会談の後
結局、問題が解決したかはともかく少なくとも国王様からは悪いようにはしないと言われた。とりあえずその言葉を信用するとしよう。どちらにしても、それ以外の道なんて俺にはないのだし。
そこでもう一つ問題が発生した。今日の宿をどうするか、だ。まさか俺みたいな最下級冒険者の身分証明書しか持ってない奴が、王族が暮らしている王城に留まる訳にはいかないだろう。明らかにいらない問題を招く。
なので、ひとまず首都にある中でもそこそこの規模の宿に1晩泊まれるだけの金を貰った。ちなみに金の単位は銅貨・銅板・銀貨・銀板・金貨・金板となっている。10枚毎に一つ上の金の1枚に相当する。つまり、銅貨10枚は銅板1枚に相当する、という事だ。
貰ったのは銀貨10枚。つまり、銅貨にして1000枚分の価値があるという事だ。それに一緒に案内状を受け取ったので、その紙に書かれた場所に行くと、そこには結構繁盛している酒場があった。どうやら宿と併設しているらしい。
「いらっしゃい!宿だけなら銀貨1枚で朝夕飯付きで銀貨2枚だ。食事だけもありだけど……どうする?」
「飯付きでお願いします。これだけ繁盛している店だ。飯に関しては相当期待できそうですね」
「アハハハッ!そこまで期待されちゃあ応えない訳にはいかないね!」
「あ、それと泊まる時にこれを見せるように言われたんですけど」
「うん?なんだい?……これを渡した子は元気そうだったかい?」
「ええ。今日はどこに泊まろうかと思っていたら、ここを紹介してくれました。どこに泊まろうか悩んでいたので、大変助かりました」
「あの子の紹介じゃあ、尚更手は抜けないね。張り切っておもてなしするから、覚悟するんだね」
「お手柔らかにお願いします」
元気の良い女将さんと笑いの絶えない酒場。と来れば、飯も相当期待できるだろうな。確かに、この宿は当たりなのかもしれない。しかし、俺にここを教えてくれた使用人さんはなんでここの事を知ってたんだろうか?今はありがたいから別に構わないが。
ひとまず鍵を受け取り、部屋に向かう。一番奥より一つ手前の部屋に入ると、そこにはベッドと机と椅子があるだけの簡易的な部屋だった。別に女を連れている訳ではないので問題はないのだが、そういう奴には別の部屋を用意するんだろうか?
「まぁ、どうでもいい話か……」
どうせ俺には縁のない話だ。同時に余りにも暇だったので、散歩に出るととある一角――――奴隷商人が店を出している場所に出た。多くの奴隷を扱っているようだが、俺が手を出すような事はないだろう。そもそも学のない奴隷を連れても何の役にも立たないし。強いて言うなら物運びぐらい?
そんな連中を連れる意味がない。かといって、奴隷の開放なんて望まない。人の命が簡単に消えていくこの世界で、奴隷というのは貴重な労力になるからだ。そんな連中を解放なんかしたら、それこそ暴動が起こるだろう。
それに、奴隷はそんなに悪い職業ではない。奴隷商人にもそれを買い取った人間にも、奴隷を真っ当な一人の人間として扱う責任が生まれるからだ。食事を与える事も、まっとうな服を与える事も、冒険者であればちゃんとした装備を持たせる事も、主である者の責任だ。
中にはまともに扱わない者もいるが、そこはもはや運という他ない。しかし、冷やかしするには良い場所かもしれない。いろんな人材がいるし、どんな人間がどんな値段で取引されるのかは俺も知らない。前世の時はそんな場所を訪れるような立場じゃなかったからな。
これも経験だと思って入ってみると……いきなり大の男が飛んできた。背中から飛んできたので、その背中を受け止めて衝撃を足元に受け流す。足元には亀裂が奔ったが、気にする事はなく男を下ろすと男が飛んできた方向に視線を向けた。
そこにいたのは――――長い髪を紅く染め上げた少女だった。明らかに意識がないようだったが、それは別にどうでも良い。しかし、頭の上にある耳を見ると、頭に何かが引っかかった。何かと思いながら見つめていると、少ししてから思い出した。
「狼人か。しかし、まだ月も出てないし、確か今日は満月ではない筈だ。どうしてこんな風になってるんだ?」
狼人は通常、満月の時にその本能の部分を強く表す。だから、狼人は満月の時には近づかないというのがセオリーなのだ。本能の部分が強くなる、という事は戦闘力もさる事ながら性欲なども強くなるので買って行く奴もいるのだろう。
「くそっ!ゲルグの奴め、何が手懐けただ!全然抑えられてねぇじゃねえか!」
俺がさきほど受け止めた奴が悪態を吐いていた。話を聞いてみると、なんでも同業者のゲルグという男が狼人の娘を手懐けたので買わないか?という話を持ちかけたらしい。男も転売目的でそれに了承した。今でこそ、紅い髪になっているが元は白銀色の髪だったらしい。
そこそこスタイルも良かったし、男も多少欲張ったとしても売れると思ったのだろう。そして契約書を書き終え金を受け取ると、そそくさと去っていたゲルグに疑問を抱きながらも気にしなかった。そして色々と用意している時に目を覚ましたらしい。
