焔の眷属
黄金の光輝が世界を照らしている。その輝きは近付けば近付くほど、より強くなっている。誰も近付かせまいとする黄金の焔を前に、天狼人の守護者たちは混乱していた。森に侵入してきた者と戦っていたと思えば、いきなり焔が溢れ返ったり……意味不明という言葉が相応しいだろう。
一体何がどうなっているのか?このとんでもない光景が何を示しているのか?天狼人たちには何も分からない。『王』の守護者を自任している身であるが故に、外の状況を気にする事もない。だからこそ、森の外から来た者が起こす事には理解が及ばない。
「綺麗……」
「そんな事を言っている場合か。これ以上、『王』の手を煩わせる訳にはいかないんだぞ」
「そんなの分かってるわよ。でも、どうすれば良いって言うの?あの焔の中にでも突っ込んで行け、って言いたい訳?」
「……そうは言っておらんだろう」
「じゃあ、どうするのよ。あんなの、私たちの手に負えないわよ。外って、あんな化け物みたいな奴がゴロゴロしてるなら、私たちじゃあ勝てないわよ」
「それはないだろう。そんな事になっていたら、それこそ世界は荒れているだろう。この森とて無事では済まないだろう。今までそうではなかった以上、あれほどの傑物は多くはないという事だろう」
「……静まれ。今はそんな話をしている場合ではあるまい」
その場にいた全員の視線が声を出した人物――――天狼人たちの長に向けられる。長にもこれが何なのかは分からない。しかし、そんな事はどうでも良い。守護者たちにとって重要なのは、『王』の安寧のみ。それ以外の事など些事でしかないし、気にする必要性すら感じない。
必要もない事に時間を割くほど、長という立場は甘くはない。天狼人たち全員を導くという役割がある以上、責任は重い。次代に繋ぐという重要性を認識している以上、軽々しい真似は赦されない。更に『王』を守る守護者としての使命もある。余計に簡単には動けない。
現状、眼前にある焔に対する策はない。守護者の半数を動かした事を見れば、相手の危険度は生半可な物ではないだろう。しかし、『王』の眼前で守護者が屈する訳にはいかない。ならばどうするべきか、など当に決まっている。そう考え、動こうとした瞬間――――目の端に何かが見えた。
「馬鹿な……何故だ?」
はっきり言えば、信じがたいの一言だった。その姿を見るべき場所は決まっていたし、その姿も今の姿とは全く異なった姿だった。最も高貴で美しい者を挙げるのなら、あの御方以外にはありえない。だが、今の姿からはそんな物は欠片も感じない。いや、そんな事より――――
「何故、あなたがそんな物を纏っておられるのだ?『王』よ!」
足まで届くほどの月に煌く銀色の髪。黄金体と呼んで差支えない程に整った肢体。何より、その身に纏う次元違いと呼んで差支えない強者の雰囲気。今すぐにでも膝をつき、頭を垂れなければと思わせるほどのカリスマ。それらを兼ね備えた守護者たちが仰ぐ『王』――――白真狼。
しかし、そんな以降も今の姿からは全く想像のつかない。泥に塗れ、月光の如き美貌は汚れていた。普段の常軌を逸したレベルで発揮されている物は消えていた。しかし、それでも尚、神獣の威光を削るまでには至らない。身体を舐める黄金の煌焔を見るまでは。
この地に侵入してきた慮外者と同じ色の焔。もしや、あの慮外者は『王』の関係者だったのか?否、それならば『王』が困惑する理由がない。では、あの焔はどうやって説明するのだ?とそんな疑問が長の頭の中を駆け巡る。そして、そんな疑問に頭を埋め尽くされている最中、焔にどんどん近付いていく『王』。それだけは流石に止めなければならない。そう思った瞬間の事だった。
「なっ……」
黄金の焔が周囲に散っていく。先ほどまで、何人も近付かせまいとしていた焔はまるで溶けていくように消え去った。その中心には先程まで戦っていた慮外者と、それに付き従うかのようにいる同胞の娘。二人は黙って未だ真っ暗な空を見上げていた。まるで、そこに何かがいる或いはいたかのように。
暫くすると、そこから視線を移し長達の方に視線を向けた。そこから発せられる威圧感に長達は確かな恐怖を抱いた。先ほどまで戦っていた中ではなかった感情と威圧感がそこにはあったからだ。敵意はないが、それは戦意がない事とはイコールではない。
先ほどのように剥き出しではなかった。だが、その分鋭かった。先ほどの男が血に飢えた獣だったとすれば、今の男は鋭い刃の様だった。それでいて、燃え盛る焔の如き勢いは絶えていない。今度はどれほどの命を落とすかも分からない。
「あぁ、あぁ、間違いない。姿形は幾らか変わっていても、私には分かる。あなたなのだろう?主殿!」
「なっ、『王』!?一体何を……」
「その焔は……」
男はその焔を見て、眼を細める。まるで、見覚えがあるかのように。そう言った男を前に、『王』は喜びに溢れた……というより、まるで救われたかのような表情になっていた。その表情に違和感を覚えていたが、『王』の前に立ち塞がる娘の姿を見て焦りを覚えた。
これだけの距離があれば、自分たちが『王』を守るよりも娘が『王』を害する方がよっぽど早い。能力こそ分からないが同じ天狼人である以上、その身体能力はほぼ同等の物とみてもいいだろう。そうなれば、今の『王』を害する事など簡単に決まっている。
「……邪魔をするな、娘。私は主殿に用があるのだ。貴様のような者に用などない」
「そんなの関係ない。よく分かんないけど、ご主人の邪魔。ご主人はこれから帰ろうとしてるんだから、邪魔しないで。これ以上、ここにいるつもりもないんだから、そっちはそれで良いんでしょ?」
