第五話
アーベルがどうやったのか用意してくれたらしい遅めの朝食を食べながら、メルヴィンはひとつ物語を話してくれた。間延びした声で、サキュバスについての話なのだと言う。
「むかしね、人間のこどもの家に、サキュバスのこどもが迷いこんじゃったんだって。男の子の家だったんだよ」
長いプラチナの睫を伏せながらチーズを食べる天使のような少年に、佐良は思わずつっこんだ。いや、もう、なんというか。
「ねぇ、サキュバスって、あのサキュバス?」
「? どれ?」
「ええと…サキュバスが何か、メルヴィンは知ってるの?」
サキュバスっていったら、まぁ淫魔である。少なくとも眩しい朝日の中で食事時に無邪気な子供から聞く話ではあるまい。
狼狽える佐良に、しかしメルヴィンはぺかっと笑う。
「みんな好きになっちゃう綺麗な女の子だよね!」
「あ、つづきお願い」
佐良は安心してパンをくわえ込んだ。
「それでその二人は、おしゃべりしたり遊んだりしてる内に、好き同士になっちゃったんだって。結婚しようって誓いのキスもしたんだぁ」
「…結婚したの?」
「ううん、離ればなれになったよ。だって、サキュバスは悪魔だから」
メルヴィンは明るい声でそう言い切った。ナイフを受けた目玉焼きが、彼のお皿でどろりと中身を吐き出していく。
「それからね、サキュバスはいろんな男の人をたくさん食べたんだって」
「た、食べた?」
「うん、こわいよね」
…彼にこの物語を教えた誰かが、きっとオブラートに包んでくれたのだと信じたい。
「でも何人食べても忘れられなかったんだって」
「え、なにを?」
「にんげんの、おとこのこ」
迷いこんだ家で出会った、ただの、人間の。
捧げたのは、結婚を誓ったキス。
悪魔の彼女が、いったい何に誓ったというのだろう。
「その男の子もサキュバスが忘れられなかったけど、めぐりあう前におじいちゃんになりすぎて死んじゃったんだ」
「ハッピーエンドじゃなかったの?!」
最後の裏切りに近いどんでん返しに、佐良はマッシュポテトでむせて咳き込んだ。
「わ、サラだいじょーぶ?」
「だ、だいじょうぶ…」
「サキュバスはね、お墓の前でひとりで結婚式したの」
「……」
「おーわりっ」
メルヴィンは小さな口に、冷め切ったスープを一口運んだ。思ったより話に熱中していたみたいだ。彼は佐良がベーコンを齧るのをじっと見ていた。
「…メルヴィン」
「なあに?」
浅葱色の瞳が日の光に透けて、ガラス玉のように煌めいた。
いつだったか、精巧なフランス人形の目を見た時に鳥肌が立ったことがある。随分よくできたそれは、生きているかのように見えた。
「どうしてサキュバスの話をしてくれたの?」
今は逆だなとメルヴィンを眺める。
象牙の肌も、浅葱の瞳も、白金の髪も。
作り物めいていて、佐良の肌は静かに粟立った。
「僕ね、サラを見たとき、サキュバスだとおもった」
「…悪魔に見えた?」
「ううん、すごーく綺麗な女の子」
虚を突かれたように、佐良はぐっと黙り込む。
メルヴィンは真っ白な手を口元に寄せて、周りをきょろきょろし始めた。
「フーシュー、ロロー」
二匹の魔獣を探していたらしい。
ロロはすぐに光の翼で飛んできて、しばらくすると、音も無くゆったりフーシュも開け放ったドアに駆けてきた。
「おいで」
細い蝋のような腕で、メルヴィンは器用に二匹ともを抱え込む。
舌足らずな声が優しくリビングに響いた。
「フーシュとロロもね、迷子だったんだぁ」
朝のアーベルさんの言葉を思い出す。
“お前迷子なら人間でも拾うのか…”
なんとなく、そうだろうなぁと思っていた。
「みんな迷子だからね、だいじょーぶだよ」
「…メルヴィン」
「さみしくないよ」
「…うん」
「だから死なないよ」
「…うん、うん」
“びょーき。寂しくて死んじゃうびょーき”
言葉が拙い。
それでも痛いほど伝わってくるのは、この子供が綺麗な顔に皺を入れて台無しにしてまで、必死になってくれているからだ。
「家族だよ」
「…うん」
「サラがサキュバスでもね、離れなくてもいいんだよー!」
「………うん?」
「魔獣もいるからね、悪魔だって家族だもん」
「待って」
どうやらこの子供はわたしのことを本気でサキュバスであると信じているらしい。純粋無垢にもほどがある。
「メルヴィン、わたし人間だよ?」
「…ほんと?」
サキュバスを家に引き止めるための急なお話であったらしい。




