想い出語り
「メーア様ってどんな方だったんですか?」
「また唐突ですね。どうしてそんな事を気にするんですか?」
とある日の昼下がり。ゾーネさんが読み終わった魔導書を返しに来た時、急にそんな事を訊いてきた。婆さんの著作を読んで、本人にも興味が湧いたという事なんだろうか?幻想が壊れるだけだし、訊かない方が良いと思う。
「これだけ素晴らしい作品を書かれる方ですし、気にはなります。まぁ、天才肌だったという話ですし、まともな性格をされていなかったとは聞いています。それでも、気にはなりますよ」
「そうですか……婆さんがどんな人間だったか、か。なんとなく察してるとは思いますけど、結構無茶苦茶な性格をしていましたよ」
積んでおいた茶葉に湯を注ぎ、カップに茶を注ぎ込んだ。もう片方をゾーネさんに渡し、渡された本をペラペラとめくっていく。所々に婆さんが俺に課した課題の問題とその答えが書き込まれていた。本当に懐かしいな。こんな物に手こずっている時期もあったんだっけ。
今となっては片手間で解けるような問題でも、当時は何日もひたすら考え込んで解いていた。解いてみたが、間違っていて婆さんに怒られるなんて事もあった。今となっては懐かしいと言わざるを得ないような話だ。そういう意味では、この本も婆さんの思い出の一つなんだろう。
「魔導を研究していましたけど、別に魔導で人々の生活を豊かにしたいとか考えていた訳じゃないです。婆さんは魔導を通して、期限である魔法とは何かを知りたかったんです」
「魔法……ですか?」
「えぇ。ゾーネさんも知っているとは思いますけど、俺たちが研究している魔導の源流は魔法と呼ばれる異能なんです。神の奇跡――――人はそれを魔法と呼びました。人々に恵みを齎し、同時に災厄も齎したからこそ、その名前を付けられたと言われています」
「神の奇跡でありながら、同時に悪魔の方でもあったから……ですよね?」
「そうですね。しかし、そんな特別な力があれば、自分たちも使いたいと思うのは必然……それ故に、魔法に導かれた学問――――魔導は生まれた。でも、それは同時に魔法という特異性を世界から奪っていった」
魔法という特異性の消失。それは世界から神々の神秘を奪うという行為も同然だった。魔導によって実現不可能な事を可能にする異能こそが、魔法だと定義されたことも拍車をかけていた。誰にも出来ないからこそ魔法なのであり、出来てしまえば魔法は魔導に呑まれる。
婆さんはそれが我慢ならなかった。特別な物は特別なままでいなければならないと思ったからだ。例えば、雨の降った後にできる虹は美しい。しかし、それが何か別の手段で再現されれば、虹はその美しさを損なってしまう。少なくとも、オリジナルとは言えなくなる。婆さんはそれが許せなかった。
「美しい物は美しいままにあるべきだ、とは婆さんの言です。だから、人間が自らの手で命を創る、という行為も婆さんは嫌いだった。生命という神秘こそが、侵してはならない最も身近な神秘だったから。それは神の奇跡を冒涜する行為だと、そう思っていたんでしょうね」
男と女が交わる事で、子供は生まれてくる。では、何故その生命には意志が宿る?その過程では肉体は出来たとしても、意志が生まれる理由がない。物言わぬ肉の塊に何故、意志が宿り得るのか?それに理由を挙げるとするなら、生命の神秘という言葉以外にはないだろう。
だからこそ、安易に命を創る錬金術師が婆さんは気に入らなかった。いや、無機物の変性なんかでは錬金術を使っていた。しかし、命に関わる分野には決して手を出さなかった。そういう意味では、婆さんが一番嫌いだったのは死霊術師だったのかもしれないな。
人には侵さざる領分という物があって、それを犯す事は最も間違っていると信じていた。生きて死ぬ事は当然でも、命の尊厳を冒涜する行為が大の嫌い。そんな明らかに魔導士らしくもない事を、平然と口にするような人だった。
「そうなんですか?」
「まるで実体験みたいに言ってましたよ。子供なんて産んだ事もないだろうに、子供の命はこの世で最も尊い物だと信じきっていた。それだけは未だに謎ですけどね」
そこはよく分からなかった。子供だったから、という理由ではないだろう。今考えてもよく分からない、というのが実情なのだから。どうしてあそこまで頑なにそう言い続けてきたのか、未だによく分かっていない。いや、本当にどうしてなんだろうか?まぁ、考えすぎてもしょうがないか。
「ともかく、婆さんは魔導を通じて魔法という物を知りたかったんです」
「魔法を知る……ですか?」
「そう、かつて存在したとされる魔法。それが一体何だったのか?他人には出来ない事とはいったいどこまでの規模の事を言ったのか?例えば、何かの道具で代用できる範囲の事だったのか?それとも複数人が集まらなければ出来ない事を、一人でやってのけたのか?疑問は幾らでも湧いてきますから」
「それを言い出したらキリがないんじゃないですか?」
