少女との出会い
「なんだ、これ……?」
それが初めて森の中で倒れ伏している少女を見つけた時の俺の心境だった。後から振り返れば、我ながら間抜けな表情と言葉だったと思っている。
しかし、それも無理らしからぬ話だと思う。森に食べる物を探しに出かけたら、見つけたのは倒れ伏している少女だった。これで驚くな、という方が無茶だろう。まぁ、当時の俺は驚いてはいなかったんだが。完全に意味不明で戸惑っていただけだ。
なにせ人づきあいなど一切ない森で暮らしていたのだ。生きた人間を見るなど、何百日も前に死んだ婆さん以来だったんだから。死にかけにしても、生きている他人を見るなど初めてだった。そんな中、初めて会った他人が死にかけというより死に体というような状況。困惑するな、という方が無理だろう。
とはいえ、普通というか普段であれば見捨てていただろう。俺が最初に生まれた場所とは違って、この世界は基本的に弱肉強食。弱ければただ死ぬしかない。こんな風に地面に倒れていれば、普通は獣に食い殺されているのが当たり前だ。
だから、困惑が消えると豪運なんだなと思った。四肢が欠けているような様子もないし、精々が身体中にあるかすり傷ぐらいだろう。獣が女の子を認識するよりも先に意識を取り戻せるかは半信半疑だが、だからと言って俺に出来る事なんてたかが知れている。
さて、どうしたものか。そう思っていると、ちょうど目の前に割と丸々と肥え太っている猪が現れた。その猪は俺と少女を見ると躊躇うことなく突っ込んできた。まぁ、獣が躊躇う訳ないが。
その獣も俺が瞬殺した。その後、女の子をどうしようかと悩んだ末────結局家に連れて帰った。そして軽く傷の手当てをすると、婆さんが使っていたベッドに放りこんだ。俺は殺した猪をバラして肉に変えた。
「しかし、本当にどうしたものか。あの女の子、確実に良い家の子供だよな」
浚ったとかなんとか、見当違いも甚だしい事を言われたらどうした物か。勘違いも甚だしいが、そんなのは相手にとっては知った事ではないと断ずるだろう。俺だってそうする。そもそもそんな事になった事ないが。まぁ。無用な心配だと言わざるを得ないが。
「言葉で何とかなる相手なら良いんだけど。ならなかったらどうしようかな……反抗とか面倒くさすぎる。待てよ、そもそも俺は誰にも世話になってない。……放置するか。うん、そうしよう。これで考え事終わり」
ひとまず考えるのを止める。俺の経験と婆さんからの教えに『どうにもならない事が起こったら、とりあえず考えるのを止める』というのがある。どうにもならない事は考えたってどうにもならない。だったら、考えるのを止めて別の事に集中するべきだ。それが1番良い解決方法だ。
バラした肉を保管場所に置くと、いくつか食材を取って家に戻った。そこには────外観とはまったく異なる規模で本が置いてあった。正直、他人がこの光景を見たら唖然とする事は必至だろう。俺も最初はそうだったし。
ここは婆さんが用意した家であり研究所だ。婆さんは魔法という神秘の解明を至上の命題にしていた。だから、婆さんは生涯をかけて魔導の研究をしていた。生活に役立つ物、戦いに役立つ物、とにかく節操なくいろんな魔導術式を創ってきた。婆さんにはそれだけの魔導に関する才能があった。
だが、自由気ままというか自由奔放というか。とにかく我の強い婆さんだったから、創る魔導を強制される事に苛立った婆さんは務めていた仕事場を辞めたらしい。どこに務めていたかまでは教えてくれなかったが、興味もないので別に構わない。
俺自身、そこまで興味があった訳ではなかったし、別に構わなかったのだが。あの婆さんも俺がそう思っていた事を薄々感じ取っていたんだろう。婆さんもそんな事は些事だと考えていたから、俺には余計な情報を与えることなく魔導の理論を叩きこんだ。
そして婆さんが持っていたほぼ総ての魔導の知識を叩きこまれた俺は、この家の守りと研究を引き継ぐ事になった。そして婆さんが亡くなって以降、婆さんの研究を引き継いだ俺は家の中にある、数えるのもアホらしく思えてしまうほどの書物を読みながら研究をしている。
キッチンに食材を持って行き、調理を始めようと準備をしているとけたたましいサイレンが響いてきた。このサイレンが何か思い出そうとしていると、悲鳴が響いてきた。はて、何かあったかな……?と思いながら悲鳴のあった場所に向かうと――――足を紐に絡め取られて宙吊り状態になっている少女がいた。
――――なんぞ、これ?
