第六章 ビーチコーミング
「夏だ! 海だ! ゴミ拾い…… だ?」
「まだ夏でもないし、海は早いわよ」
急速に語尾が落ち込んでいく翠の台詞に、はるかは呆れ半分の突っ込みを入れる。
はるかのツインテールに結った髪を潮風が撫でて行く。そう、本格的な海開きの前に、はるかたち聖稜女学院の生徒は地元の砂浜に社会奉仕の一環としてゴミ拾いに来ていた。
まだ、そんなに暑くはなく、潮風が制服の夏服に心地良い。それでも厚着をするのは勘弁して欲しい為、はるかはナース用エプロンは遠慮させてもらって、保健委員を示すナースキャップと十字マークの入った腕章を身に付けている。
後は、保健委員の備品。救急用品の入った大型のウェストバックを腰の後ろに配している。前だと、ゴミ拾いの為に屈む時に邪魔になるのだ。
「にしても、ゴミ袋の他に、小さな袋を渡されたけど…… 何これ?」
「さぁ? 好きなものを持ち帰っていいって話だったけど、なぁ」
こういう時には知恵袋に聞いてみるのが一番、と言うことでサキに聞いてみる。
「サキさんは、分かる?」
いつも通りの長い黒髪を潮風に流しながら、サキは振り向く。
聖稜女学院女子の夏服は、日焼けを嫌うお嬢様も居ることから半袖だけではなく長袖も選べるのだが、彼女は長袖を選択していた。その制服から香る、ほのかな、どこか懐かしい匂い。それが、はるかの記憶の琴線を刺激した。
「この社会奉仕はレクリェーションを兼ねているものだから」
いつもの静かな、しかし何故かよく通る声でサキは答えてくれる。
サキは社会奉仕の時の、はるかのパートナーになってくれたため、はるかの傍に居てくれる。自分のことを完全に受け入れてくれた訳ではないものの、ただそれだけでも心躍るものだとはるかは実感していた。
「レクリェーション?」
「そう、ビーチコーミング。砂浜を櫛、コームで梳くように、漂着物を拾い集めるようにすることから、その名が付いている。例えば……」
サキは、砂浜に何かを見つけたようだった。
「これ」
拾い上げたものを、はるかの掌の上に落とす。
「うわぁ、綺麗。何これ?」
サキが拾い上げたのは、磨り硝子状になった半透明な青い欠片だった。
「ビーチグラスって言う。ビンなどの硝子の破片が、海で漂流している間に角がとれ、独特の磨り硝子のようになったもの。クラフトの材料になったりもする」
「へぇ、つまり海岸での宝物捜しってことね」
硝子を日の光に透かして見ながら、はるかは言う。青い磨り硝子は海の色を閉じ込めたかのようだった。
「宝探しとは、はるかさんは乙女ですなぁ」
茶化す翠は、そういった夢見るような感性は持ち合わせていない為、やる気は無さそうだった。
しかし、
「ビーチグラスは、ビーチマネーというエコマネーとして、海岸周辺の協力店で、サービス券代わりに使うことができる」
翠に向かってサキは説明する。
「むぅ」
唸る翠に駄目押しの情報提示。
「サーティーン・アイス一個三十円引き。何度でも」
翠の変わり身は素早かった。
「さぁ、はるか、そのビーチマネーとか言うのを探すぜ!」
ビーチマネーはエコマネー、海岸掃除活動の助成として、このように立派に機能しているようだった。
「ちょ、ビーチマネーじゃなくてビーチグラスでしょ。って言うか、ゴミ拾い、ゴミ拾いがそもそもの目的でしょうが!」
こうして、はるかたちのゴミ拾い兼、ビーチコーミングはスタートしたのだった。
「うわ、桜貝だー」
はるかは薄紅色に染まった小さな貝殻を拾う。それは本当に綺麗で思わずため息が出るほどだった。
「そんなのより、アイスだってば」
ビーチグラスがビーチマネーを通り越して、翠の頭の中ではアイスにまで変換されている様子だった。
それを適当に放置して、はるかはサキに問う。
「そう言えば、サキさんはやらないの、ビーチコーミング、じゃなくてゴミ拾い」
サキはゴミ袋もビーチコーミング用の袋も持っておらず、ただ剣道の竹刀袋を肩にかけていた。
「私は鳥獣対策委員だから、みんなの護衛としてこのゴミ拾いには参加している」
