第二十一話
佐良は右手で食事を続け、アーベルは左手でオムレツを器用に食べた。
わたしは、弱い。ありありと感じたことは、突き落とされたような失望感だった。これじゃあ悲劇のヒロインを気取ってるみたいじゃないか。
そこまで自分を責め立ててはみたが、佐良は繋がれた手を離すことができなかった。この温かい手だけだったのだ、この場所で自分の存在を理解してくれているのは。
「ありがとうございました…もう、大丈夫です」
うつむきがちに、しかし少しだけアーベルの方に顔を向けて佐良が躊躇うようにお礼を言うと、たっぷり三秒置いてから、そっと手が離れていった。
途端に温度を失った手に、随分彼の熱をもらっていたことに気づく。
「マリ、ごちそうさま。すごくおいしかった」
「それは良かった!」
ほっと顔を綻ばせるマリの顔が、今は見れない。綺麗な翡翠の瞳からさっと目を逸らした。
「あの、わたし、洗い物するよ」
なんて分かりやすくて安っぽい罪滅ぼしなんだろうか。佐良の食べ終わった食器を運びながらマリはニカっと笑った。
「いいよいいよ! これあたしの仕事だもん、皿洗い」
慣れた手つきでお皿を次々泡のついたスポンジで磨いていくマリが、その時佐良には、ひどく魅力的に映った。同い年なのに、どうしてこうも違うんだろう。
「おしごと…」
「んー?」
無意識に口から出た呟きに、マリは敏感に反応した。
「そういえばサラは何の仕事してるの?」
「わ、わたしは…してなくて…」
ああ、情けない。目の前で立派に働いている同い年を前にニートを打ち明けるこの惨めさ。
「あ、そうなの? まーお嬢様っぽいもんね。で、仕事がどうしたの?」
左隣でカウンターに肘をつくアーベルの視線をひしひしと感じる。なんだろう、言いにくいじゃないか。
「お、おしごと、しなくちゃって思って…」
そう言うと、右隣でパンにペーストをぺったぺった塗っていたメルヴィンがパッと顔を上げた。
「サラ、おしごとするの?」
「う、うん。したいなぁって思ってる」
「どうして?」
メルヴィンは手にパンを持ったままキョトンと問うが、佐良はペーストがたっぷり塗られたパンにどうしても目がいってしまう。好きなんだな、チーズペースト…。
「アーベルさんにお金も返したいし…」
「し?」
細く柔らかい白金の髪に手を伸ばした。小さな頭。こんなに小さな子供が、それでも佐良の全てだった。
「メルヴィンに迷惑かけたくないもん。負担になりたくないの」
口に出したら、一気に不安がこみ上げてきた。
ーーー捨てられたくない。
「わ、わたし、甘えてばっかりじゃなくて…せめて食費だけでも…あ、家事も頑張ろうって思って…」
不思議な気分だった。こんなにも必死に誰かに求められようとしたことは無い。冷静にそうは思うのに、伝えたい言葉が手にあまるほど、佐良は感情が高ぶって泣きそうになった。
「めーわく? ふたん?」
「あ、え、えっと…メルヴィンに、いやって思われたくないってこと」
「えっ」
心外だとでも言うような声を小さくあげて、メルヴィンは佐良の首元に飛びついてきた。佐良の太ももに跨るメルヴィンが少し重い。だけど人の重さが、佐良にはなんだか嬉しかった。今までひとりきりで生きてきた自分には背負ったことの無いものだったから。
「いやなんて、思うわけないよ!」
「…メルヴィン」
「サラは家族だもん!」
ぎゅぅっとメルヴィンの腕の力が強まった。
…この子の全てが、わたしだったらいいのに。
汚い感情が泡のようにぷくっと湧いてきて、次々にそこからやってくる感情をセーブすることはできなかった。
ーーーママ。パパ。お兄ちゃん。なんで死んだの。なんで死ぬのよ。なんでわたしだけ置いていったりしたの。
無償の愛は、家族の中にしか存在しなかった。友達も恋人も、見返りがなければ、うまくやれなければ、捨てられてしまうのだ。
「…サラ?」
この子もそうじゃないの?
「ほんとう…?」
だって、わたしたちは作り物の家族だから。
抱き返さない佐良を、メルヴィンはいっそう強く抱きしめた。
「ほんとう! おしごとも、べつにしなくたっていいんだよ!」
「ああ、メルヴィンんとこなら、働かなくてもいいと思うぜ」
「え?」
突然横から入ってきたアーベルが何でもなさそうに一言はさむ。
「それって、どういう…」
「みーっけ」
探したよ?
ふわっと背後で微笑んだのは、真っ白な髪をふわふわ揺らす大人にはなりきっていないような男の子だった。




