第二十四話
がむしゃらに走った。ただ自分の臆病っぷりは筋金入りのようで、道行く人々の視線がどうしても気になって、結局は街を出た後よく知った青い屋根の洋館に駆け込んだ。情けなくて迷子の子供のように泣いてしまいたい気分だった。
「…はっ、はぁ…っ」
ドアを勢いよく開けて、佐良は倒れこむように玄関に膝をつく。喉が粘液を失ったようにカスカスしていて、息を吸うたび咳き込みそうになった。何重もの苦しさに、自然と眉間に皺が寄る。
一一一バンッ
背後で乱暴にドアが開かれたのは、ちょうどそんな時だった。
「僕、はっ!」
「!」
苦しそうに息を途切らせながらも、膝に手を突いて声を上げたのは、プラチナの髪を光らせる男の子だった。いきなりのメルヴィンの登場に、佐良は言葉も出ない。
「移動の魔法も…っ、使えるんだから!」
彼がまず訴えたのは、そんなことだった。
魔法、魔法、魔法。
そんなの知らないよ。
わたしの知らないものを言われたって、わたしには分からないのに。
顔を歪める佐良に、メルヴィンは肩で息をしながら続けた。
「だけど!………走った、から、」
そんな顔しないで。
線香花火がぽとりと落ちるような囁きだった。
「…そんな、かお?」
わたしが一体どんな表情をしていたと言うんだろう。無意識に顔に手を這わせてはみたが、いつも通りでよくわからない。
メルヴィンはそれには答えなかった。
「メルヴィン・エヴラール、ななさい!」
「七歳?!」
意を決した様子で唐突に自己紹介を始めたメルヴィンに、突っ込むのも忘れて年齢に衝撃を受ける。
うそ、五、六歳だと思ってた…。
「好きな食べ物はチーズで、嫌いなのは…辛いの!」
ああ、やっぱりチーズが好きなんだな。
「得意なことは寝ることで…僕はどこでも寝れるんだよ!」
うん、メルヴィンは寝付くのが早かった。アーベルさんにヤキモチを焼いてベッドで待ち構えていた日は、一体どんな気持ちで起きていたんだろう。
「癖…癖はね、階段を走っちゃうとこ!ママにね、落ち着きなさいって言われたんだけどね、走っちゃうんだ」
そういえば、いつも楽しそうに階段を駆けている。佐良の頭には、穏やかそうな美人の“ママ”が浮かんだ。彼の、本当の家族が。
しかしメルヴィンは、佐良に差した影を先回りするように真っ直ぐ見つめてきた。
「家族は…フーシュとロロと、佐良、だよ」
一一一この子は、いつも、どうしてこうも断言してくれるんだろう。
言わずにはいられなかった。情けなかったのは、唇が震えてしまったこと。
「…じゃあ」
「え?」
「じゃあ、どうして隠し事するの…?」
あ、とメルヴィンが声を漏らしたのを佐良は聞き逃さなかった。
「みんな一緒だよ!どうせ、みんな、一緒!言いたくないならいい!わたしの家族は…っ!」
家族写真のように、ママとパパとお兄ちゃんが並んで頭の中で笑っていた。
わたしの家族はあの人たちだけだ!
そう言おうと思ったのだ。
「…っ」
さっき連れ出してくれたフーシュは?
すり寄ってくれたロロは?
“サラが初めて笑った!”
“サラだよ、僕の家族!”
“行っちゃやだ…!”
メルヴィンは?
言えるわけがなかった。
怒鳴り散らした佐良の目の前には、今にも泣き出しそうなメルヴィンがそれでも佐良をじっと見つめていた。どこまでも真摯なその視線に、勝てる気なんて、これっぽっちもしなかった。
「…サラ」
「………」
「僕、サラのこと、しりたいな」
どこまでも澄みきった声だった。メルヴィンの声に、わたしは初めて会った時もそう感じたっけ。
「たくさん知りたい。たくさん教えて。僕、いっしょに居たいだけなの」
こんなことを言ってくれた人が、今まで居ただろうか。
「サラ」
その声が何重にも被って、いつの間にかたくさん呼んでもらっていた自分の名前を思い出す。
「メルヴィン…っ、メルヴィンメルヴィンメルヴィン…っ!」
限界だった。
腕を伸ばした。
抱きしめて、メルヴィンの体温に火傷しそうになった。人ってこんなに温かい。
一方的に傷つけたのはわたしで、泣くべきじゃないと分かっていたのに、自制はどうも効かなかった。
「一緒にいて…!」
行き場がなかったわたしは、ここにきてようやく、行きたい場所を異世界で見つけた。
「わ…っ、ふふ、もちろん!」
十三歳も離れた、小さなプラチナの男の子。
はにかんだ笑顔がとびきり可愛かったけれど、それは拗ねるから言わないでおく。




