5話:真星唯観察日記
回想シーンが終わり、話は今へと戻りました。
感想を受け付けているのでよろしければ書いてください。
彼女──真星さんがそれを持って俺の目の前に立っている。
もうダメだ……俺の人生は終わった。
ひとたび彼女に中身を見られでもしてしまえば。
彼女のほのかな赤みのさす、白く陶器のような美しい肌は、病的なまでに青ざめてしまうだろう。
そして酷く感情のこもっていない冷たい口調でこう言うのだ。
『八代くんってそういう人だったんだね』
想像しただけでも鳥肌が立つ。
だから……どうか真星さん。それを開かないで、そのまま俺に返して下さい。
──しかし一体どうしてこうなってしまったのだろうか。
話は五分前へと遡る。
◇◇◇
真星さんと、約束を交わしてから五日が経った。
ただそれだけで、後は何もない。
やっぱり俺の気のせいだったのだろうか。
なのに俺は舞い上がって……バカらしいな。
結局俺にとって真星さんは憧れを抱くだけの存在。淡い期待を持つなんぞ端から無理なことだったのかもしれない。
俺はいつものようにカバンへ荷物を入れ、帰宅しようとしていた。
と、その前に──あれを書かなければ……。
俺がカバンから取り出したもの、それは手帳サイズのノート。つまり『Mの日常』……『真星唯観察日記』である。
もうこれで、早くも四冊目を突破した。
しかし正式な四冊目とはならない。なぜなら三冊目がなくなってしまったからだ。
俺はあれがなくなった日の記憶が所々曖昧で何とも気味が悪い心地がする。
しかも真星さんに嫌われたかもしれないという出来事が起こった日でもあるのだ。
厄日としか言えないな、あの日は。
「さてと、どれから書こうかなー」
ひとまず日記を自分の机の上にそれを置き、俺はシャーペンをくるくると回しながら頭上を見上げた。
「今日は何があったかなー」
真星さんが昼にあんパンを食べていたこと。
真星さんが英語のノートを忘れてしまったこと。
真星さんが窓の外を見つめて物思いにふけっていたこと……。
さて、どれから書き始めようか。
「八代くん何やってるの?」
鈴の音のような美しい声が俺の耳に入る。この声はもしかして。
俺は上げていた顔を少しくいっと声がした方に向け、誰かを確認した。
うん、確認するまでもなかった。真星さんだ。
深い藍色を混ぜた肩より少しある黒髪は今日も艶があり、さんさんとしている。
見た者を虜にする小悪魔な要素を孕んでいて、何とも末恐ろしい。
「あ、ああ、考え事してただけだよ! ホントそれだけだから! いやー最近色んなことがあったし」
居直りして彼女と顔を合わせると、俺は必死に根幹部分をはぐらかして答えた。
「ふーんそうなんだ~。……ん? これ何?」
特に怪しむこともなく、彼女は前屈みになり俺の方へ接近してくる。
その動作に呼応して前に垂れる彼女の髪から漂ってくる香しい匂いを、俺は鼻で息を大きく吸いこんだ。
ただ一瞬のことであり、彼女は俺から離れる。
そして俺は今何が起こったのかが分かると、目を見開き、心臓が止まりそうになった。
彼女の手にあの……四代目『真星唯観察日記』があるのだ。
迂闊だった。
彼女からは……彼女からは何としてでも死守しなければいけないものなのに、彼女の魅惑に取り憑かれている間にあっさり取られてしまうとは。
……いやまだ間に合う。
無理矢理にでも取り返せば、まだ間に合う。 でも、そうすることで負の印象を植え付けてしまうのではないだろうか。
それにだ。もし俺がここで取り返す選択をすると、次のようなことが起こりうるかもしれない。
「ま、真星さんごめん! それは返して! ってうわぁっ!」
急いで席を立ち上がり、彼女から四代目『真星唯観察日記』を取り返そうとすると、俺は足を滑らせた。
視界は一気に変化し、反射的に目を閉じる。
「いててて……えっ……」
目を開けると、起こった状況に戦慄した。
真下には真星さんの顔──つまり俺が真星さんを押し倒している形になっているということだ。
彼女の方は状況が飲み込めず、戸惑いの表情浮かべている。
それとさっきから何やら右手に柔らかい感触が──
「ひゃん」
彼女は子犬のような可愛らしい声を上げた。
何考えてんだ俺はよおおおおおおおおおお!!
