授業後
授業が終わった後、俺は教室を出ようとした。この教室をこの後も使う者はいないのだが、ここにいても仕方がないからだ。
「先生、時間はよろしいでしょうか?」
「うん?どうかしたか、マクギリス。次の授業の場所に行かなくても良いのか?」
「元々この後は授業を取っていませんから、大丈夫です。それより質問したい事があるんですが、お時間はよろしいでしょうか?」
「まぁ、構わんが……何が訊きたいんだ?」
しかし、いくら授業が好きに選べるからと言ってこれで終わりというのはどうなんだろうか。いや、そんな事はどうでも良いんだが。態々訊きたい事があると言うなら、答えてやろう。どうでもいい話だったら無視するが。
「私の研究について、先生は深く言及しなかったのは何故なんでしょうか?」
「なんだ。言及して欲しかったのか?何故、お前はこんな未開の分野に挑戦するんだ、と訊いてほしかったのか?」
「いいえ。ただ、私がこう言うと誰もが訊いて来ました。『何故、そんな益もない物を研究したいのか?』と。しかし、先生は何も言わなかった。だからこそ、訊きたいと思うのです」
「アホらしい。そんな益体もない事を、態々問うのか?俺たち魔導士は真理へと至る事を最終的な目的としている。その目的を前にして、そのような些事を問うなど愚か者のする事だ」
本当に愚かな質問だ。色々な事に手を伸ばさなければ、真理になど到達できる筈がない。どのような事であっても、利益はあるのだ。本当に益のない物など存在しない。この世に存在する物は、総て学ぶべき対象だ。言ってしまえば、その辺の石ころにだって調べれば何かの価値が出てくるかもしれない。どこに何があるのかなど、俺たちに分かる筈がない。だからこそ、それを調べ探究する事こそが俺たちの役割なのだ。
「俺たちは探究者だ。そこに道理など求めてはならない。俺たちが求める者はただ真理のみ。益かどうかなど後の人間が決めれば良い事だ」
「では、先生は私の研究をどう思われますか?」
「どうも何も、必要な事だ。人々の礎となる事が、我々に求められている事でもある。真理とは総じてそういう物だ。無論、自分のためにそれを求めるのは決して悪い事ではないだろうがな」
少なくとも、俺は誰かのためになんて思った事はない。婆さんの研究を引き継ぎ、これまで研究を続けてきた。総ては果ての一点に辿り着くため。それ以外の事などどうでも良い。名誉も権力も何もかも、俺にとってはどうでも良いものでしかない。
だからこそ、真理へと到達する事は俺のため。顔も知らぬ誰かのためでは決してない。俺はいつの日か、必ずその果てへと到達する。それが何の目的もなかった俺が、ただ一つ決めた目的なのだから。
「そうですか……なら、先生。私の研究を手伝ってください。私は必ず、私の願いを完遂させたい」
「俺の研究のついでなら、別に構わん。俺には俺の目的があり、君には君の目的がある。その目的が重なっている間は、俺は君に協力しよう」
「……ありがとうございます」
マクギリスは頭を下げ、俺はそれを黙って見ていた。そして俺は肩を叩き、顔を上げさせた。同じ研究者で俺にも利益がある以上、手伝うのは寧ろ当然といっても良い。利益が何もないのなら無視したかもしれない。今回は違うんだから、断る理由はないと言って良い。
「ついて来い、マクギリス。俺の研究室に案内してやる。ついでにお前の研究テーマの課題も出してやる。お前が俺の生徒である限り、俺はお前に協力してやろう。それが俺の義務であり、責任だからな。その責任がある限り、俺はお前を見捨てる事はないさ」
「……はい!」
「先生、俺たちもついて行っていいですか?」
「レーゲンか……そう言えばお前たちは兄妹なのだろう?どっちが上なんだ?」
「俺が上ですよ。俺が兄でアイリスが妹」
「なるほど。ならばこれからはそれを念頭に置くとしよう。それで、お前たちもついて来るのか?」
「俺たちもこの後は授業ありませんし。進路もだいたい決まってる以上、後は勉学に励むだけ。いや、先生が来てくれて本当に助かったぜ。俺たちに教えられるほどの教師なんてそういないしな」
「……それは知識的な意味でか?」
「いや、実力的な意味でだけど。ここの教師はいくら理論を立てるのが上手くても、それを活用できる奴が少なすぎるんだ。先生はそんな事ないだろ?」
「当たり前だ。いかなる技術であろうと、実践できなければ意味がない。机上の空論など、紙屑にすら劣るわ。そんな物を誇らしげに自慢できるとでも?どんな厚顔無恥だ?そいつは」
