18話:君がいないと筆が進まない
遅くなりましたすみません。
風が放送で呼び出されて、その場を去った後、俺は暫く黙考していた。
彼女の見せた表情。……何かに泣いてるようだった。いや、それだけじゃないようにも見える。俺の顔を見たくないという気持ちが表情に現れているようだった。
深く溜息を一つつき、俺は自分の手を見る。
「ったく何やってんだ、俺はよぉ……」
声は掠れたものになっていた。ギュッと手を力強く握り締める。自分が今、どのような表情しているかなんて容易に想像出来そうだった。
身体の向きを壁の方へ向け、拳を壁に叩きつける。鈍い衝撃が叩きつけたところから伝わってくる。頭はそれを痛みとして変換し、俺は顔を歪ませながら、呟いた。
「俺はふうの辛さを全く分かってなかった……。真星さんに対してもだ。あんな表情をさせておいて」
俺は……。
俺は止めるべきなんだろうか。風の幼馴染でいることを。そして、真星さんのことを好きで居続けることを。
……。
どんどん気持ちが鬱々としたものになっていく。
このままだと自分の命すら投げ出してしまいそうだった。
拳を壁から離し、教室へと引き返した。
◇◇◇
教室に戻ると、和也が声をかけてきた。
「大丈夫かお前。すごく表情が悪いぞ」
「あぁ……気にするな。すぐに治る」
「そうか。まぁ、まだ放課はあるんだ。少しは休めるだろ」
「そうだな」
俺は席につくなり、机の上に顎を乗っけるような姿勢になった。前に座った和也が突っ込みを入れてくる。
「逆に疲れないか、その姿勢」
「うん疲れる」
「なら止めろよ」
和也に言われるまま、俺は顔を上げた。窓の方を見、ふと思った、とりとめ ないことを呟く。
「雨やまねぇかな」
つい先程よりも雨は勢いを増し、グラウンドは巨大な水溜まりを何個も作っていた。
和也も「そうだな」と言った。
「あのさ、八代」
「……ん? 何か用か?」
和也が突然俺の名前を呼ぶので、胸がドキリとする。心臓に悪いったらありゃしない。そんな文句はさておいて、振り向いて要件を訊ねた。
コイツは、椅子を引いて座り、俺と対峙するような形になる。
細く、鋭い眼光が真っ直ぐに俺を見つめていた。
「真星……。休みだな」
どこか言いづらそうに、彼女の名前を口にし、俺から見て左斜め前方の席に目をやった。つられて俺も目をやる。
──しかし、誰もいない。
いつもあの席を取り囲んでいる人達は別のグループの輪に入って、話に興じている。あの人達に悪気はないと思う、いやそう思いたいが、彼女がいないのにも拘らずよくそんな表情が出来るな、と苛立ちが込み上げた。
あの人達からすれば、迷惑な話だろう。
もう一度彼女の席へと視線を流すが、誰もいない。
そうだ……。今日は真星さんがいないんだった。
べっとりと全身にへばりつくような感覚。意識しないよう努めていたのに、コイツの一言で「そうはさせないぞ」と意識を引き戻された。だが、コイツを憎むわけにはいかない。きっと俺を心配してそう言ったのだろう。そうであってほしい。
だから彼を傷つけないように俺は、「あぁ」と返して、それ以降は取り合わない意志表示をした。
「じゃあまたな」
そう言って去っていく和也を俺は、へなへなと手を振って答えた。
◇◇◇
チャイムが鳴り、先生が入ってくる。今日は彼女がいないので、代理の人が号令をかけた。いつもと違う人がやっても皆、違和感を感じず立ち上がる。
どうかしてる。
と、叫んでやりたかったが、どうかしてるのは彼等の方ではない。俺の方なのだ。なので喉元まで上がってきたその言葉は飲み込んでおくことにする。
着席して、俺は鞄からノートを取り出した。察しがいい奴なら予想がついていると思うが、一応説明しておくと、これは『真星唯観察日記』、通称『Mの日常』である。
内容は自分でいうのもなんだが、かなりヤバイ。
恐らくストーカー規制法か軽犯罪法で捕まってしまうだろう。
しかし問題はそこじゃない。大事なことだからもう一回言っておく。
問題はそこじゃない。
いざ書こうと思ってシャーペンを手に取っても、筆が……筆が進まないのだ。
「……いつもなら書けるはずなのに」
しまいには授業中であるというのに、そんな愚痴を零してしまう始末。
全くバレたらどうするっていってんだ。遅れてやってきた理性が呆れ顔で言っている。
どうして何だ。真星さんを愛する気持ちはまるで変わっていないというのに。
俺は、彼女のことが嫌いになってしまったのか? そんなわけ、ない……よな? なら、どうして……。
考えれば考えるほど分からない。
まるで袋小路だ。
俺は彼女の笑顔が好きなだけ……。
「そうか、そうだったのか」
簡単なことだ、こんなのは愚問だった。
俺は、笑った彼女が好きなんだ。
だから今の俺の胸は幸せで一杯になってるのではなく、悲しみで一杯になっている、ということを。
彼女のことを考えるだけで、どこか胸がチクリとする。あの涙でボロボロになった顔が目に浮かんできてしまう。
俺は……ただただ彼女の笑顔を想像するのが楽しくて書いていたんだ。
顔を歪ました彼女の顔なんて想像したくない。だけど、出てきてしまうのだ。
ダメだ、これ以上考えていても辛くなるだけだ。
頭を振って、それ以降は考えないことにした。
ノートもとい『真星唯観察日記』を閉じて、鞄に放り込む。
代わりに授業で使うノートを机に広げ、シャーペンを走らせる。
「先生」
「どうした朝日奈」
突然声を上げた人物に、先生は授業を止めて答える。
書く手を止めて俺は、朝日奈と呼ばれた人物へと視線を移した。
栗色のショートヘアで、ぱっちりした目が特徴的な朝日奈佳世さんである。ちなみに彼女は真星さんの友達。だと俺は思っている。
調子でも悪いんだろうか?
少し心配だなぁ。
「ちょっと頭が痛くて……」
「そうか。おーいこのクラスの保健委員はだれだぁ?」
「俺です」
聞き慣れた声──和也である。そういやアイツ、保健だったっけ。
「じゃあ桐谷、保健室まで連れてってやれ」
「分かりました」
和也は朝日奈の元に行き、共に教室から出て行った。
俺はその光景に眉を寄せる。
──思い通りになった、と朝日奈さんの口角が上がったように見えたのだ。
いつも読んでいただきありがとうございます。
実は前期試験が終わった後、後期試験の勉強をしており遅くなりました。
本当にすみません。
今日はもう1話更新できたらいいなぁと思っています。
今まで更新出来なかった分を取り返していきたいです。
これからもよろしくお願いします。