……止めよう。無理矢理取り返すのだけは止めよう。
◇◇◇
そんなわけで今の状況に至る。
彼女は物珍しそうに四代目『真星唯観察日記』を眺めていた。
──ヤバいよ。さっきから変な汗がすごく出てる気がする。
んー普通に「真星さん、それ大切なものだから返して」って言えばいいのかなー。
するとまた「どう大切なの?」とか訊かれたりしたら、困る。「あなたの全てが詰まっているからです」って答えればいいのかよ。
いや、そんなことを言いでもしたら俺は彼女に、あの三桁の番号へ電話をかけられ、即刻赤いランプが俺を迎えに来るだろう。
じゃあどうしたらいいんだよおおおおお!
先ほどから思いばかりが空回りを繰り返す。
だから一向に思いと行動は噛み合うことがなく、俺は壊れた機械のように彼女を見ているだけになった。
歯痒くて……それでいて情けない……。
俺は男であるというのに……。
──ならいっそ、
すると彼女がおもむろに口を開いた。
「ねぇ、八代くん。嫌だったらいいんだけど……中見てもいい?」
──男らしく堂々として、彼女に中身を見てもらおうじゃないか。
家に帰った後は、枕を涙で濡らそう。
「うん。いいよ」
非常に胸がキリキリとして辛かったが、同時に自分の隠していたことを吐露したという解放感もあった。
──もう思い残すことはない。さようなら……真星さん。
しかし、彼女の言った言葉は俺の期待と大きく反するものであった。
「これすっごく面白いよ! 男の子が女の子に対する『好き』って気持ちがまんべんなく出てて良い!」
嬉々とした表情で語る彼女を見ていると、嬉しくもあり悲しくもあった。
バレたくないはずなのにどうして悲しいと思ってしまったのだろうか。
とりあえず褒めてくれたんだ、お礼を言おう。
「……ありがとう。まさかそんな風に言ってくれるなんて思っても見なかったよ」
「ふふ、そうだったんだね」
口元に手をあてて、笑顔を浮かべる。
「うん。どれだけボロクソ言われるのかとヒヤヒヤしたよ」
「言うわけないよー。人が考えて書いたものにぼろくそ言うなんて私には出来ないかなー」
「真星さんらしいね」
「…………え?」
「ごめん! 何でもない!」
「……うん」
彼女は頷くと、顔を下げたまま上げようとしない。
手を前に交差させてもじもじとしているのは、俺に突飛なことを言われて虚をつかれているのか。
はたまた純粋に照れているだけなのか。 おそらく後者の可能性は低いだろう。
どちらにせよ……この人がやっぱり天使であることには変わりはない。
俺と真星さんとでは憶測ではあるが『ボロクソ』という言葉の意味の捉え方は違う。
俺は自分自身に対して、彼女は四代目『真星唯観察日記』に対してというように……。
「あ、真星さん。俺に何か用でもあったの?」
思い出したように俺は言った。
すると、彼女はゆっくりと顔を上げる。
その顔が赤く染まっているように見えたのは、俺の脳内補正が見せている幻覚であろう。
「う、うん。国語を教えてもらおうと思って」
「あー。真星さん、約束覚えててくれたんだ」
「さすがに自分でした約束は忘れないよ」
「それもそうだな。……まだ教室には人が残っているようだけど、始める?」
自分で言って気付いたことだが、教室にはちらほらと他のクラスメイトがいて楽しそうに駄弁っている。
なのに周りの音が全く入ってこず、今まで彼女と二人きりで話していたという感覚に囚われていたのだ。
「んーもう少し待とうかな。八代くんは時間とか大丈夫?」
「大丈夫だよ」
きっと彼女は俺を恋愛対象だ、という風には捉えていない。
そう捉えているのは俺の方だけだと思う。
──でも、それでもいいか。
『何で気付いてくれないんだよ!』とか『俺だけを見てくれ!』とかワガママは言わない。
なので、これからもあなたのことを『好き』でいさせてください。
両手を軽く握りしめ、俺は心の奥底で彼女に告白した。
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