「それで起きたらこの有様、という訳か」
「そうだよ……悪いな、お客さん。こんな事に巻き込んじまってよ」
「いや、元々冷やかしっていうか見るのが目的だったから別に問題なんだが……あれ、どうするつもりなんだ?」
「本来はご法度なんだが、憲兵を呼ぶしかねぇな……俺じゃあどうしようもない」
「ふ~ん……それなら俺は」
どうしたものか。別に奴隷に興味があった訳ではないし、ここで態々労力を払う必要はない。有り体に言えば、さっさと逃げ出してしまえば良いのだが……さっきから少女の視線が俺に注がれているような気がする。ここから動いた瞬間に襲ってきそうな――――
その思考がトリガーだったのか、それとも単純に待ちきれなかったのか。ともかく、何が起こったのかを簡潔に説明するとすれば――――襲われた、という表現が一番的確なのだろう。肩に噛みつかれ、そのまま奴隷市場を出て外の地面に叩きつけられた。
「……邪魔くさいな」
躊躇なく少女の顔面を殴り、距離を置く。噛まれたのは右腕だったが、彼女自身の能力かそれとも単純に顎の力が強いのかは分からないが、肉が抉られた上で血が滴り落ちていた。同時に肩が外れかけていたので、力任せに矯正する。
元々動きが鈍っていた右腕だったが、これでは満足には動かせないだろう。少なくとも今は。ならばどうするべきか?今であれば、普通に撤退をするべきだろう。いくら右腕が満足に動かなくても、治療すれば元の状態に戻す事は十分に可能だ。別に食い千切られた訳ではないのだから。
「だけど、黙って逃げるってのはらしくないよなぁ……」
やられっぱなしは性に合わない。やられたらやり返すのは当然だし、何よりあいつは俺に喧嘩を売ってきた。売られた喧嘩から逃げるのは性に合わない以上に、やりたくない。大体、あの相手を目の前にして逃げられるとは思わない。
「だ、旦那!早く逃げてくれ!ここは俺が何とか……」
「いや、それは無理だろう。あいつも俺を逃がす気なんて欠片もないみたいだ。それに、俺自身としても逃げるつもりはない。むしろ、あんたの方が逃げた方が良いな」
「だ、だけどよぉ!」
「心配する必要はない。あの娘を殺すつもりはないからな。だが、幾らかは手荒くなるが、それは勘弁してくれ。……流石に無傷で抑えられる自信はないからな」
右腕が使えない今、左手を地面に当てて前傾姿勢を取る。あからさまに突撃するポーズを取るが、少女はそれに対して突っ込んでこない。何をするか分かっているのだから、カウンターで沈ませればいいと思っているのか。それとも、俺の魔力の高まりに反応しているのか。
地面を深く蹴り込む瞬間、爆発的な威力を放出するように放つのが普通だ。つまり、拡散するそのエネルギーすら利用する。つまり、加速の際に発せられる衝撃を拡散させるのではなく、一点に収束させる。拡散される事で幾らか消費されるエネルギーを十全に使用する。
その結果、地面に蜘蛛状のクレーターができた。そして減速される事なく発生した加速エネルギーを余すことなく、肘に集中させる。衝突する際のエネルギー総てを肘に集中させた事で、その威力は通常よりもはるかに大きい物となる。
理論的な事柄は分からずとも、その一撃が脅威的な物である事を本能的に察知したのだろう。動き出した瞬間に回避に移行しようとしていた。そうして地面に強く足を踏み込んだ瞬間、俺も思いっきり地面に足を押し込んだ。
東方では震脚と呼ばれる踏み込みの技術だ。その技術を極めればごく小規模ではあるが、地面を揺らす事もできる。地面に比重を置いている時に地面が揺れればどうなるか?――――答えは簡単。体勢を崩してしまう、だ。
「グウゥゥゥゥゥッ!?」
肘打ちは見事に鳩尾の部分に命中した。しかし、獣ゆえの頑強さというべきなのか、見事に耐え切られた。そうして高く振り上げられ、そして振り降ろされた両腕を何とか身体を逸らす事で躱す。と言っても、衝撃までは回避しきれない。
強化されているからか、襲ってきた衝撃波によって身体が軋む。今の段階で、肉体は損耗している。この戦闘で少なくとも右腕は使い物にはならない。まぁ、元々使い物にならなかったんだが。さて、どうしたものか。そう思っていると、少女がいきなり叫び始めた。
「ルウウウウウァァァァァァァァァァァッ!」
また何か妙な事が始まるのかと思いきや、少女の身体から光の粒が現れ始めた。そして次第に、紅かった髪が白銀色に変化――――否、逆行していった。そして最後には完全に白銀色となり、地面に倒れ込んだ。そうなった時、俺の感想はたった一つだけだった。
「……なんなんだよ、マジで」
巻き込まれ損かよ。そう思わずにはいられなかった。ため息混じりに、空を見上げた。そこにあったのは見事に空に咲き誇る三日月の姿があるのだった。
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