14話:唯は誰にも渡さない3
土曜日、日曜日に更新すると言っておきながら、日曜日のこんな遅い時間に更新です。
本当にすみません……。
忙しくて……。
それからというもの俺と唯は、毎日遊んだ。
『けいくん早く投げてー』
『ゆいちゃんいくよー』
といった感じで、ボール遊びをするなどした。
本当に……。
本当に毎日が充実していた。これほどまでに幸せだったことは今までにあったのだろうか、とさぞかし思っていたことであろう。
が、同時に不安が募っていく。その度に耳にはキンとした甲高い音が鳴り響き、俺を苛んでいた。
そう──。
俺は彼女とは違う。
彼女はこの街の普通の家庭で育ってきた。
対して俺は、進藤グループという日本でも指折りの企業グループを束ねている家庭で育ってきたのだ。
そこには絶対的に越えられない壁。
いや、俺が勝手に思い込んでいただけかもしれない。
家にいると、オーディオプレーヤーが、近くに海のないここでは聞くことのできない潮騒を、俺に聞かせていた。
しかし本来気持ちが安らぎ、落ち着けてくれるはずの潮騒は、慌ただしく聞こえてくるだけである。
日が経っても不安は一向に払拭されることがなく、むしろ日に日にひどくなっていった。
彼女に出会うまで俺は、漢文の荘士という作中で出てくる、世界を知らない中央の帝──混沌であったかもしれない。
作中で混沌は、南海の帝と北海の帝に『人には皆、七つの穴があります。ですが、混沌にはありません。なので試しにを空けてみませんか』と提案され、混沌は一日一穴ずつ空ける。
そして七つの穴が空いた時、混沌は死ぬ──。
どうして混沌は死んでしまったのか? 簡単だ。
混沌は穴が空いたことで、世界を知ってしまったからだ。
七つの穴というのは目、耳、鼻、口をさしている。
目の穴があくと、様々な光景が情報として飛び込んでくる。
それは美しいものや心を躍らせるものはもちろんのこと、醜いものや汚いものといったものまで……。
耳の穴があくと、目の穴と同じように美徳ばかり聞こえてくるわけではない。
悪徳も聞こえてくるのだ。
鼻の穴があくと、息をすることができる。
これも目や耳と同じ。
脳まで痺れてしまいそうな甘い花の匂い、心を一斉に洗い流してくれるような日だまりの匂いなどの良い匂いだけではないのだ。
水が濁ってヘドロとなった臭い、人々が争い、地に転がる死体の臭いなどの悪い臭いもある。
口の穴が空く場合はこの流れからしたら……大方想像できるだろう。
穴が空くと、世界が広がる。
しかし、それだけではなかったのだ。
混沌は知恵と欲望を知ってしまった。
その知恵と欲望こそが混沌を死へと追いやったのだ。
俺も彼女という穴が空かなければ、こんなにも幸せになるなんてなかったと思う。
そのせいで、俺は自分と彼女の間にある絶対的な壁を恐れた。壁が理由で彼女との別れがくるかもしれない、と思っていたから。
それが不安となり俺を壊していく。
彼女と遊ぶのは楽しい。だが、自分には決して手の届くことない存在なんだと思うと悲しくなる。
だがその悲しさを、俺は彼女に見せたくなかったようだ。
外は笑っていても、内は泣いていた。
どれぐらいこの不安を抑えていたのだろうか。確か一週間ぐらいしか保たなかったと思う。
──ついに俺の不安は臨界点を越えて爆発した。
まあ、幼い頃の心なんてそんなものである。
何かキッカケがあるとすぐにひびがはいり、そこからどんどん漏れ出していく……。
「そういえばさ、けいくんってどこに住んでるの?」
ピキッ。
何かを叩いてひびがはいったかのような音。
でも訊かれてるんだ。答えないと。
「あそこ」
そう言って俺は、自分の家のある方へ指を差した。
俺の家は大きかったため、この公園からもその存在感は身にしみて感じる。
自分の家を彼女に知ってもらえるという喜悦と自分の家を彼女に知ってもらいたくないという恐怖の二律背反が俺の顔を俯かせていた。
終いには、どうして彼女は僕の住んでる所なんて訊くんだろ、と心の中でそっと愚痴をこぼす。
すると、彼女は俺の想定していた反応にない、想定外の反応を見せた。
「あ、やっぱりあそこがけいくんの家か〜。けいくんの名前を聞いた時からなんとなくそう思ってたんだー」
「え……」
完全に俺の思考は停止状態へと陥る。
何となくそう思ってた? 名前を聞いた時から? じゃあ、彼女は俺が自分とは絶対的な壁があることを知っていながらも俺と遊んでいたということか?
