果ての選択
明けましておめでとうございます。
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煌焰の力が聖の究極であるなら、刻印の力は魔の究極。最も相性の悪い力であり、同時に最も互いを刺激し合う力。その奔流は最早常軌を逸した規模で展開される。どれだけ強力な存在であろうとも、形となったこれらを相手にするのはキツイだろう。いき過ぎた希望も絶望も、等しくその末路は世界を滅ぼす呪いだ。過程の違いこそあれど、最終的には世界を壊す。
それこそが、極大の力を持った者が意志を持つという事。ただのシステムではなくなったものは、それだけ世界を簡単に滅ぼす事を可能にしてしまう。黒龍があの森から動こうとしないのは、それを自覚しているから。強すぎる力がどんな結果を招いてしまうのか、それを理解しているからだ。
「さぁ、どうする?結果は変わらないとしても、過程は変わるだろう。汝の決断がそれだけ多くの者を助ける事になる。それこそが、貴様の本懐だろう」
「どういう意味だ……?」
「どういう意味も何も、そういう意味だろう。多くの命を救う事こそが、貴様の本懐であろう?そのために、我に薪をくべてきたのだから」
「馬鹿な。俺が大勢の命を救う?結果的にそうなった事はあるが、そんな事を目的とした事など無い。貴様は一体何を言っているんだ?」
「いずれ分かる。いずれ、な。それで、どうする?奴を破棄する事で、我の力のみを使うか。それとも奴を制御する事で、我の力を諦めるか。汝に与えられているのはこの二択のみだ」
「随分とはっきりと言うんだな。俺がそれ以外の選択肢を取るとは思わないのか?例えば……お前ら両方の力を捨てるとか、な」
「ありえんな。貴様はそんな選択肢は選ばん――――いや、選べまい。我か奴の力なくして、貴様の本懐を遂げることは出来ん。そうであるなら、貴様はそのような様を晒す事はなかっただろう。あの女の願いに素直に応じていた。そうであろう?」
「……お前の話し方は一々ムカつくな。自分が知っているからと言って、他人も知っているかのように話すのはどうなんだ?」
「汝は知らぬ訳ではない。忘れ、封じられているだけだ。本来の肉体であれば、制約もかかり思いだす事は叶うまいが……ここは我が領域だ。そのような制約もあるまい。今ならば思いだせるのではないか?我が言葉が分からないのであれば、思い出してみてはどうだ?」
「何を……っ!?」
その瞬間、何かの映像が頭に流れ込んできた。まるで何かの情報を無理矢理叩きつけられているかのように、頭が激痛に悩まされる。そんな中で見えてきたのは、どこかの荒廃した城の中で立ちすくんでいる男の姿だった。他に周りには杖を支えに立っている瀕死と言っても過言のない状態の女性だけだった。
男は空を見上げながら、無言で立っていた。気絶しているんじゃないか?そう疑いたくなるほどに、男は無防備な姿を晒して立っていた。殺そうと思えば殺せるのではないか、そう思えていた。しかし、注視すればよく分かる。そんな隙が微塵もない事も、どうしてこの男が立ち竦んでいるように見えるのか――――そう見えるほどに、別の何かに怒っているからだ。
両眼から血涙を流し、誰かを憎み怒っている。自らの身体が焼き尽くされても構わない。否、この世界など憎悪の焔に焼き尽くされてしまえば良い。今まで築いてきた絆の総てを捨て去ってしまっても構わないとすら思えるほどの熱が身体を包んでいた。
黄金の煌焰を使っていた時に受けた痛みなど、到底比べ物にならない。痛いという感覚を既に通り越し、超越しきった何かを感じてしまう。自分だけでは済まないこの焔は、きっと触れずとも総ての存在を焼き尽くしてしまう。それも黄金ほど高潔でもなく、刻印ほど染まりきってもいない。だが、その深度はこの両者の比ではない。
深い。深すぎるのだ。その表現が間違っているとすれば、高すぎる。普通の人間では到底宿しえない領域の感情――――それはまさに■■と称しても間違いではないレベルで。そんな感情に触れているが、今にもこの身体を引き裂きたくなるほどの激情。
