輝ける猛威
先ほどから耳鳴りと呼んで差支えのない程に脈動していた刻印が静かになった。いや、静かになったというより、反発していた肉体が同調したというべきだろう。普通の肉体とこの刻印は相反する存在だ。少なくとも、ただでは交じり合わない。刻印か肉体、どちらかを近付けなければならない。そうしなければ、本質を発揮する事ができない。
しかし、それは当然だ。白も黒も、互いにその形としてしか存在できない。交じり合う事など、出来る筈がないのだ。お互いに確固たる存在であるが故に、灰色となる事は赦されない。どちらかが譲歩しない限り、お互いに力を削り合わせてしまう。折角のパワーアップも削り合ってしまう事で、本領を発揮できなくなってしまう。だからこそ、素のままでぶつけ合わせてしまってはいけない。本能に理性を混ぜ合わせる。ただ荒れ狂う力の奔流を肉体で操作する。ただ奔流に身を任せるのではなく、それに寄り添いながら力の方向を決める。
「くそっ……急に」
こちらの動きが急に洗練し始め、相手は困惑していた。まぁ、今まで動物みたいに戦ってた奴が唐突な変化を遂げたら驚かない訳がないんだが。俺でも多少なりとも混乱するだろう。雪崩のように内から湧き立つ魔力を肉体に同調させる。その行為は今まで殆どの者が挑み、失敗してきた事だった。何故なら、肉体には魔力とは違う力――――生命力が宿っているからだ。
魔力と生命力は本来、対極にある力だ。魔力が魂から出る物と仮定した場合、肉体から生ずる生命力とは相性が悪い。それも致命的と言っても良い程に。それが何故なのかは全く分かっていないが。魔力や生命力の正体など誰も分かっていない。それがどこから生まれ、どこに消えていくのか。そういった事は一切分かっていない。そもそも、研究の土台が整っていないような現状だ。
少なくとも、この二つは同時に運用する事ができない。という結論だけは出ている。だからこそ、強化魔法などという物が生まれた。魔力と生命力の同時運用ができないからこそ、魔力による一方的な強化が行われているのだ。
では、今俺がしているのは何なのか?その答えは、俺が体内で魔力と生命力のバランスを常に保ち続けている。要するに、常に際どいバランスを保ち続ける事で漸く魔力と生命力の両立する事ができる。そんな綱渡りをしなければ、この状態を保つことは出来ない。だが、少なくともそうするだけの価値は十分にある。
第一に、必要以上に魔力を使用する必要がない。強化魔法は一方的な強化であるが故に、使用する魔力量に比べて強化される量が少ない。つまり、無駄に魔力を消費しているという事だ。
第二に、強化される量が段違いに多い。強化術式とは異なり、あくまでも肉体に沿った強化であるが故に負担を少なくしたうえで強化の幅を増やせる。それだけの効率の良さを誇りながらも、自分の力の上げ幅は強化術式による物とは段違いに高い。
第三に、強化する場所を自由に選べる。強化術式にはそういう自由が効かない。術式が発動すると、事前に決められていた一部分しか強化できない。それに反して、こちらは流動的に強化する範囲を指定できる。
勿論、綱渡りに失敗すれば後に残るのは暴走による死だ。一瞬たりとも気を抜く事は赦されず、常に演算能力の一部を占領される。しかし、それだけの価値を有していると言えるだろう。
『空高く舞う亜竜どもよ、汝ら身の程を知り天より落ちよ』
その言葉によって空を舞っていたワイバーンたちが次々に墜ちていく。そして墜ちたワイバーンは暫くピクピクとした後、動きを止めた。その姿を見た魔族の女は冷や汗を流していた。俺が今一体何をしたのか、そしてそのでたらめさが理解できるからだろう。
「高等呪術……今では廃れたような術を何の前準備もなしに行使するなんて……」
呪術。それは何かを代償にする事で対象を呪う魔法。それをスケールアップさせた物が高等呪術。何にでも言える事ではあるが、何かを得ようとするなら何かを代償にしなければならない。何の代償もなく何かを得ることは出来ないように、何かを得るには何かを捧げなくてはならない。それが当然の理屈であり、当たり前の事なのだから。だが、今したのは常軌を逸する反則だ。何も犠牲にせず、ただ結果だけを得るという反則を。
そんな情景に、魔族の女はあり得ない物を見たような視線を俺に向けた。その視線がどんな意味を持っていたのか、俺には分からない。だが、少なくとも女にとっては行動を決めるきっかけとなったらしい。魔族の男を殴り飛ばすと、すぐにその腕を取って待機していた一際大きいワイバーンに乗り込んだ。
「おい、何すんだ!?まだ決着はついてないんだぞ!?」
「そんな事を言っている場合ですか!アレはまずい……最低限の目標は達したのです。今すぐに退却するのが当然です」
「ふざけんな!今後の事を考えれば、あいつは今消しておくべきだろう!この好機を逃すって言うのがどういう事か、お前分かってんのか!」
「そんな事を言っていられる余裕があると思っているんですか……ッ!?」
「お取込み中悪いが。割り込ませてもらう」
落ちた剣を拾い上げ、魔力を注ぎ込む。瞬く間に魔力を吸収した剣の柄から魔力で構成された剣が構築される。ワイバーンごと魔族の男と女を断ち斬ろうと、どこまでも伸びていく魔力剣を振り降ろす。残念ながら躱されてしまったが、剣の直線上にいたワイバーンは根こそぎ薙ぎ払った。もう一度剣を握り直し刃に大量の魔力を流そうとした瞬間、男の方がこちらを指を向けてきた。
「おい、お前の名前は何だ?」
「人の名前を訊きたかったらまず自分が名乗れよ」
「口の減らない人間だ。だが、まぁ、良い。俺は魔王様直系の第五子、シェトラウス・クリストハイト・アウグストだ!」
「そうか。魔王の子供が相手だったとは恐れ入る。俺はヴィント・アルタール。この国で教師兼冒険者をしている」
「そうか……では、ヴィント・アルタールよ!貴様は俺の敵となった。貴様の命を奪うのはこの俺だという事を、忘れるな!」
そんな言葉と共に、魔族とワイバーンは姿を消した。他のワイバーンも逃げ出すか、或いは狩られていた。これで今日のどんちゃん騒ぎは終わるだろう。まったく疲れた物だ。そう思いながら月を見上げて黄昏ていた俺を見ていた視線があった事にも気付かず、俺は煌々と輝く月を見上げているのだった。




