第十三話
二人で石畳の上を歩いている間、マリは誰かと挨拶を交わしては「今のはね…」と説明を挟んでくれたが、正直内容はほとんど頭に入ってこなかった。
隣ではつらつとした声で話すマリに、佐良はごくりと喉を鳴らす。
相槌の仕方も歩くペースも上手く掴めない。だけど床がコンクリートじゃないだけで―――世界はこんなにも違うのか。
大発見をしたような気分の佐良は、ふわふわした足取りで大きな建物に到着した。
「さぁ着いたよ~。帰り寄れって言ってたからね」
「……え?! ここなの?!」
両手を回しても届かないような石柱が列を成すように並び立ち、その奥に、開け放たれた二枚扉の巨大な門が見える。積み上げられたくすんだキスカ色の煉瓦は下からライトアップされたように照らし出されていて、まるで神殿だ。
「こんな立派なところで…すごい、すごいねマリ…!」
感極まったように佐良が零すと、マリは得意げに鼻を鳴らして扉に向かって歩き出した。
「まぁあたしはまだ未熟者なんだけどね~。ボスはホントに凄いんだから!」
「ボスなんているんだ」
「もちろん! 元宮廷仕えの料理人だからね、ここで働いてる奴らはみんな尊敬してるよ」
「へぇー…! すごい人なんだね…!」
「うん、おいしかったでしょ?」
「…ん?」
扉の向こうは予想に反して、気安くて楽しげな雰囲気だった。たくさんの人が大皿を囲んでわいわいお酒を煽っていたり、話に興じていたりしている。やっぱりみんな笑顔だ。
奥にはカウンターと向かい合った調理場が見えた。
真面目な表情で厨房に立つ見知った顔がある。
「かっこいいでしょ? うちのボス」
「………ボス?」
返事の代わりにウインクを残してマリはカウンターの方へ駆けていった。町では目を引いた調理服が、今は妙に頼もしい。マリがカウンター越しに何事か言うと、アーベルがこっちに視線をやって、佐良としっかり目が合った。アーベルは隣の簡易式の出入り口から抜けてきて、マリが代わりに調理場へ入る。
「…あ」
佐良の元へやってくるアーベルの向こうで、マリの口が何かを訴えかけるように動くのを佐良は見た。マリまでの距離は遠い。だけど佐良にはしっかり届いた。顔がにやける。呆れるようなマリの表情まで見えた。
「うん、またね」
笑って手を振る。小さな声だったけれど、届いたようだ。
「仲良くなったみたいだな」
「アーベルさん!」
調理服のアーベルは見慣れない。佐良は落ち着かない気分だった。ボタンだけはマリのと違って金色だ。
「街は楽しめたか?」
「はい! あ、あの…お金、たくさんありがとうございました! わたしもお仕事見つけて…時間はかかると思いますが、ちゃんと返します」
お金は三分の一も使っていないが、それでも貰いっぱなしなんて甘えすぎている気がする。アーベルさんはごはんまで作ってくれたのに。
誠心誠意で下げた頭に、大きめの温かい手がのった。
「あれは歓迎の気持ちだよ。気にすんな」
「でも…」
「それ。似合ってんな」
分かりやすい話題逸らしだったが、着ている水色のドレスを指されて佐良は赤面した。膝丈で動きやすいのは動きやすいのだが、裾に広がるフリルと腰のリボンに当初は可愛らしすぎやしないかと気後れしたのだ。
「マリが選んでくれました…」
「さすがだな、あいつ。淡い色がよく似合う」
いつの間にか喧噪は遠く、二人は街道に入っていた。草木が風に薙ぐ音まで聞こえてきて、佐良は焦って話題を探した。
「あ、あの、ボスだったんですね!」
「…あー、マリのやついらねぇことを。なぜか厨房ではそう呼んでくるんだよ、あいつら」
苦々しそうに話すアーベルにほっとする。人との会話って難しい。
「嫌なんですか?」
「普通にアーベルでいいんだよ俺は。飯つくってるだけなんだから」
遠くの木々を眺めるアーベルの髪が、じゃれる様に湿った風に絡めとられた。無意識に爪先立ちで鳶色に手を伸ばして指先で梳くように整える。硬めの髪質が、猫っ毛の佐良には新鮮だった。
「かっこよかったです、厨房のアーベルさん」
笑って進めば、曲がり角が見えてきた。そこを曲がれば家も見えるはずだ。次はメルヴィンとも街に行きたいな。
彼が何に怒っているのかは結局考えても分からなかった。帰ったらちゃんと話そう。このままなんて、絶対嫌だ。
「……アーベルさん?」
曲がり角にさしかかるあたりで、佐良は後ろを振り返った。アーベルが立ち止ってついてきていない。佐良の呼びかけに、アーベルは深いため息をついて歩き出した。
「……本当にサキュバスじゃねぇの?」
「な…っ! 違いますってば!」
足が長いアーベルはすぐに佐良に追いついた。通り過ぎる際に頭をぽこっと軽く叩かれた。全然痛くない。
「恥しがり屋のくせに」
全然痛くないけど―――これなら痛い方が良かったかもしれない。
案の定、佐良の顔は真っ赤に染まった。




