第二十九話
お久しぶりです。
すみません遅くなりまして…
背中のゼンマイを限界まで巻くと、四角いロボはベッドの上でやたらめったらガチャガチャ言わせながら忙しなく動き出した。
「ご主人、暗いよ」
ベッドに軽く腰を下ろすフーシュに一瞬だけ視線をやってから、別のおもちゃをがさごそやる。
「一晩だけでしょ」
「…おなかすいたー」
わざとフーシュの言葉を無視して、メルヴィンはパタンとベッドに倒れこんだ。時間が経つのが酷く遅く感じる。きゅるる、と切なくお腹が鳴ったのを聞いて、フーシュは呆れたように息を吐いた。
「僕は人間の糧なんて作れないよ」
「…わかってるもん」
サラがリビングに「おいしくないかもだけど」と作り置きをしてくれているから、別にご飯の心配はしていない。
しかし「おいしくないかも」なんてとんでもない。慣れない手つきで作ってくれる温かくて優しいサラの手料理が、メルヴィンは大好きだった。アーベルが来るから頻繁には作ってくれないけれど。アーベルめ。
「なら、それを食べておいでよ」
思念を勝手に読んだフーシュがあっけらかんと言ってのける。
「…食べたら、なくなる」
「仕方がないでしょ」
「………だって、帰って来ないかも。食べたら、サラが残してくれたもの、なくなっちゃう…」
「ご主人は馬鹿だねぇ」
分かっている、サラはちゃんとこの家に帰って来る。だって彼女は「今晩だけ」と言い残して行ったのだ。分かっているけれど…どうにも湧き上がる言いようもない不安は言うことを聞いてくれない。
「嬉しそうだったね、サラ」
フーシュがふいに穏やかな声を出した。マリの家に機嫌よく向かったサラを思い出しているんだろう。少し変わった声色にモヤモヤする。アーベルもフーシュも…サラのばか…。
「明日には帰ってくるよ」
メルヴィンの思考はもれなく分かっているくせに、フーシュはこういう時だけ知らんぷりをするから意地悪だ。
「…フーシュ、ご飯あげるよ」
「それはありがとう」
「…人型のままなの?」
「たまには、ね」
適当にそう言うと、フーシュはメルヴィンの細い手首を掴んで人差し指をぱくりと咥えた。
フーシュがメルヴィンの寂しさを紛らわせるために人型になってくれているのを知っている。きっといちいち姿を変えるのは面倒なんだろう。
フーシュの「ご飯」は、すなわち魔力のことだ。メルヴィンは指先で魔力を紡ぎ出すことが殆どなので、自然と魔力の供給も指先から行われるようになったのだが。
「…へんなのー」
いつもは綿に挟まれる感覚なのに、今日は人の生々しい感触がする。それにしても、フーシュの唇はひんやりして冷たい。思わずサラの熱い唇を思い出した。柔らかくて、溶かすように熱い真っ赤な唇。
「ご主人も年頃だね」
ちろっと最後に指先を舐めて、フーシュは悪戯に微笑んだ。手首も一緒に離される。
「最近はお風呂も大変そうだもんね」
「な…っ! ちが、ちがうもん!」
「ん? なにが?」
涼し気に笑うフーシュに、メルヴィンはぐっと唇を噛んだ。
「…サラが…ぎゅーってするんだもん…」
この頃のサラは、平気で風呂場でメルヴィンを抱きしめたりする。いつもなら嬉しくてしょうがないことだが、お風呂場では少し困る。…決して嫌な訳ではないけれど。
「毎日のぼせてたら世話ないよ、ご主人」
「だって…しょうがないでしょ」
「はいはい」
サラのスキンシップが増えたのはほんの最近のことだった。今まではどこか遠慮ぎみだった態度も、今では自分から抱きついてくるまでに変わった。何より笑うことが増えた。
出会って始めの頃、サラがどれだけ怖がっていたのか、どれだけ壁を作って自衛していたのか、今なら分かる。
「…サラ。サーラ…」
「ああもう、女々しい!それどころじゃないのに!」
「あ」
もともとそこに居たような自然さで、少女、もといロロは苛立たしげに橙の短い髪を掻き乱した。揺れる蝋燭の火のような、透明で鮮烈な夕日の色に、メルヴィンは少しだけ体を上げた。何かを言おうとしたが、言葉にならないまま黙っているとフーシュが言葉を発した。
「いま起きたの?」
「馬鹿じゃないの?」
のんびりニコリと笑うフーシュにロロが憎々しげに牙を剥く。
「起きてたに決まってるでしょ!」
「へぇ、珍しい」
…うるさいなぁ、もう。フーシュも毎回火に油注がなくてもいいのに。
「あんた綿に戻りなさいよ!話すといちいち鬱陶しい!」
「それを言うためだけに人型になったの?君も僕のこと大好きだね」
「違うわよ…!マスター!」
「ん、なぁに?」
「サラが危ないかもしれないわ」