はるかは言おうか言うまいか、迷いながらも口を開いた。
「でも感じ悪いわよ。みんながゴミ拾いしている時に何もしていないと」
保健委員のはるかだってゴミ拾いには参加しているのだ。
しかしサキの答えは決まっていた。
「私の評判なんかよりも、皆の安全の方が大事だから」
これだった。
仕方がない、とため息をつきながらも、はるかは聞いた。
「こういうイベントの護衛はこれからもあるの?」
はるかの問いかけに、サキは無言でうなずくことで答えた。
「だったら、次からはサキさんの仕事は護衛だって、事前に先生から説明してもらうことにするから」
それだけでも、皆が受ける心象は大分違ってくるはずなのだ。
しかしサキの答えは決まっていた。
「別にいい。鳥獣対策委員の仕事は決まってるから、改めて説明する必要は……」
「あるの! いい、サキさん。人間って言うのは、一から十まで全部のことを覚えていられるわけじゃないし、そこから推測してサキさんが別の仕事をしているだなんて頭が回る人ばかりじゃないのよ」
はるかは、サキの言葉を遮って言い募る。
「重要なことを分かるように、繰り返し説明するのには意味があるの! それに護衛が付いてるって説明を受ければ、みんな安心して仕事ができるし危険への注意喚起にもなるでしょ」
常でも感情が現れないサキの顔から完全に表情が消えた。これは、彼女が深くものを考えている時の顔だと、はるかは最近の付き合いの中で悟っていた。
「……分かった」
しばらくして返された返事に、はるかはほっと息をつく。
サキは頭が良過ぎる為に正論には弱い。彼女に、その利他的過ぎる態度を改めてもらうには、真正面から理詰めで論破する必要があるのだ。
「でもよー、海岸に護衛なんか必要あるのか? 山じゃないんだし獣は出ないだろ」
翠が気のない様子で口を挟むが、サキは真剣な顔で首を振った。
「それについては、市から情報提供があった」
「武富さんから?」
はるかにサキは小さくうなずいて見せる。
「サルたちの中に、海水で芋を洗うことを覚えた者が出た、と」
「サルが、海でお芋を洗うの?」
「塩味が付いて、美味しくなるらしい」
賢いサルも居たものだ。
翠もうなずく。
「そういやぁ、ジャガイモの収穫時期だもんなぁ。近所の家でも、サルに畑を掘り返されたって話があったぜ」
「そう。だから気が抜けない」
サキは真顔で言う。
はるかからすると、ほのぼのしたような話に聞こえたが、実際に損害を被る側にしてみると、そのように悠長に受け止めることはできないらしい。そんな話をしながら、三人で砂浜を移動していた。
「わっ、硝子玉だわ」
はるかが見つけたのは翠色の硝子の球だった。
「漁に使う為の浮き。最近はプラスティック製に置き換わっているから、硝子のものは珍しい」
サキが説明してくれる。
「アイスになるのか?」
翠のそれしか考えられないのか、といった質問に対しては首を振る。
「ビーチグラスの定義から外れるから無理」
「そっかー」
翠は目に見えて気合を下げた。
でも、とサキは言う。
「海岸沿いの洒落たお店なら、交渉次第でインテリアとして引き取ってもらえるかも」
「よっしゃあ! 地元生まれの顔の広さを今こそ発揮する時だな。そしてアイスを!」
サキの言葉で翠は即復活する。
「あんたの頭の中には、アイスしか無いのか!」
突っ込むはるかも呆れ半分だった。
そして、はるかたちは生物の残したものも拾う。
「四角いけど、魚?」
はるかは、奇妙な形をした魚を拾って首を傾げた。
「多分、ハコフグの仲間」
サキが答えてくれた。
「硬え。何だこれ、カチンカチンだぜ」
翠が爪の先で弾くと、まるでプラスティックを叩いたような音がする。
「ハコフグの仲間の身体は硬い甲羅に覆われているから。打ち上げられて、その甲羅だけ残ったんだと思う」
そうやっている間に保健委員のはるかに、お呼びがかかった。後続のグループから日射病らしき患者が出たと言うのだ。
「何だよ、軟弱だなー。今日、そんなに暑くねーじゃん」
