第三十一話
派手な音と共に壁に打ち付けられた真っ赤な男は、骨が折れてしまったのだろう、脇腹の辺りを押さえながら呻き声を上げてよろよろと立ち上がる。
それを見ながらメルヴィンは手のひらを佐良に向けた。
ーーーパキン
こちらを見てもいないのに、途端にクリスタルのような球体が佐良を包んだ。先ほどメルヴィンが守ってくれた壁とよく見た目が似ている。
「あ、ありがとうメルヴィ」
ーーーパキン
言葉を遮るように、メルヴィンは手のひらを押し出す仕草をすると、佐良を包むクリスタルは外側にもう一層重なり、二重になった。
しかしメルヴィンは念押しのようにもう一度押し出す。
ーーーパキン
「過保護ねぇ…」
「こういうところがご主人らしいよね」
「三重なんて見たことないわよ、隕石が降ってきても平気なんじゃない?」
「あのハゲがそんな大した魔法使えるとは思えないけどね」
隣でロロとフーシュがのんきにそんな会話を始めていたが、真っ赤な男はもう噛み付いては来なかった。壁に張り付いて、真っ青な顔で必死に逃げ道を探している。
「ドアと窓の鍵ならご主人が封じてるから開かないよ」
「っ!」
フーシュに考えを読まれた男がビクリと体を揺らす。気味が悪いと言わんばかりの顔でフーシュを見るが、フーシュは涼しげな顔で笑っている。
「逃げたところであたしはアンタを追うことなんて簡単だけどね」
「ちくしょうが…っ!」
ロロがつまらなさそうに告げれば、男の顔はいよいよ憤怒と絶望に染まっていく。
それを佐良は冷めた目で見ていた。
ああ、さっきまでは背が高くて、大きくて、真っ赤で、あんなに怖かったあの男が、今はもうあんなに小さく見える。
あんな奴のせいで。
あんな、あんな奴のせいで。
「なんで?」
言わずにはいられなかった。
佐良の言葉は静寂を通り抜けて、真っ赤な男の元に進む。
「な、なんだよぉ?」
男に先刻までの勢いはない。
歪めるその顔に、手の甲に、指先に飛んだ赤に、佐良の中でドス黒いものが渦巻く。
拳を握るけれど、力が全然入らない。この感覚は知っている。まるで、血が通っていないような。
不思議だな、生きているのに。
母が死んだって、父が死んだって、兄が死んだって、わたしは、わたしだけは生きていたのに。
マリが死んだって、わたしはこうして生きている。
なんで?
「なんで、マリが死ななくちゃいけなかったの?」
「誰だぁ?それ」
「………」
「あっ、さっき吹き飛ばした女かぁ〜。あの女邪魔だったからねぇ」
「邪魔…?」
「ああ邪魔だぁ!俺はお前を餌にこのガキが釣れりゃそれで良かったんだよ!せっかくできたガキの弱みだったのにクソが、ぁ…?」
一瞬のことだった。
瞬きよりも、もっと早く。
赤が舞うまで、佐良が気がつかない程に。
「ぎ、ぃあああああああ!!!!!」
一陣の風が、男の両耳を斬り飛ばした。
「これで聞こえる?
僕は黙れって言ったの」
「い、痛い!!!この、ガキが!!!」
「そのガキに」
風が。
風が舞う。
「手も出ないんだ」
ーーーヒュン
「………っぐ、ぁ…っ!」
男の全身を風が切り裂いた。
真っ赤なローブが、ドス黒い赤に染まる。
「アーベル、どうせいるんでしょ」
「…あぁ」
虚空に向かって声を上げたメルヴィンに、背後から声がする。昼間とは違う、硬い表情のアーベルだった。
「これ、持って行って」
「王宮にか?」
「白々しいよ」
「………」
「さっさと持って帰って。ただ…」
メルヴィンの魔力が溢れ出す。アーベルを囲い込むような業火が突如として現れた。
「怒ったよ」
結界に入った佐良には部屋を食い尽くさんとする業火の影響はなんともないが、アーベルは玉のような汗を流して苦しそうである。
フーシュやロロが平気そうなところを見ると、対象者しか効力のない魔法なのかもしれない。
「あぁ、伝えておく…」
アーベルがなんとか言えたのはそれだけだった。それを聞いて、業火も消失する。
「お前の魔力は無尽蔵だな…」
アーベルのその言葉に、メルヴィンは答えなかった。代わりに佐良の元に歩いてくる。
「最後に」
ぱちん、と指を鳴らす。
何?
そう思う間もなく佐良の目の前は真っ暗になる。そこで佐良の意識はぷつりと途切れた。