これ以上、この感情に触れていてはいけない。この感情に長時間触れていれば、きっと壊れてしまう。いや、少なくとも決してまともではいられない。早く、早く早く離れなければ。離れなければもう耐えられない。だが、同時に煌焰の獣が言っている事の一部を理解した。
これこそが本懐だ。この■■にすら届きかねない激情の奔流こそが、俺の悲願であり本懐だ。その正体も、意図する事も何も分からない。だが、これこそが俺が探し求めてきた、俺の忘れてきた何かの正体だ。これこそを、俺は求めてきたんだ。
「ご主人!」
「……あっ」
グレイの呼び声によって正気を取り戻す。だが、立っているだけの気力を保つ事が出来ずに膝を付く。そして両腕でグレイを抱き締める。自分がここにいるという証明が、誰かの温かさが欲しくて。心すら凍てつかせるような、この落差を埋めたくて。必死になってグレイを抱きしめる。
グレイはそんな様の俺に何かを言いたげだった。分かっている。自分でも情けない姿を晒しているという自覚はある。だが、アレを前にすればこうなっても仕方がない。それほどまでに、あの存在は常軌を逸している。あれ以上あの場に立ち止まり続けるぐらいなら、煌焰を纏って世界を敵に回したほうが万倍マシだ。アレはもう格が違っていた。
「アレは……俺なのか?」
「ふむ……大分衝撃的な物を見たようだな。何を見たのかは知らんが、汝が見た以上はソレは汝の記憶だ。他の記憶が流入する余地など、今の貴様にはないだろうからな」
「アレが……あんな存在が、俺だというのか!?」
「……よもや、あの場面か?貴様も随分と不運な物だ。あの場面は我でさえ冷や汗が止まらなかった物よ。世界の総てを呪ったあの瞬間、この我ですら性質を変化させられかけたからな。そこまで貴様が恐怖を抱くのも、無理はない」
「あんな物、人間ですらない!いや、既存の生物の領域にすらいない!英雄譚で討たれる化け物、いや、それすら超越している。あれこそ、お前が討つに値する存在だろう!」
「アレも汝だ。たとえ、どれだけ信じがたき存在であろうとも、アレもまた我が宿主。焔は薪を燃やすが、土地まで燃やし尽くす訳ではない。分かるだろう?」
「それは……」
「さぁ、どうする?どちらであっても、貴様のやる事は変わらんだろうがな」
確かに、それはその通りだ。きっと、俺のやる事は変わらない。これから先、どんな生き方をしたとしても俺は結局ああいう果てに辿り着く。俺はきっと同じような事をするんだろう。どれだけ死んで、どれだけ生まれ変わっても同じような事をするだろう。
だって、アレもまた俺だと思ったから。外見も違うし、何より内面だってあいつと俺は全然違う。でも、それでも、あいつもまた俺なんだ。何もかもが俺とは違う筈なのに、それでもあいつは俺なんだという自覚がある。本当に何でなのかは分からないんだが。
あいつが俺である以上、俺はきっと同じ選択をする事になる。何かを心の底から憎んで、俺の何もかもを捨て去っても構わないほどに怒り狂う。そしてその通り、何もかもを台無しにしてしまうんだろう。その為なら、どんな物でも捨て去ってしまえるんだろう。
「でも、今の俺にそんな事をする勇気なんてない」
グレイを見下ろしながら、そう呟いた。そう、捨てる事なんて出来ない。さっき、グレイを抱きしめた時、本当に心の底から安心した。あの温かさを、あの温もりを、そう簡単に捨て去ってしまう事は、俺には出来ない。しなければならない場面が来たとしても、絶対に躊躇してしまう。
あぁ、これこそが恐怖なのかもしれない。今まで、一度だってこんな感情を抱いた事はなかった。怖い、だなんて思った事はなかった。命を失ってしまう事が怖いんじゃない。ああいう場面に至った時、俺が何もかもを捨てる事を拒まなくなってしまう事が怖い。あの憎悪の念が、憤怒の念が消え去ってしまった時、たった一人で立ち尽くしてしまう事が怖いんだ。
命の奪い合いなんて怖いとは思わない。殺しているんだから、殺される事なんて当たり前だ。そうでもなければ、道理に合わないだろう。だから、そんな事は恐れるに値しない。怖がるほど深刻な問題ではない。それだけは俺の中に存在する、根本的なルールなのだから。それはあいつだって分かっている筈だ。でも、あの俺はそれを実行してしまう。それが怖いと思ってしまう。
「……ご主人?」
「ハッ、あんだけ偉そうに言ってたってのになんて様だ!まさか、俺がこんなに繊細で未練たらたらな男だとは思わなかった!」