と、ここまでは考えられなかったと思う。
いっても、俺がどういう人か知ってるの? ぐらいであろう。
俺の脳内では、ひびのはいる音が絶え間なく鳴り響いていた。俺は煩わしく思いながら、顔を微かにしかめる。
彼女はそのまま続けて、
「それで、そういう人って漫画とか読むと何か偉そうでさ、私嫌いだったんだよねー。でも、けいくんに出会ってそれが崩れた」
「…………」
「私のお母さんの言う通りだ。『世界には色んな人がいる。だからもしかしたら、唯ちゃんはお金持ちで優しい子に出会えるかもしれないよ』って。私はけいくんに出会えた。まぁ、私はけいくんがお金持ちじゃなくても好きなんだけどね」
彼女は純白の歯を見せて、無邪気に笑う。
刹那。
大きな破砕音。
何が割れたのかは分かってる。
ただ、割れて不安が満遍なく前面に押し出されると思いきや、不安が取り除かれたという解放感が身体を満たしていた。
そんなことがあってから俺は少しずつ彼女に自分の家のことなどを話すようになった。
どうやら俺の身に心境の変化というのが起こったようだ。
以前にも増して彼女に自分のことを知ってほしいという気持ちが出ていたんだと思う。
そして知ってほしい気持ちが出れば出るほど、俺の胸はきつく締め付けられるような痛みを感じた。
鼓動はかけっこで全速力で走り終わってすぐの時のように、速く、激しく。
この気持ちは何だろう。
当時はまだ感覚だけが恋をしていたから分かるはずもなかった。だが、今の俺なら分かる。
どうしようもなく好きで、好きで堪らなくて、そばに居たくて。
だけどそばに居ると息苦しくなるぐらい心臓が脈を打って、身体が熱くなって……。
一秒。
たった一秒でも何倍にも長く感じられて──。
これが恋っていうんだ。
だから胸が締め付けられるように痛いのはきっと、恋の病気に違いない。そうでなくて、普通に心臓の病気とかだったら俺がこんなにも彼女に惹かれているなんてあるわけないから。
俺と彼女は互いにジュースを買って飲んでいた。
俺がコーラ、彼女がサイダー。
口が妙にパサつき、俺は缶を開けてコーラを流し込んでいく。
口の中が炭酸特有の清涼感で潤されていく。
なのに何故か口から水分が抜けていき、カラカラに渇いてしまう。
渇くとすぐに俺は缶を傾け、喉を鳴らしていく。
当然の如くあっという間に飲み干してしまった。
今話さないとまた口が渇いてしまう──そう思い、俺は空になった缶から視線を隣に居る彼女へと移した。
彼女は怪訝そうな表情で俺の顔をまじまじと見つめた後、俺の缶へと視線を落とす。
そしてこう言うのだ。
『もう飲み終わったの?』と。
俺は首を縦に振った。
「それでね、ゆいちゃん」
「ほしい?」
俺の言葉に被せるようにして彼女は首を傾げて訊いてくる。
大仰に手を横に振り、俺は否定の意を示す。
「ちがうちがう! ほしいわけじゃないんだ!」
「じゃあ、なあに?」
そうじゃないなら何なの? と、彼女は目を丸くした。
「今日俺、パーティーっていうのに行くんだ」
「パーティー!?」
「う、うん。パーティー」
「ゆいちゃんはパーティーって知ってる?」と続けようと思ったら、彼女が目を宝石のように輝かせて反応するので、遮られてしまった。
「何人ぐらい集まってパーティーするの!? パーティー会場は貸切!? みんな今の私やけいくんの格好とは違ってドレスとか着るの!?」
女の子は金持ちのパーティーに憧れるって聞いたことがあるんだが、この食いつきようはかなり信憑性の高い情報だったようだ。
しかし生憎にも、自分のパーティーについて全くと言っていいほど知らなかった俺はこう答えるしかなかった。
「ごめん、分からない」
俺がそう答えると、彼女は残念そうに肩を落とすが、笑顔で「意外だね」と言った。
そこに妙な悔しさを感じた俺は、思わぬことを口にする。
「今度パーティー感想言うから、それまで指加えて待ってて!」
「あはは、言うようになったね、けいくんも。うん、指加えて待っておきます!」
兵隊がやるように彼女は敬礼した。
あまりにも真剣にやっていたのが俺の笑いを誘ってきて、小さくプッと笑う。
俺が笑ったことにつられてか彼女も小さくプッと笑い、やがて決壊がきれたのか、互いにどっと笑い出した。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
当初のプロットではパーティーまでやるつもりでした。しかしまあ予想以上に長くなって、あ、ダメだ切ろうと諦めました。
一つ質問ですがタグに貴族っていれた方がいいですかね?