呆れたように翠は顔をしかめて見せる。それに対してはるかは苦笑した。
「お嬢様学校じゃあ、仕方ないでしょう。さぁ、行くわよ」
しかし、サキは動かなかった。
「サキさん?」
問うように名を呼ぶと、彼女は真顔で答えてくれた。
「二人で行って。私は全体を見渡せるこの位置から動けない」
「あ、そっか」
サキは、この一行全体の護衛役なのだ。
「うん、それじゃあ、なるべく早く帰って来るから」
はるかは、サキに気を使って言うが、
「私のことはいいから、しっかり手当てをして来て」
と、言い返されてしまう。
「う、うん」
後ろ髪を引かれつつも、翠と共にその場を後にする、はるかだった。
「うん、これなら、少し休めば大丈夫」
はるかは、翠に手伝ってもらって、具合を悪くした女生徒を涼しい木陰に運び込んだ。その制服の胸元を緩めて、持参したスポーツドリンクを飲ませる。意識もはっきりしているし、少し休ませてから、学校に帰らせれば大丈夫だろう。
「ほー、さすが本職だな。私なんて、水をぶっかけるぐらいしか考え付かないのに」
「どこの根性物よ」
翠の冷やかしに、はるかは苦笑して答える。
「ともかく、彼女の運搬、お願いね」
はるかは翠に頼む。こういう時、体力のある彼女が居てくれると本当に助かる。
「まぁ、軽そうだからいいけどよ」
翠は気さくに請け負ってくれる。この辺が彼女のいいところだった。
そこに、近くで清掃活動をしていた生徒たちから甲高い歓声が上がった。
「かわいーっ!」
「サルよ、サル」
「写真撮って、写真」
一グループの生徒たちにサルが近づいて来たのだ。
「エサ、あげられないかな」
「あ、私、お昼ご飯のパン持ってるー」
一人の少女がバックパックからビニール袋を音を立てながら取り出し、サルに餌をやろうとする。
「ちょっと、あなたたち!」
はるかが注意しようとした、その時だった。
甲高い破裂音が遠くから響いたのは。
「鉄砲?」
慌てて、はるかが視線を巡らせると、そこには空に向けて小さな拳銃を掲げているサキの姿があった。
その姿を認めると同時だ。どん、と足元から、その身長を超えるほどの砂煙が立ちサキが猛スピードでこちらに向かって来た。
「な、何よあれ、砂浜で出せるスピードなの!?」
サキは足を取られ、地を蹴る力を分散させるはずの砂浜を走っているとは思えないスピードで、疾風のようにこちらに突っ込んで来る。
「風雲流、歩法が奥義、踏雲。不安定な足場でも、足首の柔らかさを利用して十分なグリップを稼ぐ技だ。少ない体力を有効に使う、あいつに似合った技だな」
翠がつぶやくように言った。
そしてサキは女生徒を追い越し、スキーのように砂浜を滑り込んだ。急ブレーキをかけた足元からは、オリンピックの走り幅跳びの選手が着地した瞬間のごとく、砂が巻き上がる。
その躍動感あふれる光景は、はるかの脳裏にあざやかに焼きついた。
サキは、腰だめに構えた拳銃をサル目がけて連射する。銃口から火花と火薬の滓が飛び散り、その火薬の破裂音にサルは逃げ出した。害獣駆除のハンターのお陰で、サルは銃の怖さを知っているのだ。
更にサキは、肩にかけていた竹刀袋から灰色のプラスティックパイプを取り出し、サルに向ける。
「あ、サル鉄砲!?」
はるかは声を上げる。
そう、それは以前、市役所の職員、武富が見せてくれたサル追い用の道具だった。パイプの切れ込みから飛び出た導火線にライターで火を付けると、火薬の噴射音と共にロケット花火が発射された。逃げて行くサルの直近に着弾し、甲高い大きな音と共に破裂する。
その爆音に、周囲の女生徒たちから悲鳴が上がった。
しかしサキの動きに遅滞は無い。
「次!」
サキは竹刀袋から矢継ぎ早にサル鉄砲を取り出し、つるべ撃ちに放つ。それはサルたちが山の中に入り、完全に見えなくなるまで続けられた。
安全を確認し、サキは凍り付いている女生徒たちに告げた。
「鳥獣対策委員の名の元に、サルに餌付けすることを禁じます」
そして手早く使い切ったサル鉄砲を二つに分解する。竹刀袋から取り出したロケット花火を仕込んで、また一つに戻す。
