模擬授業
この学院ではクラス分けがなされているがその実、教室単位で動く事は少ない。それは生徒が個々人で授業を選択するからだ。精々、そういった行事位にしか一緒に動く事がないらしい。教師にはほとんど関係のない話だが、関係のある話でもある。
「聞いてらっしゃいますか?先生」
「……聞いてるよ。それで?俺に何の用なんだ?」
「ですから、先生の授業を受けるために必要な物が何か教えていただきたいのです」
今、俺の目の前にいるのは俺の授業を受けたいという生徒たちだ。俺は宿からこの学院に通っているが、研究室に着くと既に研究室の前に立っていた。そして何か用があるというので案内したのがさっきだ。昨日は生活費を得るために狩りに出ていたので、正直疲れてるんだけどなぁ。
「その前に、するべき事があるだろう。君たちの名前、あと学年は?自己紹介は基礎の基礎だろうに」
俺がそう言うと、慌てたように片方の生徒――――金髪の優しげな雰囲気の女子生徒が頭を下げながら口を開いた。
「……これは失礼しました。三年B組の魔導学専攻のイシス・アリエル・フォン・クリスハイトと申します」
次に白、というよりは灰色がかった髪色の小柄な女子生徒が口を開いた。
「……同じく魔導学専攻のサリア・エリディス」
「僕らは先生の授業に大変興味があります。魔導研究の授業は今までありませんでしたから。先生はどんな授業を行うつもりなんですか?」
「クリスハイトにエリディスか。クリスハイトの質問に答える前に訊いておくが、魔導学と言ってもどんな魔導を専門分野にしている?」
魔導と一口に言っても、様々な物がある。植物に関わる物も、大地に関わる物も、治癒に関わる物も、挙げ始めれば切りがない程に。だからこそ、知る必要があるのだ。相手がどんな知識を求めているのかを。それを知らなければ、期待に応えられるかどうかなど分からない。
「……私は魔導具の製作。魔導でしか起こせない事象を、もっと手軽な形でも起こせるようにするのが目的」
「僕は治癒術式の簡略化を。神殿に努めている者しか使えないとされている物を、一般的な魔導士にも使えるようにするのが目的です」
「ふむ……なるほど。それじゃあ、はい」
「これは……」
「……何の変哲もない紙?」
そう、二人に渡したのは何の変哲もない紙だ。表にも裏にも何も書いてないだけの紙だ。そんな物を渡されても、普通は困惑するだろう。だが、俺の授業を受けるなら誰もが通ってもらう関門だ。これも出来ないようでは、俺も授業をするつもりなどない。
「その紙に自分が専攻している魔導を書け。言っておくが、俺は暗記した物は認めないから。基本的に俺の頭には各分野の魔導式が入ってるから、知らない物を書こうとしても無駄だぞ」
「えっ!?」
「……どういう事、ですか?」
「この学院にある論文を幾つか読んだがな。どいつもこいつも、今ある物を改変させるか歴史がどうのこうのと述べる奴しかない。お前らには魔導を創る技能を身に着けてもらう」
「そ、そんなの無茶です!普通、魔導式を創るには相当長い時間がかかるって……」
「お前は目の前に今ある手段を講じても治らない患者を前にしても、そんな事を言うのか?」
「それは……」
「それに俺は何も使える魔導式を書け、と言っている訳じゃない。使えなくても良い。でも、一歩踏み出さなければ何も出来ない。クリスハイトの理想も、エリディスの夢も、絵に描いたパン同然だ。だからまずは、自分にできる事をしろ。お前が出来る事はそうやって愚図る事しかないのか?」
踏み出さなければ、何も変わらないし始まらない。婆さんが俺に最初に言った言葉だ。何かをするにしても、まずは動かなければならないと。あの時は婆さんに腹が減った、って言った時だったような気がするが、それは別にどうでも良いだろう。重要なのは、変化のためには行動が必要不可欠という話なのだから。
「まずは書け。成否とかそういう事は後で判定する。だから、気にせずに書け」
「……分かりました。やってみます」
そしてそれから50ヘルテス経った後、紙を回収した。両方とも熱心に紙に向かい合い、こうじゃないと頭を抱えながら紙に魔導式を書き込んでいた。少なくともやる気に満ちていたし、不真面目な生徒ではないようだ。そもそも不真面目な奴ならこんな場所に来る事自体しないだろうが、それはどうでも良い。
「……………………」
二人が書いた魔導式を確認しながら、大体どういう意図で書かれた魔導式なのか理解した。三年もいるだけあって、基礎の部分はキチンと押さえられているようだ。だが、経験のせいなのか式に幾つか変な所があった。それでも、初心者にしては上々と言える出来具合なので、強く文句を言うつもりはない。
「クリスハイト。一応訊いておくが、この式はどういう意図で作った?」
「は、はい!それは火傷などの跡が残る傷に使うつもりで作ってあります。今の魔導式では一度負った火傷を完全な形で治すことはできませんから」
