19話:朝日奈佳世
なるべく早くといいつつ遅くなってしまい申し訳ありません。
未だに外では雨が降り続いていた。生憎、傘を忘れてしまったので、八代のに入れてもらうことにしよう。まあ、ブツブツと文句を言われそうだが。
アイツとは中学校からの付き合いだ。
友達……だとは思っている。しかし気づけば何となく一緒にいるという印象が強く、それが友達である定義なのかどうかは定かではない。というより一々そんなことに頭を回すのは時間の無駄遣いだろう。そう、何となく。
何となくアイツといるのが嫌じゃない、むしろ楽しいと思うからこそ、俺──桐谷和也は一緒にいるのだと思う。
ちなみに俺は今、クラスメイトの朝日奈佳世を連れて保健室に向かっている。
「なー朝日……」
と名前を呼ぼうとした時、俺の他に聞こえていた足音が止まった。
気になって後ろを振り返ると、朝日奈は顔を俯かせ、肩を振るわせていた。
「どうした」
「……」
朝日奈は答えようとしない。
ただ黙って突っ立ってるだけ──って、
「あっ」
大きくよろけた朝日奈をどうにか反応して支える。
手元から柑橘系の匂いが漂ってきて、鼻腔をくすぐった。
その匂いを発している奴はというと、大きくて、輝きに満ちた双眼で俺を見据えている。俺のような男の顔が突然目の前にあれば、驚くのも無理はない。
「吐きそうなのか? 保健室まで持ちそうか?」
と訊くと、思い出したかのように俺から視線を逸らした。
嫌われてんのかな……俺って。まぁ今の状況でそんなことはどうでもいいだろう。
「ちょっと待ってろ。直ぐに先生を呼んでくるから」
ゆっくりと朝日奈から手を離し、向かおうとしたその時──。
「ん?」
片腕を掴まれて、動きを止められる。女子なのに意外と力あるな……。
表情は垂れた前髪がかかっていて読み取りにくい。
それからそのままの状態で俺達は固まった。時間が止まったような気がする。ただ、ザアザアと降る雨の音だけが時間の経過を知らせていた。
しばらくして彼女の手が腕から解かれる。
俺は朝日奈に目線を合わせようと、身を屈めた。
しかし垂れた前髪のせいで、それを妨げてくる。
なのでなるべく相手に恐怖心を与えないような物言いで問いを投げかけた。
「嫌なのか?」
「……」
「それとも行けるから呼ばなくてもいいよ、ってことなのか?」
「……」
二つの問いは無言解答という形で見事に退けられた。
イラつきはしないが、ここで立ち止まってるのはかなり時間の無駄である。
「はぁ、悪いけどさぁ、はっきり意思表示してもらわないとこっちも分からないよ」
溜息混じりにそう言うと、わずかに朝日奈の唇が緩まれた気がした。
「ははは」
笑い声?
発信元は朝日奈からだった。
俺は眉を寄せて、訊ねた。
「……何がおかしい」
すると下げられていた顔が上がり、隠されていた表情が露になる。とても先程まで体調が悪かった人には見えない。
「体調が悪い? あはは、嘘に決まってるじゃん。そんなことにも気づけないなんて、アンタもあのセンセーもバカだねぇ。おもしろすぎて腹が痛いわ」
腹を抱えて笑い転げてる朝日奈を俺は冷ややかに見つめた。
コイツはこういう奴なんだよな。
表は小動物のような可愛さを振りまいているが、裏は可愛さの欠片はどこにもなく、どちらかというと畏怖されるといった感じだ。
つまり裏表が激しい奴なのだ。この朝日奈佳世というのは。
今決めつけたわけではない。朝日奈とは一年の時同じクラスだったのだから。そして偶然にも俺は彼女の裏の顔を知ってしまった。
なので極力接触は避けたかったのだが。
……もう手遅れだよな……。
「なによその目は」
「お前……いや朝日奈。今まで猫かぶってたのか」
「気安く私の名前を呼ばないでくれる?」
目線が鋭いものとなり、矢を射るかの如く真っ直ぐ俺に突き刺さった。
「……あぁ悪い」
素直に謝ったのが幸をそうしたのか、朝日奈は肩を軽く上げた。
「まぁいいけど。それとね、猫かぶってるわけじゃないのよ。私。ああやって装っておくほうが都合がいいのよ」
「それを猫かぶってるっていうんだろ」
「さすが何気にクラス内で十番内の成績誇ってるだけはあるわね」
「成績の話はどうでもいいだろ」
「私にとってはどうでも良くないわ。張り合いのある相手がいてこそ論争バトルは熱くなるもの」
