ワイバーン退治
唐突に現れたワイバーンという脅威に、会場は悲鳴と恐怖に支配されていた。普段は高慢ちきな貴族も、生徒も教師も、多くの者がその脅威に怯えていた。
「落ち着け!たかがワイバーン一体、ここにいる全員の力を合わせれば恐れる必要はない!」
すぐさまそう叫んだのは、アステルと名乗っていた総代の少年。彼の実力を知っているのか、多くの者が混乱から立ち直ってワイバーンと向かい合っていた。それでも恐怖は抜けきっていないようだが。実際、ワイバーンが咆哮すると、身体を硬直させていた。あれでは普段通りの動きは出来ないだろうな。そう思っていると、学園長が隣に現れた。
「ヴィント先生」
「……何か御用ですか?学園長」
「ヴィント先生は参加されないのですか?先生なら簡単にあれを斃せるでしょうに」
「私が態々そんな事をするとお思いなんですか?学園長、私はそこまで生徒想いの教師ではありませんよ。それに、放っておいても大丈夫でしょう。まだ動きはぎこちないですが、それでもあれだけの面子がいれば斃せない相手ではない」
ワイバーンなんて本でしか見たことはないが、要するに翼を生やした蜥蜴だ。本物の龍には遠く及ばない。純色、それも黒に挑んだ事がある身からすれば、あんな物はお遊びにも程遠い。それにここの面子でもどうにかなるような事態に首を突っ込む気は更々ない。
「そうですねぇ。しかし、お偉方がうるさいのですよ」
「放っておけば良いでしょう。魔物を狩るという事は、確実に彼らにとってプラスだ。命を落とす寸前までやらせてやれば良い。そうでもなければ、成長などできる筈がない」
「まぁ、それもそうなんですけどね……」
そうして話しながら見ていると、ついにワイバーンが斃れた。その事実にその場の全員が湧いていた。俺からすればそれがどうしたというレベルでも、この場にいる者たちにとってはそうでもないんだろう。安心しきってへたり込んでいる者もいた。
しかし、それを嘲笑うかのように今度は五匹のワイバーンが襲ってきた。数十人がかりで漸く斃せた相手が今度は五匹も現れた。その事実は生徒たちから思考能力を奪っていた。学園長はこれはまずいと考えたのか、俺に取引を持ち込んできた。
「ヴィント先生、アレを始末して下さるなら閲覧できる蔵書のレベルを上げても良いですよ」
「ほぅ……それは本当ですか?」
「先生も学問の徒だ。金銀財宝や名誉などより、そういう物の方が望みでしょう?」
「よく分かっていらっしゃる。確かに俺はそんな物は必要としていません。そんな物、必要以上にあっても余らせるだけです。適度に遊び生活できるお金があるなら、それで十分ですから」
「あなたらしい。彼女も同じような所がありましたよ。学問に総てを捧げ、そのためなら何でもできるような人物でした。それだけに彼女が君を育てたというのは意外でしたよ」
それはそうだろう。育てられた俺をして、婆さんが良い母親だったとは言えない。真理探究のために総てを捨てた女。そう感じる事もあながち間違いとは言い切れない。実際、傍にいた俺ですらそう思うのだから。
片手に魔導陣を出現させて剣を引き抜きながら、ワイバーンとの距離を詰める。そして一体の顔に乗り、瞳を横一文字に斬り裂く。眼球が潰されたワイバーンは盛大な悲鳴を上げる。その悲鳴を無視し、思いっきり足を人で言う眉間のあたりに振り下ろす。その衝撃を首に集中させ、まっすぐにさせる。その瞬間に強化した膝打ちを連続で首に叩き込む。二十回目に届いた辺りでワイバーンの首がへし折れた。
その時、剣が仄かに光っていた事に気が付いた。もしかして、と思いながら魔力を注いでみると輝きが強くなった。その時は気付かなかったが、この剣が魔力を吸収できる剣――――魔力剣とでも言うべき物だとは思っていなかった。試しに魔力を注ぎながらワイバーンの翼を斬ってみると、何の抵抗も感じさせずに崩れ落ちた。本当にとんでもない物を作るな、あの鍛冶師は。まぁ、今はそれがここにある事を感謝するとしよう。