正確に言うと、できない訳ではない。一度固まってしまった火傷はとある成分があるため、ちゃんと治す事ができないのだ。そのとある成分が治癒魔法の効果を阻んでしまうためだ。なので、火傷の跡などは一度こそぎ落とし改めて治癒魔法をかけ直す。
しかし、その手法故にやる方にもやられる方にも好まれていない。やられる方はもう一度火傷を負った時と同じ痛みを味わう事になるし、やる方は大概血塗れだ。それにこの手法はあまり知られていないのも相まって、火傷を負ったら間に合わなければそのままという場合が多いそうだ。
「なるほど。よく練られているな。無茶振りをしたとは思っているが、それでもよくこれだけの魔導式を基礎だけとはいえ創れたものだ」
「ありがとうございます!」
「それでエリディスのこの魔導式は……火力を操作する魔導陣、という事で良いか?料理器具に使うタイプだな」
「……先生はよく分かってる。その通り」
エリディスはどこか自信ありげにそう言った。実際、自信があるのだろう。この出来具合からして、学院に来る前から関わっていたのだろう。この学院に来てからも相当勉強を積み重ねてきたのだろう。確かに、クリスハイトよりも研鑽された跡がうかがえる。
「ただ……二人とも、幾つか間違っている箇所があるな」
「ど、どこですか?」
「落ち着け。黒板に書いて説明してやる」
どこの研究室にも置いてあるという黒板にクリスハイトの魔導式を描いていく。一見、どこを見ても間違いなどないような綺麗な術式だ。これほどの術式を学生が書けるなら、相当なレベルだろう。そういう意味で言えば、ゾーネさんってとんでもないレベルなんだな。
「さて、これから解説を始める訳だが……まず、どこが間違っていると思う?エリディス」
「……治癒魔導は専門外」
「専門家は自分の専門としている物だけ取り入れれば良い訳ではない。他の分野から自分の専門に取り込む努力をしなければならない。何も最初から正解しろ、と言っている訳ではない。お前の眼から見て、おかしな点はないか?という話だ」
「……強いて言うなら。魔力の巡りが悪そう」
「そうだな。それも挙げられる一つだ。効果を優先していたせいか、効率が悪いやり方になってしまっている。この魔導式であれば……こうすれば効率は1.2倍くらいは上がるだろう」
「そ、そんなにですか!?」
「ああ。この魔導式はまず傷を分解し、そこに治療を施す物だろう?ならば、こうした方が良い。少なくとも、理論上はな」
「ほ、他には!他にはありませんか!?」
「ある事にはある。だが、その前にエリディスの解説をしておこう」
「……?別に私は後回しでも構わない」
「最後まで解説していたら次の授業が始まるぞ。その前に少しでも解説をしておいた方が良いだろう?残りは次回までの課題にしておこう」
「それはどういう……」
「次はエリディスの魔導式だ。クリスハイト、どこか違和感はないか?」
「……サリアの魔導式は料理器具に使う物なんだよね?」
「そう」
「……温度制限の式が見当たらないんだけど」
「……本当だ。これじゃあ、魔力を注げば注ぐほどに火力が上がっちゃう」
「クリスハイトの言う通りだな。そこで、制限をかける式をどこに書けばいいか……分かるか?」
俺がそう訊ねると、エリディスは立ち上がり躊躇なく示した。やはりよく分かっているな。魔導具に魔導を刻みこむ作業は基本的に一発勝負らしいし、間違いを把握する能力に長けているんだろう。何せ失敗するごとに無駄金が増えて行くからな。だからこそ、魔導具技師は同じような魔導具を作っているらしいんだが。
「正解だ。ここにこういう術式を書けば……料理をする分には十分な火力を出せるだろう」
「なるほど……こうしては駄目?」
「それも一つの手段だな。俺が書いたのは一般家庭用。エリディスが書いたのは料理店用の物だな。一般家庭と料理店は必要な火力が異なっているから、必要となってくる魔導陣も異なってくる。だから、それも一つの正解だ」
俺がそう言った時、ちょうどベルの音が響いてきた。始業と授業終了の合図は基本的にベルで行われている。今ベルが鳴ったという事は、授業が終わった合図だ。チョークを置き、回収した紙を二人に返した。
「このように俺の授業は行う。分かったな」
「え?……今のは授業だったんですか?」
「簡易的な物だがな。概要としてはこんな物だ。何か質問はあるか?」
「いえ、特にありません」
「……この魔導式の解説を」
「それは宿題だ。次の授業の時に自分なりに考えた物を持ってこい。因みに授業は明後日の昼からだ」
「分かりました!よろしくお願いします!……ほら、行くよサリア。次の授業に間に合わなくなる」
「まだ聞き足りない……」
「そんなの僕だって一緒だよ!ほら、早く!」
エリディスの手を掴んで歩いて行くクリスハイトと連れて行かれたエリディスが出て行った扉を閉め、椅子に座り込んだ。そして思いの外、才能とやる気のある生徒の出現に微笑を浮かべるのだった。
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