始業式
春。多くの植物が芽吹き、多くの者にとって始まりとなる季節。それはこの場所も例外ではなかった。
アルスター高等学院。一般的な教育が十五で終わるのだが、専門職に就きたい者やもっと勉強をしたいという者が通う場所。多くの高名な騎士や魔導士たちを輩出したこの場所で、入学式兼始業式が行われていた。
「諸君、君たちとまたこうして顔を合わせる事ができたことを私は嬉しく思う。これから始まる者、まだ続く者、今年を持ってここを去る者。多くの者がここには揃っている」
そう言うのは髪も顎髭も共に真っ白。だが、この場で誰よりも存在感を放っている男――――学院長はそう語る。圧倒的な存在感を放ちながら、けれどもこの場にいる子供たちを慈しんでいた。
「この場にいる者の中には将来、大騎士になる者も著名な魔導士になれる者も出てくるでしょう。皆さんが己の行きたい場所に行けることを願っています。長々とした挨拶は嫌われるのでここまでにしておきますが、ここで皆さんに一つ連絡をしたいと思います」
学院長自らが行う連絡。今までそんな事はなかっただけに、会場に緊張が走った。そんな緊張を学院長は笑った。そしてこれから行う連絡の対象をチラッと見ていた。もはや眠っているのではないか、そう思わせるほどに、黙ったまま眼を瞑っていた。しかし、周りに意識は配っているようなので、そうではないという事は分かっていた。
「まぁ、連絡と言っても単純な物です。この度、新しい先生がこの学院に赴任する事になった。ただそれだけの事ですので、そこまで緊張しなくても良いですよ」
学院長のその言葉に、その場にいた全員は胸を撫で下ろした。そんな事か、と安堵した。同時に学院長が態々する事か?と思いながらも特に気にする事はなかった。
「それでは、ヴィント・アルタール先生」
そうして立ち上がった男に視線が集まった。肩まで届く黒い髪を一つに纏めた蒼い瞳の男性。多くの人材が集まるこの国でも珍しい風貌。そしてこの場にいる全員の視線を受けても全く動じない胆力に、何人かは感嘆の声を吐いた。
それ以外の面子はと言えば。女性陣は歳も若そうなその男性にため息を吐いていた。逆に男性陣の一割ほどはその隙のない動きに、そして残り八割ほどは嫉妬の眼差しで見つめていた。後の一割ほどはそもそも視線を向けていなかった。
「アルタール先生には週に一度、魔導研究学の授業を受け持っていただきます。それでは、挨拶をお願いします」
「……挨拶に預かりました、ヴィント・アルタールです。ここにいる多くの人々が勉学の徒であり、ここに学ぶために来ているのでしょう。もし、あなた方の中に、魔導についてより深く学びたいと思う者がいるなら。私の授業に参加してください」
順当と言えば順当な言葉だった。何の捻りもないと言えば何の捻りもない。期待外れと言えば期待外れと言いたくなる。だが、次の瞬間、ヴィントの眼が細くなった。そしてたったそれだけの事で、会場の空気が冷めたかのように感じられた。
「……ちなみに、学ぶ気のない者には用はありません。そんな者が来た場合、即刻教室から叩き出すのでそのつもりでいるように。以上、挨拶を終わります」
感じた悪寒は一瞬。されど、その一瞬は確かにその場にいた者たちに刻み込まれた。その場にいた者の中にはその感触を嫌悪した者がいた。その感触を勘違いだと断じる者がいた。逆にその感触に興奮を覚える者がいた。
ただ言える事があるとするなら。この瞬間、この場にいた全ての者がヴィント・アルタールという人物を注視するようになった、という事である。そしてその事を、学院長は快く思っているという事である。
学院長からすれば、ヴィント・アルタールという人物は起爆剤だ。かつて、ヴィントの義母であるメーアがそうだったように。ヴィントにもまたこの学院を変化させる事を望んでいる。
学院長もまた学問の徒である。国を守ろうとする騎士たちとは異なり、世界の真理を探る魔導士なのだ。だからこそ、今の武力に傾倒しつつある情勢は気に食わない。だが、それでも自分がそんな事を言っても誰も聞きはしないだろう。
魔導を武力として扱えば、それだけ国に仕えやすくなる。真理を探究する道具である魔導が、今となっては出世のための道具になっている。それではいけない。それは魔導本来の使い方ではないのだ。攻撃性のある魔導など、魔法を研究している傍らで生み出された物に過ぎない。そんな物は、魔導士や魔女が拘るべき代物ではない。自分たちはあくまでも、その果てにある真理にこそ目を向けるべきなのだから。
その点をメーア・アルタールは理解していた。だが、周りの人間はそれを理解しなかった。そして彼女を排撃する事を選び、そんな愚か者どもに嫌気をさしたメーアはこの地を去った。それを学院長は大層惜しんだ物だった。だが、彼女から教えを受けた息子であり唯一の弟子がこの地に来た。これは確かな変革の証なのだと、学院長は確信しているのだった。
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「まったく、面倒くさい限りだな」
あの面倒くさい挨拶から数時間後、俺はなんとか包囲を脱して自分に与えられた研究室に向かう。あんな挨拶のどこが気に入ったのか、式が終わった後にいろんなお偉いさんや生徒に囲まれた。そこを何とか抜け出し、研究室に入った。
椅子に座り込みながら、ノートに研究中の魔導式の加筆をしていく。一瞬、幾らか本気になって威圧したが、それがそんなに気になったのだろうか?あんなの日常茶飯事だったんだがな。
獣というのは素直だ。人間みたいに不要な知性がない。勝てる相手には挑み、勝てない相手には挑まない。力量差という物を敏感に感じ取る。そりゃあ、確かに命の危機になれば必死に抗うが基本的な方針はそうなのだ。
生物としての位階、と言うべきなのか?ともかく、無駄な事は一切しないのだ。人間のようにゴチャゴチャとしていない。その日その日を必死に生きている。だからこそ、選択がハッキリとしているのだ。
「ゴチャゴチャと面倒な事が多いな……まぁ、必要な柵か。あの学院長もそれを狙っていたようだしな」
あの学院長は婆さんと同じだ。真理の探究にこそ全力を尽くすタイプ。その為ならなんだって利用するだろう。教師も生徒も、もちろん俺も。下手をすれば自分自身すらも利用するかもしれない。この国では珍しいと言えるほどの探究者だ。
まぁ、俺としてはどうでも良いんだが。俺の邪魔さえしてくれなければそれで良い。俺もあの人の邪魔をする気はない。もちろん、立ちはだかれば容赦なく叩き潰す所存ではあるのだが。
ところであのおっさん――――エクセシア伯爵だったか?また、というのはこういう意味か。実に仲良さげに接してきた。これで会うのは二回目でしかないのに。周りの貴族に誤解させるのが目的なんだろう。俺と仲が良いと思わせたいようだ。
これだから、ゴチャゴチャとした関係は嫌いなんだ。いっそすっぱりとした関係の方が俺の好みだ。しかし、そういう場所にいる事を選んだのは俺だ。文句を言っても仕方がないか。
「何とかやっていくしかないな。これもまた一つの運命って事で、諦めておこう。どうせ俺が何かする訳じゃないんだしな」
そんな言葉を残しながら、俺は目の前にあるノートに目を向けながら最初の授業で何をするのか考え始めるのだった。我ながら遅すぎるような気もするが、気にしないでおこう。
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