「まぁ、この程度の舞台では不満も出ようが。今は我慢してもらうとしよう」
片手で魔導陣を操作し、片手でワイバーンを斬り捨てていく。俺にとっては当たり前の事でしかない。魔法使いや魔術師は固定砲台であるだけではいけない。それ単体で完成された戦力であるべきである。それが婆さんの教育方針だったのだから。
東の国には太極という概念が存在するそうだ。総ての存在が帰結する万物の根源。つまり、総ては一つの存在として完結していた。それが何らかの理由で分かたれ、そこから連鎖するように増え続けた。
万物の根源――――真理に至るという事は一つに回帰するという事。であるなら、一人で何でもできる事が当然という事になる。だからこそ、魔法も物理的な攻撃方法も鍛えさせられる羽目になったのは良い思い出だ。もう思い出したくないけど。
そんな事を考えながら戦っていると、八つ当たり気味に敵を叩きのめしていた。もはや最後の一体は満身創痍も良い所だった。流石にこれ以上続けるのは酷という物だろう。一撃で終わらせるとしよう。
強化した腕力で投げられた剣はワイバーンの喉を貫き、そのまま壁に縫い止められた。動けなくなったワイバーンの腹に衝撃透過の術式を使った拳を叩きこむ。ワイバーンの骨が軋む音が聞こえてきた。暫くもがいていたが、何も出来ずに死んだワイバーンの死体から剣を引き抜く。そして学園長の方を向く。
「これで良いんですか?学園長」
「はい、お疲れ様です。さぁ、皆さん。先生の指示に従って避難してください。これ以上ここにいても仕方がありませんからね」
「学園長、失礼ながらよろしいでしょうか?」
「ふむ、なんですか?カラウスティ君」
「今回の襲撃、何者かによる犯行であると思われます。そうであるなら、ワイバーンはこの程度の数ではないでしょう。もっと多くのワイバーンが王都にいる可能性があります。そうだった場合、逃げる場所などないのでは?」
「それは大丈夫です。いざという時に用意されたシェルター、そしてシェルターからは脱出口も用意されています。私たち教師が君たちを守りますから、心配なさらずとも結構ですよ」
「学園長、僕は国のお役に立つためにこの学園に来ました。そんな僕が、この国の危機におめおめと逃げ出す訳にはいきません」
「ふむ……では、君はどうしたいのですか?」
「有志を募り、ワイバーン退治に向かいます。迷える民たちを救うのは、貴族や騎士の役目です。少なくとも、僕はそうであると信じています。だからこそ、こういう時に逃げては僕らの存在価値がなくなってしまうと思います」
大層な言葉だ。それで実力も伴っていれば言う事はなかったんだがな。何にしても、俺には関係のない話だ。移動するとしよう。こんな場所にいても、できる事など限られているだろうしな。誰にも気付かれないように移動した。総代君が全員の視線を集めてくれたおかげで、楽に抜ける事ができた。そうして出て行った先では相当数のワイバーンが暴れていた。しかし、地上から放たれる魔導によって次々と撃ち落されていた。まぁ、空中から襲われて死んでいく者もいるようだが。
「さて、俺はどうした物かね」
正直な話、ここの図書館さえ守れればそれで良い。この住民にどんな被害が出ようと、知った事ではない。宿屋が潰されるのは正直困るんだが、魔力探査を使ってみると既に女将さんはシェルターとやらに逃げたようだ。もしかしたら王都から離れてしまうかもしれないが、それはそれで仕方がないと諦めよう。それでも、可能性は低い方が良いだろう。空中に魔導陣を描き、同時に魔力を注ぎ込む。
「雷よ、薙ぎ払え」
描かれた魔導陣から一陣の雷が放たれ、その直線上にあったワイバーンが感電して落ちていく。突然の攻撃に軍勢も慌てていたが、すぐさまこの隙を逃すなとばかりに攻撃を仕掛けていた。その様子にため息を吐きながら、俺も参加しようと思った。あんな調子じゃいつ終わるか分かった物じゃない。手っ取り早くこの騒ぎを終わらせる。騒動も結構だが、正直俺はさっさと寝たい。そう思っていた所に制服姿のゾーネさんが近付いてきた。
