第三十四話
たん、たん、たん、とゆっくり数えるように階段を降りて、一番下の段でぴたりと止まる。理由は、立ちくらみがしたから。
だけど足にぐっと力を入れて前を睨むように堪える。手摺を握る手に汗が滲んで滑りそうだな。
「…何を作ろうかなぁ」
サラには二日酔いに効くものを作ると言ったけれど、そんなものを作る気はさらさらない。作るのは、元気が出るものだ。沁みるようにおいしい、元気が湧いてくるものだ。
使うなら、やっぱり海のものだよね。きっと琥珀色の、綺麗なおいしいスープがとれる。
ーーー負けるもんか。
よろよろとキッチンに向かう。アーベルがたまに使うから、この家のキッチンの調理器具や調味料の品揃えは店のキッチンとさほど変わらない。味を追求したアーベルが色々持ち込んでしまったのだと本人に昔、直接聞いた。ボスも大概凝り性だよなぁと笑ってしまうエピソードだ。
「ーーーっ!」
笑って力が抜けたのか、足元が急にふらつく、が。
ーーーダンッ
あたしはこんなことでやられる女じゃない。過労にふらつきながら料理をしたことなんて何度もある。こんなの慣れっこだ。こんなの、たいしたことじゃあない。
「大丈夫?マリ」
その時、透き通る少年の声が背中から聞こえた。キッチンの入り口にメルヴィンが立っていた。心配気に歪んだその人形のように端正な顔に、ニカっと笑ってみせる。大丈夫かな、違和感はないかな。歪んでなかったらいいけど。
「ぜーんぜん大丈夫よ!ありがとね!」
「………」
「本当よ。それよりあなたにはお礼を言わなくちゃ」
ぱちんとウインクをすれば、穏やかに笑ってくれる。こんな大人びた表情をする子だったんだな。
最初は気づかなかったけれど、きっとこの子は聡い、誰よりも。サラの前で見せる無邪気さも嘘じゃないんだろうけど、誰より強いこの子はきっと、悲しみも背負っている。
「部屋まで魔法で飛ばしてくれたのはメルヴィン君でしょ? 本当は自力で行くつもりだったんだけどね、助かったわ」
「どういたしまして」
「あと」
本当にお礼を言いたかったのは、こっち。
「話を合わせてくれてありがとね」
「…どうして嘘ついたの?だって、マリ、記憶あるのに」
『私も昨日の晩は途中から記憶がないんだけどね! 』
これは嘘。
あったよ、あたしはずっとあそこにいた。
『朝起きたら領主様とメルヴィン君がお迎えに来てびっくりしちゃった! 』
これも嘘。
彼らがサラを連れて帰ったのは昨夜のことだ。
あたしはさっき、親友に嘘をついてしまった。ごめんね、サラ。
メルヴィン君が咄嗟に機転を利かせて話を合わせてくれたからバレなかったけれど、少し冷や汗ものだった。嘘をつくのは、好きじゃない。
ーーーあたしは昨晩、吹き飛んだ。
メルヴィン君は、あれは幻覚なのだと、そういう魔法なのだと言ったし、現にあたしの体は傷ひとつ負ってはいなかったからそれが本当なのは分かる。
分かるけれど、吹き飛んだのだ。それは理屈じゃない。体が弾けた心地がしたし、肉が裂かれる痛みもあった。血に塗れて飛んでいく自分の内臓を見たし、色んな感情を無慈悲に血が塗りつぶしていくのも体感したのだ。
手のひらを向けられて涙を一筋流すサラに、無力なあたしは絶望した。
血溜まりが広がるに連れて、体の感覚もなくなっていった。
あれは確かに、死だった。
体はこんなにも元気なのに、精神や脳が受けたダメージはよほど大きいらしく、情けないことに歩くのが精一杯なのが現状だ。
「どうして嘘ついたの、か…そんなの簡単だよ」
きょとんとするメルヴィンに、マリは歯を見せて笑った。こんな顔をすると、この子も年相応だなぁ。
「あたしの親友は泣き虫だからね」
ねっと笑うマリに、メルヴィンは一度目をパチクリさせた後に、つられて笑った。
「ほんとにね。ねえ、マリ!料理のお手伝いをさせてよ、僕も作りたい!」
「おっいいねぇ!一緒に作ろう!じゃあまず下ごしらえからね!野菜は何があるかな?」
「んーとね…」
ーーーあたしはシェフで良かった。
メルヴィンと一緒に下ごしらえをしながら、ふらふらなのにも関わらずマリは心からそう思った。
ごはんを食べなきゃ、誰も元気なんてでない。あたしは魔法の才能もないし勉強も苦手だし、特別美人なわけでもない。だけどおいしいごはんが作れる。ごはんは誰かの力になって、元気にしてくれる。だからあたしはシェフでよかった。
大好きな人を元気にすることができるシェフで、本当によかった。
「………マリ?」
「あー…秘密ね」
ああ、サラのことを泣き虫なんて、あたし人のこと言えないなぁ、なんて。




