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死に際少女  作者: しめじ
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第一話


 心地良い風が頬を撫で、つられるように佐良は薄く目を開けた。眼前に広がる青空はすがすがしく、その端で輝く太陽の光も穏やかだ。さわさわと草木が囁くように薙いでいる。


 …なんで?

 だって、わたしはベランダから


 ―――落ちた。


 まだ生々しく思い出せるその感覚に、体中の肌を寒気が覆う。

 一瞬の浮遊感、それに続いてのしかかる重力。

 佐良は身を乗り出してすぐ目をきつく瞑った。頬の肉は手を離したベランダに引っ張られ、空気の層を一枚ずつ破っていくように、そう、わたしは確かに落ちたのだ。

 佐良は恐怖に声も出せないまま速度を上げて落下していた。もうすぐ地面だろうか、そんな地点で回路がショートするように、佐良の頭は真っ白になった。音も色もない場所で、だけど優しい風が吹いた。

 目を開けばこの景色である。


「………」


 佐良が飛び降りたのは都心のタワーマンションの最上階。周りにはビルが乱立し、自然なんて街路樹程度の分かりやすい都会だ。間違ってもこんな空の開けた自然いっぱいの場所ではない。

 …どこだろ、ここ。

 とりあえず湿り気のある地面に手をついて起き上がった佐良は、目の前に現れた眩いプラチナに度肝を抜いた。

 

「おねーさん、どうしたの? 」


 浅葱色の瞳がふたつ。薄紅の唇が言葉を紡ぐ。


「なんで泣いてるの? 」


 息を呑んではじめて呼吸を止めていたことに気が付いた。恐る恐る触れてみると、確かに頬が濡れている。少し乱暴に目の下を拭ってから、自分を見つめる双眸に視線を合わせた。質問には、答えずに。


「……あなた、だれ? 」


 透けるような浅葱の瞳はビー玉のようで、目を引くプラチナのブロンドは日差しをきらきら反射しながらふわっと風に舞い踊った。

 外人…だろうか。でも日本語喋ってるしなぁ…。

 佐良の心配をよそに、返ってきたのはいっそ気持ちのいい笑顔だった。にぱっと、それはそれは子供(・・)らしい(・・・)


「僕メルヴィン! おねーさんは? 」


「…佐良(さら)


「サラ! 」


 確認するように言ったメルヴィンに、瞠目したのは佐良だった。見たところ五、六歳とはいえ、初対面の異性に呼び捨てにされたのは初めてだ。

 しかしすぐに別の感情が込み上げてきた。知らない場所に、見知らぬ外人の子供。溢れた不安に、喉元まで出かかる名前があったが飲み込んだ。もうわたしには頼れる人なんかいない。

 黙り込んだ佐良をメルヴィンが不思議そうにのぞき込んだ。


「ねー、サラはどうしてこんなところにいるの? 」


 くりくりの目は真っ直ぐに佐良を映す。


「…わからない」


 そんなメルヴィンから佐良は目を逸らした。そもそもここが何処だというのだ。なんだかひどくやるせなくて、なぜかわたしは泣きそうだった。


「あれ、迷子? どこに行くつもりだったの? 」


 続けて問うたメルヴィンに、今度こそ佐良は下を向いた。

 どこにいくつもり。

 その言葉だけ、頭の中で何度か繰り返された。

 どこにいくつもり。

 どこにいくつもりって。


「いくとこなんて、ないよ」


 ああ、夢じゃなかったか。俯いた先の喪服に佐良は諦めたように目を伏せた。視界に青空が映った時、もしかしてあの電話も、あのニュースも、あの葬式も、全部夢だったんじゃないかと頭の隅で期待していた。

 だけど家族は死んだし、わたしは一人で喪服を着たし、ついにはベランダから飛び降りた。嘘も冗談も夢も一つもなくて、ただすべてが事実だった。

 だから行くとこなんてない。死ぬつもりで落ちたのだ。なのになぜか死に損なった。こんな世界で一人で生きてなんかいたくないのに。


「わたし、死ぬの」


 囁いた言葉はひどく冷たくかった。


「どうして…?サラびょうきなの?ケガしたの?」


 的外れなことを言うメルヴィンは眉を下げて佐良の体に怪我がないか探してくれて、もの悲しい気分になってくる。わたしなんて初対面にすぎないのに、なんて優しい子なんだろう。きっとたくさんの愛情で育てられたんだろうな。


「びょーき。寂しくて死んじゃうびょーき」


「うさぎさんみたい」


 可愛らしい笑い声をあげて、でもね、とメルヴィンは続けた。やけに明るい声が、佐良には場違いに聞こえた。


「それならカンタンだよ。ここにいたらいーんだよ」


 本当に簡単そうに言う彼に苛立ちを覚える。こんな小さな子供が何を言い出すんだろう。そんな無責任な優しさはいらない。

 わたしは死にたいんだ。こんな世界嫌いだ。奪わないでほしかった。家族すらいればよかったのに。小学校も中学校も高校も大学も、どれも同じように耐える時間ばかりだった。少なくとも辛いと一言で収まりきる日々じゃなかった。

 でも。

 それでも。

 『おかえり』が、あったから。


「家族がいなかったら意味ないよ」


 結果として、わたしは弱かった。

 耐え切れそうになかった。味方がいない世界を受け入れる前に、逃げ出すことを選んだ。せめて一緒に死にたかった。

 汚い感情が濁流のように溢れてくるわたしに対して、メルヴィンの返事はさっきに負けず劣らず簡潔だった。


「じゃあ家族になればいーよ」


 文句を言おうと、口を開いたのだ。

 だけど言葉は出てこなかった。


 代わりに涙がぼろぼろこぼれてきて。


 何を血迷ったのか、差し出されたやわらかい真っ白な子供の手を佐良は震える手で掴んだ。染みるように温かい手だった。プラチナが視界の端で煌めいた。


 ―――汚い世界に、疲れ切っていたんだ。



 

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