「やっぱり先生もそう思うよな?でも、ここの教師連中は本当にそんな奴がいっぱいいるんだぜ?そりゃあ、学院長は実力もあるけどさ。習うなんて学生じゃ恐ろしくてできやしない。本当にもったいない」
「……兄さんはもうちょっと大人しくした方が良いと思う」
「おいおい、そう言うなよ。強くなりたいと思ったら、勉強と鍛練は必須だろ?その二つをやったら試してみたいと思うのは当然じゃねぇか」
「お母様が嘆きそうな事を平気で言うのは止めるべき。あんまりふざけていると、お父様からお叱りを受ける事になる」
「そりゃあ、そうかもしれないけどよ。こればっかりは性だからさ。諦めてもらうしかねぇわな」
「そうやって反省しないから……あれ?先生は?」
「あん?……なんか俺ら置いていかれてね?」
「間違いなく。早く追うべき」
「分かってるっての!あの先生も中々容赦がないなぁ、おい!」
そうして置いていかれている事に気付いたレーゲン兄妹を引き連れ、俺の研究室に戻ってきた。俺は持っていたノートを机の上に置く。そして棚に入っている本を手に取る。内容があっているかどうか確認しながら、座っている三人に視線を向けた。
「レーゲン兄は風属性の移動魔導の構築。レーゲン妹は魔導術式の属性変化。マクギリスは闇属性魔導の研究。レーゲン兄はまだしも残り二人は際どい研究テーマだな。相当時間がかかる」
「承知の上」
「誰かが通る道ですから」
「簡単に言ってくれる……レーゲン妹。お前は一体どの程度研究を進めている?」
「単体級の術式は大体終わらせている。集団級の術式はまだ途中。軍団級に至ってはまだ手も付けていない。使える場所がないから」
魔導にも階級という物は存在する。単体級、集団級、軍団級、国家級の四つに加えて、世界級なんて物も存在するらしい。とはいえ、そんな物は伝説に等しく現存などしていないそうだが。存在しているとするなら、もはや魔法と言っても過言じゃないだろうな。
「それにしても、本当に基礎からやっているんだな。それではいつまで経っても終わらんぞ?」
「別に構わない。私は早く終わらせたいとは思っていない。自分がきちんと納得したいだけ」
極めたい訳ではなく、ただ確認をしたいのだと言う。確かに、多くの人が関われば間違いが生まれる事はある。それに従っていたら、おかしな部分も必然的に現れる。だからこそ、一つ一つ自分で確認したいのだろう。
「その確認作業だけでお前の一生が終わるぞ。何故そんなにも意固地なのかは知らんが、少しは先人の知恵を頼れ。さもなくば、お前はお前の望む場所まで辿り着く事は叶わんぞ」
「それでも、私は自分の目で確かめたい。自分の目で確認もせずに安全だなんて、到底思えない。確認するためにどれだけ時間をかけたとしても、私は後悔しない」
「……そこまで言うのなら無理強いはすまい。お前の努力を見守るとしよう」
どうしてここまで意固地なのかは分からないが、何か理由があるんだろう。その事に一々何かを言っても仕方がない。本人がやろうとしている事にケチをつけるのは、愚か者のする事だ。それがどれだけ無駄であっても、本人が納得するために必要なのならそうさせておけば良い。
その意志を挫く必要などどこにもない。寧ろ、進めてやらせるべきだ。そうでもなければ、何も変わる物などありはしない。変化こそが俺たちの日常であるのだから。そうでもなければ、俺たちは進歩などすることは出来ない。
「それで、マクギリスの方はどうなっている?」
「光の対となる属性ですから、まずは光の属性を学んでいます。数少ない闇属性の魔導と照らし合わせながら、相違点を探っている段階ですね」
「まぁ、そんな物だろうな」
誰も研究していない、という事はそれだけ資料が少ないという事を意味する。そんな状態で研究しても、中々進まないのは自明の理だろう。俺は持っていた本を差し出した。本とは言ったものの、婆さんの研究資料だ。俺はもう総て目を通したので渡したとしても問題はない。
「これは……?」
「闇属性魔導術式が記載された資料だ。これを読んで闇属性魔導に必要な要素をレポートに纏めて提出しろ。期限は月末までだ」
「え?ど、どうして先生がそんな資料を?」
「俺の義母が持っていた物だ。多少なら構わんが、あまり汚すなよ」
「は、はい!ありがとうございます!」
そう嬉しそうな表情を浮かべながら、マクギリスは頭を下げた。それにしても、よく頭を下げる奴だな。研究者らしくもないと言わざるを得ないが、それでもこういう性格なら渡したとしても婆さんは怒らないだろう。傍若無人ではあったが、仁義を大切にしている人だったからな。
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