「真理を探究する、って言うのはそれだけ大変な物なんですよ。星の数ほどもある物の中から、一つの真実を見つける。そんな事が出来るなら、そいつはまごう方無き天才ですよ。まぁ、婆さんも自分の事を天才と思っていましたけど。外の力量を知らないので、何とも言えないですけど」
「メーア様は天才の域に達していたと思いますよ?多くの魔導論文で活躍されていましたし、その論文で生活水準が少なくとも一段階は上に行ったと聞いています」
「なるほど……やっぱり、婆さんは秀才止まりだったようですね」
「え?いえ、ですから……」
「ゾーネさん。天才というのは、周囲から理解されない物なんですよ。天才の思考とは常人と一線を介する物だ。誰にでも、は分からない物だ。というか、誰かの役に立とうだなんて一々考えたりしない。そういう奴の思考は徹頭徹尾、自分のための物なんだから」
天才と呼ばれる人間が理解されないのは、周囲の無理解が原因ではない。本人に根底で理解させようという気がないのだ。己自身が理解していれば、それで万事どうとでもなると思っている。実際、それでどうにかしてしまうのが天才と呼ばれる連中だ。
いや、なにも婆さんを貶している訳ではない。ただ、婆さんは天才に近い秀才でしかなかったというだけの話だ。俺がどちらかは知らないが、少なくとも婆さんはそれを自覚していた節もある。だが、それを婆さんは後悔なんてしてなかった。
「生活の水準の向上とか、婆さんはそんな事に興味はなかった。婆さんは欲しかっただけだ。魔法を介する事で、神秘を見たかった。婆さんは現実主義を自任していたけど、その実夢見がちな思考で突っ走ってきたって事か。笑える」
まぁ、実際に笑ったりはしないんだが。あれでも俺を育ててくれた親だ。いろんな部分が酷いと言わざるを得なかったが、それでも俺を育ててくれた恩人だ。貶す事はあったとしても、嘲笑うような事をするつもりはない。……棘が混ざったりしている可能性はあるけど。
ともかく、婆さんの夢を馬鹿にするつもりはない。いや、実際馬鹿だとは思っているけども。それでも、婆さんは必死にやって来たんだから……俺はそれを指をさして笑うような事をしちゃいけないんだ。それがどれだけ夢見がちな物であっても、婆さんは真剣にその事だけを考え続けてきたんだから。俺はそれをあっぱれと言いこそすれど、間抜けだとか言うつもりなんて更々ない。
「一つの事に夢中になって駆け続ける。それがどれだけ難しい事なのか、知っているんだから」
「……ヴィントさん?」
「いえ、お気になさらず。なんにしても、魔導士という意味では尊敬できる人だった。でも、他の観点から見れば……特に親という意味では駄目駄目な人間でしたけど」
「そうなんですか?」
「家事全般は駄目でしたね。料理も掃除も何も出来なかった。魔導という才能に極振りしていたせいか、他のベクトルでは何も出来なかった。どこまで行っても、あの人は殺すというベクトルでしか活躍できなかった。生産的な行動なんて錬金術ぐらいだったかな?」
実際、ポーション作りは上手い癖に料理の腕は全然。掃除するよりも破壊する方が簡単だ、とばかりに魔導でどうにかしようとしていた。アレはもう大掃除という名の破壊活動だったけどな。そんな訳で、基本的な家事は俺がしていた。
狩りとかも大変だった。あの婆さん、自分で鍛えるんじゃなくて修羅場に放り込んで無理矢理戦わせていたからな。知識を貯め込むより、実戦あるのみと言わんばかりの姿勢だった。一歩間違えれば死んでもおかしくないこの土地で、死ぬ寸前の事態に陥った事なんて腐るほどあった。
「でも、そういう割にメーア様の事は嫌いじゃなかったんですね?」
「うん?」
「だって、さっきからメーア様の話をする時、顔が何だか楽しそうですもん」
「そうですか?……まぁ、嫌いになる方が難しいですよ。色々とやらされてきましたけど、婆さんは俺の事を育ててくれた。決して飽きる事なく、俺の世話をしてくれた。どこまで行っても、婆さんが俺の母親である事には変わりないんですよ」
俺は本当の両親を知らない。婆さんと一体どんな関係だったのかも知らない。でも、婆さんは俺の事を育ててくれた。どんな経緯で俺の世話をする事になったのかは分からないが、婆さんはその役割を完遂した。だから、公には言えないが婆さんの事は好きだった。もし、言ったりしたら揶揄ってきただろうしな。
「でも、その割に、メーア様の事を婆さんだなんて言うんですね?」
「あぁ、それは……婆さんは若作りの天才でしたから。本来の年齢は知りませんけど、それでも幼い頃から容姿に関しては一切変化がなかったんです。だから、時止め婆さん略して婆さんと呼んでるだけですよ」
俺の言葉にゾーネさんは唖然としていた。その表情に微笑を浮かべながら、カップを持って部屋に戻った。そして部屋の中にある本を手に取り、表紙を一撫でした後に中身を久しぶりに確認するのだった。
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