その光景を見て、そう思わずにはいられない俺がいたのだった。それと同時に、これから始まるであろう時間はきっと俺を変えてしまうであろうことを、無意識の領域で認識――――確信していた。だが、この時は唖然としている以外になかった。
「ちょ、ちょっと!黙って見てないで、助けてくださいよ!」
「あ、はい。……こんなトラップがあったのか。まったく知らなかった」
紐を切り離し、地面に落ちそうになった所を抱きとめた。切り離した紐の方を見てみると、するすると天井に呑まれて完全に消えるとパタンと閉じて消えた。なんだ、この無駄ギミックは。意味分からんところに力を使いすぎだろ。
そう思っていると同時に何かを踏んだような音がしたので視線を向けると、何もない筈の廊下の床に本当に分かりにくいが窪みがあった。おそらく、この少女もこれを踏んだんだろうな。しかし、こんな罠があるなんて俺は聞いてないぞ。
あのババア、俺が引っかかったらどうするつもりだったんだ。そりゃあ、抜け出せない訳じゃないけども。抜け出す手間だってあるし、あんな様を晒すなんてゴメン被る。誰に晒す訳でもなかったとしても、あんな物屈辱以外の何物でもないだろう。
そんな事を考えながら、抱き上げた少女を地面に下ろす。何やら顔を真っ赤にしていたが、吊り上げられた姿を見られたのがそんなに恥ずかしかったんだろうか?確かに、俺なら死にたくなってしまうほど恥ずかしいけども。
……まぁ、実際は俺がお姫様抱っこで抱え上げた事を、恥ずかしがっていただけのようだが。少なくとも、当時の俺には欠片も分からなった。
「あ、あの……さっきのは一体何なんですか?」
「いやぁ、すいませんね。こんな所にトラップがあるなんて俺自身も知らなかったんですよ。まったく、何を考えていたんだか」
少女を降ろすと、少女は身嗜みを整え始めた。しかし、改めて見ると綺麗な子だな。少なくともそんじょそこらの村娘って感じじゃない。なんとなく垢抜けてる感じもする。森から感じるような匂いとも違う、何かの匂いを感じる。
要するに────明らかに農民とかの一般人ではない、という事だ。まぁ、あの森に倒れていた時点で普通の要素など皆無なのだが。周辺にある村の誰も怖くて近付いて来ようとすらしないぐらいだしな。そういう意味では、なんで彼女はここにいるんだろ?どうでも良いけど。
「ふぅ……それで、あなたはどなたでしょうか?それにここは……?」
「ここは俺が暮らしている家兼研究所ですよ。それとあなたは誰?なんて質問は俺の方がしたいですよ。なんで『滅びの森』なんて呼ばれてるような場所に、あなたみたいな少女が倒れていたんです?」
「それは……」
「……まぁ、無理に訊きたいとは思いませんが。言いたければ言えば良いんじゃないですか?」
面倒事の臭いがプンプンするからな。平穏を保つのに一番良い方法は必要以上に関わらない事だ。さっきは訊いてしまったが、よくよく考えるとそこまで興味なかった。って言うか、寧ろ訊きたくない。絶対に面倒な事になると思うから。
「それで、身体の調子はどうです?一応手当はしておきましたけど、こっちには表面的な物しか分からないんで持病とか言われても知らないんですが」
魔法使いではあるが、魔導術式という物は基本的に数式と同じだ。そこには方程式があり、それが正解できなければ発動しない。それはつまり、条件が分からなければそもそもの方程式が創れないという事だ。知らなければ創れない。万物における基本的な条件には魔導もまた適応される。魔導というのは物語で語られる魔法なんかほど便利な物ではない、という事だ。そこには定理が存在する以上、それは必然だ。
「いえ、持病などはありません。それと、助けて戴いた事はありがとうございます。あなたが助けてくれていなければ、私は今頃死んでいた事でしょう」
「まぁ、実際あなたはすごい豪運の持ち主だと思いますよ?俺に発見されるまで獣に見つからなかった事、俺に発見された事、そして俺が助ける気になった事。この森に住んでいて好んで入ろうとする物好きなんて俺ぐらいだし、あなたを守りながら獣を斃せる奴なんてこの周辺にはいないし」
「そ、そんなにですか……?」
「ええ。ここで一生分の運を使い果たしたと言われても納得するレベルですね」
これはマジ話だ。この森の獣は何故かやたら強い。数匹ほど群れればこの森の近辺にある村を壊滅できるほどだ。まぁ、そんな無駄な事はしないだろうが。成長するという意味では、ここほど効率の良い土地はないだろう。それが分かっているから、ここから逃げる奴は少ない。
「今は助かった事を喜びましょう。俺は食事にしようと思うんですが、あなたも如何ですか?あんな様子でしたし、腹が減っているんじゃないかと思うんですが」
「あ……えっと」
少女が言い淀んでいると、少女の腹から虫の音がその場に響き渡った。あまりに無遠慮なその音に俺は思わず笑ってしまった。少女は顔を真っ赤にして顔を伏せていた。その姿に頭を掻きつつ、食卓に向けて歩を進める。
「それじゃあ、用意しますね。ついて来て下さい」
「……………………はい」
顔を真っ赤にした少女の前を歩きながら、それでも笑いを抑えようと必死になっている俺がいた。
プロローグの少し詳しいお話でした。お読みくださりありがとうございます。
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