「そんなバトルに参加する気はない。元気そうなら良い。俺は教室に戻るぞ」
あー時間を無駄にした。とっとと引き返すかな。
立ち去ろうとすると、後ろから思い切りどつかれた。
「いって」
「はいそうですかって戻るのを許すわけないでしょう? いい? アンタに拒否権なんてないんだからね」
こういうとこはどうも子供らしくて、お世辞にも身長が高いとは言えない彼女には合っている。
「はいはい」
「分かったならよろしい。アンタ見かけによらず従順な人ね。私そういう人結構好きよ」
「どうもお世辞をありがとう」
「ふーん今のをお世辞って思うんだ。ふーん」
不可解な微笑を見せつつ、顔を近付けてきた。
俺はそれを手で制し、話を強引に自分の方へと持ってくる。
「で、論争っていうけどさぁ一体何を議題にするわけ?」
「そ、それは……」
それまで流暢に話していた朝日奈が、どういうわけかそこで口ごもった。
「唯ちゃんのこ……あっ、い、いや今のなしで! オホン、真星さんのことでね」
なぜ言い直す。友達なんだからそこは唯ちゃんでいいだろ。
「唯か真星の言い方はさておき、真星のことについて話すんだな?」
「そうそう! やっぱ物分かりが良い人は助かるわー」
手を重ね合わせ、目をキラキラさせてこっちを見てくる。
「言っとくが、そこで可愛さアピールしても俺は朝日奈にときめきもしないからな」
「またまたー」
「ないからな」
否定のおまけに鼻もつまんどいてやる。勿論軽くだ。
「いたたたたたた」
朝日奈は声を上げながら、両手を使って俺の手を剥がそうとしてくる。
……やっぱりコイツの力強いな。
もうこのへんでいいだろう。
パッと彼女の鼻から手を離す。しかし、それがまずかった。
鼻つまみを止めた後、直ぐに彼女も手を離そうとしなかったため、身体が俺に向かって突っ込んでくるような形になった。
「あー」
「……やば、支えきれん」
床に尻餅をついて、俺は自分の尻をさすった。
「いってぇ。大丈夫か? 朝日奈」
「大丈夫じゃないわよ!! ちょっといきなり離さないでよね!!」
「あー悪かったって。それよりお前いいのか? 授業中だぞ」
そう耳元で囁いてやると、慌てて朝日奈は手で自分の口を塞ぐ。そして首を動かしている。恐らくこの状況を見ている人がいるのかいないのかの確認だろう。
こういうところは素直に可愛いと思ってしまう。だが、コイツには言わない方がいいな。絶対。
「なによ、子供を見る親のような目で私を見て」
上目遣いで訊いてくる。俺はそっぽを向いて答えた。
「別に」
「ホントに~?」
「嘘つく必要がないからな」
「じゃあなんでこっちを見てくれないのかなぁ」
言っていいものなのか、これは。
ここからだと胸元が見えるって。
いや、止めておこう。
俺の主義に合わなさそうだ。
うん、余計なことはつっこまないほうがいい。出来るだけ穏便に済ます方が吉だ。
「とりあえずいつまで俺の胸に収まってるつもりだ。いい加減どいてくれないか?」
「え……」
朝日奈は目を丸くして、自分の今いる位置を確認しようと、壊れたロボットのようにカクカクとした動きをしている。
そしてやっと確認し終わったのか、その動きが止まると顔をリンゴのように真っ赤にして、目に止まらぬスピードで俺から距離をとった。
裏を見せて恐怖を与えたかと思えば、可愛いと思わせるような仕草をしたり、良く分からない奴だ。
「なんで距離をとるんだよ」
こっちに呼び戻そうと声をかけるが、朝日奈は肩を竦めるばかりで答えようとしない。
これじゃあ一向に話が進まねぇじゃないか。
チラと腕時計を一瞥。やはり教室を出てからかれこれ五分以上は経っている。これ以上廊下に長居していると、色々とマズイだろう。
「朝日奈、俺はそろそろ教室に戻るが、お前はどうする? 保健室に行くか?」
コクリと首を縦に振る。
同意とみていいよな……?
「じゃあまた次の授業でな」
答えは返ってこない。
「そうだ忘れてた。真星のこと、今日の放課後に教えてくれ」
やはり答えは返ってこない。──いや、「うん、分かった」というのが聞こえた。小さな声でだが。
毎日更新とか中々更新を続けるのって難しいですね。
自分は執筆者として未熟だということを実感します。
そんな未熟な自分に付き合って下さっている読者の方々には感謝の気持ちと謝罪の気持ちで一杯です。
これからも何卒よろしくお願い致します。