道中
出発してから数日、あの森とは段違いに平和な道を進んで行く。用意してあった馬車に乗り込み、移動している。しかし暇すぎてついつい欠伸が出てしまうほどだ。本当に暇すぎる。森の外はこんなに平和だったんだな。
「あの森が危険すぎるんだ!数分毎に魔獣に襲撃されるってなんなんだ!?超危険地帯じゃないか!」
「はぁ?そんな訳ないだろ。あんたが群れの巣に入りまくっただけだ。俺だってそんな経験した事ないぞ。運悪すぎるだろ」
弱いくせに運もないとは、本当に救いようがないな。ゾーネさんとは大違いだ。これが格の差なんだな、と実感できるな。性格の大らかさも関係あるのだろうか?
「余計なお世話だ!」
「さっきから俺の心の呟きに反応するなよ。鬱陶しいぞ」
「お前が心だけじゃなくて、本当に呟くからだろう!私を貶すのもいい加減にしろ!」
「貶されてもしょうがないだろ。あんたの運が悪いのも事実だし、あんたが弱いのも事実なんだから」
「ぐぬぬ……」
唸っているエイなんとかを放置し、窓の外を見る。どこまでも広がる草原を黙って眺めていると、何かが動いたように見えた。眼を細めてその方向を見つめると、やはり何かがこちらに来ていた。サイズ的には子供ぐらいだが、外見はどう見ても人間じゃない。頭に2本の角を生やしているし、なにより身体全体が緑色だ。
「ゾーネさん、あれはなんです?」
「えっ?……小鬼ですね。なんでも常に団体で動き、獲物を狩るとか。女性は連れて行かれて死ぬまで子供を孕まされると聞いた事があります」
「脅威なんですか?あれ」
「巣が発見されたら即殲滅に動くぐらいには脅威ですね。強さよりも数の方が厄介な相手ですから」
「……って、そんな呑気に話してる場合じゃありませんよ!」
そう言うと、エイなんとかは馬車の速度を速めた。それに気付いた相手も姿を隠すような事を辞め、走りよってきた。身軽なのか小さいからなのか、どっちなのかは分からないが、相手の速度もなかなか速い。馬車をそんなに急がせている訳ではないが、速力は結構あるようだな。
それにしても、ちゃんと見えるようになると中々に醜悪な顔をしているな。涎を撒き散らしながら走りよってくる姿は人間だったら間違いなく、狂人認定しているレベルだ。有体に言うと、お近づきになりたくない。
「……ふむ。ゾーネさん、魔導を使って殺してみたらどうですか?婆さんの本を読んだなら、簡易の攻撃系魔導は使えるでしょう?それなら簡単に殺せると思いますけど」
「貴様、何を言っている!?ゾーネ様は王女殿下だぞ!戦わせるなど言語道断だ!」
「……弱い奴は死ぬ。それは自然の掟だ。それと同じように、力があっても何もしなければ死ぬだけだ。生きたければ抗う他に選択肢などない」
抗わないなら、戦わないなら、死ぬ以外に選択肢などない。弱肉強食という自然の掟はどこにでも存在するのだ。無抵抗な存在が悠々と生きていられるほど、自然は優しくはない。何かが欲しいなら、戦うしかない。
「それに、あの程度なら森の魔物より全然弱い。ゾーネさんだって、恐ろしく思ってはいないでしょう?黒龍に比べれば、大抵の魔物は恐れるに足りませんよ」
あんな連中は森にいる奴に比べれば、子供という表現が適切だ。黒龍に比べれば塵以下だ。あんな物、生態系という意味で言えば最底辺と呼ぶに相応しい。負けるという可能性が生まれる事、それその物があり得ないのだ。
「何事も経験でしょう。やれる事をやれば良いんですよ。まぁ、最悪俺が動きますから、気にせず頑張ってください」
「……分かりました。やってみますね」
王女だからと殻に閉じこもらず、挑戦してみる。そうする事で、人は初めて何かを得られるようになる。逆に言えば────人は動かなければ、何も得られない。
描かれ始める魔導陣。そうしてできあがった魔法は風の弾丸。最もチープな術式であり、最初に学ぶ魔導の一つでもある。六属性────火・水・風・土・光・闇────の中でも随一の隠密性を持っている。どんな環境下でも大体対応できるので重宝されているのだ。大規模な戦闘や戦争になると話は別なのだが。
閑話休題。
魔導陣を構築したのは良いが、ゾーネさんはいつまで経っても撃とうとしなかった。まだいくらか距離はあるが、当たらない事はない。黙ってゾーネさんの背中を見つめていると、ゾーネさんが恐る恐る振り返ってきた。
「あの……ヴィントさん。撃てません」
「はい?術式はきちんと構築できてるじゃないか。なんで撃たないんです?」
「……怖いんです。狩りで狐や狼を撃った事はあるんですけど、人型はまだ殺した事がないんです」
そう口にしているゾーネさんの身体は震えていた。それにしても、そうか。人型を殺した事がないんだ。俺はそんなの気にした事ないから、その辺はよく分からないんだよな……。だから?って感じが凄くするんだよな。
「……そんなの、人の傲慢ですよ。あなたは確かに何かの生命を糧にして生きている。そこには人型も何もない。言いましたよね?生きたいなら、抗うしかないって」
何かの、そして誰かの生命を糧にして生きている。それは生きているならば、誰だってそうだ。その点は俺も彼女も変わらない。誰もが何かの死の上に成り立っている。それが当たり前な事なのだ。そこから目を逸らしていても仕方がない。
「なら、あなたもまた何かの犠牲の上に成り立っている存在だ。それに、あんなのを残してどうするんです?害しか生まない者を残しても仕方がないでしょう?」
ならば、撃つしかない。綺麗事を並べても、誰も救われないのだから。自分にとって敵となり害となる者を撃つのは当たり前な事だ。誰だって死にたくないし、酷い目になんてそういう性癖でもない限りはあいたくない。それが当然で、当たり前な事なのだ。そういう目にあいたくなければ────殺す以外に選択肢はない。
「生か死か。それが自然の理だ。愛とか道徳とか、そんな物よりももっと単純な物がそれだ。だからあなたが気にする必要はない」
「でも……」
「……だったら、そういう的だと思えば良いんじゃ?どうせ動く的程度でしかないんですし」
「…………」
「ハァ……もうそろそろ良い距離か。俺が殺ります。もう魔法陣消して良いですよ」
あの森で生きていくなら、殺す事に慣れる必要がある。街で暮らすのにそういうのが必要なのかは分からない。しかし、こんな事で一々戸惑っていられるのも困るし、手っ取り早く慣れさせようと思ったんだが早計だったのかな?
