第十六話
ヘーゼルナッツの髪と瞳は、黒い人の海の中ではよく目立った。
コンクリートで囲われた灰色の学校にいるのは、同じ制服を着た、同じ髪の色の、同じ年の子たち。お皿に並ぶ、海苔を巻かれたおむすびのようだった。
「立花さん!」
そんな中で、一度だけ恋をした。
十八の春だった。
「滝内くん」
振り返れば、黒い髪に黒い瞳。少し焼けた健康的な肌。二十センチほど上の優しい笑顔も、落ち着いた声も、何もかもに「大好き」だと伝えられているようで、わたしは少しはにかんだ。
「呼び止めてごめんね」
「ううん。どうしたの? 」
「ああ、あのさ…」
遅咲きの桜が、一陣の風に花びらをのせた。
その向こうで、薄褐色の腕が伸 び て き
「…ラ! サラ!」
「っ!」
体の大きな震えとともに目を覚ました時、視界いっぱいに眉根を寄せたメルヴィンがいた。のぞき込まれているらしい。
「サラ、すっごくうなされてたよ! 怖い夢見ちゃった? 」
「…ううん、大丈夫。ありがとう」
悪い夢ではあったけれど。
ベッドの感触がやけに落ち着いた。隣にはいつの間にベッドに来たのか、まだスヤスヤと眠るフーシュとロロの姿がある。窓からのぞく朝日が眩しい。また一日、わたしは家族より長生きをしたのだと思い知る。上半身を起こせば、気持ち悪い違和感があった。
「なにこれ…すごい寝汗」
「わ、ほんとだ! サラの服汗びっちょりだね!」
せっかく昨日買ってばかりの水色のドレスは早速皺だらけの汗まみれだ。なんだかマリとアーベルさんに申し訳ない。洗濯しなくっちゃ。
「サラ、僕もね、昨日お風呂入ってないんだぁ」
「あ、そうなの?」
「うん、一緒に入ろー」
間延びした声が心地良くて頬が緩んだ。やっぱりメルヴィンは苦しそうな声より、こっちの方がずっといい。
白々しく返事をしておいてなんだが、昨日の様子ではそうだろうなぁとは思っていた。
「そーしよっか」
言葉通り、昨日のことは水に流れたのかもしれない。メルヴィンなんてバスルームに向かってスキップなんてしているではないか。お子様の機嫌は一晩おけば直ってしまうものらしい。悶々と考えを巡らせていた佐良は、さすがにため息をつく。佐良も二匹の魔獣を起こさないように、そっと部屋からメルヴィンの後を追った。
「あわあわ~っ」
「こら、メルヴィンじっとして!」
「だってぇ…くすぐったい~」
そして一晩たって、佐良にも心境の変化があった。
佐良は昨日までとは打って変わって、脱衣所でメルヴィンと同じく迷いなく服を脱ぎ去ったのだ。
もう恋なんてこりごりだ、と強く思う。今朝の夢見も強く影響していた。メルヴィンが異性だろうと関係ないのだ。というか子供だし。意識していた今までの自分が情けない。
あれは、最後の恋でいい。最初で最後の恋でいい。
「ずるいー! なにこのモチモチお肌ー! メルヴィン憎いー!」
「ひゃぁ…!」
気を紛らわせようとわしわし洗ったメルヴィンの体はつるんつるんの真っ白で、一介の女としては少々羨ましかった。いや、かなり羨ましかった。
しかし、なんとなくスキンシップに楽しくなってきている佐良に対して、メルヴィンは悲痛な表情で振り返る。
え、なに?
「サ、サラぁ…僕のこと、きらい…?」
「どしたのいきなり!」
「にくいって、きらいってことでしょ…?」
湯気の立ち込めるバスルームが静寂に包まれる。傍から見ればかなり滑稽だが、本人たちはいたって真剣だった。その内の一方は、しきりに首を捻っていたが。
「…ん? もしかして、いま体洗う時に言ったこと?」
メルヴィンはこくりとうなづく。今更ながら裸で何やってるんだろう。
…いや、“憎い”とは言ったけども。
眼前でびしょ濡れのまま小さくなるメルヴィンがいつもより一層子供に見えて、佐良はその頼りない肢体を力いっぱい抱きしめた。
「サ、サ、サラぁ…ッ!」
「あのね、羨ましいって意味だよ」
「ふぇっ、あ、え?!」
「嫌いじゃないよ。メルヴィン大好き」
言った瞬間、心臓を雁字搦めにしていた蔦がすぅっと溶けた気がした。
もう言わない言葉だと思っていた、もう言える人はいないと思っていたのだ。浮かべたのは、満開の笑顔だった。
肌に伝わる温度が熱い。メルヴィンは真っ赤だ。この子でもこんな表情が出来たんだなと思うと、たまらない気分になった。
こんなタイミングで。こんな場所で。
生まれてよかったと、心から思った。
「家族にしてくれてありがとう」
メルヴィンは頬を真ん丸に膨らませた。怒っているような表情を作っているらしいが、真っ赤だわ髪がぺちゃんこだわで庇護欲しか煽られない。
腕の中に天使がいる。
ぷんすかするメルヴィンに、佐良の頭から螺子が一本飛んだ。
「僕の方がだいすきだもん」
のぼせそうである。