それから小さな中折れ式の拳銃の装填部を銃身ごと前に倒し、リング状に繋がれた、使い切ったキャップ火薬を取り出し予備の火薬を詰める。
「あ、あれ、アニメで悪役が使っていた銃」
「エンフィールド・ナンバーツーな。まぁ、サキのは違うけど、中折れ式の拳銃ったら、それが有名だよな」
はるかの呟きに翠が答える。
この拳銃の火薬の再装填にかかった時間は、僅か三秒ほどだった。手慣れている。
そしてサル鉄砲を再び竹刀袋に仕舞い、拳銃は制服のポケットに収めるとサキは女生徒たちに向き直った。
「理由を説明します。安易にサルに餌を与えると、サルは人間が餌を与えてくれるものと思い人里に下りて来ます。そして袋を持った人間に近づき、時にそれを奪い取ろうとして人に怪我をさせることがあります。サルの被害は深刻で、市でもサルには餌付けしないように周知徹底を図っています。以上、何か質問がありますか?」
「あ、あの、理由は分かったんですが、あんなにしてまで追い払う必要があったんですか?」
そう言う女生徒には、サル以上にサキが険呑なものに映ったのだろう。恐怖と嫌悪が滲んだ声だった。
それを露とも気にしない様子でサキは言う。
「サルに人間は恐ろしいものと学習させ、自然に帰さないといけないからです。そうでないと、サルは人里に下りて、自然から離れた生活をするようになりますから」
理路整然とした理屈ではあったが、それだけに、サキにひときわ冷徹な印象を与える発言だった。
「なるほどねー」
そこに、はるかは割って入る。
「お疲れ様、サキさん」
意識して場に似合わない、にこやかな笑みを送る。
それをちらりと見て、視線を外しながらサキは答えた。
「別に。私は鳥獣対策委員。聖稜の生徒を守る義務があるから」
その反応に、はるかは小首を傾げた。
「……もしかして、照れてる?」
「そんなこと無い」
何気ない、やり取り。
それで周囲の空気が和らぐ。畏怖さえ含んでいたサキへの視線が人を見るものへと変わった。
その視線を受けながら、はるかはサキの右手を取った。身長差から、サキの元に跪くようにしてその手に鼻を近づけ匂いをかぐ。
「な、なに?」
「やっぱりこの匂い。サキさんの制服から懐かしい匂いがすると思ったんだけど、火薬の匂いだったのね」
おそらく制服に火薬の香りが付くほどに、サキはあの銃を使って獣や鳥を追い払っていたのだろう。
はるかの記憶に両親とやった花火の思い出が甦った。まだ母が生きていた頃の懐かしい記憶だ。
「この匂い、好きだな」
サキの手に顔を寄せ、そう囁いた瞬間だった。
「キャーッ!」
喜色が含まれたような歓声が上がった。先ほどの女生徒たちからだった。
「お二人って、やっぱりそうだったんですね」
勢い込んで聞かれる。
「は?」
質問の意味が分からないはるかを前に、女生徒たちは盛り上がる。
「確かに、サキさんって、小柄で色白で髪が素敵で、お姫様って感じでしたけど」
「そうよね、騎士とお姫様よね」
「え?」
状況が掴めないでいるはるかに、翠が教えてくれる。
「自分の取ってる姿勢を、考えやがれ」
「え?」
自分の取ってる姿勢?
はるかは考える。
跪いている。サキの足元に。彼女の手を取って。それに顔を寄せて。
「手の甲にキスするなんて、お二人はやっぱり」
「ち、ちがっ!」
やっと分かった。自分が、とんでもない誤解を受けかねない姿勢を取っていることに。
「これはニュースね!」
「ニュースよ! ちゃんと写真は撮った?」
「ばっちり! 明日の号外は、これで決まりね!」
「な、何を……」
固まっているはるかを他所に、少女たちは走り去ってしまう。その制服の左腕に付けられたPRESSの文字が入った腕章が目に入った。翠もそれに気づいたのだろう、眉をひそめつぶやいた。
「あー、連中、新聞部だ。こりゃあ明日には学校中に知れ渡るぜ」
「しんぶんっ!?」
翌日、学院中に張られた号外新聞により二人のカップリングは広まることになる。
お姫様と、その騎士として。