ゾーネさんの数倍の速度で描かれた魔導陣に魔力を流しこみ、向かってくるゴブリン達に向けて放つ。手がちぎれ、足が吹き飛び、首がもげる。凄惨と言えば凄惨な遺体を晒しながら、馬車はそのまま走り去っていく。
その日の夜、ゾーネさんは食事も取らずに早々に眠りについた。そして俺はエイなんとかに掴みかかられていた。顔を近付けてくるので、正直鬱陶しいと思った。
「貴様は一体、何を考えているんだ!王女殿下にゴブリンの抹殺をやらせようとするなど、正気の沙汰ではないぞ!」
「ハァ……鬱陶しいな。結局できなかったんだから、一緒だろうが」
「できるできないは関係ない。やらせようとした事、それ自体が問題なのだ。事と次第によっては、私は絶対に貴様を許さない」
「……お前は何も分かってない。彼女がどれだけ危機的な状況にあるのか、認識もしていない。いいか?そもそも、彼女は何故あの森に放置されていたと思っている?」
「それは……」
「彼女がどんな立ち位置にいるのか。それは知らない。だがな、あの森に放置されるという事は、秘密裏に彼女を始末したいと思った輩がいるという事だ。そんな輩が、戻ってきた彼女に対して暗殺者を差し向けないと何故言える?」
「馬鹿な。今回は不覚をとったようだが、普段は近衛騎士が王女殿下を守っているのだ。そんな事が起こりうる筈がない」
「かもな。だが、その近衛騎士とやらが何故信用できる。1度は守れなかった。これだけで信用を失うに値する。それにそいつらが手引きした可能性も否定はできない」
「貴様は!貴様は結局、何が言いたいのだ!?我が国の騎士を侮辱したい訳ではないのだろう?だったら、さっさと本題を言え! 」
「せっかちな奴だな……まぁ、いい。彼女には自衛の手段が必要だ。たとえ暗殺者を差し向けられても、撃退できるだけの強さがな」
「……そんな物は、王女殿下が持つべき物ではない」
「そんなもん知るか。彼女はそれだけの強さはあるんだろう。だが、その精神はまだ甘い。人を殺す事に対する耐性がない。それではいざという時、何もできずに死ぬ可能性がある」
そこまでする義理もないが、それでも数日は共に過ごした仲だ。愛着とて幾らかは湧く。少なくとも、そのまま死ねば良いとまでは思わない。できる事なら、生きてくれれば良いと思っている。だからこそ、俺は言うのだ。────生きるために殺せと。
「俺は顔も知らない連中の事なんてどうでも良い。俺が気にするのなんて自分と、精々顔見知りの人間だけだ。それ以外の連中の事なんて心底どうでも良いと思っている」
婆さん以外で唯一、身内として扱っても良いと思った相手だ。気にしない筈がない。だからこそ、逆にそれ以外の連中なんてどうでも良いのだ。国王だろうがなんだろうが、俺にとっては平等にどうでも良い。
「俺がこんな事をしてるのは、お前らが役立たずだからだ。そうでもなければ、こんな事をしちゃいない。いい加減理解しろ。こうなっている原因が自分にあるという事をな」
そうでもなければ、誰がこんな事をするものか。彼女の生き方に口を出すつもりもないし、好きにやれば良いと思っている。だが、そのためには自分の身を守れるようにしなければならない。それが前提条件なのだ。
「……寝ずの番は任せた。時間になったら起こせ。交代してやる」
「ああ……分かった」
そう呻くように返事をしたのを聞きながら、俺はできるだけ平たい地面に横になりながら毛布にくるまり、眠りにつくのだった。まったく……何でこんな俺がガラでもない事をしているんだか。
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