「本人では気付かぬ事もあろう。それをおかしいと思う理由など、どこにもない」
「あぁ、それはそうだろうさ!だがな、知らなすぎにも程があるだろう!?俺は失う事をこんなにも恐れる人間だったのか!?馬鹿を言うなよ!命を失う事なんて当たり前の事だ!生きている以上、死とは拭えない物だ!絶対に付き纏う物で、そこから逃げる術など、それこそ『永遠』以外にはありえないだろうが!」
「……ならば、永遠を得る以外にあるまい?そうすれば、そのような感情を抱く事もあるまい」
「それこそ、馬鹿な話だ!永遠などという大層な物を、人間が手にした事があったか?ないだろうが、馬鹿馬鹿しい!それにな、永遠などが人に幸福を齎す物か!?否、そんな訳がない!永久に終わらないなど、地獄以外の何物でもない!そんな物に自ら陥ろうなど、正気の沙汰ではないだろうが!」
そうだ。永遠など、碌な物ではない。永久に無くならないという事は、永久に得られないという事だ。そんな物を望んで得ようなど、正気の沙汰ではない。得るという事は失くすという事だ。その両者はイコールで結ばれていなければならない。そうでなければおかしいし、そうでなければ納得など出来ない。
「死があるから、生があるんだろうが!その両者は平等で、同じものだ!だったら、失う事を恐れるなんておかしな事だろうが!」
「……眷属よ、汝はどう思う?手に入れるからには、失う事を恐れるのは間違っていると言っているが?」
「よく分かんない。ご主人が何を言ってるのか、お前が何を言いたいと思っているのか。私には何も分からない。でも、これだけは分かる。――――恐れる事の何が悪いの?」
「……なに?」
「父様が言ってた。恐怖は生きている者に潜在的に宿っている物だって。恐怖を露わにする事は、間違ってはいないんだって。だから、ご主人が失う事を怖いと思う事は間違ってないんだよ。だって、私だって怖いと思うもん」
「…………………」
「父様や母様たちと離されて奴隷市場に着いた時、本当は怖かった。どうにかして逃げたいと思った。そんな時、ご主人と会ったんだよ?」
「それが……何だって言うんだ?俺は襲ってきたお前と戦っただけだ。他に特別な事なんて、しちゃいないだろう?」
「うん。でも、それが重要だったの。あの時、ご主人の瞳を見た時に思ったんだ。あぁ、この人について行きたい……ううん、生きてみたいって!」
そのグレイの瞳からは嬉しいという感情に満ち溢れていた。そこには一切、悲しみや怒りといった負の感情はなかった。どこまでも清々しい、まるで青空の下にある草原のような爽快さがグレイには宿っていた。その感情を全身で表現していた。
「ご主人風に言うなら、父様たちには会えなくなっちゃったけどご主人に会えたんだ!その事を、私はきっと後悔したりしない!寧ろ、その事を喜ぶから!ご主人は、きっと悩みすぎなんだよ。余計な事まで考えちゃうから、そんな風に思っちゃうんだ」
「何を……言ってるんだ?」
「喜ぼう!楽しもうよ!この出会いが、自分にとって幸運な物だって!これまで生きてきた時間は、無意味な物なんかじゃなかったんだって!そう思えれば、きっと生きている事はもっともっと楽しくなるから!」
「あ……」
「ご主人は失くす事を怖がり過ぎなんだよ。失くしちゃう事は怖いけど……きっとその先にも救いはあるんだから!だから、頑張ろう?ご主人が行くところだったら、私はどんなところでもついて行くから!」
悔しい。こんな馬鹿に言い負かされた。あぁ、だけどそれ以上に――――清々しいと感じている。俺は確かに怖がっていた。こいつの言う通りだ。失くす事ばかりに集中して、得るという事を忘れてしまっていた。何かを得る事は別の何かを失くす事――――それは即ち、何かを失くすという事は別の何かに得る事と同義だというのに。
そんな事を忘れて、あまつさえこんな馬鹿に指摘されるなんて屈辱以外の何物でもなかった。だが、そんな屈辱は清々しいと思っている自分がここにいる。そうだ。俺はこれからも何かを得続ける。その代償に失う物があったとしても、もう恐れる事はないだろう。失くしても、次にはそれを上回る幸福が来ると信じていれば、何も怖くなんてないんだから!
