞬間、身体を黄金の焔が包みこんでいたからだ。その熱量を前に、他の事柄に気を配っている余裕なんて私にはなかった。他人に自分の感情を読みとらせないご主人ですら、この焔をその身に浴びて自我を失ってしまった。その事実を忘れ、同時にその事実を軽視していた節すらあった。
熱いという表現すら生易しい熱量がそこにはあった。痛いという感覚すらなく、ただ意識を保つ事すら難しい何かに呑まれかけている。プレッシャーというのとはまた違う、言葉では形容しがたい何かが私の身体を乗っ取ろうとしている。
身体中の感覚を誰かに奪われかけている。自分が今、一体何をしているのかすら理解できない。絶望的なまでに巨大な何かが、まるで毒のように自分を蝕んでいく。それに抗うという事は濁流の中に飛び込み、上流を目指して歩きだそうとする行為に等しい。有り体に言えば、無謀の一言だろう。努力する事、まずそれが間違っている。自然の一部でしかないちっぽけな命が、災害に挑む事が間違っている。
「う~ん……そんな様子じゃあ、彼は任せられないかな?」
「……え?」
そんな声を耳にして、ふと目を開けた。先ほどまで感じていた圧迫感はまるで感じず、まるで奴隷となる前までいた草原のような澄み渡る風を感じた。そして目の前には背中まで届く金色の美しい髪と翡翠色の瞳をした長耳の女性――――エルフが立っていた。
「おや、起きるのは中々早いね。まぁ、あんな様だったのに、更に醜態を晒すようだとこっちが困っちゃうんだけどね」
「あなたは……?ううん、その前に、ここは……どこ?」
私はいつの間にか、どこまでも広がる真っ白な空間にいた。感覚的にはさっきまでご主人と一緒にいた、黄金の焔の世界と似ている。でも、何かが決定的なまでに違っていた。何かは分からないけど、何かが違っていた。そんな場所に放り込まれた私を前に、エルフは微笑を浮かべたまま座り込んでいた私に手を差し伸べた。
「まぁ、こんな場所で話すのもなんだし、ちょっと歩きましょう?私もあなたも、積もる話はあるだろうし……ね?」
差し伸ばされた手を前に、私は躊躇しながらもその手を掴んだのだった。その手こそが、私の総てを一変させる手だとは欠片も思わずに。