「ヴィントさん!」
「ゾーネさん……一応、ここでは先生です」
「そんな事はどうでも良いんです!」
「どうでも良いって……まぁ、確かにどうでも良いですけど。それで、俺に何か御用ですか?」
「あの戦いに参加するんですか?」
「ええ。俺もいい加減眠いので、手早く静かになってもらおうと思いまして。言っておきますが、ついてくるとか言わないでくださいよ?面倒はごめんなので」
「なら勝手について行きます。私はもっと強くなりたいんです」
「はぁ……では勝手にしてください。どうなろうと俺の知った事ではありませんから」
説得などという面倒な事はしない。そんな物は時間の無駄でしかないからだ。どうせ、何を言ったところで止まる筈がないのだ。こういうタイプは勝手にさせる。その結果どうなっても、俺は干渉しない。それが一番心の平穏を乱されないからな。そう考えながら、学園を出るのだった。
唐突に現れたワイバーンによって、王都は割と阿鼻叫喚な状態だった。まぁ、小型な上にそう強い訳ではないとはいえ数が数だった。目視しただけでもざっと五十はいる。ワイバーンは火のブレスを吐き、強靭な牙と爪を持つ龍種。本物とは比べるのもおこがましい程の小物だが、それでも普通の人からすれば強敵なんだろう。まぁ、俺にはどうしようもない事だが。
「ヴィントさん、まずどうするんですか?」
「そうでねぇ……でかい奴を探しましょうか」
「でかい奴……?」
「より正確に言うなら偉そうな奴。或いは周りとは違う奴。ワイバーンが小型の龍種とは言え、基本的には獣と同じだ。リーダーはリーダーとなる理由がある。それは外見に如実に表れる」
大抵は図体がでかいとか、特徴と言える物が強力そうとか様々だ。どちらにしても、リーダーは周りとは決定的に違うのは確かだ。そしてこれだけの群体である以上、必ずリーダーは存在する。そうでもなければ、無秩序に暴れまわるものだ。少なくとも、転送直後にピンポイントで六体も同じ場所に突っ込んでくる訳がない。そんな事ができるのは知識のある者がいるからだ。
何かが起こるにはそれ相応の要因がある。何の理由もなく何かが起こるというのはあり得ない。その理由が気紛れであっても、そこには気紛れという理由が存在するのだ。何もないという事は絶対にありえない。
「頭を潰せば、少なくともこの場は凌げる。指揮官がいなくなった軍隊が崩壊するのと同じ理屈だ」
「なるほど……でも、こう数が多いと見極めるのに時間がかかるのでは?こんな夜中には特に」
「そうですね。視界の悪さは気配探知でどうにかなるので問題ありませんけど」
魔力探査は通用しない。これだけ魔法が入り乱れていると、こちらには対抗手段がない。気配探査を使用してはいるが、これだけの数の生物相手にはした事がない。更に言えば、戦闘のせいで余計分かりにくくなっている。
血の臭い、闘争の香り。俺の中枢神経を刺激するそれに高揚させられる。それを何とか抑えつつ、探し続ける。だが、はっきり言ってこの状態は長くは続かない。服によって隠れてはいるが、心臓部から中心に広がっている刻印が腕の肘辺りまで来ている。完全に広がれば容赦も遠慮もなくなる。この辺りを消し飛ばしてでも、ワイバーンを討滅しにかかる。その時、被害など頭から消し飛ぶ。
刻印の保持者を闘争に駆り立て、周囲に破壊を齎す。一種の呪いだろうが、それがいつ刻まれた物なのかは知らない。少なくとも、婆さんではない。婆さんは呪いなんかの術式は系統外だったから。それよりは現実に影響を与える術式の方が得意だった。
「まったく、面倒な事をしてくれる……」
「それはこちらも同じ気持ちですよ」
俺がそう言った瞬間に現れた存在はフードを目深にかぶり、こちらを睨みつけていた。
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