そう思った瞬間、周りに広がっていた城は跡形も無く消え去った。様々な見た事もない建物が立っていて、生活の匂いを感じる場所に俺たちは立っていた。そこは先ほどまでの城下町とは全然違った。あそこまで豪勢ではない。あそこまで発展していない。だが――――あそこまで冷たくはなかった。
「ここは……どこだ?」
「くっ……クックック。ハハハハハハハハハハハハハッ!またか!また貴様はその結論に至るのだな!」
「なんだと?どういう意味だ?」
「ククク……気にするな。まったく、慣れぬ事などするものではないな。身体が痒くなってくるわ」
「何を言っているんだ!?」
「気にするな。我が宿主よ、汝は我の試練を突破した。眷属の力を借りて、というのは正直情けないが……及第点だ。汝は今、軛を断ち斬る事に成功したのだ!」
「軛?お前は、俺に何か仕込んでいたという事か?」
「まさか。言ったであろう?我は宿主に危害は加えぬ。いや、何人であろうとも宿主に危害を加える事が叶う者などおるまい。だとすれば、宿主に軛など打ち込める者は一人しかおるまい。そう、汝自身だ」
「俺自身が、軛を打ち込んだ?」
「そう。この問答をきっかけに、汝は思い出すであろう。自らの願いを、自らの祈りを、自らの悲願を!そして時が至れば、汝はそれを為すだろう。存分に我が力を振るうが良い、我が宿主!我は汝を受け入れ、成長させる。汝はもはや、我が半身も同然なのだから!」
この光景こそを待ち焦がれていた。そう言わんばかりに、黄金の獣は吼える。だが、こちらには何を言っているのかさっぱり分からない。だが、ただ一つだけ分かった事がある。この獣は選ばせる気など更々なかったのだ。この状態まで至る事こそを待っていた。いや、この状態になるという確信があった。
そしてこの状態になれば、俺がどんな選択をするのか。それを知って、いや、分かっていたのだ。この感情に気付いた時、俺がどんな選択をするのか。この獣の掌の上だったなど忌々しいにも程があるが、それも甘んじて受け入れよう。俺に教えてくれたこの馬鹿に免じて、だがな。
「さぁ、汝の選択は如何に?」
「ふん、ムカつく奴だ。答えなど分かっているだろうに。口にする事に意義があるとでも言いたいのか?――――まぁ、良いさ。今の俺は気分が良いからな。黙って聞き流してやる」
「ご主人も意外と面倒な所があるんだね」
「こいつと一緒にすんな。決まっている事を態々訊くこいつなんかとはな」
そうだ。決まっている。俺が選ぶべき道なんて、聞くまでもなく分かっている。こいつはそれでも、言えと言っているのだ。紡ぐ事にこそ意味があると信じているから。
「俺の選択は――――」
実は自分が思っているよりも繊細だったヴィント君でした。
いえ、森で暮らしている時はそういう勘性を鈍化させないと生きていけない環境だった、っていうだけなんですけどね?それがあの光景を見たことで、リミッターが外れてしまった。みたいな展開です。




