第六話
道行く人々に、二人の逃走者の行方を尋ねながらイリスは裏通りを駆ける。
大きな怒鳴り声を響かせながら追いかけっこをしている二人組はすれ違う人々の印象に残っていたため、すんなりと行方を把握することができた。
「餓鬼! 捕ったもんを返しやがれ!」
怒声がすぐそこで聞こえてきた為、イリスは速度を少し落とし、周囲を見る。
待ち合わせにしていた広場をいつの間にか通りすぎていたみたいで、遠目に広場があるのがわかるが、そこにフラマがいるかは確認出来ない。
どうやら裏通りというよりかは、大通りの脇道に入ったみたいだ。
その奥に二人組の姿を見つけた。
十歳を過ぎた頃の男の子と大柄な男が睨み合っている。男の子の手にはしっかりと何かが握りしめられていた。
じりじりと大柄の男は男の子に迫るが、迫られた方は伸ばされた腕を何度か避け距離をとろうとしていた。
「ちょこまかとっ! いい加減にしやがれって!」
苛立ちをあらわにする男に対し、男の子はそれでもと、負けじと睨み付けるように言い放った。
「うるさい! にせものの薬なんて売りやがって!」
「餓鬼に偽物かなんてわかるもんか!」
嘲笑しながら男は男の子に掴みかかった。なんとか避けようとしたが、体格の差がありすぎて、あえなく男の子の細い腕は男の太い腕に捉えられてしまう。
もがく男の子に対し、男がニタリと笑う。
圧倒的な力の差にこのままではどうすることもできない。
しかし突然、男のニタリ顔に拳よりも一回り小さな石が飛んできた。
「うおぉっ!」
石が顔面に直撃した男は低いうめき声をあげてよろめく。その隙に男の子は腕を振り切って離れるように飛び出した。
「あらー直撃しちゃったかー」
何が起きたのかよくわからない状況の中、笑みを含んだ声音でイリスが姿を現した。
彼女が思っていたよりも衝撃が強かったのか、男の額は赤く腫れあがり、うっすらと血が流れている。
イリスの手には先ほどと同じぐらいの大きさの小石が握られていた。
「おまっ……なにしやがる‼‼‼」
突然に石を顔面にぶつけられた怒りの為か、男の顔は腫れている額と同じぐらい赤くなっていた。
その様子に驚いていた男の子は少しずつ後退する。
イリスは気にした素振りもせず、穏やかな笑みを浮かべたまま、素早く男の子の方へと近づき、背に庇うように前に出た。
「大の男が子どもをいじめているとなれば、ほっとくわけにはいかないでしょ」
「そういう出しゃばったことしてると、痛い目をみるって知ってたか?」
怒り顔のままじりじりと近づいてくる男に対しイリスは首を傾げた。
このまま逃げ出しても構わなかったのだが、イリス自身はこの男に話を聞きたいと思っている。
一度この場から逃げ出してしまうと後から話を聞くのは難しそうだ。
男の子だけでも逃がそうかとちらりと背後を見やる、と相変わらずきつく睨みつけている。
なにか、よほどのことがあるのだろうか。
「どうしようかなあ……」
呟きながらも男の子の腕をひき、近づいてくる男から距離をとるように後退する。
今この男と話しをしてもまともに会話ができるとも思えない。
薬らしきものは男の子が必至に握りしめているので、とりあえずそれでいいかとも思う。
そこまで考えるとイリスの行動は早かった。
「よし、逃げよう!」
「えっ……?」
イリスは男の子が驚きの声をあげるのを気にせず、腕をひいたまま走り出す。
目指すは大通り。人目があり、尚且つ人に紛れてしまうのが一番手っ取り早いのだ。
「逃がすわけないだろ!!」
もちろん追いかけてくる男に対し、イリスは先ほどから握りしめていたもう一つの小石を投げた。
しかし、今度は男の顔に当たらず避けられる。
「……残念」
もう一度顔面に当たってくれるかと期待はしていたがそう上手くはいかないらしい。
肩を落としながらも走る速度を緩めることはなかったが、腕を引かれている男の子の方が足をもつらせている。
どうしてもイリス一人で駆けているよりかは遅くなってしまい、男との距離が広がらない。
イリスとしてはそろそろ嫌気がさしてきた。なんせ、今日一日フラマと追いかけっこから始まり、走ってばっかりな気がしてならないのだから。
小さくため息をつき通りの角を曲がる。
そこで、一つの希望が見えた。
「……あ」
「あ……」
二つの声が重なる。
一つはイリスの声。もう一つは腕を引かれている男の子の声ではなく、角を曲がった先にいた男――フラマの声だ。
瞬間イリスは笑顔になり、フラマは顔を顰めた。
フラマは何かを言おうとしたが、その前に怒声が聞こえそちらを見やる。
大柄の男が怒りに顔を赤らめ、肩を上下に大きく動かしながら息を荒くしていた。
「……これはいったいどういう状況なんだ?」
「いたいけな少女と子供が、悪党に追いかけられているところだよ」
そう言いつつ、フラマの傍まで駆けよった。
イリスは平然としているが、男の子の方は大きく肩を上下させて呼吸を荒くしている。
「そういうわけで、ヒーローのフラマはあの悪党を捕まえてくれるといいと思うよ」
「はあ?」
「そうすれば、一気に解決かもね!」
嬉しそうにウインクをしながら言うイリスを見て、フラマは何かを悟った。
なるほど、と呟き一つ息を吐く。
「なんだぁ、兄ちゃんも痛い目みたくなかったらどっか行った方がいいぞ」
イリス達と並んでいるフラマを見て男は口端を吊り上げた。
フラマと男とでも体格は全然違う。フラマ一人増えたところでなにも問題ないと思われているのだろう。
しかしイリスは小さく微笑む。
大柄な男の実力は知らないが、フラマは強いと思う。
なんといっても実力を備えた王国騎士クリムの弟であり、フラマ自身騎士になろうとしていたのだから。
王国騎士になる為には厳しい試験が課せられている。ある程度の実力がなければ試験すら話にならないだろう。
それに、とイリスはふと過去の記憶を呼び起こす。
――あいつは筋がいい。それに努力家だ。
――必ず強くなるよ。もしかしたら俺よりずっと強くなるかもな。
嬉しそうに弟のことを話すクリムの姿が脳裏に過る。
「クリムの折り紙つきだしね」
フラマには聞こえない程度の小さな声で嬉しそうにイリスは呟く。
前を見れば、予想通りあっという間に大柄な男を伸してしまっているフラマがいた。
フラマは武器になるようなものを身につけているようには見えないので、素手で男を押さえつけてしまったようだ。
着衣一つ乱れておらず、何事もなかったかのように見える。
「やるねーフラマ!」
「……あのな。とりあえず、ちゃんとした説明をしてくれ」
疲れきった声音で言うフラマにイリスは苦笑しながら近づいた。
そして薬の情報を得たところから現在に至るまでの経緯を簡単に話して、気絶してしまっている男を確認する。
イリスの背後から顔を覗かせている男の子の手に持つ薬らしきものを拝見させてもらう為、話しかけようとしたところで異変に気付いた。
なぜか男の子はキラキラした瞳でフラマを見上げていたのだ。
「にーちゃん強いね! どうかおれを弟子にして下さい!」
突然腰を九十度に折り、頭を下げて言う男の子にフラマもイリスも呆然とする。
「よろしくお願いします! 師匠!」
そしてキラキラした瞳のままそう付け加えたのだった。