第三十話
突然涙を零した佐良に、しかしマリは優しい笑みを浮かべた。すっと伸びてきた指が、撫でるように頬の涙を拭ってくれる。じんわり伝わってくる温度が心地いい。
「泣いていいよ」
「マリ…」
「あたし、サラのこと全然知らない。どこから来たのかも、なんであの家に住んでるのかも」
マリが眉を下げて寂しげに笑うから、胸の奥がぎゅっと縮んだ気がした。
そうだ、わたしは自分のことは何ひとつ言ってこなかったし、マリも今まで決して聞こうとはしなかった。
サラ、ってマリは、いつも優しくいろんなことを教えてくれたのに。
いきなり現れたわたしを不審に思わない訳ないんだ。マリはずっと、ただ聞かないでいてくれただけなんだ。
「でもいい。ちょっとのことで喜んだり泣きそうになってる素直なサラをあたしは信じられるから」
「………」
「なにボケっとした顔してるのよ」
「……うぅ…っ…」
「ほんとに泣き虫ねぇ」
信じられる。
その言葉が心を痛いほど揺さぶる。
カラカラと笑われるけれど、涙が全然止まらない。こんなにあったかい涙なんか知らない。熱い、熱くて火傷しちゃう。
だってこれは、わたしが求めてやまなかった言葉。
「あたしね…」
それはマリが佐良の手をそっと握った時だった。
「お邪魔しますよぉ〜〜」
ーーーーーーバンッ!
目の前が、音を立てて、弾けた。
「…………………………え?」
「初めましてぇ〜よろしくねぇ?」
部屋の入り口に現れたのは真っ赤なローブを着た背の高い赤髪の男の人だった。
アーベルさんより年上だろうか。
誰?
髪も、服も、目も真っ赤なその人は、真っ赤な場所に立っていた。
視界が同じ色ばかりでくらくらする。
真っ赤。
そう、真っ赤。
まるで、血のような。
「………マ、リ?」
「ちょっとぉ、無視しないでくれる?人がせっかく挨拶してんのにぃ〜」
ぺろり、とその男は真っ赤な指先を見せつけるように舐めた。ニタリと笑う。
その赤は。その血は。
「殺すよぉ?」
誰の血?
男に手をかざされた時、「あ」と思った。
「あ、死ぬ」と。
焦りはなかった。恐怖もなかった。
ただ涙が一筋落ちた。
すぅと頬を滑る感触だけがあった。
また言われるかもしれない。
泣き虫ねぇって。
ほんとに泣き虫。
わたしたち、さっきまで、一緒に笑ってたのに。
「サラァアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!」
ーーーーーカキィィイイン
目の前に現れたのは、小さな子供の背中だった。腕を目一杯広げて守ってくれている子供の背中。
その目の前にはクリスタルのような綺麗な壁がある。きらきらしたその向こうに、顔を歪めた真っ赤な男が見える。
「メルヴィン…?」
思わず口をついて出た呼びかけに、小さな男の子は振り返ってニッと笑った。
「もう大丈夫だよ」
その、背中が。
小さな背中が。
ぼやぼやと滲んで、揺らめいて。
「…あ、あ…メルヴィン…っ」
その大きさに、強く唇を噛み締める。
来てくれた。
来てくれた。
メルヴィンが、来てくれた。
「あ〜あ、なんで来るんですかぁ〜
そこのクソネコの能力は邪魔ですねぇ」
「誰がクソネコよ!このハゲ!」
「なっ!!」
「家族に手出したら許さないわよ!」
メルヴィンの隣にいる少女が橙の髪をなびかせながら男に憤る。
あれは、ロロだ。なんでだろう、分かる。
家族、その言葉が胸にしみる。
わたしの家族はなんてかっこよくて頼りになるんだろう。
「ねぇ、顔青いけど大丈夫?ハゲの人」
「さっきから五月蝿いハゲてないわ!!」
「でも怖いんでしょう?」
「っ!」
パサリと肩にかけられた毛布に隣を見上げると、人型のフーシュが立っていた。
妖艶な笑みで男に笑いかける。
「だって君は、ご主人をこんなに怒らせた」
ーーー怒らせた?
メルヴィンを?
言葉の意味が分からなくてキョトンとフーシュを見上げると、柔和な笑みが返ってきた。
どういうこと?
「はぁ!?怖くないよぉ?そんなちっこいガキなんて怖い訳ないでしょ〜!!!」
「黙って」
粘り気のある男のもの言いを低い声がピシャリと遮った。
「…は?」
「聞こえなかったの?下衆」
「え…ひぃっっっ!!!」
熱風のように溢れ出したメルヴィンの魔力に、男が目を剥いて吹っ飛び壁に打ち付けられる。
「黙れって言ったんだよ。僕いま機嫌が悪いんだ」