願ってもない話だった。できる事なら、その命を獲っておきたいとは思うが、それも絶対ではない。大人しく森を出て行くというのなら、それに越した事はない。男は最初勘違いしていたが、天狼人たちは最初から追い返す事だけが目的だったのだから。しかし、そうは問屋が――――否、『王』が認めない。
「黙れ。主殿には我が館に来ていただく。私に話さねばならない事が山のようにあるのだ。それに、間接的とはいえ、私は主殿に迷惑をかけたのだ。それを何の謝罪もなしに帰す訳にはいかん。それに、疲労も大きかろう。私の館で休んで行かれるがよろしかろう」
「なんで、そんな無駄な事をしなきゃいけないの?迷惑をかけたと思うなら、それこそ早く帰らせてあげるべきだと思う。こうやって無駄な問答をしている事こそ、時間の無駄。行こう、ご主人」
「行かせると思うのか?」
「逆に訊くけど、行けないと思うの?」
なんだ、これは。何とも言えない争いが目の前で展開されていた。男衆の誰もが困惑か混乱しており、女衆はキャーキャーと喧しかった。しかし、この争いに介入する気がまるで起きない。件の男も胡乱げな表情で二人を眺めていた。そして頭を掻きながら話に介入した。
「そこまでにしておけ。……今の俺にあんたが誰なのか、よく分からない。でも、焔を宿しているという事は俺との関係者という事は分かる。だけど、だからこそ今の段階では失礼させてもらう」
「そんな……」
「でも……きっとまた会いに来る。その焔は俺たちを繋ぐ物だからな……それまでには、思い出しておくからそれまでは勘弁してくれ」
本当に、先程とは全くの別人だ。二つ人格があって、片方に移ったと言われた方が、まだ信じられそうなレベルだった。本気で疑いたくなるレベルではあるが、今はそんな些細な疑問は置いておかなければならないだろう。『王』の安全を最優先させなければならない。
だからこそ、『王』の動きには驚愕した。男の言葉を聞いた上で、『王』は敵意を露わにした。今の『王』では、敵わない事など分かりきっているのに。それでも、『王』は男の言葉に反意を向けたのだ。どうしてそんな事を、と言わざるを得なかった。
しかし、男はその反応を分かっていたかのように立っていた。娘は敵意を向ける『王』に対して、立ち向かう。正直な話、長にとっては今の状況は完全に理解不能だった。『王』が何故男に対して怒っているのかが理解できなかったからだ。男と長の反応の違いはそこにしかなかった。
「……あぁ、お前ならきっとそうするだろうと思っていたよ。気に食わない、というのとは少し違うか?お前は自分の意志を何よりも大切にしていた。自分の望む物のためなら、他人の意志など知らぬ存ぜぬ……お前こそまさに獣の具現だ」
「そこまで分かっていて尚、私の誘いを断るのか?」
「無論だ。刻印はまだしも、この焔は俺以外には扱えない物だ。お前がその焔を使えるという事は、俺の眷属であるという事に相違ない。であれば、だ。お前は俺よりも立場的に見れば下だ。それならば、俺がお前に従わなければならない理由はない?そうじゃないか?」
強者故の理屈。そんな理屈を都市で垂れ流したとしても、きっと認められることはないだろう。それは、人間が思考する生き物だからだ。しかし、森を始めとした自然に生きる者はそうではない。結局、そういう場所に住む者にとって重要なのは力であるが故に。
暴論であると言うしかない。だが、その暴論に少なくとも長を始めとした天狼人たちは従わざるを得ない。彼らの力では結集しても、今の男には敵うまいと自覚している。即ち、心の方が先に折れてしまっているが故に。
しかし、その枠組みの中には決して『王』は含まれない。そもそも、『王』と謳われてはいても、天狼人たちを率いた経験など欠片もない。ただ白狼の森を領土して存在していただけで、『王』から見ればいつの間にやら出来ていたコミュニティに過ぎないのだ。
「関係がない。気に入らないと思えば、例え主殿であろうとも逆らうのは必定。それとも、逆らわれる事もないと高を括っていたのか?それならば、残念でしたと言わざるを得んな」
「まぁ、そこまでではないな。俺からすれば、そうなれば御の字と言ったところだ。しかし、そうなるとどうした物かな?俺が戦うというのも手段の一つであるかもしれんが、正直今の体調でお前と戦う気はしないんだが……そうだな。これが一番良いかもしれん」
男は娘の肩を叩いた。すると、娘は男の言わんとしている事を理解したかのように構えた。そんな娘の姿を見た『王』の機嫌は途轍もない速度で落下していった。娘を塵でも見るかのように見た上で、男の方に視線を移した。
「……どういうおつもりですか?よもや、こんな小娘に戦わせようとでも?」
「そのまさか、さ。少なくとも、今の俺よりはまともな戦いになるだろうさ。こいつの力量を測るという意味でも、お前の力量を知るという意味でも丁度いい。結果次第ではあるが、場合によってはお前の要求に応じる。それでもやる気が出ないか?」
「……良いでしょう。精々後悔なさらない事ですね。私にとて意地があるのですから」
「そんなの関係ない。ご主人が私に任せてくれた以上、私は戦うだけなんだから」
「――――なるほど。先ほどの言葉を撤回しましょう。あなたも主殿の眷属としての意地があるのですね。それならば――――手加減は無用ですね?」
「当たり前。戦うのに手加減するなんて馬鹿のする事。それが譲れない物なら、尚更そうだよ。だから、本気でも全力でも好きにすれば良い。私は絶対に譲らないんだから」
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